【第5話】リオスとの出会い
「護衛騎士……ですか……?」
それは、私が孤児院からこのストラ教会へと引き取られ、第二十八代聖女エレオノーラとして目覚めてから、ほぼ三ヶ月が経ったある日の午後だった。
「そうです。あなたの専属護衛騎士の選抜を行います」
教皇イグナティウス様は、いつもと変わらない優しい微笑みを浮かべているけれど、その声には有無を言わせない確かな重みがあった。
「私は別に必要ないと思っているのですが……」
いくら聖女の力に目覚めたとはいえ、これまでの十七年間を街の小さな孤児院で、ごく普通の平民ベアトリスとして過ごしてきたのだ。誰かに警護されながら歩くような仰々しい生活には、どうしても抵抗があった。
しかし、私の答えを聞いた教皇様は、少しだけ表情を引き締め、諭すように首を横に振った。
「エレオノーラ、あなたはもう少し自分の立場を理解する必要があります。あなたはストラ神の使らいであり、全ての信徒が崇める存在です。何より聖女は、なぜか自分を癒すことができません。あなたの身に、もしものことがあってはならないのです」
教皇様の静かで力強い言葉に、私は何も言い返すことができなかった。
「……わかりました」
私はしぶしぶ了承した。
まだ自分の重い立場に実感が伴っていなかったけれど、これ以上教皇様を困らせるわけにはいかなかった。
「わかってくれて嬉しいです。選抜は勝ち抜き戦で、最後の一人が専属護衛騎士に任命されます。そうだ、すでに参加者が集まっているはずです。中庭が見える西側の窓に行きましょう」
教皇様に促され、私たちは静かな長い廊下を進み、西側の大きなアーチ状の窓へと向かう。そこからは教会の敷地内に広がる、広い石畳の中庭を一望することができた。
窓枠に手を置いて見下ろした私は、思わず目を丸くして感嘆の声を漏らした。
「すごい人数……。それにみんな、とても若いですね」
中庭を埋め尽くしていたのは、百人を超えようかという大勢の剣士たちだった。誰もが木剣や模擬用の武器を手にし、真剣な表情で互いを睨み合い、牽制しあっている。
さらに私の目を引いたのは、集まっている剣士たちの顔ぶれだった。騎士というからには、もっと年上のベテランや、ガタイの良い成人男性を想像していたのだが、中庭に集まっているのは、どう見ても私と同じくらいの若者ばかりだったのだ。
「護衛騎士は名誉ある称号です。いつかその任を解かれた時に、その後の人生を大きく左右する実績となります。それにお給金もいいですからね。地方からわざわざ参加している人も多いんですよ」
教皇様が隣で窓の下を見下ろしながら、優しく教えてくれる。
確かに、のどかな牧草地帯や農場が広がる地方の出身者にとって、王都の教会に仕える聖女の専属騎士という役目は、大変な名誉であると同時に、実力次第で一攫千金を掴める、またとない出世の機会なのだろう。
ただ、『いつかその任を解かれた時』という、私の死後を意味する言葉が、胸に少し重くのしかかった。
「それに、参加者は全員、あなたと同じ十七歳です。常に一緒に行動する必要があるので、聖女が代替わりすると、護衛騎士も同じ年齢の者から選ばれるのです」
「私と同じ、十七歳……」
これから学園に通うことも視野に入れているため、護衛騎士は同年代でなければ都合が悪い。
夏休み中の今だからこそ、こうして国中から腕に覚えのある同い年の青年たちが集められ、激しい選抜試験が行われているのだ。
あの数多くの若者たちの中から、一体誰が最後まで勝ち残り、私の隣に立つことになるのだろうか。
私はそんなぼんやりとした疑問を抱きながら、熱気渦巻く中庭の光景を、しばらく眺めていた。
――
それから数日後のことだった。
教皇様から連絡を受け、案内された応接室。
「エレオノーラ、こちらが今日からあなたの専属護衛騎士になる、リオスです」
百人以上が参加したあの過酷な勝ち抜き戦をただ一人制し、見事私の護衛騎士という栄誉を勝ち取った人物との、初めての顔合わせが行われた。
そこに立っていたのは、背の高い一人の青年だった。
少し長めのネイビーのミディアムヘアに、涼やかな黒い瞳。騎士の制服を身に纏い、直立不動で姿勢良く立っている。
その顔を初めて見た瞬間だった。
私の体の中で、何かとても不思議な感覚が弾けた。
心臓がドクンと大きく跳ね、全身の血が一瞬にして熱を帯びたかのような感覚。
今までずっと心の中にあった小さな不安の塊が、春の陽射しに溶ける雪のようにすっと消え去り、信じられないほどの強い安心感が胸の奥深くから湧き上がってきたのだ。
初めて会ったはずなのに、どうしてもそうは思えない。
ずっと昔から、この暖かい気配を知っているような、気が遠くなるほど長い間、この瞬間を待ち望んでいたような、涙がこぼれそうになるほどの強烈な懐かしさ。
何かを言わなければいけない。何かを伝えなければいけない。
私の心は激しく叫んでいるのに、肝心の言葉がどこにも見つからず、私はただ呆然と彼の黒い瞳を見つめることしかできなかった。
そんなもどかしい感情に私が一人で揺れ動いていると、彼はゆっくりと私に向かって深く一礼し、顔を上げた。
彼の左耳の、青い石のはまった菱形のピアスが、窓からの日差しを受けて静かに揺れて輝いた。
「こんにちは、エレオノーラ様。俺はリオスと申します。田舎から出てきたばかりなので、いろいろと教えてくださると嬉しいです」
凛とした、耳に心地よい涼やかな声だった。
彼の言葉で、私はようやく我に返った。
失礼なほど長い時間、彼の顔をまじまじと見つめてしまっていたことに気がつき、慌てて背筋を伸ばす。
「あ……はじめまして。エレオノーラです。どうぞよろしくお願いします」
ぎこちない笑みを浮かべてそう告げた私に、彼は少しだけ目元を緩めて微笑みかけてくれた。
けれど、その笑顔はどうしてか、私の胸をきゅっと締め付けるほどに切なく見えた。
彼の黒い瞳の奥に、言葉では言い表せないほどの深い寂しさと、隠しきれない哀しみの色が揺らいでいたからだ。
こうして出会った私たちの、聖女と護衛騎士としての生活が、その瞬間から始まったのであった。
――
「リオス! オレとも手合わせを頼むよ!」
学園のグラウンドから上がった歓声と活気に満ちた声に、私の意識は二ヶ月前の記憶から現実へと引き戻された。
実習場の中央で、リオスはクラスの男子や教会派の貴族生徒たちにすっかり囲まれ、笑顔で話しかけられている。
誰からも一目を置かれる圧倒的な実力を見せつけながらも、少しも偉ぶることなく自然に輪の中にいる彼の姿は、まるで昔からずっとこの学園の生徒であったかのように馴染んでいた。
男子たちの輪の中から、ふとリオスがこちらへ視線を向けた。
目が合うと、彼は少し照れくさそうに、いつものように目尻を下げて顔をくしゃっと崩して微笑んだ。
その優しくあたたかい笑顔に、私の心臓はまたしても小さく跳ね上がる。
(これからもずっと……いいえ。私の命が尽きるその時まで、一緒にいてね、リオス)
私は風に揺れる髪を押さえながら、声には出さずに心の中でそう呟き、遠くの彼に向かって軽く手を振った。




