Review15 ただいま
「……来ちゃった」
午前七時五十二分。
高瀬は校門の前に立っていた。
昨日。
藤原には、
『今日は絶対休んでください』
と言われた。
真壁にも、
『一日くらい学校なくても生きていけます』
と言われた。
分かっている。
退院したばかり。
頭痛も。
ほんの少し残っている。
医者からも。
『無理をしないように』
と釘を刺された。
「……見るだけ」
誰に言い訳しているのか。
自分でも分からない。
「教室見て」
「顔だけ出して」
「帰る」
完璧。
「五分」
さらに条件を付ける。
「五分なら」
「……」
少し考える。
「十分」
増えた。
「いや」
「十五分くらいなら――」
「何してるんですか」
「うわっ!」
後ろから声。
高瀬が振り返る。
真壁。
「……お前」
「はい」
「いつからいた」
「『五分』くらいから」
「結構いた!」
「どんどん延長するから面白くて」
「止めろよ!」
「止めたら来ないんですか?」
「……」
「ほら」
真壁は。
小さくため息をついた。
「藤原先生に怒られますよ」
「黙ってれば」
「言います」
「即答?」
「当然」
「仲間を売るの?」
「仲間だから売ります」
「意味分からん」
「帰って」
「ちょっとだけ」
「ダメ」
「教室だけ」
「ダメ」
「生徒の顔だけ」
「ダメ」
「真壁」
「何」
「お願い」
「……」
真壁が。
嫌そうな顔をする。
「それ」
「何」
「ずるいですね」
「何が」
「普段頼らない人が」
一度。
高瀬を見る。
「こういう時だけ素直に頼むの」
「……」
「断りづらい」
高瀬は。
少し笑った。
「じゃあ」
「十五分」
「よっしゃ」
「ただし」
真壁が腕時計を見る。
「俺が一緒」
「監視?」
「監視」
「言い切った」
「十五分経ったら」
「帰る」
「絶対?」
「……」
「高瀬先生」
「絶対」
「よし」
「教師が生徒みたいになってきたな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
二人で。
校門を入る。
その瞬間。
高瀬は。
少しだけ足を止めた。
「どうした?」
真壁。
「いや」
校舎を見る。
昨日。
もうここへ。
戻れないかもしれないと思った。
見慣れた建物。
色褪せた壁。
少し錆びた非常階段。
朝練の声。
全部。
何も変わっていない。
「……ただいま」
高瀬が。
小さく呟いた。
「何?」
「何でもない」
真壁は。
聞こえていたような顔をした。
でも。
何も言わなかった。
◇
「高瀬先生!?」
教室へ入った瞬間だった。
「え!」
「先生!」
「何でいるの!?」
「入院してたんじゃないの!?」
想像以上だった。
「待て待て!」
数人の生徒が。
一気に寄ってくる。
「先生死んだって聞いた!」
「死んでないわ!」
「いや誰かが救急車で――」
「倒れただけ!」
「それ大丈夫なの!?」
「大丈夫」
「その『大丈夫』信用ない!」
「何でお前らまで!」
教室に。
笑いが起きた。
高瀬も。
笑った。
本当に。
普通に。
笑えた。
「先生」
一人。
人混みの後ろから。
女子生徒が立っていた。
昨日まで。
何度も高瀬へ声を掛けてくれた生徒。
『勝手にいなくならないでください』
あの子だった。
「おう」
高瀬が。
少し笑う。
女子生徒は。
笑わなかった。
近付いてくる。
「……何で来たんですか」
「え?」
「入院してたんでしょ」
「退院した」
「昨日倒れたんでしょ」
「まあ」
「まあじゃない」
「……」
「先生」
声が。
思っていたより。
強かった。
「本当に」
一度。
言葉が止まる。
「何考えてるんですか」
教室の空気が。
少し変わった。
「ごめん」
「謝るんじゃなくて」
「……」
「昨日」
女子生徒の声が。
少しだけ震えた。
「先生いないって聞いて」
「……」
「救急車で運ばれたって聞いて」
「……」
「私」
そこで。
下を向いた。
「約束したじゃんって思った」
高瀬の胸が。
痛んだ。
『勝手にいなくならないでください』
『絶対?』
『絶対』
自分で。
言った。
「……ごめん」
「だから」
女子生徒が。
顔を上げる。
目が。
少し赤い。
「謝らないで」
「……」
「守ってください」
その言葉に。
高瀬は。
すぐには答えられなかった。
以前なら。
『分かった』
そう言って。
笑ったかもしれない。
でも。
今は。
約束の重さを。
少しだけ知っている。
「……努力する」
「またそれ」
「いや」
高瀬は。
少し笑った。
「違うな」
女子生徒を見る。
「守る」
「……」
「できるだけ長く」
一瞬。
女子生徒の口元が。
動いた。
「そこ」
「何」
「できるだけ、いらない」
「厳しいな」
「絶対」
「……」
「先生」
「……絶対」
女子生徒が。
ようやく笑った。
「ならいいです」
「俺、教師なのに生徒に怒られてばっかだな」
「日頃の行い」
「藤原みたいなこと言うな」
「誰?」
「あ」
「女?」
「何でそうなる!」
教室から。
また笑い声。
「先生彼女?」
「違う!」
「怪しい!」
「仕事仲間!」
「顔赤い!」
「赤くない!」
高瀬は。
思わず額を押さえた。
「帰っていい?」
「来たばっかじゃん!」
また。
笑う。
この声。
この空気。
高瀬は。
少しだけ。
泣きそうになった。
だから。
笑った。
◇
教卓。
「先生」
「ん?」
一人の男子生徒が。
小さなものを差し出した。
「これ」
「何?」
「昨日拾いました」
手のひら。
小さな。
星形のキーホルダー。
透明な樹脂の中に。
金色のラメが入っている。
「……」
高瀬の指が。
止まった。
「先生?」
「どこにあった?」
「そこ」
男子生徒が。
教室の一番後ろを指差す。
「机の下」
「誰の?」
「分かんないです」
「座ってる奴は?」
「俺ですけど」
「お前のじゃない?」
「違います」
「誰か落とした?」
「聞いたけど」
男子生徒が。
首を横に振る。
「誰のでもないって」
「……」
高瀬は。
キーホルダーを受け取った。
冷たい。
小さな星。
初めて見る。
はずなのに。
「……」
胸が。
ざわつく。
「先生?」
女子生徒が。
顔を覗き込む。
「知ってるんですか?」
「……いや」
知らない。
でも。
「何か」
星を。
指先で裏返す。
裏面。
小さな傷。
その傷を見た瞬間。
――視界が揺れた。
「……っ」
「先生?」
職員室。
夜。
誰かの手。
『これ』
男の声。
『また落としてたぞ』
星。
机の上へ。
『お前のクラスの子だろ?』
「……」
『誰の?』
『さあ』
笑う声。
『本人に聞けよ』
缶コーヒー。
星形のキーホルダー。
そして。
一瞬だけ。
顔。
「……桐谷」
声が漏れた。
「先生?」
視界が。
戻る。
「……」
教室。
生徒。
真壁。
いつの間にか。
教室の入口に立っている。
「高瀬先生」
真壁が。
すぐ近くへ来る。
「座って」
「大丈夫」
「その言葉禁止」
「……」
「顔真っ白」
「本当に?」
「座って」
今度は。
逆らわなかった。
椅子へ座る。
「先生!」
女子生徒。
「保健室」
「いい」
「でも」
「大丈夫じゃないけど」
高瀬が。
少し笑う。
「すぐどうこうじゃない」
女子生徒が。
一瞬。
止まる。
「……今」
「うん」
「ちゃんと言った」
「何を?」
「大丈夫じゃないって」
「……」
「成長した」
「生徒に言われたくないな」
女子生徒が。
少し笑った。
「保健室行きます?」
「五分休んで」
「それでも変だったら行く」
「約束?」
「約束」
今度は。
すぐに言えた。
「分かりました」
生徒たちが。
少しずつ離れる。
真壁は。
高瀬の隣へ。
立ったまま。
「何見た?」
小さな声。
「……記憶」
「桐谷?」
「たぶん」
真壁の視線が。
星形のキーホルダーへ落ちる。
「それ?」
「ああ」
「触っていい?」
「うん」
真壁が。
受け取る。
「……」
星を見る。
裏返す。
傷。
「……」
「真壁?」
「知らない」
「何も?」
「……」
もう一度。
見る。
「でも」
「うん」
「嫌な感じしない」
「前のコーヒーは怖いって言ったよな」
「はい」
「これは?」
真壁は。
星を。
光へかざす。
「……懐かしい」
高瀬の表情が。
変わった。
「お前も?」
「何でかは分からない」
「……」
真壁は。
星を返した。
「高瀬先生」
「何」
「これ」
「うん」
「絶対なくさないで」
「分かってる」
「スマホじゃなく」
「紙でもなく」
「物」
「……」
「消えるかもしれない」
「縁起悪いこと言うな」
「でも」
真壁は。
真剣だった。
「今まで」
「文字も」
「記憶も」
「消された」
「うん」
「じゃあ次」
「物が消える可能性もある」
「……」
「だから」
少し考える。
「写真」
「撮る」
「場所」
「分ける」
「誰かにも見せる」
「藤原」
「はい」
「それと」
「ん?」
「生徒も」
高瀬は。
少し驚く。
「巻き込む?」
「違います」
真壁は。
教室を見る。
「この星を」
「今ここで」
「何人も見た」
「……」
「誰か一人が忘れても」
「全員が忘れるとは限らない」
高瀬は。
言葉を失った。
真壁が。
続ける。
「人を」
「記録にする」
「……」
高瀬は。
小さく笑った。
「お前」
「何」
「たまにすごいこと言うな」
「たまに余計」
「褒めてる」
「じゃあ受け取ります」
「素直」
真壁も。
少し笑った。
◇
十五分。
「帰りますよ」
「もう?」
「約束」
「……」
「高瀬先生」
「分かったよ」
教室を出る。
廊下。
後ろから。
「先生!」
女子生徒。
高瀬が。
振り返る。
「明日!」
大きな声。
「来れるなら来て!」
「無理なら休んで!」
「でも!」
一度。
息を吸う。
「ちゃんとまた来て!」
高瀬は。
少しだけ。
目を細めた。
「おう!」
手を上げる。
「また明日!」
今度は。
言えた。
ちゃんと。
明日。
その言葉を。
自分から。
◇
午後一時十九分。
高瀬の自宅。
藤原も合流していた。
「星?」
「これ」
テーブル。
キーホルダー。
「……可愛いですね」
「感想そこ?」
「最初は」
藤原が手に取る。
光へかざす。
「見覚えは?」
「……」
数秒。
「ない」
「本当?」
「はい」
「桐谷と関係あるかも」
「……」
藤原の表情が。
変わる。
「何で?」
高瀬は。
教室で見た記憶を話した。
桐谷。
落とし物。
『お前のクラスの子だろ?』
「去年……?」
藤原。
「たぶん」
「じゃあ」
「これ」
星を見る。
「一年以上」
「教室にあった?」
「それは分からない」
真壁が言う。
「昨日拾っただけ」
「誰かが最近置いた可能性もある」
「……」
三人。
星を見る。
小さい。
ただのキーホルダー。
なのに。
三人の間では。
Reviewより。
SYSTEMより。
今。
ずっと重かった。
「記録します」
藤原。
ノート。
『星形キーホルダー』
『教室最後列付近』
『所有者不明』
『高瀬、記憶反応あり』
『真壁、懐かしさあり』
「写真も」
真壁。
三人のスマートフォンで。
撮影。
「あと」
高瀬が言う。
「別の場所に」
「何を?」
「コピー」
「キーホルダーの?」
「いや」
「写真プリントして」
「学校」
「家」
「藤原」
「真壁」
「四か所」
藤原が。
少し笑う。
「慎重になりましたね」
「学習した」
「成長」
「だから生徒みたいに言うな」
真壁が。
星を見る。
「でも」
「何」
「もし全部消えたら」
三人。
少し黙る。
「その時は」
高瀬が言う。
「誰か一人でも」
「今日のこと覚えてれば」
「……」
藤原が。
高瀬を見る。
「人を記録にする」
「真壁案」
「俺の?」
「さっき言ってた」
「ああ」
「採用」
「早いですね」
「いい案だから」
高瀬は。
少し笑った。
「俺」
一度。
言葉を止める。
「今まで」
「全部一人で覚えようとしてた」
「……」
「だから」
星を見る。
「消されたら」
「終わってた」
「……」
「でも」
藤原。
真壁。
二人を見る。
「今は」
「俺が忘れても」
「二人がいる」
藤原の表情が。
少し柔らかくなる。
真壁は。
少しだけ視線を逸らした。
「何」
高瀬。
「いや」
真壁。
「また褒められそうな空気だったから」
「まだ何も言ってない」
「予防」
「面倒くさいな!」
藤原が笑う。
三人。
また。
少しだけ笑った。
その時だった。
「……あれ?」
藤原。
「何?」
「これ」
星形キーホルダー。
裏面。
「傷」
「うん」
「さっきからありました?」
「あるだろ」
「違う」
藤原が。
指先で。
傷の周辺をなぞる。
「文字みたい」
「……?」
高瀬と。
真壁。
顔を近付ける。
小さすぎて。
普通には読めない。
高瀬が。
スマートフォンのカメラを開く。
拡大。
「……」
傷だと思っていた。
細い線。
いくつか。
組み合わさっている。
「これ……」
藤原が。
息を止める。
高瀬も。
気付いた。
文字。
いや。
数字。
裏面。
削るように。
刻まれていた。
『001』
「……」
三人。
誰も。
声を出さなかった。
「No.001……?」
高瀬が。
ようやく言った。
その瞬間。
三人のスマートフォンが。
同時に。
震えた。
――ブッ。
「……」
高瀬。
藤原。
真壁。
三人とも。
ゆっくり。
自分の画面を見る。
━━━━━━━━━━━━
【SYSTEM】
紛失物
確認。
━━━━━━━━━━━━
「紛失物?」
真壁。
続く。
━━━━━━━━━━━━
識別番号
001
━━━━━━━━━━━━
高瀬は。
星を握った。
「……お前」
「これ知ってるのか」
━━━━━━━━━━━━
返却を要求します。
━━━━━━━━━━━━
藤原の顔が。
強張る。
「返却?」
「誰に?」
答え。
━━━━━━━━━━━━
所有者
No.001
━━━━━━━━━━━━
「……」
高瀬は。
Review Logを思い出した。
開けなかった記録。
Review000。
対象。
No.001。
「No.001が……」
高瀬は。
手の中の。
小さな星を見た。
「実在した?」
SYSTEMが。
最後の文章を表示する。
━━━━━━━━━━━━
訂正。
━━━━━━━━━━━━
「……?」
━━━━━━━━━━━━
No.001は
現在も
存在しています。
━━━━━━━━━━━━
三人の呼吸が。
止まった。
「……現在も?」
高瀬が呟いた。
星形のキーホルダー。
去年の記憶。
桐谷。
名前のない生徒。
そして。
No.001。
別々だったものが。
初めて。
一本の線に。
触れ始めた。




