Review9 十五日目がない
『14』
高瀬は、紙の端に書かれた数字を見つめていた。
影響継続中の人数も十四。
過去の記録が途切れたのも十四日後。
同じ数字が偶然重なっただけなのか、それとも、誰かが意図して残したのか。
確かめる方法は一つしかない。
十四日目に何があったのか、自分で探す。
高瀬は紙を手帳に挟んだ。
その時、教室の扉が開いた。
「先生」
昨日、「また来てもいい?」と聞いた男子生徒だった。
「おう」
「……今日も来た」
「見れば分かる」
「なんか聞かないの?」
「昨日聞かないって言っただろ」
「本当に聞かないんだ」
「お前、どっちなんだよ」
男子生徒が笑った。
昨日より、少しだけ自然だった。
勝手に椅子を引いて座る。
高瀬も向かいに座った。
何も聞かない。
男子生徒は窓の外を見ていた。
高瀬は提出物を整理する。
五分ほど経った。
「先生」
「ん?」
「昨日の続き」
高瀬は手を止めた。
「話す?」
「……ちょっとだけ」
「分かった」
男子生徒は机に視線を落とした。
「俺、最近、友達といるの疲れるんだよね」
「うん」
「別に嫌いじゃないんだけど」
「うん」
「一人になりたい時あるじゃん」
「あるな」
「でも、一人でいると『どうした?』って聞かれる」
高瀬は黙って聞いた。
「家帰っても母さんが『学校どうだった?』って聞いてくるし、先生も声かけてくるし」
「……俺も入ってるな」
「入ってる」
「すみません」
「謝るの早」
男子生徒が少し笑った。
「みんな心配してくれてるのは分かってる。でも、それに答えるのがめんどくさくなって」
「うん」
「だから『全部めんどくさい』って言った」
高瀬は、そこで初めて意味を理解した。
死にたいわけでもない。
学校を辞めたいわけでもない。
友達が嫌いなわけでもない。
ただ。
心配されるたびに、自分の状態を説明しなければならない。
それすら疲れていた。
「……そっか」
「出た」
「何が」
「そっか先生」
「その名前定着させるな」
男子生徒が笑う。
高瀬も笑った。
それ以上は聞かなかった。
やがて男子生徒が立ち上がる。
「今日はこれだけ」
「おう」
「また来るかも」
「好きにしろ」
「先生、もうちょい歓迎してよ」
「じゃあレッドカーペット敷いとく」
「絶対やってよ」
「嘘に決まってるだろ」
「教師が嘘ついた」
「面倒くさい生徒だな」
男子生徒は笑いながら教室を出ていった。
扉が閉まったあと、高瀬は小さく息を吐いた。
結局、何も解決していない。
でも。
昨日より一つだけ、分かった。
それで十分だった。
◇
放課後。
高瀬は資料室へ向かった。
過去の記録。
十四日目。
まず確認したのは出席簿だった。
あの人物を自分が評価した日を、一日目とする。
一日目。
出席。
二日目。
出席。
三日目も。
四日目も。
記録は続いている。
以前Reviewに表示された内容と同じだった。
『対象者は翌日も登校しました』
『三日後も登校しました』
『一週間後も登校しました』
そして。
十四日目。
出席。
「……来てる」
問題は。
その次だった。
十五日目。
高瀬は指を止めた。
「……ない」
欠席ではない。
早退でもない。
転校でもない。
そもそも。
十五日目の欄そのものがなかった。
日付は飛んでいない。
他の生徒には、十五日目の記録がある。
その人物だけ。
十四日目で終わっている。
高瀬はページをめくった。
十六日目。
ない。
十七日目。
ない。
それ以降も。
その人物の記録だけが存在しない。
「十四日目までは……いた」
以前見つけた名簿では、その人物そのものが消えていた。
なのに出席簿には。
十四日間だけ。
誰かがいた痕跡が残っている。
完全には消しきれていない。
あるいは。
消せない理由がある。
高瀬は別の記録を探した。
保健室利用記録。
図書室貸出記録。
進路資料。
委員会。
何もない。
最後に、当時の学級日誌を開いた。
一日目。
何もない。
三日目。
何もない。
七日目。
何もない。
十二日目。
ページをめくる。
十三日目。
そして。
十四日目。
高瀬の指が止まった。
担任記入欄。
そこに。
自分の字があった。
『放課後、面談。少し表情が明るくなったように見える。本人も「大丈夫」と話す。しばらく様子を見る。』
「……俺だ」
高瀬は椅子に座った。
覚えていない。
でも。
間違いなく自分の字だった。
『少し表情が明るくなったように見える』
『本人も「大丈夫」と話す』
『しばらく様子を見る』
高瀬は目を閉じた。
その言葉を。
今の自分は。
もう簡単には信じられない。
大丈夫と言ったから。
大丈夫だと思った。
笑ったから。
少し良くなったと思った。
そして。
翌日から。
その人物はいない。
「……何があった」
ページを裏返す。
十五日目。
学級日誌そのものは普通に続いている。
『一時間目 数学』
『二時間目 国語』
『昼休み 委員会』
いつもの学校。
ただ。
一人だけ。
いない。
誰も。
そのことに触れていない。
高瀬はページをめくり続けた。
一週間。
一か月。
卒業まで。
誰も。
いなくなった生徒について書いていない。
まるで。
十五日目の朝。
最初からその人物など存在しなかったことになったように。
◇
「高瀬先生?」
資料室の入口から声がした。
高瀬は顔を上げた。
年配の教師が立っていた。
当時からこの学校にいる教師だった。
「まだいたんですか」
「ちょっと昔の記録を見てて」
「懐かしいですね」
教師が学級日誌を覗き込む。
「これ、俺が担任だった頃なんですけど」
「若いですねえ」
「そこじゃなくて」
「字は今と同じですね」
「そこでもなくて」
高瀬は十四日目を指差した。
「この日、何かありませんでした?」
「この日?」
教師が眼鏡を上げる。
「何年前です?」
「この年です」
「ああ……」
少し考える。
「特には」
「生徒が急に来なくなったとか」
「不登校ですか?」
「いや……」
どう説明すればいい。
「突然、いなくなった生徒」
教師の顔から。
笑みが消えた。
ほんの一瞬だった。
だが。
高瀬は見逃さなかった。
「……先生?」
「いませんよ」
返事が早かった。
「まだ名前も言ってません」
「突然いなくなった生徒なんて、覚えていません」
「俺、『生徒』としか言ってないですよ」
「何が言いたいんです?」
声が硬くなる。
高瀬は黙った。
教師は学級日誌を閉じた。
「昔のことです。今さら調べても仕方ないでしょう」
「でも」
「高瀬先生」
教師が、高瀬を見る。
「覚えていないなら」
少し間を置いて。
「そのままのほうがいいこともあります」
そう言って。
資料室を出ていった。
高瀬は動けなかった。
今の反応。
知っている。
何かを。
あの教師は知っている。
◇
高瀬はもう一度、十四日目の学級日誌を開いた。
『本人も「大丈夫」と話す。』
その一文を指でなぞる。
「……何が大丈夫だったんだ」
答えはない。
ページを閉じようとした。
その時。
紙の間から何かが落ちた。
小さな付箋だった。
「……?」
古い。
色も褪せている。
表には。
高瀬の字。
『明日、もう一度話す』
「……」
高瀬の呼吸が止まった。
学級日誌には。
『しばらく様子を見る』
そう書いてある。
でも。
自分だけが使っていた付箋には。
『明日、もう一度話す』
高瀬は。
その約束を。
覚えていない。
裏返す。
そこには。
自分の字ではない。
細い鉛筆の文字。
『待ってます』
「……っ」
高瀬は椅子から立ち上がった。
十四日目。
相手は。
大丈夫だったわけじゃない。
高瀬が。
もう一度話すと言ったから。
その日は。
帰っただけだった。
そして。
十五日目。
高瀬は。
その人物と話していない。
話せなかったのではない。
存在そのものを。
忘れていた。
スマートフォンが震えた。
高瀬は画面を見る。
『影響継続中:14』
変化はない。
だが。
その下。
今までなかった一文が表示されていた。
『未完了の約束があります』
高瀬は付箋を見る。
『明日、もう一度話す』
裏側。
『待ってます』
十三年教師をしてきた。
約束を忘れたことなんて。
一度や二度じゃない。
でも。
これは。
違う。
「……待ってる?」
過去形ではない。
『待っていました』
ではなく。
『待ってます』
高瀬は。
ゆっくり顔を上げた。
資料室の時計が。
午後五時十四分を指していた。
そして。
廊下の向こうから。
椅子を引く音がした。
誰もいないはずの。
教室から。




