Review20 待つ
午前八時十七分。
「先生!」
教室へ向かう途中。
廊下の向こうから。
二人の男子生徒が走ってきた。
「走るな!」
「今それどころじゃない!」
「そういう時こそ走るな!」
「先生、来て!」
「何?」
「いいから!」
一人に腕を引かれる。
「おい、引っ張るなって」
「早く!」
「だから何が――」
教室へ入った瞬間。
高瀬は。
状況を理解した。
一番後ろ。
二人の男子生徒が。
睨み合っていた。
机の横。
一枚のプリントが。
破れている。
「……何があった」
一人が。
すぐに口を開いた。
「こいつが破った!」
「違う!」
「俺見たし!」
「だからわざとじゃねえって!」
「人のやつ勝手に触っただろ!」
「落ちてたから拾っただけだって!」
声。
重なる。
「待て待て」
高瀬が。
二人の間に入る。
「一人ずつ」
「先生!」
「一人ずつ」
少し強めに言う。
二人とも。
ようやく口を閉じた。
「まず」
破れたプリントを拾う。
「誰の?」
「俺です」
怒っている生徒。
「何のプリント?」
「進路のやつ」
「……」
高瀬の手が。
少し止まる。
ただの配布物じゃない。
本人が。
書き込んだもの。
「書いてあった?」
「……はい」
「提出前?」
「はい」
「そっか」
高瀬は。
破れた部分を見る。
中央。
大きく裂けている。
テープなら。
直せる。
でも。
書いてある文字も。
一部消えていた。
「先生!」
「うん」
「こいつが破ったんです!」
「だから違うって!」
「また二人同時」
「……」
二人。
黙る。
「じゃあ」
高瀬は。
プリントを持ったまま。
「まずお前」
拾った側を見る。
「何した?」
「床に落ちてて」
「うん」
「拾って」
「うん」
「机に置こうとしたら」
一度。
視線を逸らす。
「椅子に引っ掛かって」
「破れた?」
「……はい」
「わざと?」
「違います」
「本当に?」
「本当です」
声は。
少し震えていた。
高瀬は。
その顔を見る。
「じゃあ」
今度は。
持ち主。
「お前は?」
「……」
「何が一番嫌だった?」
「え?」
「破れたこと?」
「……」
「勝手に触られたこと?」
「……」
「それとも」
少しだけ。
言葉を選ぶ。
「書いてあったものを」
「見られたこと?」
男子生徒の顔が。
変わった。
「……」
高瀬は。
気付いた。
「先生」
「うん」
「こいつ」
拾った側が。
小さく言う。
「何書いてあったか」
「見てないです」
「……」
「本当に」
「拾った時」
「裏向きだったし」
「……」
「机置こうとして」
「破って」
「その時も」
「見てない」
持ち主は。
何も言わない。
「おい」
拾った側が。
少し近付く。
「ごめん」
「……」
「マジで」
「わざとじゃない」
返事はない。
「弁償とか」
「そういうのじゃないか」
「分かんないけど」
「俺」
「できることあったら――」
「もういい」
持ち主が。
小さく言った。
「……」
「いいって何」
「もういい」
プリントを。
高瀬から取ろうとする。
高瀬は。
反射的に。
言いそうになった。
――ちゃんと話せ。
――謝ってるんだから。
――許してやれ。
「……」
口を。
閉じた。
「先生?」
男子生徒が。
高瀬を見る。
「……何でもない」
高瀬は。
プリントを渡した。
持ち主が。
受け取る。
「先生」
拾った側。
「俺」
「どうしたらいいですか」
その質問。
高瀬には。
簡単だった。
謝れ。
もう謝ってるなら。
相手が落ち着くまで待て。
新しい用紙も用意する。
必要なら教師が間に入る。
答えは。
いくつも浮かぶ。
でも。
「……お前は」
「え?」
「どうしたい?」
「……」
男子生徒が。
少し困った顔をした。
「それ」
「先生に聞いてるんですけど」
「知ってる」
「じゃあ教えてくださいよ」
「嫌」
「え」
「自分で考えろ」
「教師なのに!?」
「教師だから」
「意味分かんないです」
「俺も」
「……」
高瀬は。
少し笑う。
「でも」
「うん」
「謝った」
「はい」
「次」
「何ができる?」
男子生徒は。
破れたプリントを見る。
「……新しいの」
「うん」
「持ってくる」
「それで?」
「……」
「終わり?」
少し考える。
「……待つ」
「何を」
「話してくれるまで」
高瀬は。
すぐには褒めなかった。
「それ」
「お前が決めた?」
「……はい」
「じゃあ」
「やってみれば」
「先生」
「何」
「それだけ?」
「それだけ」
「冷た」
「今日は省エネ」
「先生病み上がりだから?」
「それもある」
少し。
笑いが起きた。
空気が。
ほんの少しだけ。
緩んだ。
◇
教室を出る前。
「先生」
呼ばれた。
破れたプリントの持ち主。
「ん?」
「ちょっと」
二人で。
廊下へ出る。
「どうした」
男子生徒は。
破れたプリントを。
胸の前で持っている。
「……さっき」
「うん」
「先生」
「何で」
一度。
言葉に詰まる。
「何も言わなかったんですか」
「何も?」
「普通」
「仲直りしろとか」
「ちゃんと話せとか」
「言うじゃないですか」
「……」
高瀬は。
廊下の窓を見る。
朝の光。
「言おうとしたよ」
「……」
「めちゃくちゃ」
「じゃあ何で」
「やめた」
「何で?」
高瀬自身。
少し考える。
「……俺が」
「うん」
「早く終わらせたかっただけかもしれないから」
「……?」
「喧嘩してる」
「先生が間入る」
「謝らせる」
「仲直りさせる」
「はい終了」
「……」
「それ」
高瀬は。
少し笑う。
「教師側は気持ちいいんだよ」
「……」
「解決した気になるから」
男子生徒が。
高瀬を見る。
「でも」
「お前」
「今」
「許せないんだろ?」
「……」
「なら」
「今すぐ許さなくてもいいんじゃない」
「……」
「ただ」
「いつまでも」
「相手を傷付けていいって意味でもない」
「……」
「そこ」
「自分で決めろ」
少し。
沈黙。
「先生」
「何」
「今日」
「めんどくさいですね」
「めっちゃ考えて喋ったのに!?」
男子生徒が。
少しだけ笑った。
「でも」
「うん」
「……ありがとうございます」
「何が」
「分かんないです」
「なら言うなよ」
「でも」
プリントを見る。
「ちょっと」
「考えます」
「そっか」
「はい」
その時。
教室の中。
「先生!」
「何!」
「新しいプリントどこ!?」
拾った側の生徒。
「職員室!」
「一緒に来て!」
「自分で行け!」
「場所分かんない!」
「何年学校通ってんだよ!」
「職員室のプリント置き場知らないです!」
「それはそうか!」
廊下に。
小さな笑いが広がった。
持ち主も。
ほんの少し。
笑っていた。
高瀬は。
それを見た。
でも。
何も言わなかった。
まだ。
終わっていない。
だから。
終わったことに。
しなかった。
◇
昼休み。
「今日」
藤原が。
ノートを開きながら言った。
「ちょっと先生っぽいことしましたね」
「俺ずっと先生!」
「最近」
「Reviewの調査員みたいになってたから」
「言われてみれば」
「自覚あるんだ」
真壁が。
隣で資料を広げる。
「高瀬先生」
「何」
「今日の午前」
「生徒の揉め事あった?」
「何で知ってんの」
「生徒が言ってた」
「噂早」
「『高瀬先生が何もしてくれなかった』って」
「最悪の切り取り方!」
藤原が。
吹き出す。
「何したんですか」
「何もしてない」
「本当に何もしなかったの?」
「……」
「高瀬先生?」
「いや」
「待った」
「何を」
「本人たちが」
「決めるの」
真壁が。
少しだけ。
高瀬を見る。
「珍しい」
「俺も思った」
「前なら?」
「めちゃくちゃ介入してた」
「でしょうね」
「なんで二人とも分かるの」
「性格」
二人同時。
「……」
「息合ってんな」
「嫌です」
「嫌です」
「そこまで合わす!?」
三人。
笑った。
「でも」
真壁が。
すぐ表情を戻す。
「それ」
「何」
「自己選択率」
「……」
「上がるんじゃない?」
高瀬の表情が。
変わる。
「確認する?」
藤原。
「いや」
「……」
二人が。
高瀬を見る。
「見ない」
「珍しい」
「今日は」
「見ない」
「何で」
高瀬は。
少し考える。
「上がったかどうか確認したら」
「うん」
「結局」
「数字のためにやったみたいになる」
「……」
藤原が。
ほんの少し。
笑った。
「それ」
「何」
「かなり変わりましたね」
「そう?」
「はい」
真壁が。
少しだけ口元を緩める。
「じゃあ」
「俺も見ない」
「お前のは固定だろ」
「うるさい」
「ごめん」
「また」
「癖」
高瀬が笑う。
でも。
スマートフォンは。
机の上へ。
伏せたままだった。
◇
「じゃあ」
藤原が。
資料を見る。
「桐谷先生」
空気が。
少し変わった。
「調べた?」
高瀬。
「はい」
「どこまで」
「職員名簿」
「過去の校務分掌」
「学年記録」
「残ってる?」
「それが」
一度。
止まる。
「あるんです」
「……普通に?」
「普通に」
高瀬と。
真壁が。
少し拍子抜けした顔をする。
「桐谷先生」
藤原。
「去年まで」
「確かに在籍」
「担当」
「二年」
「校務分掌」
「生徒指導」
「写真も」
「残ってる」
「……」
「じゃあ」
高瀬。
「DELETEDって何なんだよ」
「分かりません」
「記録から消されたわけじゃない」
真壁。
「少なくとも」
「学校の紙上では」
「残ってる」
「うん」
「でも」
藤原が。
一枚の紙を出した。
「一個」
「変なのがあります」
「何」
「退職日」
三人。
見る。
『桐谷――退職』
「日付」
高瀬。
藤原が。
指差す。
そこには。
一年前。
十月十六日。
「……」
高瀬の眉が。
寄る。
「これ」
「はい」
「俺が三日間休んだ時期?」
「ほぼ同じです」
「……」
真壁が。
すぐ別の資料を見る。
「退職理由」
「自己都合」
「引き継ぎ」
「……なし」
「なし?」
高瀬。
「教師が」
「急に退職して」
「引き継ぎゼロ?」
「普通はあり得ない」
藤原。
「少なくとも」
「私は見たことないです」
「有休消化?」
「記録なし」
「辞令?」
「あります」
「じゃあ」
高瀬が。
紙を見る。
「普通に辞めた?」
「……」
真壁が。
何も言わず。
一枚。
別の資料を引っ張った。
「これ」
「何」
「十月の職員会議記録」
三人。
覗き込む。
十月十日。
桐谷。
出席。
十月十一日。
出席。
十月十二日。
出席。
十月十三日。
欠席。
十月十四日。
――。
「……」
高瀬が。
指を止める。
「十四日」
「空白」
藤原。
「欠席でも」
「出張でも」
「年休でもない」
真壁。
「記載なし」
次の日。
十五日。
同じ。
空白。
十六日。
『退職』
「……」
高瀬は。
何度も。
その三日間を見る。
「十三」
「十四」
「十五」
「……」
「三日」
藤原が。
小さく言う。
三日。
その言葉。
三人とも。
嫌というほど。
知っていた。
「高瀬先生」
「うん」
「あなたが休んだの」
「いつ」
「……」
藤原が。
自分のメモを見る。
「十月十三日から十五日」
静かになった。
「……同じ」
高瀬。
桐谷。
十三日から。
記録が消える。
高瀬。
十三日から。
三日間。
学校を休む。
十六日。
桐谷。
退職。
十六日。
高瀬。
普通に出勤。
そして。
桐谷のことを。
忘れていた。
「……」
真壁が。
紙へ視線を落としたまま言う。
「偶然?」
「……」
「高瀬先生」
「うん」
「偶然だと思う?」
高瀬は。
すぐには答えなかった。
昔なら。
違う。
絶対関係ある。
そう言っていた。
「……分からない」
真壁が。
顔を上げる。
「でも」
高瀬は。
続けた。
「調べる価値は」
「あると思う」
真壁が。
少しだけ笑った。
「保留」
「うん」
「覚えた」
「成長」
藤原。
「最近それ多くない?」
「成長してるから」
「自分で言う?」
三人。
少しだけ笑った。
でも。
机の上。
十月十三日から十五日。
その三日だけは。
笑えなかった。
◇
「もう一個」
藤原。
「あります」
「まだあるの?」
高瀬。
「あります」
「桐谷先生」
「退職したあと」
「うん」
「給与記録」
「それ見ていいの?」
「閲覧できる範囲だけ」
「はい」
「十一月」
「……」
「支給があります」
「退職後?」
「はい」
真壁が。
すぐ聞く。
「未払い分?」
「可能性あります」
「退職金?」
「違います」
「何」
「通常給与」
「……」
三人。
黙る。
「十二月は?」
「あります」
「一月」
「あります」
「……」
「いつまで?」
高瀬。
藤原が。
少しだけ。
顔を強張らせる。
「今年の三月まで」
「……半年?」
「はい」
「退職した教師に」
「半年」
「普通の給与?」
「はい」
「間違いじゃない?」
真壁。
「私もそう思って」
「事務記録」
「確認しました」
「結果」
「同じ」
「……」
高瀬が。
椅子へ背を預けた。
「何だよそれ」
桐谷は。
十月十六日。
退職した。
なのに。
三月まで。
給与だけが。
支払われ続けている。
「学校は」
高瀬。
「桐谷がいないことを」
「知ってる」
「でも」
「給与上では」
「いる?」
「……」
真壁が。
低く言う。
「存在してる」
その言葉。
三人。
同時に。
No.001を思い出した。
『現在も存在しています。』
「……存在」
高瀬が。
小さく呟く。
藤原が。
ノートへ。
書く。
『桐谷:退職記録あり』
『退職後も給与支給』
『記録上、存在状態が矛盾』
真壁が。
その文字を見る。
「人って」
「何」
高瀬。
「記録上」
一度。
言葉を選ぶ。
「消えたり」
「残ったり」
「できるんですかね」
「普通はできない」
「ですよね」
「でも」
高瀬は。
スマートフォンを見る。
「普通じゃないこと」
「もう結構起きてる」
「……」
誰も。
否定しなかった。
◇
放課後。
高瀬は。
一人。
教室へ戻った。
朝。
破れたプリント。
持ち主の生徒。
席に。
新しい用紙が置かれていた。
その上。
小さな付箋。
『ごめん。
今は待つ。
話せる時でいい。』
「……」
高瀬は。
少しだけ笑った。
その時。
後ろから。
「先生」
「うわっ!」
「また!」
女子生徒。
「急に来るなって!」
「普通に――」
「もうその台詞禁止!」
「何で!」
女子生徒が笑う。
「何見てたんですか」
「これ」
付箋。
「へえ」
「仲直りしたんですか」
「知らん」
「先生なのに?」
「まだ」
「してないかも」
「……」
「でも」
付箋を見る。
「進んではいる」
「何もしてないのに?」
「……」
高瀬は。
少し考える。
「何もしなかったから」
「進んだのかもな」
「?」
「こっちの話」
「またそれ」
「大人には色々」
「便利なやつ」
「覚えたな」
女子生徒が。
少し笑う。
「先生」
「何」
「今」
「大丈夫度」
「あ」
「何点?」
高瀬は。
少し考えた。
数字。
今日。
Reviewは。
見なかった。
「……分かんない」
「え」
「今日は」
「点数つけたくない」
女子生徒が。
少し驚いた顔をする。
「何で?」
「なんとなく」
「逃げた?」
「違う」
「じゃあ」
高瀬は。
窓の外を見る。
夕方。
オレンジ色。
「今日」
「結構」
「いい日だったから」
「……」
「それでいい」
女子生徒が。
少しだけ笑った。
「先生」
「ん?」
「それ」
「百点じゃないですか?」
「ほら」
「点数つけるなって」
「先生が言い出したんじゃん!」
「そうだった」
二人。
笑った。
◇
午後七時十一分。
高瀬。
自宅。
スマートフォン。
朝から。
Reviewを開いていない。
「……」
気にはなる。
でも。
開かない。
テレビ。
夕飯。
普通の時間。
その時。
通知。
Review。
「……」
一度。
画面を見る。
でも。
開かなかった。
「今日は」
スマートフォンを。
伏せる。
「いいや」
数秒。
通知が。
消えた。
「……」
高瀬は。
少しだけ笑った。
その頃。
画面の裏側。
誰にも見えない場所で。
━━━━━━━━━━━━
【SYSTEM】
対象 高瀬
評価要求
未応答
━━━━━━━━━━━━
次。
━━━━━━━━━━━━
自己選択率
12%
↓
18%
━━━━━━━━━━━━
そして。
━━━━━━━━━━━━
評価精度
低下中
━━━━━━━━━━━━
SYSTEMは。
初めて。
高瀬の一日を。
最後まで。
採点できなかった。
高瀬は。
それを。
知らない。
知らないまま。
今日という一日を。
終えた。




