【第9話】遠征地での遭遇
学園生活が始まってから初めての大きな行事、一泊二日の遠征実習の日がやってきた。
王都の巨大なターミナル駅から乗り込んだ蒸気機関車は、太い煙突から白い蒸気を勢いよく吐き出しながら、ガタンゴトンと心地よいリズムを刻んで進んでいく。
私たちが向かっているのは、王都から離れた山間に位置する隣領リベリアだ。
木目調の落ち着いた車内には、四人掛けのボックス席が並んでいる。
私は進行方向を向いた窓際の席に座り、すぐ隣にはリオスが姿勢良く腰掛けていた。
そして向かいの席には、ルキアが眼鏡の位置を直しながら、窓の外の景色を楽しそうに眺めている。
「実は私、王都を出るのは初めてなの」
今回の遠征実習の目的は、ポーション製作の基礎を身につけることだった。
国で唯一、回復魔法が使えるのは聖女である私だけだ。
だからこそ、怪我や病気の治療には高度に発達した医療機器か、あるいは薬草を精製して作るポーションに頼るしかない。
そのため国民のほとんどは、学生時代にこうした実習を通して、基本的なポーションの製作方法を学ぶことになっているのだ。
列車が深い木々の間を抜けたその時、片側の視界がぱあっと大きく開けた。
「あ、海だわ!」
私は思わず歓声を上げ、窓ガラスに顔を近づけた。
眼下に広がるのは、太陽の光を受けてキラキラと眩しく輝く、どこまでも青く澄んだ海だった。
ずっと遠くから眺めることしかできなかった大好きな海を、こんなにも近くで見られるなんて思ってもみなかった。
興奮する私の視線の先、海の遥か向こうに、うっすらと巨大な陸地の影が見えた。
オルディナ王国からおよそ三十キロメートル離れた対岸にある大国。
「あれがソラリス神聖帝国ね」
ルキアが私の視線を追って呟く。
ソラリス神聖帝国は、国民の全員が、魔法を自由自在に操るという魔法大国だ。
魔獣から取れる魔石を動力源とした、独自の魔法文明を築いていると、学園の授業でも習ったばかりだった。
「ねえ、窓を開けてもいいかしら?」
私は遠くに見える海を少しでも近くに感じたくて、ルキアとリオスに尋ねた。
「ええ、もちろんよ」
ルキアが笑って頷き、リオスも静かに微笑んで同意してくれた。
私が重い窓を上に押し上げると、海風を含んだ爽やかな緑の匂いが、勢いよく車内へと吹き込んできた。
風が私の長い髪を揺らし、隣に座るリオスのネイビーの髪もさらさらとなびく。
その時、彼の左耳につけられた、青い石のはまった菱形のピアスが、風を受けて小さく揺れた。
「リオスって、いつもそのピアス付けてるよね」
ルキアが興味深そうに身を乗り出した。
「その青い石、ひょっとして魔石でしょ? すごく綺麗にカットされてるし、結構高そうね。何か大事なものなの?」
ルキアのストレートな質問に、私自身もハッとしてリオスの横顔を見つめた。
思えば、彼と初めて出会ったあの日から、彼は片時もそのピアスを外したことがない。実は私も、それは少し気になっていたことだった。
リオスは一瞬だけ窓の外の海へ視線を向け、少し目を細めたあと、穏やかな声で答えた。
「ええ。故郷にいたころにもらった、大切な人からの贈り物なんです」
『大切な人』
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥がチクリと音を立ててざわついた。
大切な人って、誰のことだろう。
田舎に残してきた家族? それとも幼馴染の友人?
まさか、恋人……?
リオスの口から出たその言葉が頭の中でぐるぐると回り、彼のピアスの送り主が誰であるのか、どうしても知りたいという強い衝動が湧き上がってくる。
けれど、いくら私の護衛騎士でも、彼のプライベートな領域に、そこまで踏み込んで聞き出すのは失礼だわ。
私が心の中でそんな葛藤を抱え、必死に言葉を飲み込んだその時だった。
「大切な人って、誰からもらったの? もしかして彼女?」
ルキアが目を輝かせながら、私が一番聞きたくて、でも怖くて聞けなかった質問をあっさりと口にしてくれた。
(ナイスよルキア! いや、違う! ダメよそんな直球な質問!)
私は心の中でルキアに感謝しつつも、リオスがなんと答えるのか怖くてたまらなくなり、無意識に自分の膝の上で両手をギュッと握りしめた。
リオスは少し困ったように眉を下げ、頭をかきながら曖昧な笑みを浮かべた。
「うーん。まぁ、そんなような、違うような……」
(ど、どういう意味?)
私は彼の答えを聞いて、さらに混乱してしまった。
(つまり、彼女なの? 違うの?)
恋愛小説に出てくるような、友達以上恋人未満ってやつなのだろうか。
(それとも、彼は私と同じ十七歳だけれど、故郷にはすでに奥さんがいるの? いや、さすがにそれはないか)
頭の中で様々な想像が猛スピードで駆け巡る。
はっきりとした答えは分からなかったけれど、ただ一つ確かなことは、彼がそのピアスを女性から贈られた特別なものとして大切に身につけているという事実だった。
そのことに気がついた途端、私はなぜかひどく落ち込んでいる自分に気づいた。
胸の奥に重苦しい感覚が広がり、さっきまであんなに綺麗に見えていた海の景色も、なんだか急に色あせてしまったように感じられた。
「ルキア、他人のプライベートをそんな風に詮索するのは失礼よ」
私は胸の奥の痛みを必死に隠し、精一杯平静を装った声でルキアを諭した。
声が震えないようにするだけで精一杯だった。
「あ、確かにそうね。ごめんねリオス。商売人の娘としては、同年代の男の子がどんな贈り物で喜ぶのか、つい気になっちゃって」
ルキアが素直に謝罪すると、リオスはいつものくしゃっとした優しい笑顔を浮かべた。
「ははっ、かまわないよ。誰かに贈り物をする時は、ルキアに聞くと良さそうだ」
そんな会話を繰り広げながら、列車はシューッと白い蒸気を上げ続け、私たちの様々な想いを乗せたまま深い森の中を進んでいった。
――
王都を出発してからおよそ二時間後。
島の西端に近い山間部に位置するリベリア駅に到着した私たちは、そこからさらに大型の蒸気バスへと乗り換えた。
舗装されていない山道を揺られること三十分ほどで、無事に宿泊先となる森のコテージへと到着した。
到着したコテージで昼食を済ませると、さっそく午後のポーション製作実習が始まった。
「まずは材料の採集からだ。森の中で三種類の指定の薬草を探してくること。森には肉食獣はいないので危険性はないが、念のため武器は所持しておくように。あと四人以上のチームで行動するように。採取が終わってなくても十五時までにここに戻ること。以上だ」
教員からの説明が終わると、私たちはクラスの王国派の男子生徒、トビアスを誘い、四人で森を散策することになった。
木漏れ日が差し込むのどかな森の中を歩き回り、私たちは順調に目的の薬草を見つけていった。
「薬草もあと一つね」
特に何も起きることはなく、私たちはすでに二つの薬草の採集を終えていた。
「それにしても聖女様が、こんなに気さくな方だったなんて。教会派の顔色なんて気にせず、話しかけに行けばよかったよ」
「そうよ。エレオノーラは派閥なんて気にしないの」
王国派のトビアスとルキアがすっかり意気投合し、楽しそうに笑い合いながら先頭を歩いていく。
そんなのどかな森の中でも、リオスは常に周囲を警戒しながら、私たちの最後尾を歩いていた。
その時だった。
「きゃっ……!」
先頭のルキアが短い悲鳴を上げ、足を止めた。
彼女の視線の先には、無残に食い散らかされた小動物の死骸が転がっていたのだ。
この森に肉食の野生動物はいないと聞いていたはずだが、予想外の惨状に、四人の間に一気に不穏な空気が広がる。
ガサガサッ……!
前方の茂みが大きくざわめいた。
茂みをかき分け、のっそりと姿を現したのは中型の野生動物だった。
体長は二メートルほどで、まるで猪のような姿をしている。しかしその背中には、亀のような硬質な甲羅を背負っていたのだ。
「なんだ……あれ? 見たことない動物だな?」
トビアスが怪訝な顔をして声を漏らす。
「みんな、前を見たままゆっくり下がれ」
リオスが静かに、しかししっかり通る声で後方から指示を出した。
私たちは前を見据えたままゆっくりと後ずさりし、リオスの後ろへ下がった。
「何かしら? あれ?」
「あれは、タートルボアだ」
私の疑問にリオスが短く答える。
「聞いたことない動物ね。リオスの故郷のヒュランドルにはいるの?」
ルキアが震える声で問う。
「いいや……あれは、魔獣だ」
リオスのその言葉に、私たちの思考が一瞬停止した。
「え? ……魔獣……?」
「ま、魔獣だって!? そんなバカな! オルディナに魔獣がいるわけないじゃないか!」
「しっ! 大声を立てたら……」
私の制止より早く、パニックに陥ったトビアスの声にタートルボアが反応してしまった。
グルルゥ……と、低い唸り声を上げ、こちらをギロリと睨みつける。
「みんな、散開しろ! タートルボアは猪と同じように、ものすごい速さで真っ直ぐ突っ込んでくるぞ!」
リオスの指示で、固まっていた私たちはそれぞれ弾かれたように距離を取った。
カンッ、カンッ!
「こっちだ、猪! 俺の方を見ろ!」
リオスが素早く剣を抜き、剣の腹と鞘をぶつけ、注意を引きつける。
トビアスも剣を抜き、私とルキアは震える手でヴェイパーガンを腰のホルスターから抜いた。
穏やかな森の中で突如訪れた魔獣との邂逅が、平穏な日常の終わりの始まりであったことに、私たちはまだ気付いていなかった。




