【第21話】特級認定試験
その年の年末、温暖なソラリス神聖帝国は、珍しく厳しい冷え込みに見舞われていたが、王都の中心にそびえ立つ魔導師協会の総本部だけは、熱気と緊張感に包まれていた。
ついに魔導師ランク認定試験が開催される日がやってきたのだ。
今回、ランク認定に挑むのは俺の水属性魔法ではない。アウロラの回復魔法の認定試験であった。
アウロラは現在、回復系魔導師としてS級の座に就いている。そして今日、彼女は十六歳という若さで、ソラリス史上最年少の回復系特級認定を目指してこの場に立っていた。
試験会場は、各ランクの昇級試験に挑む大勢の魔導師たちでごった返していた。彼らの表情には一様に、自身のキャリアを左右する試験への重圧が浮かんでいる。
「はぁ、緊張するわ」
多くの参加者が集まる会場の熱気に、アウロラは両手を胸の前で強く組み合わせ、小さくため息をついた。
普段は気丈で自信に満ちた彼女だが、今日ばかりはその赤い瞳にも不安の色が隠しきれていない。
「大丈夫だって。いつも通りやれれば問題ないさ。それに俺たちが見守ってる」
俺は彼女の隣に立ち、少しでも安心させるように穏やかな声で励ました。
「そうだよ。アウロラの技術はS級の中でも上位だし、何より魔力量は国内でもトップクラスだ。普通に考えれば認定されないわけがない」
向かいのフィネルも、力強く頷いて同意した。
彼はすでに十四歳で特級魔導具師の称号を手にしており、その言葉には確かな説得力があった。
「二人とも、ありがとう。そうね、今までやってきたことを信じるしかないわ」
アウロラは深呼吸をして、少しだけ顔を上げた。
やがて、会場の前方に立つ男性の試験官が、よく通る声でアナウンスを始めた。
「それではこれより、回復系魔導師のランク認定試験を開始します。EからDの認定の方はここで待機。CからBの方は第三会場へ。Aの方は第二会場、Sの方は第一会場へ向かってください」
試験官の指示に従い、魔導師たちがそれぞれの会場へと足早に移動していく。
広かった会場が次第に閑散としていく中、アナウンスを終えた試験官が、ゆっくりとした足取りでアウロラの方へ近づいてきた。
「アウロラ・リンドフェルトさんですね。今年の特級試験はあなた一人です。一緒に付いてきてください」
「はい」
試験官の静かな声に、アウロラは緊張した面持ちで短く返事をした。
特級認定試験は極めて難易度が高く、受験者自体が数年に一人しか現れないことも珍しくない。
ましてや回復魔法の特級ともなれば、その受験資格自体も、とても厳しいものだ。
アウロラは試験官に連れられて、協会本部の裏手にある屋外の小屋の中へと案内された。
俺とフィネルも、見学の許可を得て彼女のすぐ後ろに付いていった。
厳重な魔法の結界が張られた分厚い鉄の扉が開かれると、中からは微かな獣の匂いと、重苦しい空気が漂ってきた。
「すごい……こんな間近で見たの、初めて」
アウロラが感嘆の声を漏らす。
薄暗い小屋の中央に横たわっていたのは、黒い鱗に全身を覆われた、美しさと勇ましさを兼ね備えた小型のドラゴンだった。
しかし、その姿は痛々しいものだった。
その巨大な右の翼は不自然な方向に折れ曲がって地面に投げ出されており、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
「おわかりかと思いますが、このドラゴンは騎竜として働いていた個体で、名を黒曜といいます」
試験官がドラゴンの傍らに立ち、静かに説明を始めた。
騎竜というのは、このソラリス神聖帝国の騎士の最高峰である、騎竜兵団のドラゴンライダーのパートナーだ。
魔法を極める者が特級魔導師を目指すように、剣を極める者はドラゴンライダーを目指す。
ドラゴンに乗り、魔力を身にまとって戦う魔法騎士の彼らは、国を守る最大最強の鉾であり盾でもあった。
「元は騎竜兵団の第一部隊長が乗っていたのですが、その方が高齢で引退されてから、誰もその背に乗せなかったのです。新しい隊長が隷属魔導具で無理やり使役し乗っていたところ、先日のスタンピードの掃討時に、翼に怪我をしてしまいました。やはりドラゴンとは心を通わせないと、その力は発揮させられないのです」
試験官の言葉には、ドラゴンに対する深い同情と、無理な使役を行った者への静かな怒りが滲んでいた。
隷属魔導具による使役は、知能の高いドラゴンにとっては拷問に等しかっただろう。
「つまり、彼女の翼の治療が試験ということですね」
アウロラが、痛々しい姿の黒曜を見つめながら言った。
その言葉に、試験官は少しだけ驚いたように目を丸くした。
「すごい、よく雌だとわかりましたね。試験の内容はその通りです。杖などの補助具なしで、十五分以内の完治で特級認定となります」
「どうしてか私には、黒曜を見てすぐに、女性だと認識できていたんです」
アウロラは、黒曜の頭の近くへとゆっくり歩み寄った。
「わかりました。よろしくお願いします」
アウロラは静かに頷き、表情を引き締めた。
「それでは、ご自身のタイミングで始めてください。詠唱をはじめたと同時に、スタートといたします」
「アウロラ、いつも通りにな」
俺の言葉に彼女は無言で頷き、集中力を極限まで高めはじめた。
彼女の周囲の空気が微かに震え、膨大な魔力が練り上げられていくのが肌で感じられた。
「黒曜、あなたに触れてもかまわない?」
アウロラはそう優しく語りかけながら、そっと右手をドラゴンの傷ついた巨大な翼に添えた。
見知らぬ人間を警戒していた黒曜だったが、アウロラの温かい魔力と優しい声に安心したのか、全く嫌な素振りをみせず、むしろ身を委ねるように小さく喉を鳴らした。
アウロラは目を閉じ、静かに、しかし力強い声で詠唱を紡ぎ始めた。
『生命の源たる青き雫よ。傷つきし魂の揺らぎに応え、かの者のもとへ集いて包み込め。《聖光命脈》!』
その瞬間、アウロラの右手から、目が眩むほどに美しく、神々しい緑の癒しの光が溢れ出した。
光はまるで意思を持っているかのように黒曜の翼を包み込み、折れた骨や引き裂かれた筋肉の繊維を、細胞レベルから急速に再生させていく。
ドラゴンは人間以上に生命力の強い生き物である。
その強靭な肉体を魔法で強制的に再生させる治療ともなると、想像を絶する大規模な魔力を消費する。本来であれば上級の魔導師が、杖などの補助具を使い、複数人で行う大掛かりな治療なのである。
それをたった一人で、しかも十五分という短い制限時間内で完治させることが、特級認定の絶対条件であった。
アウロラの額に玉のような汗が浮かび、彼女の体から無尽蔵とも思える魔力が惜しげもなく注ぎ込まれていく。
翼の傷は目に見えて塞がりはじめ、不自然に折れ曲がっていた骨も徐々に元の正しい位置へと戻っていく。このままいけば、間違いなく時間内に治療は完了するはずだ。
俺とフィネルは息を呑んでその光景を見守っていた。
しかし、治療がはじまり数分が経過した頃、アウロラに小さな動揺がはしった。
彼女はふと治療の手を止め、怪訝な顔をして黒曜の体をじっと見つめた。
(あれ? 何かしら、この感覚……もう一つの、命の灯火を感じる。でも、消えかかってる。……これ、ひょっとして赤ちゃん?! マズイわ、多分卵を抱えていて、その子が弱っているのかもしれない)
アウロラは心の内で驚愕していた。
黒曜が身籠っていたことなど、試験官を含め誰も気づいていなかったのだ。
アウロラは下唇を強く噛み締め、わずかに葛藤するような表情を見せた。
翼の治療に集中しなければ、十五分という制限時間には絶対に間に合わなくなる。特級認定試験という一年に一度のチャンスを棒に振ることになるかもしれない。
しかし、彼女の迷いはほんの一瞬だった。
「……強さとは、優しさ。誰かのために手を差し伸べられるのが、本物の魔導師よ」
アウロラはそう小さく呟くと、なぜか折れた翼の治療を中断し、その手を黒曜の下腹部へと移動させた。
「何をしてるんだ、アウロラ!」
俺はアウロラの行動が全く理解できずに、思わず大きな声をかけてしまった。
なぜ今、順調に進んでいた翼の治療をやめて、怪我をしていないはずの腹部に手を当てたのか。
俺から見れば、彼女が突然試験を放棄したようにしか見えなかったのだ。
「試験中です、お静かに」
俺が声をあげた瞬間、試験官が厳しい声で俺を制止した。
その間にも、アウロラは俺の言葉など聞こえていないかのように、そのまま下腹部へ向けて癒しの光を注ぎ続けた。
緑の光が黒曜の腹部を優しく包み込む。
腹部への魔法は、翼の治療以上に莫大な魔力を消費しているようだった。
「十五分が経過しました。そこまでです」
無情にも、試験官の冷徹な声が小屋の中に響き渡った。
本来であれば、ここで試験は終了となり即結果を聞くことになる。
しかし、アウロラは手を離そうとはしなかった。
「試験は失格でかまいません。ただもう少しだけ治療を続けさせてください」
アウロラは肩で荒い息をしながら、懇願するような瞳で試験官を見つめた。
試験官は厳格な表情を崩さず、黒曜のお腹に当てられたアウロラの手と、彼女の決意に満ちた目を交互に見つめた。
しばらくの沈黙の後、試験官は小さく息を吐いた。
「……わかりました。許可します」
その返事を得たアウロラは、安堵の笑みを浮かべ、再び全神経を手のひらに集中させた。
アウロラはそのまま十分間も治療を継続し、魔力枯渇寸前でようやくその手を離した。
「はぁ、はぁ……これで、大丈夫なはずよ」
アウロラは荒い呼吸を繰り返しながら、汗だくの顔に満面の笑みを浮かべた。
黒曜もまた、感謝を伝えるようにアウロラの頬に自らの鼻先を優しくすり寄せた。
試験官は一歩前に進み出ると、少し怪訝な顔をしながら、現実を突きつけた。
「規定時間内に翼の治療は終わりませんでした。残念ですが、特級認定は失格となります」
その言葉は、彼女の何年にも及ぶ努力が報われなかったことを意味していた。
「はい」
試験に落ちたにもかかわらず、アウロラはとても清々しい顔で結果を受け止めていた。
俺はその横顔を見つめながら、彼女がなぜ翼の治療を諦めてまであの行動をとったのか、その真意を測りかねていた。
しかし、彼女の曇りのない真っ直ぐな瞳を見た時、それが彼女なりの「本当の強さ」の選択だったのだと、なぜか理解させられるのだった。




