【第11話】自分の気持ち
「あ、いたいた。隣いーい?」
「あ、ルキア。ええ、もちろん」
コテージの前に広がる芝生の広場は、すっかり夜の帳が下りていた。
あちこちに設置された、ランタンの温かいオレンジ色の灯りが、楽しげに談笑する生徒たちの顔を照らし出している。
ジュージューと肉が焼ける香ばしい匂いと、炭火が時折パチパチと爆ぜる音が、涼しい夜の風に乗って漂ってきていた。
今夜の夕食は、この遠征実習の目玉とも言えるバーベキューパーティーだ。
この一泊二日の遠征は、ポーションの製作を学ぶという形はとっているものの、実際はクラスメイト同士の親睦を深めるレクリエーションの一環として行われている。
そのため、昼間の森での緊迫した出来事が嘘のように、広場は生徒たちの明るい笑い声と熱気に包まれていた。
私の隣に腰をおろしたルキアの手には、大きなお皿が握られている。
そしてそのお皿の上には、焼きたての分厚い肉が山のようにこんもりと盛られていた。
彩りとなるような野菜の姿は、見事なまでに一切ない。
「ずいぶんたくさん取ってきたわね」
私が目を丸くしていると、ルキアは早速フォークを突き刺し、幸せそうな顔で大きなお肉を頬張り始めた。
昼間の森で、私たちは突如現れた恐ろしい魔獣、タートルボアに襲われた。
報告のため、集合場所に急いで戻った私たちは、指定された三つ目の薬草を手に入れることはできなかった。
しかし元々、薬草採取は失敗しても問題はなく、私たちは学園が用意していた薬草をもらい、その後のポーション製作実習は問題なく終えることができたのだ。
ポーションの製作は、私にとって完全に初めての経験だった……はずだ。
教員の手順を見ながら行う実習だったが、実際に道具を手に取った瞬間、私の体は不思議な動きをした。
まるで、何度も何度もその作業を繰り返してきたかのように、迷いなくスムーズに手が動いたのだ。
ポーションの製作は非常に簡単で、出来上がった液体の透明度も、他の生徒たち、いや、先生のものとも比べ物にならないほど高かった。
みんなからはすごく感心されたけれど、私の中には、なぜか手が覚えていたという不思議な感覚だけが残った。
あれが前世の記憶というやつなのだろうか。
それとも、世に言うデジャブというものなのだろうか。
そんなことをぼんやりと思い出しながら隣を見ると、ルキアのお皿に山盛りだったお肉が、すでに半分以上も無くなっていた。
「そんなに一気に食べて、お腹痛くならない? 大丈夫?」
私が心配になって声をかけると、ルキアは口の周りについたソースをハンカチで拭いながら、得意げに胸を張った。
「これくらい余裕よ。またすぐにおかわりに行くつもりだしね」
どうやらルキアは、見た目の細さに反してかなりの大食いであるらしい。
そういえば、学園での生活を思い返してみても、彼女は休み時間になるたびにカバンからクッキーやパンを取り出して、いつも何かを口にしていた気がする。
この華奢な体のどこに、これほどの食べ物が消えていくのか本当に不思議……そうか、すべて胸に蓄えられているのか……。
「そういえば、先生から聞いた? あの動物のこと」
ルキアが水を一口飲んでから、少し声を落として切り出してきた。
「いいや。俺たちはまだ聞いていないな」
向かいの席に座り、黙々とエビの殻をむいていたリオスが答えた。
「実習が終わったあと、先生たちが地元の猟師と一緒に、森へあの動物の死骸を見に行ったそうなんだけどね」
ルキアは身を乗り出し、声をひそめるようにして続けた。
「猟師もあんな動物は見たことがないって言ってたらしいわ。でも先生たちは、あれは絶対に魔獣じゃないって結論づけたみたいなの。たぶん、猪の突然変異か、新種の野生動物じゃないかって。あと怖がるといけないから、他の生徒には言うなって、口止めをされたの」
「……そうか」
ルキアの言葉を聞いたリオスは、小さく呟いたきり黙り込んでしまった。
彼の伏し目がちな瞳の奥には、明らかに納得がいっていないという色が浮かんでいた。
「それよりもちょっと聞いてよ! あの甲羅、私たち貰えないんだって!」
ルキアが突然、大げさに肩を落として嘆き始めた。
「ここら一帯の山は領主様の土地だから、森で取れた珍しいものはすべて領主様に献上する決まりらしいのよ。あぁー、欲しかったなー。あの大きな甲羅……」
彼女は本当に悔しそうに天を仰いだ。
魔獣に襲われて命の危険すらあったというのに、彼女の頭の中はその珍しい甲羅の価値のことでいっぱいのようだ。
「ふふっ、ルキアは本当に珍しいものが好きなのね」
私が思わず笑みをこぼすと、ルキアは真剣な表情になって頷いた。
「商売人の娘だからね。でも、ただ儲かりそうなものだけが好きってわけじゃないの。私は、誰も見たことがないような面白くて珍しいものが好きなの。だから……いつかこの島から出て、外の国にも行ってみたいな」
そう言ったルキアは、ランタンの灯りの向こう、暗く沈む夜空の彼方を少し遠い目をして見つめていた。
オルディナ王国は長く鎖国を続けている。
港は一箇所だけ開かれており、そこから諸外国の物品の輸入や観光客の受け入れは行っているが、それすらも厳重に管理された一部のエリアに限られている。
国民が自由な意思で島の外へ出ることは法律で許されていないし、こっそり小舟で出ようにも、魔獣がうごめき、潮の流れも複雑な海を渡ることは、魔法を使えない島民には、ほぼ死を意味するのだ。
だからこそ、ルキアのその夢は、現状では決して叶うことのない願いでもあった。
「よし、私、おかわりに行ってくる!」
感傷的な空気を振り払うように、ルキアは空っぽになった大きなお皿を持って勢いよく立ち上がった。
「野菜も貰ってくるのよ。にんじん以外のね」
私の言葉はおそらく、彼女に聞き流されただろうが、一応お母さんのような小言を言ってみた。
ルキアの背中が、肉が焼けるのを待っている、男子生徒たちの人だかりの方へと小走りで消えていく。
彼女が席を外したことで、私たちのテーブルには急に静寂が訪れた。
遠くから聞こえてくる生徒たちのざわめきが、まるで別の世界の出来事のように遠く感じる。
私は向かいに座るリオスの顔を静かに見つめた、その時。
「はい、どうぞ。エレオノーラ様」
リオスが一生懸命むいた、むき身のエビが山ほど盛られたお皿を、私に差し出した。
「え? 食べてもいいの? せっかくリオスがむいたのに」
「あなたのためにむいたんですよ。好物だけど、面倒がって遠慮してましたよね」
そう言って微笑むリオスの顔は、夜のランタンの光によって、いつも以上に大人びて見えた。
「ありがとう……リオスは、やっぱりあれが魔獣だと思っているのよね?」
私がエビを頬張りながら小声で尋ねると、リオスは周囲が食事や話に夢中になっていることを確認してから、ゆっくりと頷いた。
「……はい。あの動物は、俺の知っている情報と完全に一致します。あれは間違いなくタートルボアという魔獣です。急いでいたし、道具がなかったので解体はできませんでしたが……もし解体できていれば、体の中にはきっと魔石があったはずです」
「魔石……」
その言葉を聞いた瞬間、私の視線は自然と彼の左耳へと吸い寄せられてしまった。
ネイビーの髪の隙間から時折顔を覗かせる、チェーンで揺れる、青い小さな魔石がはまった菱形のピアス。
魔石という言葉が、私が昼間の列車の中から必死に意識しないように蓋をしていた感情を、再び呼び覚ましてしまった。
故郷にいる、彼女のような存在の女性からもらった特別な贈り物。
魔獣がいないこの国では、魔石は非常に高価で流通も少ない品物だ。
王都でもない、島の南端の田舎町の女性が、あのピアスを送るのは、さぞ大変だっただろう。
彼は片時もそのピアスを外すことなく、まるで自分の一部であるかのように大切に身につけている。
もし私が、彼に別のピアスを贈ったとしたら、彼はその青いピアスの代わりに、私が贈ったものを身につけてくれるのだろうか。
そんなわがままで身勝手な想像が頭をよぎり、私は自分の心の狭さに自己嫌悪を覚えた。
けれど、それと同時に、私の中にはもう一つ、全く別の不思議な感情が渦巻いていた。
(どうしてだろう?)
彼の左耳で揺れるあの青いピアスを見ていると、深い記憶の海から何かを思い出すような、言いようのない懐かしさを感じるのだ。
まるでそれが、私自身にとっても非常に大切な、かけがえのない宝物であるかのように。
初めて彼に出会ったあの日から、あの青い輝きを見るたびに、私の心は理由もなく揺さぶられ続けている。
「どうかしましたか? エレオノーラ様?」
私が黙り込んだまま彼の耳元をじっと見つめていたことに気がついたのか、リオスが不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「ご、ごめんなさい! そ……そのピアスが、とても綺麗だなって……」
慌てて視線をそらし、しどろもどろになりながら誤魔化した。
私はなんだか、ひどく複雑な気分になってしまっていた。
護衛騎士というのは、一度教皇様から任命されると、基本的には聖女が代替わりをしない限り、ずっとその任に就き、そばに仕え続けることになる。
つまりリオスは、私が聖女でいる間は、どんな時でもずっと私のそばにいてくれるということだ。
私が聖女で無くなる時。
それはつまり、私が死ぬ時を意味している。
歴代の聖女は全員が短命であり、三十歳を超えることはほとんどないという事実を、私たちは知っている。
私に残された時間は、きっと普通の女の子が想像する未来よりも、ずっとずっと短いのだろう。
私がその短い生涯を終えた後、彼はどうするのだろうか。
護衛騎士としての役目を終えた彼は、名誉ある実績を手にし、そして故郷へと帰るのだろうか。
ピアスを送った女性は、彼が帰ってくるのを、今もずっと故郷で待ち続けているのだろうか。
きっと彼の未来には、私ではない別の女性と歩む、長く幸せな時間が待っているのだろう。
そう思うと、胸の奥がズキズキと痛んだ。
「リオスは……私が死んだ後は、故郷に帰るの?」
気がつけば、私の口からそんな言葉がこぼれ落ちていた。
私はいったい何を聞いているのだろうか。
こんな重くて暗い質問、楽しい夕食の席でするようなことではない。
でも、今この瞬間に聞かなければ、彼のあのピアスを目にするたびに、私の気持ちはずっとざわめき続け、押しつぶされてしまうような気がしたのだ。
私の唐突な言葉を聞いたリオスは、驚いたように黒い瞳を大きく見開いた。
彼は少しの間、呆然とした様子で私を見つめていた。
短い沈黙が降りた。
でも私にはその沈黙が、まるで永遠に続くかのように長く感じた。
パチッ、と離れた場所の炭火が爆ぜる音がやけに大きく聞こえた。
私は自分の失言を後悔し、少しうつむいて両手を強く握りしめた。
しかし次の瞬間、リオスはふっと肩の力を抜くと、私の大好きな、あの目尻を下げるくしゃっとした笑顔を見せた。
「そんなことは、起こりません」
「へ?」
思ってもいなかった明確な否定の言葉が返ってきて、私は少し、間の抜けた声を出して顔を上げた。
ランタンの灯りに照らされた彼の瞳は、とても真っ直ぐで、一片の迷いも嘘も混じっていない、きらめきを携えていた。
彼はゆっくりと、私に言い聞かせるように、優しく、けれど力強い声で言葉を紡ぎ始めた。
「エレオノーラ様、あなたは死にません。……いや、あなたが死ぬ時は、年を取り、目尻に笑い皺が深く入ったおばあちゃんになって、大切な人たちに囲まれ、見守られながら安らかに旅立つのです」
彼の言葉は、歴代の聖女が若くして死ぬという、残酷な運命を真っ向から否定するものだった。
「そして、俺が死ぬ時も、その時です。あなたが安らかに旅立つその時まで、俺はずっと、あなたのそばで、あなたを守り続けます。……ですが、俺はいつか故郷に帰るつもりです。だからその時は、あなたを連れ去ってでも、一緒に帰るつもりです」
それは、聖女の護衛騎士としての忠誠の誓いを超えた、愛の告白のように聞こえた。
彼の言葉の一つ一つが、温かい光となって私の心の奥底へと染み渡っていく。
胸の奥が、焼け付くように熱くなった。
鼻の奥がツンとして、視界が少しだけ滲んだ。
(自分に嘘はつけないな……私はリオスが、どうしようもなく好きなんだ……)
ずっと前から、初めて彼に出会ったあの日から、本当はわかっていた。
でも、若くして死んでしまう運命を受け入れた私は、誰かを好きになってはいけないような気がして、自分の気持ちにずっと蓋をしてきたのだ。
リオスが一生私のそばにいてくれると言ってくれた。
私と共に生きて、共に死ぬのだと言ってくれた。
故郷に帰る時は、私を連れ去ってくれると言ってくれた。
彼の今の言葉が、たとえ私を安心させるための優しい嘘であったとしてもかまわない。
その言葉の温もりさえあれば、私はこれからも聖女という重い運命を背負って、生きていける。
「……うん」
私は彼の真っ直ぐな瞳を見つめ返し、震える声で一言だけ返した。
それ以上何かを言おうとすれば、こらえきれずに涙がこぼれてしまいそうだった。
その途端、彼に自分の本心をすべて見透かされているような気がして、なんだか急にたまらなく恥ずかしくなってきてしまった。
「おまたせー! デザートも並んでたから、たっぷり貰ってきたわよ!」
ちょうどその時、ルキアが明るい声を響かせながら戻ってきた。
彼女の両手には、片手に山盛りの肉が乗った皿、そしてもう片手には色とりどりのフルーツやケーキが山積みになった皿が握られていた。
彼女のその無邪気な姿が、今の私にはとてもありがたかった。
「わ、私もデザート貰ってこようかな!」
私はリオスの顔をまともに見ることができず、真っ赤になってしまった顔を夜風で冷ますため、逃げるように立ち上がった。
「え? エレオノーラの分も取ってきたけど」
私はそんなルキアの言葉を聞き流し、そそくさとデザートが並べられているテーブルの方へと歩き出したのだった。




