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この人生、採点中  作者: 夜凪 灯
第一章 『あなたは、あなたを何点にしますか』

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Re:View 04 姉は、正しい嘘をついた ――あの日を、もう一度

「悠介」


「何」


「冷蔵庫のプリン食べた?」


「食べてない」


「まだ冷蔵庫見てないけど」


「……」


「なんで食べてないって分かったの?」


「知らない」


「悠介」


「何」


「こっち見て」


「今忙しい」


「テレビ見てるだけじゃん」


「忙しい」


「何見てんの?」


「天気予報」


「明日の?」


「ブラジルの」


「絶対こっち見ろ」


 沙耶がソファの前へ回り込むと、悠介は観念したように顔を上げた。


「食べました」


「早いな自白」


「出来心でした」


「名前書いてあったよね?」


「見えなかった」


「蓋にでっかく『沙耶』って書いてあったよね?」


「プリンしか見てなかった」


「食欲に視野奪われすぎだろ」


「ごめんなさい」


「どうする?」


「買ってきます」


「二個」


「増えてない?」


「慰謝料」


「プリンに慰謝料あるの?」


「今できた」


「法律変えるなよ」


 沙耶は満足そうに頷くと、悠介の隣へ腰を下ろした。


 実家を出てから、こうして姉弟二人で過ごす時間は以前より減った。それでも悠介がふらっと帰ってくれば、昔とほとんど変わらない。


 沙耶の食べ物を悠介が勝手に食べる。


 沙耶が怒る。


 悠介が適当な言い訳をする。


 そして結局、二人でくだらない話をする。


「で?」


 沙耶がテレビを見たまま聞いた。


「何が?」


「今日、何かあった?」


「なんで?」


「プリン食べたから」


「普段から食うだろ」


「そういう意味じゃない」


 悠介は黙った。


 沙耶は横目で弟を見る。


 昔から分かりやすい。


 機嫌が悪い時。


 悩んでいる時。


 何かを言いたくない時。


 本人は隠しているつもりなのだろうが、沙耶には大体分かった。


「学校?」


「……まあ」


「何かあった?」


「別に」


「はい出た」


「何」


「悠介の“別に”」


「姉ちゃん、俺の“別に”に種類作るのやめてくれる?」


「今日は“めちゃくちゃ何かありました”の別に」


「細分化すんな」


 悠介は笑った。


 でも、その笑い方が少しだけ弱かった。


 沙耶はそれ以上聞かなかった。



◇



 夕食を食べ終わっても、悠介は帰らなかった。


 珍しいことだった。


「今日泊まる?」


「いや、帰る」


「もう十時だけど」


「明日学校だし」


「だったら余計早く帰りなよ」


「分かってる」


 そう言いながら、動かない。


 沙耶は洗ったコップを拭きながら、その背中を見ていた。


「悠介」


「ん?」


「教師辞めるの?」


 悠介が振り返った。


「……何で?」


「当たった?」


「いや」


「じゃあ違う?」


「……」


「ほぼ正解じゃん」


「怖いわ、姉ちゃん」


 沙耶はコップを棚へ戻した。


「何があったの?」


 今度は茶化さなかった。


 悠介もしばらく黙っていたが、やがてソファへ深く座り直した。


「俺さ」


「うん」


「向いてないのかもしれん」


 沙耶は何も言わず、向かいへ座った。


「教師?」


「うん」


「なんで?」


「今日、生徒泣かせた」


 悠介の視線が落ちる。


「怒ったの?」


「怒った」


「何した子?」


「友達のもの隠した」


「それで怒った?」


「うん」


「じゃあ何が駄目なの?」


「……言い方」


 悠介は両手を組んだ。


「最初、嘘ついたんだよ。やってないって。俺も結構強めに聞いて……最終的に本人が認めた」


「うん」


「その時にさ」


 悠介が少し間を置いた。


「『嘘つく人間は信用されなくなるぞ』って言った」


「……」


「そしたら泣いた」


「それだけ?」


「その時は、それだけだと思った」


 悠介は息を吐いた。


「あとから知った。その子、家でもずっと言われてるらしくて」


「何を?」


「お前は信用できないって」


 沙耶の表情が変わった。


「親に?」


「うん」


「……そう」


「知らなかったんだよ」


「それはそうでしょ」


「でも俺も同じこと言った」


「知らなかったんでしょ」


「そうなんだけど」


 悠介は何度も同じところを回っている。


 沙耶には分かった。


 だから、少し強く言った。


「悠介」


「何」


「それ、全部知ってたら言わなかった?」


「当たり前だろ」


「じゃあ知らなかったんだから、しょうがないじゃん」


「でも傷つけたのは変わらん」


「じゃあ明日謝れば?」


「教師が生徒に?」


「教師って謝ったら死ぬの?」


「死なないけど」


「じゃあ謝れ」


「簡単に言うなよ」


「簡単だよ。“昨日の言い方は悪かった。ごめん”って」


「……」


「その上で、物隠したのは駄目だってもう一回言えばいいじゃん」


 悠介は黙った。


「教師だからって全部正解じゃなくていいでしょ」


「……そうかな」


「知らん」


「知らんのかい」


「私、教師じゃないし」


「急に責任放棄するなよ」


 沙耶が笑う。


 悠介も少し笑った。


「明日行くんでしょ?」


「学校?」


「うん」


「行くよ」


「じゃあ明日もう一回やればいいじゃん」


 その言葉に、悠介は少しだけ目を細めた。


「姉ちゃんってさ」


「何?」


「たまにいいこと言うよな」


「“たまに”取れ」


「普段プリンで慰謝料取る人だから」


「三個にするよ?」


「二個買ってきます」


 ようやく、いつもの悠介に戻った。



◇



 翌日。


 悠介は学校へ行った。


 そして本当に、生徒へ謝った。


「昨日、先生の言い方悪かった。ごめん」


 生徒は驚いた顔をした。


 教師から謝られるとは思っていなかったのだろう。


 その後、悠介はもう一度話した。


 物を隠したこと。


 嘘をついたこと。


 それは駄目だった。


 でも。


 昨日の言葉で傷つけたことは、それとは別だった。


 話が終わる頃には、生徒も少しだけ笑っていた。



 その日の夕方。


 悠介から沙耶へメッセージが届いた。


『謝った』


 沙耶は仕事中だった。


 少し笑って返信する。


『死んだ?』


 すぐ返ってきた。


『死んでない』


『じゃあよかったじゃん』


『プリン今日買う』


『三個ね』


『増えてる』


 沙耶はスマートフォンを閉じた。


 それで終わるはずだった。



◇



 三日後。


 沙耶のスマートフォンが鳴った。


 知らない番号だった。


「はい」


『……高瀬沙耶さんですか?』


「そうですけど」


 女性の声だった。


 聞き覚えはない。


『高瀬悠介さんのお姉さんで、お間違いないでしょうか』


 沙耶の表情が変わった。


「そうです」


『私、悠介さんが勤めている学校の保護者なんですが』


 一瞬、心臓が強く鳴った。


「……はい」


 頭の中で、数日前の話が蘇る。


 生徒を泣かせた。


 親に「信用できない」と言われている子。


 まさか。


『少し、お聞きしたいことがあって』


「何でしょうか」


『悠介先生、以前から生徒に強い言い方をされることってありますか?』


 沙耶は答えられなかった。


 電話の向こうの女性は続ける。


『うちの子が、先生にかなり強く叱られたと言っていて』


「……」


『学校にも相談しようと思っているんです』


 沙耶の頭の中に、悠介の顔が浮かんだ。


『俺さ、向いてないのかもしれん』


 あの日。


 本当に弱っていた。


 教師を辞めることまで考えていた。


 でも翌日、自分から謝った。


 逃げずに、生徒ともう一度向き合った。


 沙耶は知っている。


 悠介は完璧な教師ではない。


 失敗もする。


 言葉を間違える。


 でも。


 生徒を傷つけたことを平気でいられる人間ではない。


『お姉さんなら、何かご存じなのかなと思って』


 沙耶は唇を噛んだ。


 知っている。


 悠介から聞いた。


 強く叱ったことも。


 生徒を泣かせたことも。


 全部。



 それでも。



「……知りません」



 言った。



『そうですか』


「弟から、学校の生徒について詳しい話を聞くことはないので」


 嘘だった。


『そうですよね。突然すみません』


「いえ」


『ありがとうございました』


 電話が切れた。


 沙耶はしばらく、スマートフォンを耳に当てたまま動けなかった。



◇



「……何やってんだろ、私」


 誰もいない部屋で呟いた。


 嘘をついた。


 悠介を守りたかった。


 ただ、それだけだった。


 もし自分が知っていると答えたら、何を聞かれるか分からなかった。


 悠介が「生徒を泣かせた」と悩んでいたこと。


 教師を辞めようかと考えていたこと。


 そんなものを、本人のいないところで話したくなかった。


 だから。


 知らないと言った。


「……別に、いいよね」


 誰に確認しているのか分からない。


 弟のプライベートを守っただけだ。


 学校のことは学校で話せばいい。


 自分が口を挟むことじゃない。


 そう思った。



 でも。



 沙耶は知らなかった。


 電話の相手が。


 あの日、悠介が叱った生徒の母親ではなかったことを。



◇



 一週間後。


 悠介が実家へ来た。


「プリン」


 玄関を開けるなり、コンビニ袋を渡してきた。


 沙耶が中を見る。


「二個じゃん」


「元々二個だろ」


「途中で三個になった」


「法改正は認めません」


「最高裁まで行く?」


「プリンで司法を動かすな」


 沙耶は笑った。


 悠介も笑う。


 いつもの二人だった。


「この前の子、どう?」


 何気なく聞いた。


「ああ。大丈夫」


「そっか」


「この前、向こうから話しかけてきた」


「よかったじゃん」


「うん」


 悠介は少し嬉しそうだった。


 沙耶はそれを見て安心した。


「じゃあ教師辞めない?」


「何でそうなるんだよ」


「向いてないかもって言ってたじゃん」


「……言ったっけ?」


「言った」


「忘れた」


「都合いい脳みそしてんな」


「教師は切り替えが大事なんです」


「それっぽく言うな」


 笑った。


 沙耶も一緒に笑った。



 だから。



 言えなかった。



 三日前に、知らない保護者から電話があったことを。


 悠介のことを聞かれて。


 自分が嘘をついたことを。



 わざわざ言う必要もない。


 そう思った。



◇



 それから二か月後。


 沙耶は一通の封筒を受け取った。


 差出人に見覚えはなかった。


 自分宛て。


 手書き。


 中には便箋が一枚だけ入っていた。



『突然お電話してしまい、申し訳ありませんでした。』



 沙耶の手が止まった。


 あの時の女性だ。


 続きを読む。



『あの日、私はどうしても確認したいことがありました。』



『先生に怒られた子の母親ではありません。』



 嫌な予感がした。



『物を隠された側の子どもの母親です。』



「……え?」



 沙耶は立ったまま、文章を読み続けた。



『息子は以前から何度か物を隠されていました。』



『でも、そのことを先生には言わないでほしいと言っていました。』



『相手の子が家でつらい思いをしていることを知っていたからです。』



『自分が我慢すればいいと言っていました。』



 沙耶の呼吸が浅くなる。



『ですが、私はそれが正しいとは思えませんでした。』



『悠介先生がどこまで事情をご存じなのか確認したくて、学校ではなく、ご家族であるあなたへ連絡してしまいました。』



『結果として、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。』



 そこで手紙は終わっていた。


 沙耶は何度も読み返した。


 悠介から聞いた話では。


 物を隠した生徒がいて。


 嘘をついて。


 悠介が叱った。


 それだけだった。



 でも。



 その向こう側にも。


 もう一人いた。



 物を隠された子。


 何度も我慢していた子。


 相手の家庭事情まで知って。


 自分が我慢すればいいと思っていた子。



 沙耶は椅子へ座った。


「……知らなかった」


 当然だ。


 悠介から聞いていない。


 学校の人間でもない。


 知るはずがない。



 でも。



 電話で聞かれた時。


 自分は答えた。



『知りません』



 本当は知っていた。



 少なくとも。


 自分が知っている範囲については。



◇



 その日の夜。


 悠介から電話があった。


『姉ちゃん』


「何?」


『今度の日曜帰るわ』


「何時?」


『昼くらい』


「プリン」


『この前買っただろ!』


「もう食べた」


『そりゃそうだろ』


「二個ね」


『何で俺が帰るたびに納税しなきゃいけないの?』


「姉税」


『国より怖いわ』


 沙耶は笑った。


 いつも通りに。


 手元には、あの手紙があった。



『姉ちゃん?』


「ん?」


『どうした?』


「何が?」


『なんか変じゃない?』


「別に」


『……』


「何」


『姉ちゃんの“別に”』


 沙耶は思わず笑った。


「何それ」


『俺の真似』


「種類あるの?」


『今日は“めちゃくちゃ何かあります”の別に』


 数日前、自分が悠介に言った言葉だった。


「細分化すんな」


 二人で笑った。


 沙耶は手紙を見る。



 言おうと思った。



「あのさ、悠介」


『ん?』



 ここで話せばいい。



 電話があったこと。


 嘘をついたこと。


 手紙が届いたこと。


 全部。



「……」



『何?』



 沙耶は手紙を裏返した。



「プリン、三個にするわ」


『増えた!?』


「手数料」


『何の!?』


「じゃあ日曜ね」


『ちょ、待て! 説明――』



 電話を切った。



 静かになった部屋で。


 沙耶はしばらく動かなかった。



「……ごめん、悠介」



 その声を。



 弟が聞くことはなかった。



◇



 沙耶があの日ついた嘘は。


 誰かを傷つけるためのものではなかった。



 弟を守りたかった。



 ただ、それだけだった。



 悠介が生徒を傷つけたくて叱ったわけではなかったように。



 物を隠された子が、相手を庇ったことにも理由があった。



 物を隠した子が、嘘をついたことにも。



 きっと。



 その子にしか分からない何かがあった。



 誰か一人だけを見れば。


 その人には、その人なりの理由がある。



 正しい人。


 間違った人。



 そんなふうに分けられたら。



 人生はきっと、もっと簡単だった。



 でも。



 誰かを守るということは。



 時々。



 別の誰かを見えなくする。



 沙耶はまだ知らない。



 あの電話に。



 手紙には書かれていなかった続きを。



 もう一つだけ。



 聞くべきだった言葉があったことを。




Re:View 04 姉は、正しい嘘をついた


――END.

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