【第14話】水の魔法使い
爆発した先頭車両から飛び散った炎は、乾燥した森の草木に瞬く間に引火し、焦げた煙の匂いが風に乗って私たちのところまで流れてくる。
その燃え盛る森に向かって、リオスはただ一人、振り返ることもなく走り出していた。
彼の力強い背中は、まだ火の手が回っていない手前の深い森の暗がりの中へと、あっという間に姿を消してしまった。
「リオス……」
私は彼が消えた森の入り口を呆然と見つめながら、その名を小さく呟いた。
自分の無力さがひどく歯がゆかった。
周囲を見渡すと、先頭車両の爆発と急激に広がる山火事の恐怖で、生徒や教員たちはちょっとしたパニック状態に陥っていた。
泣き叫ぶ女子生徒や、大声を上げて指示を飛ばす教員たちの混乱した声が入り乱れている。
誰もが自分たちの身の安全を確保することに必死で、一人の青年が自らの命を危険に晒して、消火に向かったことなど誰一人として気付いていないようだった。
燃え広がる炎の明かりが、晴天の空を不気味なオレンジ色に染め上げていく。
このまま放っておけば、風に煽られて火災はさらに拡大し、リオス自身も炎に巻かれてしまうかもしれない。
その想像が頭をよぎった瞬間、私の足は自然と彼が消えた森の方へと一歩を踏み出していた。
「やっぱり私も彼のところに行きたい……。お願いルキア、私を彼のところへ連れて行って」
私は隣で不安そうに私を支えてくれているルキアの腕を強く掴み、懇願した。
魔力を極限まで使い果たした私の体は、まだ鉛のように重く、一人で立ち歩くことさえ困難な状態だった。
「そんな、危険だわ! あんな火の勢いに近づいたら、エレオノーラまで危ないじゃない!」
ルキアは眼鏡の奥の目を大きく見開き、必死に首を横に振った。
彼女の言う通りだ。
消火の手段を持たない私たちが行ったところで、何かの役に立つわけがない。むしろ足手まといになるだけだ。
それでも、私の心は決まっていた。
「お願い、ルキア。私を近くに連れて行ってくれれば、あなたは逃げてくれてかまわないから」
私は彼女の目を真っ直ぐに見つめ、強い口調でそう言った。
万が一彼が火の中で倒れていたなら、私の残された生命力をすべて使い果たしてでも、必ず彼を癒して助け出す。
その覚悟だった。
私の必死の想いが伝わったのか、ルキアはしばらく私の顔を見つめた後、大きくため息をついた。
「はぁ、わかったわ。でも絶対にあなたを置いては行かないわ。私たちは親友でしょ」
「ありがとう、ルキア」
ルキアの優しさに胸が熱くなる。
私は彼女の細い肩にしっかりと腕を回して体重を預けながら、リオスが消えた暗い森を目指してゆっくりと後を追い始めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
魔力枯渇による激しい疲労と動悸が、私の呼吸を乱れさせる。
ガサガサ……。
道なき道を進む森の中は、木の根や石が転がっており、ただでさえ足元がおぼつかない私にとっては非常に険しい道のりだった。
「足元に気をつけて、エレオノーラ」
「ええ、ありがとうルキア……あ!」
私たちが森の中を少し進み、木々の隙間から前方の視界が開けたその時だった。
「あれ、リオスだわ……何をやっているのかしら?」
炎が猛威を振るう場所から少し離れた、数十メートル先の開けた場所に、リオスの背中を見つけた。
彼は燃え盛る木々を正面に見据え、静かに立ち尽くしている。
「え? なにあれ……」
ルキアがリオスの動きに、目を見張って声を漏らした。
彼が右手を少し上へと掲げたかと思うと、その手の中に、どこからともなく巨大な杖が現れたのだ。
それは複雑な装飾が施され、先端に大きな青い魔石が光り輝く、明らかに特殊な力を秘めるであろう見事な杖だった。
この島国でそんなものを持っている人間など見たことがない。
リオスはその巨大な杖を軽々と片手で持ち、燃え広がる火の海に向かって大きく振り回した。
「まさか……」
私がその信じられない光景に呟いた、その瞬間だった。
ポツ……ポツ……サァー……ザザァーーー!!
頭上の木々の間から、突然大粒の雨が降り始めたのだ。
最初はポツポツとした雨粒だったものが、瞬く間に滝のようなスコールへと変わり、ものすごい勢いで水量を増していく。
まるで空に巨大な穴が開き、そこから海の水がそのままひっくり返されたかのような、圧倒的な豪雨だった。
「よかった! 雨よ。これで火が消えるわ」
私は冷たい雨粒を顔に受けながら、安堵の声を上げた。
これだけの豪雨であれば、どんなに激しい山火事でもすぐに鎮火するはずだ。
「ちょっとおかしいわエレオノーラ。あっちを見て」
ルキアが私の腕を引き、森の外へと指をさした。
彼女の指先を追って森の木々の隙間から空を見上げると、私は自分の目を疑った。
私たちがいるこの森の頭上には雲一つないのに雨が降り注ぎ、十数メートル先の線路側は、まるで水のカーテンで仕切られたように一滴の雨も降ってはいなかった。
「ここだけ雨が降っているの? まさか……魔法……?」
聖女以外の魔法使いが存在しない、このオルディナ王国。
魔法とは天候すらも操るような、こんな大規模な現象を引き起こすことも可能だというのだろうか。
「魔法ですって?!」
突然背後から聞こえた鋭い声に、私とルキアは弾かれたように振り返った。
そこには、降りしきる豪雨によって制服をずぶ濡れにしながら、険しい表情でこちらを睨みつけているメラニアが立っていた。
「メ、メラニア様! どうしてここに……」
私が驚いて声を上げると、彼女は冷ややかな目を向けて答えた。
「どうして? あなたを止めに来たにきまっているでしょう。聖女様が危険な森の方へ向かうのを黙って見ていろというのですか? やはりあなたは聖女としての自覚が足りないようですわね」
メラニアは私たちが周囲の混乱に乗じて森へ向かったことにいち早く気付き、危険を顧みずに引き止めに来てくれたのだ。
彼女の教会派としての厳格な態度の裏には、聖女という存在を本当に大切に想う強い信仰心と責任感があることが痛いほど伝わってきた。
「それよりも、リオスさんは魔法使いなのですか? つまりこの国の者ではないのですか?」
メラニアの鋭い追求が私に突き刺さる。
彼女の言う通りだ。
この国の民は磁場の影響で、誰一人として魔法を使うことができない。
もしリオスが魔法で雨を降らせたのだとすれば、彼は間違いなく他国から侵入してきた人間ということになる。
「わ、私にもわかりません! それにこの雨が彼の仕業だとはまだわからないじゃないですか!」
私は必死に彼をかばう言葉を口にしていた。
彼が何者であれ、他国からのスパイであれ、そんなことはどうでもよかった。
「たしかにそうかもしれませんが……どうやら火は消えたようですわね。ですが、このことは国へ報告させていただきますから……失礼いたします」
メラニアは疑いの目を完全に解くことはなかったが、それ以上追及することなく、静かに踵を返して森の出口へと向かっていった。
猛烈な勢いで降り続いていたスコールは、燃え盛っていた炎を完全に鎮火させると、まるで初めから何もなかったかのように、ピタリと止んだ。
雨上がり特有の土と草の匂いが森に立ち込める中、リオスは右手に持っていたあの巨大な杖を軽く一振りした。
すると、その杖は彼の手の中から幻のように、こつぜんと姿を消してしまったのだ。
その一連の不可思議な様子を一部始終見ていた私たちにとって、あの局地的な豪雨を降らせたのがリオスであり、そして彼が魔法使いであるという確信を持つのには十分すぎる出来事だった。
「あ、こっちに来るわ」
ルキアの緊張した声と同時、リオスも森の入り口付近にいる私たちの気配に気付いたようだった。
ザッザッザッ……。
濡れた落ち葉を踏みしめる音を立てながら、リオスがゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
なぜか全く濡れていない彼のその表情は、普段の穏やかなものとは違う、どこか張り詰めたような真剣なものだった。
「エレオノーラ様……ルキア……見ていたのですか……?」
私たちの前で立ち止まった彼は、探るような瞳で静かに問いかけてきた。
「ええ……。リオス、あなた……」
私が震える声で言葉を紡ごうとした、まさにその時だった。
パンッ!
ルキアが突然、大げさな身振りで両手を高く打ち鳴らしたのだ。
「よかったですね、誰も被害にあわなくて! 突然スコールが来るなんて、私たちの日頃の行いがよかった証拠ですね!」
ルキアは眼鏡の奥の目を細め、底抜けに明るい笑顔でそう言い放ったのだ。
彼女のその言葉に、私はハッとさせられた。
彼が魔法使いだろうとなかろうと、彼がどこの国の人間であろうと、今の私たちにとってそれが何の関係があるというのだろうか。
私をいつも過保護なまでに甘やかし、自分の命に変えてでもずっとそばで守ると言ってくれた。
彼は、私の大好きなリオスなのだ。
ルキアは彼が魔法使いであるという秘密を追求することをやめ、知らないふりをして彼を守ろうとしてくれている。
私はそんなルキアの思いやりに感謝しながら、彼女の言葉に大きく頷いた。
「そうね! さぁ、みんなで戻りましょう」
私が精一杯の明るい声でそう言うと、リオスは少し驚いたように目を見開いた後、いつものあのくしゃっとした優しい笑顔を浮かべた。
「……はい」
彼は一言だけそう答え、それ以上何も言い訳をしたり、語ったりすることはなかった。
私もルキアも、彼の秘密について何も聞かなかった。
私たちは揃って森をぬけて、他の生徒たちが待つ後方車両の方へとゆっくりと歩き始めた。
先ほどまでの澄み渡った青空からは太陽が傾きはじめ、雨に濡れた私たちを、オレンジ色に優しく照らし出していた。




