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この人生、採点中  作者: 夜凪 灯
第一章 『あなたは、あなたを何点にしますか』

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Re:View 05 明日が来ると思っていた ――あの日を、もう一度

「お母さん、これ百点だった」


 夕食の支度をしていた母親は、振り返るより先に答えた。


「すごいじゃん」


「見てないでしょ」


「見なくても百点は百点でしょ?」


「そういうことじゃない」


 少女は少し頬を膨らませながら、食卓の上にテストを置いた。


 右上に赤い数字が書かれている。


 100。


 その下には、先生の小さな花丸。


 学校から帰ってきてから、見せるのを少し楽しみにしていた。


「あとでちゃんと見るから」


「絶対?」


「絶対」


「昨日も言った」


「昨日?」


「図工」


「あ」


「忘れてたでしょ」


「……覚えてたよ」


「嘘」


「大人にはいろいろあるの」


「便利だね、それ」


 母親が笑った。


「誰に似たの、その言い方」


「お母さん」


「じゃあ仕方ないか」


 少女も笑った。


 それからランドセルを置きに自分の部屋へ向かった。


 途中で振り返る。


「ほんとに見てね」


「見る見る」


「ちゃんと感想も言って」


「要求多くない?」


「百点だから」


「はいはい」


 少女は満足して部屋へ入った。


 それだけの夕方だった。


 明日になれば学校がある。


 帰ってきたら、また母親に何かを話す。


 週末には友達と遊ぶ約束もしている。


 来月には欲しかったものを買ってもらえるかもしれない。


 少女はそんなことを考えていた。


 明日が来ることを、疑ったことなんてなかった。



◇



「ねえ、百点ってすごい?」


 夕食の途中、少女が聞いた。


「すごいよ」


「九十九点は?」


「すごい」


「八十点」


「すごい」


「五十点」


「まあまあ」


「三十点」


「勉強しましょう」


「ゼロ点」


「一緒に反省会だね」


 少女は箸を置いた。


「じゃあ何点からダメなの?」


「何の話?」


「点数」


「テスト?」


「うん」


 母親は少し考えた。


「別に何点でもダメじゃないよ」


「でもゼロ点だったら怒るでしょ」


「怒るというか、心配する」


「同じじゃん」


「違います」


「じゃあ百点だったら?」


「褒める」


「じゃあやっぱり百点の方がいいじゃん」


「まあ、テストならね」


 少女は納得していないようだった。


「じゃあさ」


「まだあるの?」


「人にも点数つけられる?」


 母親の箸が止まった。


「人?」


「うん」


「何でそんなこと聞くの?」


「今日、学校でやった」


「何を?」


「友達のいいところを見つけましょうって」


「ああ」


「それでね、先生が“一人一人にいいところがあります”って言ったの」


「いい先生じゃん」


「でも変じゃない?」


「何が?」


「いいところがいっぱいある人と、一個しかない人だったら?」


 母親が笑った。


「そんな数え方しないでしょ」


「でも百点の人と三十点の人がいたら?」


「人に点数なんてつけないよ」


「なんで?」


「なんでって……」


 母親は少し困った顔をした。


「テストは答えがあるでしょ?」


「うん」


「人には答えがないから」


 少女は黙った。


「優しい人でも怒る時はあるし、普段怒ってる人が誰かを助けることもある。今日いい子だったからって明日も同じとは限らないでしょ?」


「じゃあ点数つけられない?」


「つけられないんじゃない?」


「そっか」


 少女は味噌汁を一口飲んだ。


 それで話は終わった。


 母親は、その質問をすぐに忘れた。


 少女も。


 たぶん。



◇



 翌日。


 学校で席替えがあった。


「最悪」


 隣の席になった男子が、少女を見るなり言った。


「何が?」


「お前の隣」


「先生ー。席替えやり直してください」


「おい!」


「そっちが先に言ったんじゃん」


「冗談だよ」


「私も」


「怖っ」


 二人で笑った。


 仲が悪いわけではない。


 むしろよく話す。


 男子は授業中も何度か小声で話しかけてきて、そのたびに少女は「先生に言うよ」と脅した。


「なあ」


「何?」


「昨日の宿題見せて」


「嫌」


「なんで」


「それは宿題を見せるじゃなくて、答えを見せてでしょ」


「細かいなあ」


「自分でやりなよ」


「忘れたんだよ」


「じゃあ怒られな」


「鬼!」


「何点?」


「は?」


「私の人間点数」


「何それ」


「いいから」


 男子は少し考えるふりをした。


「二点」


「低っ!」


「宿題見せてくれたら八十点」


「買収じゃん!」


「世の中そういうもんだよ」


「小学生が世の中語るな!」


 少女は笑いながら男子の肩を軽く叩いた。


 先生から「そこ、静かに」と注意され、二人で前を向いた。


 少女はノートの端に小さく書いた。


『人間 2点』


 その横に、


『宿題見せたら80点』


 と書く。


 馬鹿みたいで笑えた。


 その紙切れを。


 少女は何となく筆箱の中へ入れた。



◇



 放課後。


「今日、公園行ける?」


 友達に誘われた少女は、少し考えた。


「今日は無理」


「なんで?」


「お母さんと買い物」


「明日は?」


「明日ならいいよ」


「じゃあ明日ね」


「うん」


「絶対だよ」


「分かったって」


 友達は走って帰っていった。


 少女もランドセルを背負う。


 校門を出る。


 空は少し曇っていた。


 雨が降るかもしれない。


 傘は持っていない。


「降らないでよー」


 空へ向かって言った。


 もちろん返事はない。


 その時。


「ねえ」


 後ろから声をかけられた。


 振り返る。


 知らない人だった。


 大人。


 男なのか女なのか、一瞬では分からなかった。


 帽子を深くかぶっている。


「何ですか?」


 少女は少し警戒して距離を取った。


「この辺の子?」


「……はい」


「ちょっと聞きたいんだけど」


「何ですか?」


 その人はスマートフォンの画面を見せた。


 地図だった。


「ここ、分かる?」


 少女は画面を覗く。


「分かんないです」


「近くじゃない?」


「多分」


「そっか。ありがとう」


「はい」


 少女はすぐに離れた。


 学校で何度も言われている。


 知らない人についていかない。


 車に乗らない。


 変だと思ったら逃げる。


 だから少し早足になった。


 後ろを振り返る。


 その人はまだそこにいた。


 こちらを見ているような気がした。


 少女はさらに歩く速度を上げた。


 角を曲がる。


 もう一度振り返る。


 誰もいない。


「……怖」


 少女は小さく呟いた。


 それでも。


 家に帰る頃には、その出来事をほとんど忘れていた。



◇



「ただいまー」


「おかえり」


「買い物何時行く?」


「ごめん」


 母親が申し訳なさそうに顔を出した。


「今日行けなくなった」


「えー!」


「仕事の連絡来ちゃって」


「約束したじゃん」


「明日にしよ」


「明日は公園行く」


「じゃあ土曜日」


「遅い」


「ごめんって」


 少女は露骨に不機嫌な顔をした。


「楽しみにしてたのに」


「分かってる」


「昨日から」


「うん」


「約束したじゃん」


「だからごめん」


 母親のスマートフォンが鳴った。


「ちょっと待って」


 母親は電話に出た。


 少女はその場に立っていた。


 母親はもう仕事の話をしている。


 自分の方を見ていない。


「……もういい」


 聞こえないくらいの声で言った。


 部屋へ戻る。


 ドアを少し強く閉めた。



◇



 机の上には昨日のテストがあった。


 百点。


 母親の感想を待っていたテスト。


 まだ何も書かれていない。


「……見てないじゃん」


 少女は椅子に座った。


 何となく赤い100の文字を指でなぞる。


 百点を取った時は嬉しかった。


 でも今見ると、ただの数字に見えた。


 昨日の母親の言葉を思い出す。


『人には答えがないから』


「……じゃあお母さんは何点だよ」


 少女は少しだけ笑った。


 怒っている。


 でも本気で嫌いなわけではない。


 仕事が大変なのも知っている。


 買い物だって、また行ける。


 分かっている。


 それでも今は腹が立つ。


 少女はテストの裏側に鉛筆で書いた。


『今日のお母さん 20点』


 書いてから笑った。


「低すぎかな」


 少し考える。


『30点』


 書き直した。


「これくらい」


 さらに下へ書く。


『昨日のお母さん 70点』


「プリン買ってくれたから80」


 訂正する。


 楽しくなってきた。


『先生 85点』


『隣のやつ 2点』


「二点はひどいな」


 でも直さなかった。


 最後に。


『私』


 そこで手が止まった。


「……何点だろ」


 百点?


 それはない。


 今日、母親に少し八つ当たりした。


 友達には優しくした。


 宿題もちゃんとやった。


 知らない人に道を聞かれた時も答えた。


「……七十五?」


 書こうとして。


 やめた。


 何となく。


『採点中』


 そう書いた。


 自分で笑った。


「何それ」


 紙を机に置く。


 それだけだった。



◇



 夜。


 少女は母親とほとんど話さなかった。


 怒っていることをアピールしたかった。


 母親も何度か話しかけてきたが、「別に」「いい」「眠い」で終わらせた。


「明日、好きなもの作るから」


「いい」


「何がいい?」


「何でも」


「一番困るやつ」


「じゃあカレー」


「分かった」


「甘口」


「知ってます」


 少しだけ笑いそうになった。


 でも我慢した。


 まだ怒っているから。


「おやすみ」


「おやすみ」


 部屋へ戻る。


 ベッドへ入る。


 スマートフォンはまだ持たせてもらっていない。


 だから本を少し読んだ。


 眠くなった。


 電気を消す。


 暗くなる。



 少女は明日のことを考えた。



 学校へ行く。


 昨日約束した友達と公園へ行く。


 帰ったらカレー。


 たぶん母親とも普通に話す。



 それから。


 百点のテストをちゃんと見てもらう。



「……絶対見せよ」



 そう呟いて。


 目を閉じた。



 明日が来ると思っていた。



 当然だった。



 誰だってそうだ。



 眠る時に。


 これが最後の夜かもしれないなんて。



 普通は考えない。



◇



 午前二時十三分。



 少女は目を覚ました。



「……?」



 何か音がした気がした。



 廊下。



 少女は布団の中で耳を澄ませる。



 何も聞こえない。



「お母さん……?」



 返事はない。



 気のせいか。



 もう一度目を閉じようとした。



 その時。



 机の上で。



 何かが光った。



 少女は体を起こした。



 スマートフォンではない。



 そんなものは持っていない。



 時計でもない。



 机の上。



 昨日の百点のテスト。



 その横。



 何も置いていなかったはずの場所に。



 白い光が浮かんでいた。



「……なに?」



 少女はベッドから降りた。


 一歩ずつ近づく。



 光は消えない。



 文字だった。



 空中に。



 文字が浮かんでいる。



「……え?」



 少女は読んだ。



 意味が分からなかった。



 もう一度読む。



 それでも。



 意味が分からなかった。



 そこには。



 こう書かれていた。



『あなたの人生を確認しています』



「……人生?」



 少女は周囲を見る。



 誰もいない。



「お母さん?」



 返事はない。



 文字が変わった。



『確認が完了しました』



 少女は動けなかった。



 そして。



 次の文字が現れる。



『これより――』



 そこで。



 文字が乱れた。



「……?」



 消える。



 また現れる。



 読めない。



 少女は怖くなった。



「お母さん……」



 部屋を出ようとした。



 ドアノブへ手を伸ばす。



 その瞬間。



 背後で。



 もう一度。



 光った。



 少女は振り返った。



 今度は。



 一行だけだった。



『対象を変更しました』



「……何?」



 意味なんて分からない。



 分かるはずがない。



 少女はドアを開けた。



「お母さん!」



 廊下へ出る。



 その瞬間。



 家中の電気が。



 一斉に消えた。



◇



 翌朝。



 食卓の上には。


 昨日の百点のテストが置かれていた。



 母親は。


 ようやくそれを手に取った。



 赤い100。


 先生の花丸。



 裏返す。



 鉛筆で。



 いくつもの文字が書かれていた。



『今日のお母さん 30点』


『昨日のお母さん 80点』


『先生 85点』


『隣のやつ 2点』



 母親は。



 少しだけ笑った。



「二点って……」



 そして。



 一番下。



『私』



 その横には点数がなかった。



 代わりに。



 たった三文字。



『採点中』



 母親の指が。



 そこで止まった。



 昨日。



 娘は言った。



『人にも点数つけられる?』



 自分は答えた。



『人には答えがないから』



 母親は。



 しばらく。



 その文字を見ていた。



 そして。



 震える指で。



 娘が残した言葉をなぞった。



「……何点でもいいよ」



 返事はなかった。



「そんなの……」



 声が震えた。



「何点でもよかったのに」



 百点のテストの上へ。



 一滴。



 涙が落ちた。



◇



 少女があの夜。



 何を見たのか。



 誰も知らない。



 なぜ。



 あの文字が現れたのか。



 誰も知らない。



 そして。



 最後に表示された。



『対象を変更しました』



 あの言葉が。



 何を意味していたのかも。



 まだ。



 誰も知らない。



 ただ。



 少女が残した。



『採点中』



 という三文字だけが。



 この世界のどこかに。



 残った。



 人には。



 点数なんてつけられない。



 少女は。



 そう教わった。



 それなのに。



 いつか。



 人の人生に。



 点数がつけられるようになる。



 星がつく。



 言葉がつく。



 そして。



 その評価によって。



 現実さえ。



 形を変える。



 少女は。



 その未来を知らない。



 高瀬悠介も。



 まだ知らない。



 この時はまだ。



 二人の人生には。



 何の接点もなかった。



 はずだった。



 ただ。



 もし。



 あの夜。



『対象』が。



 本当に変更されていたのだとしたら。



 では。



 本来。



 誰が。



 選ばれていたのだろう。




Re:View 05 明日が来ると思っていた


――END.



Re:View


――あの日を、もう一度。



第一幕完

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