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38話 春男の手のひらの中(前編)

 春男の手のひらの中(前編)


 春男の家に行く時は事前に携帯で了解をとってある。だから、大抵の場合はノックをして返事を待たずに鍵のかかっていないドアを開けることが多い。

その日も、そうして開けると、ソファに誰かが座っているのが見えた。お客さんだったのかな?

「あー、佐々木さん?」

その人は声をかけてきた。

「そうです。」

「どうぞ、上がって。」

「はい。」

オレは上がりこんだ。

「あ、あれ?」

いつも座っているはずの椅子には誰もいなかった。春男がいない。

「アキちゃんなら、買い物に行った。俺、留守番。」

 オレは目を丸くした。

「買い物?どこにですか?」

「俺が結婚するって言ったら、買ってくるって出かけていった。何を買いに行ったのやら。俺はただ、式にも出て欲しくてさぁ、直談判に来たんだ。面倒でって、断られないように。」

「ああ、それなら直接言うほうが早いですよね。」

オレは春男の椅子ではなく、キッチンの椅子に座った。

「だろう?アキちゃんから聞いたけど、あいつの担当なんだって?」

「え、春男が作家なの、知ってるんですか?」

「知っているよ。あいつの友だちなら、ほとんど知ってるんじゃないか。ペンネームだろ、春男って。」

 その男性はずずっとお茶を飲んだ。

「ええ。オレ、春男の友だちは誰もそのことを知らないものだと思っていました。」

「あー、知られているってことを本人も知らないんじゃないか。あいつ自身、よく人の職業忘れるし。誰かに聞かれないと自分の職業、言わないからねぇ。もっと言えば宣伝になるのにな。」

「ですよね!」

「まぁ、アキちゃん本人は、誰が何の職業だろうとあんまり関係ないみたいだけどね。」

「そうですねぇ。いろいろ、いますよね。」

「ははは。俺達の間でも、そのうち政治家に知り合いでもできるんじゃないかって言っているくらいだからな。まぁ、冗談だが。」

「あの、春男とはどういう?」

「ああ、高校時代の先輩だ。」

「ああ、じゃ、オレの先輩でもあるんですね。」

「ん?同じ高校だったのか?」

「ええ。」

「じゃ、長い付き合いだなぁ。」

オレは慌てて言った。

「あ、いえ、社会人になってから偶然出会ったんです。高校のときはまったく付き合いがなくて。」

「へぇ。運命だねぇ。」

「はぁ。」

「アキちゃんはさ、最初はなんだ、こいつって思うんだよね。変わっているし。面倒くさがりだし。物事は結構忘れるし。最初はこんな奴とは絶対に気が合わないって思うんだよねぇ。」

「そうですね。」

オレは春男とであった時のことを思い出していた。確かにそのとおりだ。担当になった頃はやめることばかり考えていたものだった。


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