【第6話】聖女の謎
あの熱気に満ちた剣術実習から、さらに数日が過ぎた。
オルディナ学園での生活は、私の毎日にこれまで経験したことのない鮮やかな彩りを与えてくれている。
孤児院で子供たちの面倒を見て、小さな教会で基本的な勉学を学んでいただけの私の世界が、学園に通うようになってから一気に広がっていったのだ。
休み時間になればルキアが私の席へとやってきて、王都で流行っている美味しいお菓子の話や、次の休日にどこへ遊びに行くかといった気さくな雑談を振ってくれる。そんな彼女との他愛のないやり取りが、私にとってはとても新鮮で愛おしい時間だった。
これが同性の親友というものなのだろうか。
もちろん、そんな賑やかな日々の中心には、いつもリオスの姿があった。彼はどんな時でも私の半歩後ろ、あるいは隣に静かに控え、私が安心して学園生活を送れるように気を配ってくれている。
けれど、そんな穏やかで幸せな日々の中で、私は彼の行動にある小さな違和感を覚えるようになっていた。
「どこに行っちゃったのかしら……」
それは放課後や、授業の合間の短い休みの時間のことだ。
リオスが少しの間だけ私のそばを離れることが何度かあり、気になった私が校内を探してみると、決まって彼は学園の静かな図書館にこもっていたのだ。
このオルディナ学園は、王国派と教会派の双方の貴族や、優秀な平民の子息たちが通う王国最高峰の教育機関である。そのため、学園のセキュリティは王都の中でも特に厳重を極めていた。
つまりリオスも常に私のそばに控えている必要はなく、男女で別の授業がある場合なども、それぞれが不安無く授業を受けることができていたのだ。
そして図書館で私を見つけた彼は、いつも同じような言い訳をしていた。
「ああ、すみません。授業で学んだところでわからない部分があったもので」
「そう。分からなかったら私が教えてあげるのに」
当初不安だった学園での授業は、蓋を開けてみるとまったく問題はなかった。
自分でも驚くほどすんなりと理解ができ、逆に拍子抜けしたほどだ。ひょっとしたら私の前世は鳥ではなく、学者だったのかもしれない。
その日もリオスが見当たらず、私は図書館へと足を運んだ。
重い木の扉を押し開けて中へ入ると、古い紙とインクの香りが鼻をくすぐる。広い館内を見渡すと、一番奥の窓際の席に、長身の背中を見つけることができた。
ネイビーのミディアムヘアに、左耳の菱形のピアス。
間違いない、リオスだ。
彼は分厚い本を机の上に何冊も積み上げ、驚くほどの集中力でそのページをめくっていた。
(ふふっ、ちょっとおどかしちゃおっと……)
私は足音を忍ばせて彼の背後へと近づき、机の上に広げられた本をそっと覗き込んだ。
彼が真剣なまなざしで読みふけっていたのは、一般的な小説や参考書ではなかった。それはオルディナ王国の古い歴史書や、過去の地理が記された古地図、さらにはストラ教会が定めた戒律に関する専門的な古い文献ばかりだったのだ。
「……そんなに難しい本を読んで、どうしたの?」
私が声をかけると、リオスは肩をびくっとさせ、すぐに机の上の本を重ねて表紙を隠すようなしぐさを見せた。
そして椅子を回して私の方を向き、いつものように目尻を下げた優しげな笑顔を浮かべる。
「ああ、エレオノーラ様。いや、俺は田舎から出てきたばかりでしょう? 王都の歴史や教会の素晴らしい教えをもっと深く勉強しておきたいと思いまして」
彼は穏やかな口調でそう言って笑ってみせた。
普通の女子生徒なら、クールな佇まいからの人懐っこい笑顔とのギャップに、惑わされてしまったのかもしれない。けれど、毎日誰よりも近くで彼の顔を見ている私には分かってしまった。
彼がそうやって、何かを誤魔化そうとしているということに。
それに、先ほど私が覗き込んだ時、彼の視線が止まっていたのは、聖女の戒律に関するページだった。
「……聖女について、何か気になることでもあったの?」
私がもう一度尋ねると、リオスは少しだけ困ったように伏し目がちになり、小さく息を吐いた。
「実は少しだけ、不思議に思っていたことがあるんです。それは、聖女が海に近づけないという言い伝えです。教会の教えや歴史資料を読んでも、書いてあるのは『外界からの穢れが入る』とか『神の奇跡が失われる』といった、抽象的な言葉ばかりです」
彼は積み上げられた古い文献の、一番上に右手を置きながら続けた。
「なぜ海に近づくだけで力が弱まるのか。その具体的な理由や、過去の聖女様たちが実際にどうなったのかという記録などが、どこにも見当たらないんです。この蒸気科学が発達した現代において、あまりに非科学的な……」
そこまで言いかけて、リオスはハッとしたように口をつぐんだ。そしてすぐに明るい表情を作り直して首を横に振る。
「すみません、ただの俺の好奇心です。気にしないでください」
彼の言葉は、私の胸の奥に小さなさざなみを立てた。
確かに言われてみれば、私自身もどうして海へ行ってはいけないのか、その明確な理由を知らない。
教皇様や司祭たちからは、昔からの言い伝えだからとしか教わっていなかったし、私もそれを疑うことなく受け入れていた。
だがそれと同時に私はリオスの気持ちがとても嬉しかった。
「……ありがとう、リオス。一緒に海に行くって約束のために、調べてくれてたのね」
「あ、いえ……。はい……まあ……」
リオスは少し困ったような、なんとも複雑な表情をしていた。
その時。
カタカタカタカタ……。
「揺れてる……また地震ね。最近小さな地震が、ずっと続いているわね」
「そうですね。いつ大きな地震が来るかわかりません。俺も極力離れないようにいたします」
『極力離れないようにいたします』
私は彼のその言葉が無性に嬉しかった。
そんな小さな出来事はいろいろあったのだが、私たちの学園生活自体は、とても平穏に過ぎていった。




