【第19話】本当の強さ
ザシュッ!
肉を切り裂く、鈍く生々しい音が森に響き渡った。
「きゃあっ! ……ん、あれ? 痛くないわ……」
ホーンウルフの鋭い爪の直撃を覚悟して、フィネルの上に覆いかぶさり強く目を閉じていたアウロラは、自分の体に一切の痛みが走らないことに気がつき、恐る恐る目を開けた。
彼女がゆっくりと後ろを振り返る。
「あなた、どうしてここへ!?」
アウロラが驚愕の声を上げ、真っ直ぐに俺と目が合った。
俺は彼女の問いには答えず、すぐに振り返り、眼前のホーンウルフと対峙した。
運がよかった。
ホーンウルフは突然現れた俺の存在に警戒し、追撃を躊躇して距離を取っていたのだ。
だが、その猶予はほんのわずかだ。
俺は両手を前に突き出し、全身の魔力を練り上げた。
『蒼き水の殻よ、我らを包め。《水牢殻》!』
俺の詠唱とともに、周囲の空気中の水分が一気に凝縮され、俺たち三人をすっぽりと覆う、堅牢なドーム型の水の結界が出現した。
分厚い水の壁が、ホーンウルフの凶悪な視線を遮る。
「あなた……その背中……」
アウロラが震える指先で、俺の背中を指した。
俺の背中は、アウロラたちを庇ってホーンウルフの一撃を受けたことにより、ズタズタに引き裂かれていた。
パーティー用の一張羅は真っ赤に染まり、地面にポタポタと血が滴り落ちる。
激痛で魔力のコントロールに集中ができない。
この深い傷を負った状態で、動く標的であるホーンウルフを相手に、背後の二人を守りながら戦って勝つのは不可能だ。
俺は結界の維持に全神経を注ぎながら、さらに別の魔法の詠唱を紡ぎ始めた。
『集え水流、城門を打ち砕く、濁流の嵐となれ。《破城水衝》!』
俺は結界の魔法に加えて、さらに攻撃魔法を重ねて発動した。
「ちょっと、あなた! どこに向かって撃って……!」
俺の放った高圧の水魔法は、ホーンウルフではなく、俺たちを守る結界の天井を突き破り、一直線に真上に向けて放たれたのだ。
「ぐうぅぅ……」
杖という魔力制御の補助具も無しに、二つの中級魔法を同時に発動し維持し続けることは、大怪我をして出血が続いている俺には非常に難易度が高かった。
頭が割れるように痛く、視界が白く霞んでくる。
だが、俺がここで倒れれば、結界は消滅し、三人はホーンウルフの餌食になる。
耐えなければ、みんな死ぬのだ。
俺は歯を食いしばり、真上への砲撃を維持し続けた。
巨大な水柱が森の木々を突き抜け、空高く舞い上がる。
何時間経ったのだろう。いや、実際にはほんの数分だったはずだ。
俺の意識が遠のきかけたその時、遠くから大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。
ガサガサガサガサッ!
「たしか、この辺りから放水が……。エ、エリアス様! アウロラ!」
茂みをかき分けて現れたのは、討伐隊に参加していたアウロラの父、リンドフェルト伯爵と、武装した数名の大人たちだった。
彼らの姿を見た瞬間、俺は限界を迎えて魔法を解除し、その場に膝をついた。
結界が消えたことで、ホーンウルフが再び牙を剥き出しにして俺たちに襲いかかろうとする。
『燃え上がりし炎よ、刃となれ。《炎刃》!』
リンドフェルト伯爵は一瞬にして状況を判断し、素早く火魔法を放った。
アウロラが放ったものとは比べ物にならないほど巨大で、高熱を帯びた炎の刃だ。
ホーンウルフは先程と同じように、自慢の脚力で紙一重でその炎の刃を避けた。
そう思った瞬間だった。
伯爵の放った一枚の炎の刃が、ホーンウルフの目の前で突如として五枚に分かれたのだ。
あらかじめ五枚の炎の刃をピタリと重ねて一つに見せかけて放ち、相手の手前で分離させることで、上下左右すべての逃げ場を断つという、極めて高度な魔法コントロール。
ザンッ!!
ホーンウルフは避ける間もなく、あっけなくその胴体を真っ二つに切り裂かれた。
焼け焦げた二つの身体が、ドザッと、重い音を立ててその場に崩れ落ちる。
(これが、死線をいくつもくぐり抜けてきた、特級魔導師の力か……)
「た……助かった……」
後ろから聞こえたアウロラの安堵の声を最後に、俺の意識は深い闇へと沈んでいき、記憶はそこで途切れた。
――
俺が目を覚ましたのは、それから丸一日が経過した後だった。
「……どこだ、ここ? いたた……」
ゆっくりと目を開け、上半身を起こそうとした瞬間、背中に激痛が走った。
俺の体は清潔な寝巻きに着替えさせられており、上半身が分厚い包帯でぐるぐる巻きになっていることに気づいた。
その時、カチャリとドアが開いた。
「あ! お気づきになられたんですね! すみません、起こしてはいけないと思い、ノックをせずに入ってしまいました」
部屋に入ってきたのは、メイド服を着た若い女性だった。
「大丈夫です……ここはどこですか?」
「ここは、リンドフェルト家のゲストルームです。あ、申し遅れました、私はメイドのアンといいます。お気づきになられたら、旦那様がお会いしたいと申しておりますので、お呼びしてもよろしいでしょうか? まだお辛いなら、お休みになっていただいても大丈夫ですが」
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「では、何か軽いお食事を後でお持ちいたしますね」
そう言ってアンは一礼し、足早に部屋を後にした。
コンコンコン。
しばらくすると部屋のドアがノックされ、リンドフェルト伯爵とともに、厳しい顔つきの父、アインズワース侯爵が部屋を訪れた。
「エリアス様、この度は誠に申し訳ございませんでした。そして、娘とフィネルを助けていただき、本当にありがとうございました」
リンドフェルト伯爵は、ベッドの横に立つなり深く頭を下げた。
「頭を上げてください、伯爵様。俺は魔導師として当然のことをしたまでです」
俺がそう答えると、ずっと無言だった父上が、ゆっくりと俺のそばに歩み寄ってきた。
「エリアス、よくやった。私はお前を誇りに思う」
父上のその短くも力強い言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
どれだけ俺が新しい魔法を習得しても、剣術で師範から一本取ったとしても、父上は決して俺を褒めてはくれなかった。
常にさらなる高みを目指すよう厳しく指導されてきた俺にとって、父上が初めて俺を誇りに思うと言ってくれたことが、なによりも嬉しかったのだ。
「エリアス様は出血が多く、大変危険な状態でした。屋敷に回復系魔導師がおらず、ポーションでのみの治療となってしまい、お背中に大きな傷跡を残すこととなってしまいました。そのお詫びにもなりませんが、エリアス様にこれをお納めいただきたいのです」
そう言って伯爵は、懐から美しい布に包まれた、大きな青い魔石を取り出して差し出した。
「これは?」
「あのホーンウルフはどうやら特殊個体だったようです。討伐した際、体内にこれほど大きな魔石を抱えていました。きっと将来、エリアス様の役に立つ時が来るでしょう」
それは、深海のように透き通った、見事な青い輝きを放つ魔石だった。
だが、俺は首を横に振った。
「今、これを受け取ることはできません。俺はまだまだ未熟です。俺がいずれ、これを持つにふさわしい立派な魔導師となるまで、伯爵様の方で預かっておいてください」
俺の真っ直ぐな視線を受け止めた伯爵は、少し驚いたような顔をした後、父上の方を見た。
「息子は一度言い出したら聞きませんよ、伯爵」
父上がわずかに口角を上げてそう言うと、伯爵は魔石を丁寧に布で包み直した。
「そうですか、それではこの魔石は、我が家で大切に預からせていただきます。お体が完全に癒えるまでは、どうぞゆっくり我が家でお過ごしください。侯爵様、エリアス様は後日、私どもが責任を持ってお送りさせていただきます」
「わかりました。息子をよろしくお願いします」
そうして、伯爵と父上は部屋を後にした。
広いゲストルームに一人取り残された俺は、ベッドの上で自分の不甲斐なさをひたすらに悔いていた。
俺がもっと強ければ、いや、今の俺の強さでも、もっと違う戦い方があったはずだ。
もしあの時、大人たちの討伐隊が俺の放った魔法に気付いてくれなければ、魔力が尽きた俺たち三人は、確実に死んでいたのだ。
無謀と勇気は違う。
俺が飛び出して盾になるだけでなく、もっと冷静に、アウロラやフィネルと連携して戦う方法を考えるべきだった。
そんなことを考えていると、コンコンコン、と控えめなノックがされた。
「どうぞ」
カチャ。
開いたドアから、伏し目がちなアウロラとフィネルの二人が、おずおずと部屋に入ってきた。
アウロラはベッドの横まで来ると、ギュッとスカートを握りしめ、消え入りそうな声で言った。
「……ごめんなさい」
「……大丈夫、もうすっかり治ったよ。みんな、ちょっと大げさなんだよな」
俺が努めて明るい声で答えると、アウロラは顔を上げ、不思議そうな顔をした。
「……私に怒ってないの?」
「? ……どうして? 何に怒るのさ?」
「だって、あなたは私のせいで大怪我をして……ううん、もう少しで死ぬかもしれなかったのよ!」
彼女は大きな赤い瞳からポロポロと涙をこぼし、声を震わせて叫んだ。
「俺が勝手にやったことだ。君のせいなんかじゃない」
「ぐすっ……それがあなたの言う、誰かに手を差し伸べるってことなの?」
アウロラは涙を拭いながら、パーティーでの俺の言葉を持ち出した。
「んー……実は俺もよくわからない。口ではああ偉そうに言ったけど、あれは父上の言葉の受け売りなんだ。俺が君たちを助けたかった、ただそれだけだ」
俺が照れくさそうに頭を掻くと、アウロラは瞬きをして涙を止めた。
「そう……。強さは優しさ……か。……うん、私決めた。私は回復系魔導師を目指すわ! もう二度と、あなたが私のために傷つかなくてもいいように」
彼女の突然の決意表明に、俺は目を丸くした。
「俺のために目標を変えなくてもいい。君は火属性の特級魔導師を目指しているんだろ?」
「いいの。エ、エリアス……もしできることなら私と一緒に、本当の強さってのを探してくれない?」
アウロラは涙の跡が残る顔で微笑み、右手をスッと俺の前に差し出した。
俺はその真っ直ぐな瞳に惹きつけられるように、彼女の手をとってしっかりと握手をかわした。
「ぼ、僕は!」
その時、アウロラの後ろに立っていたフィネルが、思い詰めたような顔で突然言葉を発した。
「僕はずっとアウロラのそばにいたのに、何にもできなかった。ただ見ているだけじゃなく、もっと早くに僕が助けを呼びに行っていたら、エリアスもきっと傷つかなかった」
フィネルは何もできずにただ友人が傷つく結果になってしまったことを、誰よりも深く悔いていたようだ。
「僕は魔力量が低いから、到底、特級魔導師なんて目指せない。だから僕は、特級魔導具師を目指すよ。そしてきっと、二人を助けられる存在になってみせる」
フィネルは決意に満ちた青い瞳で俺たちを見つめると、一歩前に歩み寄り、俺とアウロラの握手の上に、自分の小さな右手を重ねた。
「決まりだな。俺たち三人、目指すぞ、特級!」
「ええ!」
「うん!」
あの日、未熟な俺は死にかけたが、何にも代えられない、かけがえのない友を手に入れた。
こうして俺たち三人は心を通わせ、共に助け合い、共に人生を歩みはじめたのである。




