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この人生、採点中  作者: 夜凪 灯
第二章 あなたは、誰の採点者ですか

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75/117

Review1 ★5をつけた人から死んでいく

 午前七時十二分。


 高瀬悠介は、コーヒーを淹れながらスマートフォンを見ていた。


 通知はない。


 もう一度、画面を消す。


 三秒後。


 また見る。


「……来てないって」


 自分で言ってから、少し嫌になった。


 以前なら、通知なんて来ない方がよかった。


 Reviewが現れるたびに誰かの人生へ踏み込み、自分の書いた言葉で現実が変わる。その責任が怖くて、何度もスマートフォンそのものを捨てたくなった。


 それなのに今は。


 何も届かないことの方が、不気味だった。


 あの日から三日。


 Reviewは、一件も届いていない。


 高瀬はコーヒーを一口飲んだ。


「苦っ」


 砂糖を入れ忘れていた。


 それくらい、自分でも気づかないほど考え事をしているらしい。


 もう一杯飲む。


「……やっぱ苦い」


 当たり前だった。


 砂糖を入れていないのだから。


 高瀬は諦めてカップを置いた。


 その瞬間。


 スマートフォンが震えた。


 高瀬の手が止まる。


 画面を見る。


 通知。


 反射的に息を呑んだ。


 だが表示されていたのは、


『本日ポイント5倍』


 近所のドラッグストアだった。


「……お前かよ」


 スマートフォンを伏せる。


 心臓だけが、まだ少し速かった。



◇



「先生」


「ん?」


「聞いてました?」


「聞いてた」


「じゃあ私、何て言いました?」


「……」


「聞いてないじゃん」


「ごめん」


 昼休み。


 教卓の前に立っていた女子生徒が呆れた顔をした。


「珍しいですね」


「何が?」


「先生がぼーっとしてるの」


「先生だってぼーっとするよ」


「授業中?」


「それは怒られるな」


「誰に?」


「みんなに」


「じゃあちゃんとしてください」


「はい」


 高瀬が素直に頭を下げると、生徒は笑った。


「で、何だった?」


「進路希望の紙」


「ああ」


「まだ決まってなくてもいいですか?」


「いいよ」


「でも、みんな結構書いてて」


 生徒は手に持った紙を見る。


 進路希望。


 第一希望。


 第二希望。


 その下には、保護者記入欄。


「決まってないのが不安?」


「ちょっと」


「じゃあ、“まだ決まってません”が今の答えでいいんじゃない?」


「そんなのあり?」


「あるよ」


「先生が言っていいの?」


「先生だから言ってる」


 生徒は少し考えた。


「先生は、中学生の時から先生になりたかった?」


「いや」


「じゃあ何になりたかった?」


「覚えてない」


「夢なかったんですか?」


「多分、金持ち」


「最低」


「なんでだよ」


「もっと教師っぽい夢言ってくださいよ」


「世界平和」


「急にデカい」


 二人で笑った。


 高瀬は進路希望調査票を指さした。


「今決めたことが、一生そのままになるわけじゃないから」


「……」


「変えてもいいし、迷ってもいい。自分で考えて書いたなら、それでいいよ」


「じゃあ空欄でも?」


「それは先生が怒られるから何か書いて」


「結局!」


 生徒は笑いながら教室を出ていった。


 その背中を見送る。


 高瀬はふと思った。


 人生は。


 本当なら、こういうものなのかもしれない。


 迷う。


 選ぶ。


 間違える。


 また選ぶ。


 誰かから星をつけられなくても。


 それでも進んでいく。



 スマートフォンが震えた。



 高瀬の表情から笑みが消えた。



◇



 画面には見慣れた表示があった。



『Reviewが届きました』



 久しぶりに見たはずなのに、身体は覚えている。


 高瀬は職員室へ戻らず、人のいない階段の踊り場へ向かった。


 画面を開く。



 投稿者名。


 知らない名前だった。



 年齢。


 二十九歳。



 本文。



『あの人は、私の人生を救ってくれました。』



 高瀬は読み進める。



『仕事も、家族も、全部嫌になっていた時期がありました。』



『そんな時、たまたま入った店で声をかけてくれた人がいました。』



『最初は変な人だと思いました。』



『でも、私の話を最後まで聞いてくれました。』



『何度も会うようになって、少しずつ生活が変わりました。』



『仕事も変えました。』



『家族とも、もう一度話せました。』



『あの人がいなかったら、今の私はいません。』



 高瀬は少しだけ肩の力を抜いた。


 珍しい。


 素直に、いいReviewだった。


 誰かに救われた人が。


 その感謝を書いている。



『だから評価します。』



 星が表示される。



 ★★★★★



 高瀬は画面を見つめた。



 満点。



 何の迷いもない。



 その下。



『あなたは、私の人生で出会った最高の人です。』



 高瀬は小さく息を吐いた。


「……こういうのもあるんだな」


 Reviewは。


 人を傷つけるだけではない。


 誰かが誰かに伝えられなかった感謝を、形にすることもある。


 そう思った。


 その時。



 画面の一番下に。



 もう一行あることに気づいた。



『このReviewを公開しますか?』



 高瀬の指が止まった。



「……公開?」



 初めて見る。



 今まで、そんな選択肢はなかった。



『YES』


『NO』



「待てよ……」


 高瀬は画面をスクロールした。


 説明はない。


 戻ることもできない。


 ただ。


 選択肢だけが表示されている。



 嫌な予感がした。



 第一章までなら。


 きっと高瀬は迷いながらも押していた。



 Reviewに従う。



 表示されたものを受け入れる。



 そうするしかないと思っていた。



 でも。



 今は違う。



「……押さない」



 高瀬はスマートフォンを閉じた。



 何が起きるか分からないものを。


 もう簡単には選ばない。



 それが。



 あの日までの自分との。



 小さな違いだった。



◇



 午後四時四十一分。


 授業を終えた高瀬は職員室へ戻った。


 スマートフォンを見る。



 まだ残っている。



『このReviewを公開しますか?』



 YES。


 NO。



「しつこいな……」



 消えない。



 通知を閉じても。


 アプリを終了しても。


 もう一度開けば同じ画面が出る。



 高瀬はNOを押そうとした。



 その時。



「高瀬先生」


 呼ばれて顔を上げた。


 同僚の教師が立っている。


「何ですか?」


「お客さん」


「俺に?」


「うん。若い女の人」


「保護者?」


「分かんない。名前聞いても、“高瀬先生なら分かる”って」


「……?」


 心当たりがない。


 高瀬はスマートフォンをポケットへ入れた。



◇



 玄関。



 女性が一人、立っていた。



 二十代くらい。



 白いシャツ。


 黒いパンツ。



 どこにでもいそうな女性だった。



 高瀬を見る。



「高瀬悠介さん?」



「そうですけど」



 女性が笑った。



「よかった」



「……どちら様ですか?」



 女性は答えなかった。



 代わりに。



「届きました?」



 高瀬の身体が固まった。



「何がですか?」



「Review」



 周囲の音が遠くなった。



「……誰ですか」



「まだ押してないんですね」



「何で知ってる」



 女性は少し困ったように笑った。



「押さない方がいいですよ」



 高瀬は女性を睨んだ。



「あなた、何を知ってるんですか」



「少しだけ」



「少しって何だ」



「高瀬さんよりは知ってます」



「だから何を――」



 女性のスマートフォンが鳴った。



「あ」



 画面を見る。



 女性の表情が変わった。



 さっきまでの柔らかい笑顔が消える。



「……遅かった」



「何が?」



 女性は答えない。



 高瀬のスマートフォンも。



 震えた。



 二人が。



 ほぼ同時に画面を見る。



 YESも。



 NOも。



 消えていた。



 代わりに。



『Reviewが公開されました』



「俺、押してないぞ」



 高瀬は女性を見る。



「おい。これどういう――」



「高瀬さん」



 女性の声が震えていた。



「今から何が起きても」



「……」



「自分のせいだと思わないでください」



 高瀬の眉が寄る。



「何の話だよ」



 女性は答えなかった。



 ただ。



 高瀬のスマートフォンを見ていた。



 画面が変わる。



『評価を反映します』



 ★★★★★



 満点。



 その下。



 高瀬が一度も見たことのない文字が現れた。



『評価対象者の人生を最適化します』



「……最適化?」



 女性が。



 目を閉じた。



「始まった」



 次の瞬間。



 遠くで。



 救急車のサイレンが鳴った。



◇



 午後六時十三分。



 高瀬は女性と向かい合っていた。



 学校近くの公園。



「説明してください」



 女性は黙っている。



「あなた、知ってたんですよね」



「……はい」



「何が起きる」



「まだ分かりません」



「ふざけるな!」



 高瀬の声が公園に響いた。



 女性の肩がわずかに揺れた。



「すみません」



「謝ってほしいんじゃない!」



 高瀬はスマートフォンを握りしめた。



「俺は何も押してない。なのに勝手に公開された。最適化って何だ。あのReviewを書かれた人に何が起きる?」



「……」



「答えてください」



 女性は唇を噛んだ。



「私も」



 声が小さかった。



「最初は、いいことだと思ってました」



「何が?」



「★5」



 高瀬が黙る。



「人生を最高だと評価された人が、不幸になるはずないって」



「……」



「でも違った」



 女性の手が震えていた。



「★5は」



 一度、言葉が止まる。



「その人にとって必要のないものを、消します」



「……は?」



「苦しみ」



「……」



「失敗」



「……」



「後悔」



 女性の目が、高瀬を見る。



「人間関係も」



「待て」



「仕事も」



「待てって」



「記憶も」



「……」



「その人自身も」



 高瀬は。



 何も言えなかった。



 女性が続ける。



「SYSTEMにとっての“最高の人生”と、人間にとっての幸せは同じじゃない」



 風が吹いた。



 高瀬は動けない。



「じゃあ……」



 ようやく声が出る。



「さっきの人は?」



「分かりません」



「助けられる?」



「……」



「助けられるんですよね?」



 女性は答えない。



 高瀬の声が強くなる。



「答えろよ!」



「分からないんです!」



 女性も叫んだ。



 初めて。



 感情を剥き出しにした。



「私だって助けたかった!」



 高瀬が止まる。



「助けられるなら……!」



 女性の目に涙が浮かぶ。



「とっくに助けてます」



 沈黙。



 高瀬は。



 その言葉の意味を考えた。



「……誰を?」



 女性の表情が変わった。



 しまった。



 そういう顔だった。



「今……誰を助けたかったって言った?」



「……」



「あなたも誰かにReviewを書いたことがあるんですか?」



 女性が一歩下がる。



「答えてください」



「……帰ります」



「待てよ」



 女性が背を向ける。



 高瀬は追おうとした。



 その時。



 スマートフォンが震えた。



 新しい通知。



『最適化処理が完了しました』



 高瀬の足が止まった。



 その下に。



 名前。



 さっきのReview。



 評価された人物の名前。



 そして。



『変更項目:1』



「……一個?」



 高瀬は画面を押した。



 表示された。



『不要要素を削除しました』



 さらに下。



『削除対象――』



 文字が。



 一瞬。



 乱れた。



 そして。



 表示された。



『投稿者』



「…………は?」



 高瀬の呼吸が止まった。



 ★★★★★。



『あなたは、私の人生で出会った最高の人です。』



 そう書いた。



 あの女性。



 その人が。



『不要要素』



 高瀬は顔を上げた。



「待って!」



 さっきの女性を呼ぶ。



「これ……!」



 だが。



 女性は。



 画面を見るなり。



 青ざめた。



「違う」



「何が?」



「こんなの……今までと違う」



 高瀬のスマートフォンが。



 もう一度震えた。



 新しいReview。



 一件。



 また一件。



 さらに。



 一件。



「……何だよ」



 通知が止まらない。



『★★★★★』



『★★★★★』



『★★★★★』



 すべて。



 満点。



 高瀬は画面をスクロールした。



 投稿者も。



 評価対象者も。



 全部違う。



「なんで……」



 女性が呟いた。



「同時に……?」



 通知。



 通知。



 通知。



 その数が。



 十を超えた。



 二十。



 三十。



 高瀬のスマートフォンが震え続ける。



 そして。



 すべてのReviewに。



 同じ一文が追加された。



『評価を反映します』



 女性が高瀬の腕を掴んだ。



「逃げて」



「は?」



「今すぐ!」



「何から――」



「分からない!」



 女性は泣いていた。



「でも、こんなの見たことない!」



 その瞬間。



 すべての通知が消えた。



 静かになった。



 画面の中央に。



 一つだけ。



 文字が浮かぶ。



『第二段階へ移行します』



 高瀬は。



 その文字を見つめた。



「……第二段階?」



 画面が暗くなる。



 そして。



 最後に。



 一文だけ表示された。



『採点対象を拡大しました』



「対象……?」



 女性が。



 震える声で答えた。



「高瀬さん」



「……」



「今までReviewに選ばれてたのは……」



 一度。



 息を呑む。



「ほんの一部の人だけです」



 高瀬は女性を見る。



「じゃあ……今度は?」



 女性は答えなかった。



 答える必要もなかった。



 街のあちこちで。



 スマートフォンが鳴り始めた。



 一台。



 二台。



 十台。



 百台。



 帰宅途中の会社員が立ち止まる。



 高校生が画面を見る。



 ベビーカーを押していた母親がスマートフォンを取り出す。



 店員が。



 老人が。



 学生が。



 誰もが。



 同じ画面を見ていた。



『あなたに、新しいReviewが届きました』



 高瀬は。



 初めて理解した。



 今まで自分が見ていたものは。



 始まりですらなかった。



 その夜。



 人生を採点される側と。



 人生を採点する側の境界が。



 消えた。

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