【第15話】リオスとの別れ
あの激動の遠征実習から、数日が経っていた。
オルディナ学園は脱線事故の後処理、そして何より、恐ろしい事故に巻き込まれた生徒たちの心の休息を最優先とし、翌日からしばらくの間の休校措置をとっていた。
私は教会の自室のデスクに座り、ペン立ての横に飾っていた、真鍮製の小さなドラゴンの置物を眺めていた。
「やっぱりあれって、魔法よね……」
窓から吹き込む秋の風に髪を揺らされながら、私は静かに呟く。
彼が燃え盛る森の中で巨大な杖を振りかざし、局地的な豪雨を降らせたあの信じられない光景。
今になって冷静に思い返してみると、彼が水の魔法使いであるという前提であれば、不思議に思っていたいくつもの出来事の辻褄が完璧に合うのだ。
リオスは森で出会った魔獣タートルボアの習性に詳しく、さらにあの巨体を一刀両断にしてみせた。
さらに魔獣が倒れた後、その下には血ではなく、なぜか澄んだ大きな水たまりができていたのだ。
あの脱線事故の時も、私たちの乗っていた車両は大きく傾いたはずなのに、なぜか横転することはなく、奇跡的に線路の上に留まった。
そして快晴だったにもかかわらず、私たちが乗っていた車両の側面だけがびしょ濡れになっていたのだ。
まるで、巨大な水のクッションか、見えない水の壁が守ってくれたかのように。
そして何より、彼が私を落下する瓦礫から庇って怪我をした時、その背中に刻まれていたあの巨大な獣の爪痕。
魔獣が存在しないはずのこの国で、あんな恐ろしい傷を負うことなど、やはりあり得ないのだ。
「やっぱり、この国の人じゃないのかしら……でも、だったらどうやってこの国に?」
もしリオスが本当に魔法使いなのだとすれば、彼の故郷はこの国の田舎町ヒュランドルなどではなく、どこか別の国ということになる。
そして、彼にあの青いピアスを送ったという女性も、きっと他国で彼の帰りを待っている人なのだろう。
「直接聞くなんて、できないもんね……」
ルキアの機転に助けられ、彼を詮索しないと決めたはずなのに、やっぱりどうしても気になってしまう。
彼が何者であっても、私を守ってくれた優しいリオスであることに変わりはないと頭ではわかっているのに、胸の奥がチクチクと痛むのだ。
そんな風に一人でため息をついていた時だった。
ふと見下ろした窓の向こう、教会の正門の前に、物々しい武装をした一団が現れたのが見えた。
銀色の鎧を身に纏い、腰に剣を下げた屈強な男たち。
教会の警備兵ではない、王国の正規の騎士団だ。
「あれは……騎士団?」
私の心臓が、ドクンと音を立てて跳ね上がった。
嫌な予感が全身を駆け巡り、私は我に返って部屋を飛び出した。
廊下を小走りで進み、すぐ隣にあるリオスの部屋のドアを力強くノックする。
ドン、ドン、ドン!
「リオス! いるの!?」
私が声を張り上げると、すぐにドアがガチャリと音を立てて開いた。
「どうやら、俺を連れに来たようですね」
部屋から姿を現したリオスは、どこまでも落ち着き払った涼やかな声でそう言った。
彼はいつもの凛々しい護衛騎士の制服でもなく、学園の制服でもない、とてもラフで簡素な平服の格好をしていた。腰にいつも携えている剣もなく、本当に何も持たずにただ一人で廊下へと出てきたのだ。
その姿を見た瞬間、彼が全てを悟り、最初からこの結末を受け入れる覚悟を決めていたのだとわかった。
「エレオノーラ様。少しの間、あなたと離れることになりそうです」
「そんな……」
彼が静かに告げた別れの言葉に、私は息を呑み、言葉を失った。
「でも、あなたに言った言葉は全て、俺の本心です。俺は必ずあなたの元に戻ってきます。俺を信じて、待っていてくれますか?」
真っ直ぐに私を見つめる彼の瞳には、一片の迷いも嘘もなかった。
遠征実習の夜に彼が言ってくれた、共に生き、共に死に、故郷へ私を連れ去るというあの誓い。
私の中にあった不安や嫉妬など、一瞬にしてどこかへ吹き飛んでしまった。
考えることなど何もない。
私の答えは、最初から一つに決まっていたのだ。
「うん、ずっと待ってる。リオスが帰ってくるまで何日でも。いいえ、何年でも」
私が震える声で、それでもはっきりとそう答えると、彼は少しだけ悲しそうに、けれどとても優しく微笑んで一歩前へ出た。
そして、私をその長い腕でふわりと優しく抱きしめたのだ。
「リ、リオス!?」
突然のことに、私の心臓は口から飛び出しそうなくらい激しく高鳴った。
しかしリオスは何も言わず、ただ私の背中に腕を回し、そのまま私を強く抱きしめ続けた。
リオスの温かい体温が私の体を包み込み、髪から漂う彼の香りが鼻をくすぐる。
不思議なことだった。
最初は恥ずかしさと驚きでパニックになりそうだったのに、彼の腕の中にいると、次第に私の心は波一つない海のように落ち着いていくのを感じたのだ。
彼に抱きしめられると、とても懐かしい気持ちになり、心が落ち着く……。
ずっと昔からこの腕の心地よさを知っているような、魂の奥底から安心できるような、そんな不思議な感覚。
私は無意識のうちに、彼の広い背中にそっと自分の腕を回していた。
「エレオノーラ様……」
「……なぁに、リオス」
私の耳元で、彼が絞り出すような声で囁いた。
「俺はあなたを愛しています。あなたと初めて出会ったあの日よりも、ずっとずっと前から……」
その言葉の真意は、私にはわからなかった。
けれど、彼の声に込められた切実な想いと、胸を締め付けられるような深い愛情は、痛いほどに私に伝わってきた。
「……私も、リオスが好きよ。うん……愛しているわ」
もう私にはなんの不安もなかった。
彼が誰であれ、どんな過去を持っていようと、彼が私を愛してくれているというこの温もりさえあれば、私はどこまでも彼を信じることができる。
私の言葉を聞いたリオスは、腕の力を少しだけ強めた後、名残惜しそうに私からすっと離れた。
「いってまいります、エレオノーラ様」
「いってらっしゃい、リオス」
彼はいつものくしゃっとした笑顔を私に向け、一言そう言うと、振り返ることなく剣も何も持たずにそのまま長い廊下を進んで行った。
私は急いで自分の部屋に戻り、窓から下を見下ろした。
教会の正門の前で騎士団の対応をして困惑している司祭の元へ、リオスが歩み寄り、何かを話しかけているのが見えた。
そしてそのまま、リオスは抵抗することなく騎士団に取り囲まれ、中心街へと続く丘の道を下り、やがて小さくなって消えて行った。




