【第12話】残紅一閃
一泊二日の遠征実習も終わり、私たちは王都に向けての帰路についた。
大型の機関車は、煙突から真っ白な蒸気を勢いよく吹き上げながら、ガタンゴトンと規則正しいリズムを刻んで進んでいく。
森の中を進む列車の窓から見える景色は、ずっと深い緑一色だ。代わり映えしない窓の外を眺めながら、私の心の中では、昨夜のリオスの言葉がずっとリフレインしている。
(だめだ。今日はリオスの顔をまともに見られない)
『あなたが安らかに旅立つその時まで、俺はずっと、あなたのそばで、あなたを守り続けます』
まるで愛の告白のようなリオスの言葉を思い出すたびに、胸の奥から温かさと嬉しさが込み上げ、その結果、気持ち悪いニヤつきが顔から剥がれないのだ。
隣の席に座る彼の整った顔を直視してしまえば、顔が真っ赤になって爆発してしまうかもしれない。
だから私は、ひたすら流れる森の景色を見続けるしかなかった。
その時、向かいに座っていたルキアが、ふと思いついたように私たちに話をふった。
「ねぇ。もうすぐ収穫祭だけど、二人は予定はあるの?」
「そっか、もうすぐそんな時期なのね」
収穫祭は秋の終わりに行われる、国を上げての盛大なお祭りだ。
鎖国を続け、輸出入も制限しているオルディナ王国は、地産地消が基本となっている。
高度な蒸気機関が発達した王都以外の殆どの地域は、のどかな農地や広大な牧場などが広がり、そこから得られる豊かな収穫が国全体を支えていた。
そのためオルディナにとっての収穫祭は、他国よりも深い意味のある、神聖で特別なお祭りとなっているのだ。
「ねぇ、良かったら、三人で参加しない? うちの商会もいっぱいお店出すから、食べ歩きしましょうよ」
ルキアが眼鏡の奥で目を輝かせる。
彼女の実家は男爵家でありながら、国内有数の大商会であるナルザリア商会を経営している。きっと王都のメインストリートを貸し切るほどの大規模な出店をするに違いない。
「それは楽しそうね。リオスも大丈夫?」
私が少し視線をはずして尋ねると、彼はいつものように優しく目尻を下げて微笑んだ。
「はい、エレオノーラ様。俺はいつも、あなたのそばにいますから」
いつもと変わらない彼のその言葉が、今日はとても恥ずかしくなってしまい、私はカァッと顔に熱を持つのをごまかすため、列車の窓をガラッと上に押し上げた。
勢いよく吹き込んできた濃い緑の匂いが、そよ風とともに私の熱を持った頬を優しく冷ましてくれる。
その時、視界を遮っていた深い森がパァッと開け、昨日眺めた海が遠くにキラめいていた。
「海が見えるわ……もうすぐ王都ね」
遠くに見える海を眺めながら、たった一日のうちにあった、いろいろなことを思い返していた。
恐ろしい魔獣タートルボアとの遭遇、私の手から放たれた謎の火の魔法、そしてリオスの決意の言葉。
あまりにも濃密すぎる一日に、私の心はまだ少しだけ夢の中にいるような気がした。
バサバサバサバサッ……。
その時、列車の上を無数の影が通過した。
驚いて空を見上げると、鳥の大群が海の方へと一斉に飛び去っていくところだった。
「すごいわ! 見て、鳥の群れよ」
私はその非日常的な光景に興奮して、子どものようにはしゃいだ。
空が黒く染まるほどの数の鳥たちが、一目散に羽ばたいていく様は圧巻だった。
しかし隣に座るリオスがその様子を見て、眉間にシワを寄せ、怪訝な顔をする。
「何か妙です。……あれは一つの群れではありません。大小異なる種類の鳥たちが、一塊で移動しています。まるで何かから逃げ出すように」
リオスが冷静にその状況を分析した、まさにその時。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
地の底から鳴り響くような、重たい轟音が響き渡った。
直後、今まで経験したことのない激しい揺れが列車全体を襲った。
「ゆ、揺れてる! 地震よ!」
ルキアが座席の手すりにしがみつきながら叫ぶ。
「これは大きいぞ! 二人とも、俺につかまって!」
リオスが素早く席を立ち上がり、長い腕を伸ばして私とルキアをその両腕にしっかりと抱え込んだ。彼のたくましい胸の中にすっぽりと包み込まれ、私は恐怖の中で彼の温もりだけを強く感じていた。
キキィーーーー!!
列車が急ブレーキをかけ、けたたましい金属の摩擦音が響く。
車輪から火花を散らしながら停車しようとした瞬間、その大きな車体がぐらりと横に傾いた。
「きゃあっ!!」
視界が斜めに回転し、ふわりと重力が失われたような感覚に陥る。私はリオスの服を強く握りしめ、ぎゅっと目を閉じた。
ガッシャーーン!!
列車が脱線し、金属がひしゃげる凄まじい音が響き渡る。
体が大きく揺さぶられ、このまま列車ごと横転してしまうのだと覚悟した。
しかし、しばらくして静寂が戻った車内で、私はそっと目を開けた。
不思議なことに、倒れかけたと思った私たちの乗る車両は、奇跡的に元の状態を保ち、線路の上に留まっていたのだ。
「助かったの? 私たち……」
ルキアが呆然としながら呟く。
「二人とも、怪我はありませんか?」
リオスが私たちを腕から解放し、心配そうに顔を覗き込んだ。
「ええ……私は何ともないけど、どうして助かったのかしら? さっき確かに車体が傾いたと思ったんだけど」
私は大きな疑問を抱きながらも、外の様子を見るため、開けたままになっていた窓から顔を出した。
「大変! 先頭車両の連結が外れて横転してるわ!」
前方に目を向けると、私たちが乗っている三号車と、前の二号車は無事だったが、先頭車両が完全に脱線し、線路の脇の土手に横倒しになって濛々と蒸気を上げているのが見えた。
「助けに行きましょう!」
リオスが車両のドアを力任せにこじ開け、線路脇へと素早く降り立つ。私とルキアも急いで彼に続いた。
「濡れてる……」
列車から降りた時、私は足元や車体がひどく濡れていることに気がついた。
雨など全く降っていない快晴なのに、なぜか私たちの乗っていた車両の側面がびしょ濡れになっていたのだ。まるで巨大な水の壁にでも守られたかのように。
しかし今はそんな事に気をとられている場合ではない。
私たちは先頭車両に向けて一目散に駆け出した。近づくにつれて、車内からの悲痛な悲鳴と騒ぎ声が次第に大きくなってきた。
「中に怪我人がいるかもしれない! でも助け出すことも、中に入ることもできないわ」
横転した先頭車両は、車体側面の出入り口が真下と真上を向いてしまっており、分厚い鉄の天井部分が、巨大な壁のように私たちの目の前に立ちはだかっていた。
「エレオノーラ、火の魔法でこの天井に穴を開けられないかしら? 猪に向けて魔法が撃てたじゃない」
ルキアが切羽詰まった声で提案してきた。
「え……でも、今までちゃんとやったことがないし……」
タートルボアの時に偶然出たあの小さな炎では、こんな分厚い鉄の天井を焼き切るなんて到底無理だ。それに失敗すれば中にいる人たちに危険が及ぶかもしれない。
私は不安になり、すがるようにリオスの顔を見上げた。
「大丈夫です、きっと出来ます。自分を信じてください」
リオスの瞳は、真っ直ぐに私を見据えていた。彼は私が出来ることを微塵も疑っていない。
その絶対的な信頼が、私の心に渦巻く恐怖を拭い去り、背中を強く押してくれた。
「わかったわ。やってみる」
私はそびえ立つ鉄の壁に向かって立ち、タートルボアの時の、あの熱い魔力の感覚を思い出そうと集中した。目を閉じ、自分の内側にある温かい力に意識を向ける。
すると、右手の指先にこれまで感じたことがないほどの、熱を帯びた魔力の収束を感じ始めた。
(あれ? 言葉が勝手に……)
私の意思とは関係なく、口が自然に動き出し、魂に刻み込まれていたかのような知らない言葉を紡ぎ始めた。
『天より熱を、地より炎を。我が魔力を炉心とし、千の火焔を一つに束ねよ! 《残紅一閃》!』
私は右腕を大きく円を描くように振り抜いた。
ビュインッ!
二本の指先から放たれた細く赤い熱線は、まるで太陽を凝縮したレーザーのように眩く輝きながら、車両の分厚い鉄の天井に命中し、瞬く間に巨大な円を刻み込んだ。
メシメシッ……ズウゥゥゥゥン!!
車両の天井が綺麗な円形にくり抜かれ、重力に従って跳ね橋が下りるかのように手前へと倒れ込んだ。分厚い鉄の塊が地面に激突し、もうもうと土煙が舞い上がる。
「す……すごい……」
ルキアが信じられないものを見たかのように呆然と呟く。
見事に開いた大穴から、車内の悲惨な状況が目に飛び込んできた。座席はひしゃげ、生徒たちが重なり合うように倒れ、うめき声を上げている。
他の無事だった車両からも、騒ぎを聞きつけた教員や生徒たちが次々と駆けつけてきた。
「怪我人を運び出してくれ!」
リオスが先陣を切って穴から車内へ飛び込み、周りに的確な指示を出す。
彼の言葉に我に返った教員や生徒たちが協力し、次々と車内から人々が救出されていく。
線路脇の草むらに、意識を失った重症者たちが並べられていく。
頭から血を流し、苦痛に顔を歪める彼らの姿に、私は胸を強く締め付けられた。
「早く治療をしないと!」
私が彼らを救うために駆け寄ろうとしたその時、ガシッっと強い力で腕を捕まれ、その動きを阻まれた。
「何をされるつもりですか! エレオノーラ様」
振り返ると、そこには教会派の貴族の女子生徒であるメラニアが立っていた。
「メラニア様!? 何をって、みんなを助けるんです!」
「いけません。聖女ともあろうものが、その務めもご存知ないのですか? 聖女は教会以外で治療を施してはいけないのです。聖女の祈りは特別なもの。ましてやあの中には、ストラ神を信仰しない、王国派の生徒も混ざっているではないですか」
メラニアの言葉は、以前教皇様が私に言った厳格な戒律そのものだった。
聖女の奇跡は大衆の前で安売りしてはならない。選ばれた信者のみに与えられるべきものだと。
でも、そんな形だけのルールが今、友人たちが命の危機に瀕している状況で、何の意味を持つというのだろうか。
「関係ありません! 目の前の苦しむ人たちを救えないのであれば、私は聖女の肩書などいりません!」
私は怒りを込めてメラニアの手を力強く振りほどき、怪我人たちの元へ駆けつけた。
メラニアは信じられないものを見るような目で私を見つめていたが、私はもう二度と振り返らなかった。
「エレオノーラ様。重症者が七人、軽症者が十二人です。重症者の中には内臓をやられている者もおり、危険な状態です」
救出作業を終えたリオスが、私のそばに来て状況を手短に伝える。
彼の服も土や血で汚れ、肩で息をしていた。
「わかったわ。重症者の治療を急ぎましょう」
私は並べられた七人の重症者を見渡した。
一度に七人の命を救うような治療なんて、私にできるのだろうか。私は自分の魔力量の限界を知らない。
もし途中で魔力が足りなくなったら、最悪の場合、全員を助けられないかもしれない。
「でも、やるしかない!」
迷っている暇はない。
彼らの命の灯火は、今この瞬間にも消えかかっているのだ。
私は線路脇に寝かされた、苦しむ七人の横で地面に両膝を突き、両手を胸の前で強く組んだ。
深く息を吸い込み、目を閉じて癒しの祈りをささげはじめる。
(あ、まただ……また、言葉が勝手に……)
『生命の源たる青き雫よ。傷つきし魂の揺らぎに応え、かの者のもとへ集いて包み込め。《聖光命脈》!』
その詠唱に呼応するように、私の体からかつてないほど眩い、エメラルドグリーンの光の粒が溢れ出し、苦しむ生徒たちの上へと降り注いでいった。




