Review3 正しさの残響
高瀬悠介は、画面を閉じられなかった。
『あなたは一度、この人物の人生を採点しています』
その一文だけが、暗い教室の中で白く浮かんでいた。
「……誰だよ」
声に出してみても、当然答えはない。
高瀬はReviewの履歴を開いた。
これまで、自分が関わってきた人たち。
名前。
評価。
文章。
消えたものもある。
見られなくなったものもある。
だが、残っているものもあった。
「一度って……」
指を止める。
一度。
その言い方が引っかかる。
何度も関わった相手ではない。
一件。
たった一件だけ。
高瀬は、過去のReviewを一つずつ見ていった。
藤原。
桐谷。
名前を見るだけで胸が重くなる相手もいる。
自分が正しかったと思えるもの。
今でも答えが分からないもの。
あの時は、あれしかなかった。
そう言い聞かせているもの。
スクロールする指が、だんだん遅くなった。
「……多すぎる」
誰かの人生に触れた回数。
その一つ一つを。
自分は覚えているつもりだった。
でも。
本当に。
全部覚えているのか。
◇
翌朝。
学校へ着くと、昇降口の前に人だかりができていた。
「何してる?」
高瀬が声をかける。
生徒たちが一斉に振り返った。
「先生、ランキング!」
「……何の」
「Reviewの!」
嫌な予感がした。
「見せて」
一人の生徒がスマートフォンを差し出す。
画面には、見たことのない項目が追加されていた。
『周辺評価』
その下。
『あなたの周辺で評価の高い人物』
一位。
二位。
三位。
名前が並んでいる。
「……いつから?」
「朝起きたら」
「先生、俺七位!」
「自慢するな」
「七位すごくない?」
「何人中だよ」
「分かんない」
「じゃあすごいかも分かんないだろ」
「先生、夢ないなあ」
「今その夢はいらない」
生徒は笑った。
周りでも。
「私十二位!」
「俺圏外なんだけど」
「人望なくて草」
「お前だって十六位じゃん!」
数字が飛び交う。
高瀬は黙って画面を見ていた。
昨日。
星がついた。
今日は。
順位がついた。
嫌な速度だった。
「これ」
高瀬が言う。
「今日から校内では見ないように」
「えー!」
「昨日も言っただろ。何が起きるか分からない」
「でもランキング見るだけじゃん」
「見るだけでも揉める」
「もう揉めてる」
「早いな!」
思わず声が出た。
「誰が?」
「二組」
「何で」
「一位の子が“なんでこいつが一位なん”って言われて」
「……」
「その子泣いたらしい」
高瀬は額を押さえた。
早すぎる。
本当に。
何もかもが。
数字になった瞬間。
人は。
比べ始める。
◇
一時間目が始まる前。
高瀬は黒板の前に立った。
「今日はReviewの話する」
教室が少しざわつく。
「先生たちも、これが何なのかまだ分かってない」
何人かが真顔になる。
「だから少なくとも学校の中では、評価をつけたり、ランキング見せ合ったりするのはやめよう」
「なんで?」
一人の生徒が聞く。
「昨日の★2みたいなことになるから」
教室の空気が少し変わる。
「でも先生」
別の生徒。
「悪いこと書かなきゃいいんじゃない?」
高瀬は答えようとして。
止まった。
「……そうとも限らない」
「なんで?」
昨日の★★★★★。
最適化。
その言葉が頭をよぎる。
だが。
まだ全部を生徒に話せない。
「褒める言葉でも」
高瀬はゆっくり言った。
「相手がどう受け取るかは分からないから」
「でも★5なら嬉しくない?」
「嬉しい人もいる」
「じゃあいいじゃん」
「……」
高瀬は少し考えた。
「例えば」
教室を見渡す。
「“お前はいつも明るくて最高”って書かれたとする」
「嬉しい」
「でも」
高瀬は続ける。
「その人が、本当はしんどい時もずっと明るくしてたら?」
何人かが黙った。
「“明るい自分でいなきゃ”って思うかもしれない」
「……」
「評価って、良い言葉でも、人を縛ることがある」
教室が静かになった。
高瀬自身。
言いながら。
自分に返ってきていた。
いい先生。
話を聞いてくれる先生。
公平な先生。
それは。
褒め言葉だった。
でも。
それを守ろうとしすぎた結果。
『誰か一人の味方にはなってくれません』
あの言葉が。
胸に残っている。
◇
昼休み。
高瀬は職員室で一人、過去のReview履歴を見ていた。
昨日の続き。
自分が一度だけ採点した人物。
該当しそうなものを探している。
だが。
途中で止まった。
「……これ」
一件。
名前が表示されていない。
『閲覧制限』
評価。
文章。
対象者。
すべて非表示。
ただ一つ。
日付だけが残っていた。
高瀬はその日付を見た。
「この日……」
覚えている。
いや。
覚えているはずだった。
だが。
何をした日だった。
授業。
面談。
誰かと話した。
そこまでは浮かぶ。
それ以上が出てこない。
「何で……」
高瀬は机の引き出しを開けた。
昔の手帳。
予定表。
メモ。
何冊か取り出す。
該当の日付。
ページを開く。
予定は書いてある。
授業。
会議。
放課後面談。
その下。
小さく。
鉛筆で。
一行だけ。
『話を聞く』
名前がない。
「誰の……?」
その時。
背後から声がした。
「高瀬先生」
「うわっ!」
思わず肩が跳ねた。
「びっくりした!」
「こっちがびっくりしましたよ」
同僚教師が笑う。
「何してるんです?」
「いや、ちょっと昔のメモ見てて」
「珍しいですね」
「そう?」
「高瀬先生、メモ取る割に後から見返さないじゃないですか」
「……そうだっけ」
「そうですよ」
同僚教師は手帳を覗いた。
「うわ、字汚」
「そこ見るな」
「これ何です?」
指さす。
『話を聞く』
「それが分からなくて」
「名前ないんですか?」
「ない」
「じゃあ結構前?」
「うん」
「覚えてないんです?」
高瀬は。
すぐ答えられなかった。
「……覚えてるつもりだった」
その言葉だけが。
自分でも嫌に重く聞こえた。
◇
放課後。
教室で一人。
高瀬は例の★1Reviewをもう一度開いた。
『先生は、いい先生だと思います。』
『話も聞いてくれます。』
『怒る時も、ちゃんと理由があります。』
『困った時、助けてくれたこともあります。』
『でも。』
『先生は、みんなの話を聞きます。』
『だから。』
『誰か一人の味方にはなってくれません。』
『それが正しい先生なのかもしれません。』
『でも私は。』
『正しい先生じゃなくて。』
『一回だけでも。』
『私の味方になってほしかったです。』
高瀬は。
何度目か分からないほど読んだ。
「……誰なんだよ」
画面は答えない。
ただ。
昨日現れた文。
『あなたは一度、この人物の人生を採点しています』
その下。
今日は。
さらに項目が増えていた。
『過去評価を確認しますか?』
高瀬の指が止まる。
「……また選ばせるのか」
YES。
NO。
嫌だった。
何を押せば。
何が変わるのか。
分からない。
昨日。
選ばなくてもいいと知った。
でも。
今は。
知りたい。
誰なのか。
自分が何をしたのか。
なぜ★1をつけられたのか。
高瀬は。
長く迷った。
そして。
YESを押した。
画面が暗くなる。
『過去評価を検索しています』
数秒。
『該当データ:1件』
高瀬の喉が鳴る。
『閲覧します』
画面に。
過去のReviewが表示される。
だが。
名前は。
まだ消えている。
『対象者:――――』
『評価:★★★☆☆』
「……三つ」
高瀬は目を細めた。
自分が。
この人物に。
星三つをつけた。
文章。
ゆっくり表示される。
『あなたは、まだ大丈夫です。』
高瀬の表情が変わった。
「……」
見覚えがある。
その言葉。
自分が。
確かに。
誰かに言った。
過去。
教室。
夕方。
泣いている誰か。
記憶が。
一瞬だけ。
浮かぶ。
でも。
顔が見えない。
「誰だ……」
次の文章。
『今は苦しくても、少し休めばまた戻れます。』
高瀬の指が。
震えた。
「……待て」
記憶。
今度は。
少しだけ。
はっきりする。
椅子に座った生徒。
俯いた顔。
机の上。
握りしめたハンカチ。
そして。
自分の声。
『大丈夫。まだ頑張れるよ』
「……っ」
高瀬は。
スマートフォンを強く握った。
自分は。
励ました。
そのつもりだった。
背中を押した。
そのつもりだった。
でも。
Reviewは続く。
『評価理由』
『問題は深刻ではありません』
『本人の努力により改善可能です』
『現時点で重大な介入は不要と判断します』
高瀬の顔から。
血の気が引いた。
「俺が……」
そんなことを。
書いた。
言った。
判断した。
その結果。
何が起きた。
高瀬は。
画面をスクロールする。
次。
『評価後の変化』
表示が止まる。
少し。
間があって。
文字が出た。
『対象者は翌日も登校しました』
高瀬は。
息を吐いた。
続き。
『三日後も登校しました』
『一週間後も登校しました』
少し。
安心しかけた。
その時。
次の一文。
『十四日後――』
画面が。
乱れた。
「……何だよ」
文字が消える。
「続き見せろよ」
高瀬が画面を叩く。
反応しない。
もう一度。
文字が出る。
だが。
続きを表示する代わりに。
一文だけ。
『あなたは、その後を確認していません』
高瀬は。
動けなかった。
確かに。
そうだった。
話を聞いた。
励ました。
翌日。
来ていた。
数日後も。
見かけた。
だから。
大丈夫だと思った。
その後。
どうなった。
知らない。
知らないまま。
終わったことにした。
「……誰だよ」
もう一度。
声が出た。
今度は。
少し。
震えていた。
画面が変わる。
『対象者情報を表示しますか?』
YES。
NO。
高瀬の指は。
すぐには動かなかった。
怖かった。
知りたい。
でも。
知ったら。
戻れない気がした。
それでも。
高瀬は。
YESを押した。
画面。
暗転。
数秒。
名前が。
表示される。
そう思った。
しかし。
出たのは。
名前ではなかった。
『対象者情報は現在存在しません』
「……は?」
高瀬は。
画面を見つめる。
『照合結果:0件』
「存在……しない?」
意味が分からない。
死亡。
転校。
削除。
どれとも違う。
存在しない。
高瀬の呼吸が。
少しずつ。
浅くなる。
その時。
新しい通知が届いた。
『Reviewが更新されました』
昨日。
高瀬へ送られた。
★1。
それが。
変わっていた。
星は。
そのまま。
★☆☆☆☆
だが。
本文の最後に。
一行だけ。
追加されていた。
『先生。』
高瀬の目が。
止まる。
『あの日。』
『私は、頑張れるかどうかを聞いてほしかったんじゃありません。』
そして。
最後。
『頑張りたくないって言っても、いいですかって聞きたかったんです。』
高瀬は。
長い間。
画面を見つめていた。
励ますことが。
正しいと思っていた。
前を向かせることが。
教師の仕事だと思っていた。
でも。
あの日。
目の前にいた誰かは。
前を向きたかったわけじゃない。
ただ。
止まりたかった。
それだけだったのかもしれない。
高瀬は。
スマートフォンを握ったまま。
誰もいない教室で。
小さく。
呟いた。
「……ごめん」
返事は。
なかった。
ただ。
画面の隅に。
一つだけ。
新しい表示が現れた。
『過去評価:★★★☆☆』
その下。
小さく。
『影響継続中』
高瀬は。
その四文字を。
何度も。
読み返した。




