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30話 髪と着物

髪と着物


 会社の隣の女性の同僚は髪を切ってきた。そんなことにはめったに気がつかないオレだが、肩まであったのが、すっかり短くなればさすがに分かる。なんだか、首が寒そうだ。

「なんだか、首が寒そうだね。イメージチェンジかい?」

「あら、佐々木さんって若いのね。」

「なんで?」

「年上の人はほとんどが、失恋って聞くのよ。今時。」

「ああ。でも、オレは髪を切ったことに気がついただけでもほめたいけどね。オレの親父は妻がどんなに髪を変えても分からない。それで、昔、大喧嘩した。「離婚よー」ってね。」

「そっか。そうねぇ。気がついただけでもいいか。」

「そうそう。オレも髪を切りに行きたいんだけどねぇ。」

 そういって、自分の髪をかきあげてみた。そろそろ、本当に行かねば。

そういえば、とオレは思い出していた。

オレが他にも担当している、作家の先生は、ひいきの床屋があると言っていた。双子の作家は、同じ美容院に同じときに行くのだといっていた。春男の髪は親父さんが切っているはずだが、最近、あっちこっちを結び始めた。つまり、それだけのびてきているという事だ。オレは春男の家のカレンダーを見つめながら言った。

「最近、親父さん来てないのか?」

春男のカレンダーには本人でさえもよくわかっていない印やメモがたくさん書かれている。なんだ?石碑?講座?展示会、はさておき、粉?印刷?ペンギン?……どうもよくわからないメモばかりだ。そこに、父親が来ているかどうかも分かる、印が描かれている。今はないが。

「ああ、水金、夕方からカルチャーセンターに通い始めたんだ。円藤カルチャーセンターだよ。知っているだろう?」

「ああ、あのでっかいやつか。でも、よく奥さんの許可が出たな。」

「うん。短歌を習いに行っているんだ、建て前は。」

「で、実際は?」

「着物着付けと琴を教えに行っている。」

……オレは言葉を失った。そんなことにまで手を出していたとは。

「着付けが出来るのか?」

「ああ、僕はさすがにそこまでは出来ないけどね。まぁ、着る機会もないから別にいんだけど。これができることは母さんも知っているんだ。家では、ほとんど着物だよ。最近のは丸ごと洗えるって笑っていたし。琴は昔、おじいさんから習ったらしい。本当は、僕のおばさん用だったんだけど、父さんの方がうまかったって。」

「じいさんから……ねぇ。それで、忙しいから最近、お前の髪が長いんだな。切りに来ていないってことだろう?」

「そうなんだよ。このまま伸ばそうかとも思っているんだけど、昔伸ばしていたころは、一本に結んでいた時間の方が長かったから、こんなに伸ばしている途中がうっとしいものだって記憶がもうすっかりなくなっていたんだよねぇ。」

それにしても、その頭を結んでいるゴムは自分で買いに出かけたのだろうか。なんだか、やけにいろんな色になっている。

「これ、おもしろいだろう?プラスチックのボンボンがあったり、キューブがあったり。いろんな色があってねぇ。まぁ、あんまり長い時間見つめていても、へんなおじさんに見えるだろうから、適当に選んで買ってきたんだ。」

 買った時点で、十分あやしい人に見えるだろう。

「ただねぇ、髪が多いせいか、たまに、どこに結んだのか触ってもわからないことがあるんだよねぇ。」

 春男はしみじみと言った。もしかして、今のこいつの悩みは髪なのだろうか?


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