Review7 心配という名の刃
『影響継続中:13』
十三。
高瀬は、その数字をしばらく見つめていた。
昨日まで三人だった。
それが、一晩で十人増えた。
誰が誰に何をしたのか、高瀬には分からない。Reviewにも、それ以上の説明は表示されなかった。
ただ一つだけ、分かったことがある。
影響とは、救った人数ではない。
傷つけた人数でもない。
誰かの言葉や行動によって、別の誰かが何かを選んだ。その連鎖を、Reviewは数えている。
「……十三人」
その中には、昨日の女子生徒もいる。
休みたかったのに、★★☆☆☆を見て学校へ来た。
『みんな普通に学校来てるのに』
あの一文が、彼女の選択を変えた。
なら。
書いた人間は、どうしてあんなReviewを書いたのか。
高瀬はスマートフォンを伏せた。
匿名だ。
探す方法なんてない。
それでも、頭から離れなかった。
◇
「先生」
朝の会が終わったあと、昨日の女子生徒が高瀬のところへ来た。
「今日、早退してもいいですか」
「ああ」
高瀬はそれだけ答えた。
女子生徒が少し驚く。
「……理由、聞かないの?」
「聞いてほしい?」
「いや」
「じゃあ聞かない」
「軽っ」
「軽くない。先生なりにいろいろ考えた結果だ」
「考えてそれ?」
「失礼だな」
女子生徒が笑った。
昨日よりは自然な笑顔に見えた。
「お母さんには?」
「朝、無理だったら帰ってきていいって言われた」
「そっか。じゃあ手続きしてくる」
「先生」
「ん?」
「私……学校、嫌いじゃないからね」
高瀬は振り返った。
「友達も嫌いじゃないし、先生も……まあ、普通」
「そこは大好きでいいだろ」
「それはちょっと」
「即答するな」
また少し笑う。
けれど、そのあと彼女は俯いた。
「嫌いじゃないのに来たくないって、変かな」
以前の高瀬なら、すぐに否定していただろう。
変じゃない。
大丈夫。
よくあることだ。
安心させるために、言葉を重ねていた。
今は、少し考える。
「分からない」
「先生、最近そればっかり」
「便利なんだよ」
「『そっか』と『分からない』で教師できるじゃん」
「十三年目にして仕事のコツ掴んだわ」
「遅っ」
二人で笑った。
高瀬は、それから続けた。
「でも、変かどうかを今決めなくてもいいんじゃないか」
「……うん」
「嫌いじゃない。でも今日は帰りたい。それでいいだろ」
女子生徒は少し考えてから、
「うん」
と答えた。
その声は、小さかった。
でも、自分で決めた声だった。
◇
三時間目。
空いた席を見ている生徒がいた。
高瀬は気づいていた。
昨日も、その生徒は何度か彼女のほうを見ていた。
男子生徒だった。
特別仲がいいようには見えない。
昼休み。
高瀬が廊下を歩いていると、その男子生徒が後ろからついてきた。
「先生」
「ん?」
「今日、帰った?」
「誰が?」
「……あいつ」
名前を言う。
「ああ」
「また?」
その言い方に、高瀬は足を止めた。
「またって?」
「だって、二日休んで、昨日来て、今日早退でしょ」
「そうだな」
「何なん?」
「何なんって?」
「いや……」
男子生徒は、少し苛立ったように視線を逸らした。
「みんな学校来てるのに」
高瀬の中で。
昨日のReviewが開いた。
『みんな普通に学校来てるのに』
「お前」
思わず声が低くなった。
男子生徒が顔を上げる。
「何?」
高瀬は一度、口を閉じた。
決めつけるな。
昨日、自分が生徒に言ったばかりだ。
「……Review、書いたか?」
男子生徒の表情が止まった。
それだけで。
ほとんど答えだった。
「なんで分かったの」
高瀬は息を吐いた。
「文章」
「匿名じゃん」
「内容が似てた」
「……」
男子生徒は逃げなかった。
代わりに、少し不満そうな顔をした。
「別に悪口書いてないけど」
「★★☆☆☆だった」
「星が少ないだけじゃん」
「本人、それ見て学校来たぞ」
「え?」
初めて。
男子生徒の表情が変わった。
「昨日、無理して来てた」
「……」
「今日も、本当はしんどかった」
「俺、そんなつもりじゃ」
「うん」
高瀬は答えた。
「そうだと思う」
男子生徒が黙る。
責められると思っていたのかもしれない。
「なんで書いた?」
「……」
「怒らないから、教えてくれ」
しばらくして。
男子生徒が壁にもたれた。
「妹が」
「妹?」
「去年、学校行けなくなった」
高瀬は黙った。
「最初は、ちょっと休むだけって言ってた。でも一日休んで、次の日も休んで、その次も」
男子生徒は床を見ながら話した。
「母さんも最初は『ゆっくり休めばいい』って言ってた。でも、そのまま全然行けなくなった」
「……そうだったのか」
「今もほとんど行ってない」
高瀬は、何も言わず続きを待った。
「妹、最初は普通だったんだよ。友達もいたし、学校嫌いとか言ってなかった。それなのに、ある日休んで……」
男子生徒が拳を握った。
「だから」
ようやく、高瀬を見た。
「あいつも同じになると思った」
「……」
「二日も休んでたから。誰かが言わないと、そのまま来なくなると思って」
そこで声が弱くなる。
「心配だっただけなんだけど」
高瀬は、昨日のReviewを思い出した。
『最近ずっと休んでる』
『理由もよく分からない』
『みんな普通に学校来てるのに』
『心配してる人もいるんだから、少しくらい説明したほうがいいと思う』
最後まで。
ちゃんと書いてあった。
『心配してる人もいるんだから』
高瀬は、そこを読んでいた。
でも。
見ていなかった。
「本人に言ったことは?」
「ない」
「なんで?」
「そんな仲良くないし」
「じゃあ、なんでReviewなら書けた?」
男子生徒は答えに詰まった。
「……匿名だから」
「そっか」
「先生」
「ん?」
「俺、悪いことした?」
まただ。
最近。
この質問ばかりされている気がする。
★2を書いた女子生徒も。
『私、悪いですか?』
と聞いた。
そして今度は。
心配から★2を書いた男子生徒。
高瀬は思った。
Reviewが広まってから。
みんな。
自分の評価を誰かに決めてもらおうとしている。
評価を書く側まで。
「それを」
高瀬は言った。
「先生に採点させるなよ」
「え?」
「お前が心配したことまで、悪いとは思わない」
「……」
「でも、その心配が相手を苦しめたのも本当だ」
「じゃあどうすればよかったの?」
「それは考えよう」
「答えないの?」
「答えがあるなら教えてやりたいよ」
高瀬は苦笑した。
「でも、たぶんこういうのって、正解一個じゃないから」
男子生徒は納得していない顔をしていた。
それでいい。
今すぐ綺麗に納得する必要なんてない。
「一つだけ聞いていいか?」
「何?」
「今も心配してる?」
「……してる」
「じゃあ」
高瀬は言った。
「星じゃなくて、それを伝える方法を考えよう」
男子生徒は黙った。
◇
放課後。
高瀬が職員室で仕事をしていると、スマートフォンが震えた。
また数字が増えたのかと思った。
違った。
『Reviewが削除されました』
「……削除?」
あの女子生徒につけられた★★☆☆☆。
投稿者によって削除されている。
高瀬は少しだけ安心した。
男子生徒が消したのだろう。
これで少なくとも、彼女があの文章を何度も目にすることはなくなる。
そう思った。
だが。
画面には続きがあった。
『評価は削除されました』
『影響は削除されません』
「……」
『影響継続中:13』
数字は。
減っていなかった。
◇
翌日。
早退した女子生徒は学校を休んだ。
高瀬はいつも通り、出席簿に欠席の印をつけた。
朝の会を終える。
休み時間。
昨日の男子生徒が、高瀬のところへ来た。
「先生」
「ん?」
「昨日のやつ、消した」
「見たよ」
「分かるの?」
「まあ……いろいろあってな」
「何それ」
男子生徒は少し迷ってから言った。
「あと」
「うん」
「LINEした」
高瀬は顔を上げた。
「本人に?」
「うん」
「何て?」
「……言わない」
「なんでだよ」
「先生、昨日言ったじゃん。自分で考えろって」
「それ別の生徒に言ったやつだろ」
「聞こえてた」
「盗み聞きかよ」
「教室で喋ってたら聞こえるって」
高瀬は笑った。
「返事は?」
「まだ」
「そっか」
男子生徒は教室へ戻っていった。
その背中を見ながら、高瀬は思った。
Reviewは消せても。
言葉が届いた事実は消せない。
傷つけたことも。
心配したことも。
それを知って、次の行動を選んだことも。
全部。
残る。
スマートフォンが震えた。
高瀬は画面を開いた。
『影響継続中:14』
「……増えた」
おそらく。
あのLINEだ。
高瀬は小さく息を吐いた。
十四。
昨日より一人増えた。
でも今回は。
少しだけ。
数字の見え方が違った。
その時。
もう一度。
スマートフォンが震えた。
画面に見慣れない表示が出た。
『あなたへのReviewが削除されました』
「俺の?」
高瀬は画面を操作した。
自分につけられたReview。
いくつか並んでいる。
その中から。
一件だけ。
消えていた。
★★★☆☆。
『あなたは、まだ大丈夫です』
『今は苦しくても、少し休めばまた戻れます』
高瀬が過去に誰かへつけた評価。
そして。
その人物から届いた。
★☆☆☆☆。
『先生は、みんなの話を聞きます。』
『だから。』
『誰か一人の味方にはなってくれません。』
そのReviewが。
消えていた。
「……なんで」
高瀬は画面を見つめる。
投稿者が削除した。
なら。
あの人物は。
今もどこかで。
Reviewを操作できる?
存在しないはずなのに。
高瀬の呼吸が浅くなる。
画面に。
一行だけ。
新しい文章が表示された。
『削除理由:評価が変わったため』
「……評価が、変わった?」
高瀬は立ち上がった。
その瞬間。
教室の後ろ。
誰も使っていない机の上に。
一冊のノートが置かれていることに気づいた。
昨日まで。
そこには何もなかった。
見覚えがある。
古い。
名前のないノート。
高瀬は。
ゆっくり近づいた。
開く。
最後のページ。
昨日まで。
そこに残っていたのは。
『せんせいに たすけてって いえなかった』
その消し跡だった。
でも。
今日は。
その下に。
鉛筆で。
新しい文字が書かれていた。
『今度は、聞こえましたか』
高瀬は。
誰もいない教室を。
振り返った。




