【第16話】さらばオルディナ王国
「その方、面を上げよ」
王城の謁見の間。
正面には国王と宰相、両側には十名ずつの近衛騎士が控えている。
宰相の威圧的な声を受け、俺は冷たい石の床からゆっくりと立ち上がった。
俺の両手首と両足首には、重い鉄の手枷と足枷が付けられており、俺が少し動くたびに、太い鎖がジャラジャラと不快な音を響かせた。
「率直に聞こう、お主は何者だ?」
玉座に腰を下ろした、オルディナ国王が、鋭い眼光で俺を真っ直ぐに見据えて問いかけてきた。
「聖女の護衛騎士のリオスと言います」
俺が涼しい顔でそう答えると、国王は不快そうに鼻を鳴らした。
「ふんっ、そのような戯言は不要だ。お主が燃え盛る森の中で魔法を使ったという、確実な目撃証言がある。さらにリベリアの森で、現れるはずのない魔獣を討伐したとも聞いている」
どうやらルキアから聞いていたように、メラニアが俺のことをすぐに王城へ報告したらしい。
「やはりあれは魔獣だったのですね」
俺があえてとぼけたように聞き返すと、横に立つ宰相が顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
「聞かれたこと以外を話すな! 立場をわきまえよ!」
国王が宰相を片手で制し、再び俺に向かって静かに、しかし威圧感たっぷりに言葉を紡ぐ。
「つまりお主はこの国の者ではない。輸入の商船に紛れ込んできた、ソラリスの者か? それとも定期観光便が出ている、オルグレンの者か?」
「……」
俺が口を閉ざし、無言を貫くと、国王の目はさらに険しさを増した。
「無言を貫く以上、他国の者と断定せざるをえんぞ。一体この国に何をしに来た。我が国の高度な蒸気科学の技術を盗みに来たスパイか? それとも、あの魔獣もお前が持ち込み、内側からこの国の崩壊をねらう者か?」
「俺がどこから来たのかは言えません。ただ俺は、国王陛下率いる王国派の敵ではありません。俺は、教会派の動向を怪しいと思っています。教会は聖女という存在を祭り上げ、それを使って信者から金を巻き上げている、腐った組織です」
「!!」
俺の言葉が謁見の間に響いた瞬間、国王と宰相が驚いたように顔を見合わせた。
王都において、王国派と教会派の対立は根深い。
護衛騎士である俺が教会側を批判し、聖女のシステムの裏にある闇を指摘したことで、彼らは俺の目的が単なる技術泥棒や破壊工作ではないかもしれないと考え始めたようだ。
「なるほど、お主はこの国の派閥の暗部を調べているのか。ただそれがわかったところで、お主の素性が全くわからない以上、簡単に解放することはできん。まだ十代の若者をあのような冷たい場所に拘束するのは気が引けるが、これも国の安全のためだ。お主も早く全てを話し、楽になることだ。……連れて行け」
国王の冷酷な宣告と共に、俺は屈強な近衛騎士たちに両脇を固められ、王城の奥にある深い地下の独房の前へと連行された。
手枷と足枷を外された俺は独房へ放り込まれ、鉄格子がガチャンと重い音を立てて閉められる。
鉄格子の前に見張りはおらず、ここから地上へと上がる長い石階段の上に、騎士が交代で見張りをしている気配がした。
――
深夜二時。
冷たい石のベッドの上で眠ったふりをしていた俺は、見張りの騎士の足音が遠のいたのを確認し、ゆっくりと起き上がった。
「……行くか」
俺は暗闇の中で小さく呟くと、自分の右手の人差し指に微かな魔力をまとわせた。
そして、左耳につけている青い石のはまった菱形のピアスを、その指先で軽く弾いた。
リン……。
深夜の静寂の独房に、ほんの微かな、しかしどこまでも澄んだ美しい音が響いた。
次の瞬間、何もない空中の空間が水面のように揺らぎ、そこから巨大な魔法杖、『海王』が音もなく出現した。
このピアスは、ただのアクセサリーではない。
俺の魔力に反応して、この巨大な杖を収納し、そして瞬時に取り出すことができる特殊な空間魔導具なのだ。
俺は空中に浮かぶ海王の冷たい柄をしっかりと握りしめると、独房の背面にある分厚い石壁へと向きを変えた。
『水よ集え、一点に力を束ね、龍となれ。螺旋の龍は、その先へと道を拓く。《水龍穿孔》』
俺が静かな声で詠唱を紡ぐと、杖の先端にある巨大な青色の魔石が眩く輝き始めた。
杖の先から生み出されたのは、激流の如き高圧の水流だ。
その水流は瞬く間に荒れ狂う龍の形となり、猛烈な勢いで螺旋を描いて回転しながら、背面の石壁へと音を立てずに静かに触れた。
その瞬間だった。
普通であれば轟音が響き渡るはずの岩盤の破壊。
だが、俺の極限まで圧縮され、超高速で回転する水魔法は、硬い石壁をまるで砂の山に穴を空けるかのように、細かい砂塵を撒き散らしながら、静かに巨大な穴を穿っていく。
人一人が余裕で通れるほどの大きな丸い穴は、王城の地下から緩やかな坂道を作りながら、地上への抜け道をあっという間に作り上げた。
俺はその水龍が穿った穴を駆け上がり、見事王城の厳重な塀の外へと脱出することに成功した。
夜の闇に紛れながら、俺は一旦、手にした海王を再び左耳のピアスへと収納し、現在の位置を確認した。
「ここからなら港が一番近いが、この時間でも夜警や多くの人がいるだろうな……岸壁の方へ行くか」
俺は人目に触れる港へは向かわず、王都の外れにある危険な岸壁を目指した。
そこは高さが五十メートル以上もあり、海面には鋭い岩礁が立ち並んでいるため、船を寄せることも人が近づくこともない、切り立った断崖絶壁だ。
夜の王都を、誰にも見つからないように息を潜めて走り続けること三時間。
ようやくその険しい岸壁の頂上に到着した時、海の向こうの空がうっすらと白み、明るくなりはじめていた。
「そろそろ、俺がいなくなったことにも気付いているだろう。……さらばだ、オルディナ王国。だが俺は、必ず帰ってくる!」
俺は断崖の淵に立ち、海風を全身に受けながら再び左耳のピアスを弾き、海王を取り出した。
俺は巨大な杖を両手で構え、全身の魔力を注ぎ込む。
すると、眼下の五十メートル下で岩礁に打ち付けていた荒れ狂う波が、まるで鎌首をもたげる蛇のごとく、岸壁の上に立つ俺の足元まで一直線に伸びてきたのだ。
俺はその、波の頭の上にそっと足を乗せた。
俺を乗せた波は、そのまま音もなく滑らかに海面の高さまで下がっていく。
俺は揺れる海面の上にしっかりと立ちながら、美しい赤紫色に染まり始めた朝焼けの海と、その遥か三十キロメートル先にある故郷、ソラリス神聖帝国の大陸を鋭く見据えた。
俺が右手で握った杖を大きく横に振ると、足元の水面が激しく揺らめきはじめる。
ザ……ザザァーーーー!
俺の足元の海水が激流となって後方へと噴き出し、俺はそのまま猛烈なスピードで、まるで波を乗りこなすサーフィンのように広大な海面を滑りはじめた。
顔に当たる冷たい潮風が、俺の決意をさらに固くしていく。
「すまない、少しだけ待っていてくれ! 必ず君を救い出す、アウロラ!」
俺は愛する人の、本当の名前を叫んだ。
こうして俺は、謎に包まれたオルディナ王国を後にし、俺たちの故郷であるソラリス神聖帝国を目指して、朝焼けに輝く海をただひたすらに滑り続けた。




