【第13話】聖女の指輪
私の身体から、眩いエメラルドグリーンの光の粒が絶え間なく溢れ出し、線路脇の草むらに横たわる七人の重症者たちを優しく包み込んでいく。
彼らの傷は深く、折れた骨や内臓の損傷など、見ているだけで息が詰まりそうになるほどの重傷ばかりだった。それに私は、同時に七人もの瀕死の重傷者を治療するなんてことは初めてだ。
体内の魔力が、まるで底の抜けたバケツから水が流れ出るように、猛烈な勢いで消費されていくのがわかる。
(くっ……魔力の消費量が今までと桁違いだわ!)
指先から腕、そして全身へと、じわじわと重い疲労感が這い上がってくる。
それでも私は、目の前で消えかかっている七つの命を繋ぎ止めるため、ひたすら強く癒しの祈りを捧げ続けた。
時間にして、おそらくまだ二分か三分しか経っていないのだろう。
しかし、集中力を極限まで高め、己の魂を削るかのように魔力を放出し続けるこの回復魔法は、私にとって何十分にも感じられるほど長く、過酷なものだった。
光の粒が傷口に吸い込まれるたび、彼らの苦痛に歪んでいた表情が少しずつ和らいでいく。
「んん……私……助かったの……?」
「痛みが……消えた」
やがて、奇跡の光に包まれていた生徒たちが一人、また一人と意識を取り戻し、信じられないといった様子で自分の体を触りながら立ち上がり始めた。
彼らは深い傷が完全に塞がり、痛みも消え去っていることに気づくと、私に向かって深く頭を下げ、安全な場所へと離れていく。
「頑張って、エレオノーラ。もう少しよ」
すぐ横で私を見守ってくれているルキアが、祈るように両手を組みながら励ましの声をかけてくれた。
その声に背中を押され、私はさらに魔力を振り絞る。
そのまま祈り続けること数分、七人いた重症者の数は、ついにあと女性徒一人になっていた。しかし、その最後の一人が、どうしても目を覚まさないのだ。
「この娘、まだ目を覚まさないわ……」
見たところ外傷はほとんど塞がっているように見えるが、外からはわからない内部に、まだ大きなダメージが残っているのかもしれない。
焦りが私の心を支配し始める。それと同時に、私の身体から溢れ出ていた光の粒が、明らかに少なくなってきた。
視界がかすみ、立っていることすら辛くなってくる。
(ここが、私の魔力の限界なの……?)
体内の魔力が完全に尽きようとしている危険信号が、全身の震えとなって現れていた。
「エレオノーラ様! これ以上は魔力枯渇になってしまいます!」
危険を察知したリオスが、声を上げて私に駆け寄り、祈りを止めさせようと手を伸ばしてきた。
魔力枯渇は、場合によっては意識を失いかねない危険な状態だ。
でも今ここで私が祈りをやめてしまえば、目の前で死に向かっているこの女の子の命は、間違いなく消えてしまう。
「魔力枯渇になっても、彼女が助かるなら……」
私はリオスの制止を振り切り、自分の中に残された最後の一滴までの魔力を全て燃やし尽くすかのように、力の限り最後の祈りを捧げた。
その時だった。
カッ!!
突然、私の左手の人差し指にはめられていた、聖女の証である赤い石がはまった小さな指輪が、まるで内側から炎を噴き上げたかのように眩く光り始めたのだ。
「ああっ!!」
「エレオノーラ様!」
指輪が強烈な赤い光を放つと同時に、私の身体から消えかけていた癒しの緑の光が、今までとは比べ物にならないほど強く、激しく溢れ出した。
だが、それと同時に私は、魔力はすでに空っぽのはずなのに、身体の奥底から何かが引きずり出される感覚を覚えた。
「こ、これは……まさか、生命力を癒しの光に変換しているのか?!」
リオスが顔色を変えて叫び、私の左手の人差し指にはまった指輪に手をかけた。
彼は力任せに指輪を引き抜こうとするが、聖女の指輪、いや、その魔導具は、強い魔力によって私の指にがっちりと固定されており、微動だにしない。
「くそっ! ダメだ、外れない!」
リオスの焦りに満ちた声が耳元で響くが、今の私には彼に答える余裕すらなく、ただ生命力が奪われていく感覚に耐えることしかできなかった。
その次の瞬間。
「ん……ここは……」
私の目の前に横たわっていた最後の女生徒が、ゆっくりと目を開き、上半身を起こした。
それと同時に、指輪から放たれていた真っ赤な光と、私の身体から激しく溢れ出していた緑の光の粒が、嘘のようにスッと空間に溶けて徐々に消えていった。
治療が完了し、指輪の強制的な変換機能が停止したのだ。
「あ、危なかった……あのまま続けていたら、エレオノーラ様の方が倒れていたかもしれない。……まさかこれが、聖女が長く生きられない理由なのか?」
リオスは真っ青な顔で、崩れ落ちそうになった私の体を両腕で強く支え止めた。
「エレオノーラ! 大丈夫なの?」
ルキアが泣き出しそうな顔で私のそばに駆け寄り、私の顔を覗き込んできた。
「え、ええ……大丈夫よ」
私は彼女を安心させるために無理やり笑顔を作ってそう答えた。しかし、実際は全く大丈夫ではなかった。
魔力だけでなく生命力までも削り取られた私の体は、鉛のように重く、膝には全く力が入らず、自力で立ち上がることすら難しい状態だった。
私がリオスの腕に支えられながら、小鹿のように膝を震わせてなんとか立ち上がろうとした、その時だった。
シューーーーーーッ!
横転した先頭車両の機関部から、大量の白い蒸気が勢いよく吹き出し始めたのだ。
「まずい! 蒸気機関が暴走している。早くここを離れよう!」
リオスが鋭い声で叫んだ。
彼はそう言うと、いとも簡単に私をふわりと抱き上げた。
いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。
彼は私を抱えたまま、横転した車両から少しでも距離を取るため、後方車両へ向けて猛然と走り始めた。
「ちょ、ちょっと、リオス! 自分で走れるから!」
こんなに大勢の人が避難している中で、男の人にお姫様抱っこをされてるなんて、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
私が彼の腕の中でバタバタと抵抗すると、彼は前を見据えたまま、冷静な声でピシャリと言い放った。
「いいえ。すでに立つのもやっとじゃないですか」
「みんなも早く避難して!」
ルキアも大声を張り上げながら、私たちのすぐ横を全速力で並走している。
周囲にいた教員や生徒たちも、尋常ではない蒸気の吹き出し方に危険を察知し、一斉に後方へと逃げ出していた。
その間にも、横転した先頭車両から吹き出す蒸気はますます多くなり、空を白く染め上げていく。
シューーッ! という蒸気の噴出音も、キューーーーッ! という悲鳴のような甲高い音へと徐々に変わり、大きくなっていく。
リオスの力強い腕の中に抱かれながら、私は彼の胸の鼓動をすぐ耳元で聞いていた。
ドクン、ドクンと規則正しく鳴るその音は、こんな危機的状況にあっても全く乱れておらず、私に不思議な安心感を与えてくれていた。
そしてついに、限界を超えた圧縮蒸気がその威力を解放した。
キューーーッ……ドカーーーーーンッ!!
天地を揺るがすような轟音と共に、ついに先頭車両が大爆発を起こした。
凄まじい衝撃波と熱風が背後から私たちを襲い、分厚い鉄の破片が四方八方へと散弾のように飛び散る。
私は咄嗟にリオスの胸に顔を埋め、目を固く閉じた。彼が私をかばうように少し前傾姿勢になり、衝撃を背中で受け止めてくれたのがわかった。
爆発の轟音が森の中に響き渡り、やがてパラパラと土や木の葉が降ってくる音が止んでから、私は恐る恐る目を開けた。
どうやら前方車両に乗っていた生徒や教員たちは、私たちの声を聞いてすでに後方に避難しており、間一髪、新たな負傷者を出さずにすんだようだった。
「みんな、なんとか巻き込まれずにすんだようですね」
リオスが足を止め、振り返りながら静かに言った。
「ええ……そ、そろそろ下ろして貰えないかしら? リオス……」
私は多くの生徒の前でお姫様抱っこされている状況に、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆っていた。
「ああ、すみません。しかし王都は目の前というのに、ここで足止めですね。王都側からの振り替えの列車をしばらく待つしかないでしょう」
リオスは私の乙女心など全く気にする様子もなく、とても冷静に状況を分析していた。
彼にとっては、私を守ることがすべてであり、周りの目など些末な問題に過ぎないのだろう。
パチ……パチ……。
ふと、微かに何かが爆ぜるような音が耳に届いた。
「……なんか煙たくないですか?」
ルキアの言葉にハッとして、爆発した先頭車両の方へ目をやると、進行方向右側の森の木々に、真っ赤な火の手が上がって燃え広がり始めているのが見えた。
先頭車両の爆発によって飛び散った熱い炎が、秋の近づく乾燥した森の草木に引火してしまったのだ。
「このままでは山火事になってしまうわ……」
私は絶望的な気分になりながら呟いた。
火は風に煽られ、あっという間に周囲の木々へと燃え広がり始めている。
私が火魔法をうまく操れれば消せるのかもしれない。しかし今、魔力は枯渇しており、また指輪の力に頼るのはとても恐ろしく感じた。
魔法の使えない周りの人々も、装備が無いこの状況ではどうすることもできない。
「山の中に取り残された状況での山火事。このままでは犠牲者だって出かねないぞ」
リオスは燃え広がっていく火を見ながら、何かを真剣に思案しているかのようだった。
やがて彼の黒い瞳の奥に、強い決意の光が宿るのが見えた。
「やるしか……ないのか……」
そう言って、リオスは抱きかかえていた私を、その場にそっと優しく下ろした。膝の震えは幾分マシになっており、なんとか自力で立つことができた。
「二人はこの場を離れてください。俺は、あの火を何とかします」
彼は真剣な表情で、私とルキアに後方へ下がるように指示を出した。
「何とかって、どういう意味! 無茶よ! みんなで早く避難しないと!」
私は慌てて彼の服の袖を掴んだ。
いくら彼が剣術に優れていて身体能力が高くても、燃え盛る自然の猛威を前にして、一人で立ち向かうなんて自殺行為に等しい。
万が一彼に何かあればと思うと、恐怖で胸が押し潰されそうになった。
しかしリオスは、私の手を優しく解くと、いつものようにくしゃっと目を細めて安心させるように微笑んだ。
「ルキア、エレオノーラ様を頼んだ」
そう言うとリオスは一人、燃え盛る森に向かって一直線に走り始めた。
振り返ることなく炎へと向かっていく彼の広い背中を、私はただ祈るような気持ちで見つめることしかできなかった。




