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この人生、採点中  作者: 夜凪 灯
第二章 あなたは、誰の採点者ですか

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123/124

Review49「三人目は、先生じゃない」

 自分と同じ顔の人間が、もう一人いる。


 それだけでも、十分におかしな話だった。


 けれど。


 もし、三人目がいるとしたら。


 高瀬悠介は、食卓に並んだ三つのマグカップを見つめていた。


 一つは、自分のもの。


 一つは、もう一人の自分のもの。


 そして、もう一つは桐谷のもの。


 昨夜、宮原蒼太から届いた紙片には、こう書かれていた。


『だって、こっちにも先生がいるんです』


 桐谷は言った。


『あっちにもいるんだよ。高瀬悠介が』


 高瀬は、深く息を吐いた。


「……なあ」


 向かいに座る桐谷が顔を上げる。


「ん?」


「一個だけ確認していい?」


「どうぞ」


「……俺って、何人いるの?」


 桐谷は、コーヒーを吹き出した。


「ぶっ!」


「汚ねえ!」


「いや、お前、朝から何聞いてんだよ!」


「こっちは真剣なんだよ!」


 もう一人の高瀬が、隣で笑った。


「……確かに、気になるな」


「だろ!?」


「でも、三人目がいたら、どう呼ぶ?」


「……高瀬三号?」


「それは嫌だって昨日言っただろ」


「じゃあ、プレミアム高瀬」


「何がプレミアムなんだよ」


 桐谷が、腹を抱えて笑った。


「お前ら、ほんと同じ顔してくだらねえな!」


「お前も笑いすぎだろ!」


 三人の笑い声が、朝の部屋に響いた。


 けれど。


 笑いが収まると、少しだけ沈黙が残った。


 高瀬は、桐谷を見た。


「……で、本当のところは?」


 桐谷は、マグカップを置いた。


「……分からない」


「……え?」


「俺が見たのは、一人だけだ」


 高瀬は、眉を寄せた。


「……じゃあ、三人目って」


「蒼太が言ってる先生が、俺の見た奴と同じならな」


 桐谷は、少しだけ目を伏せた。


「……ただ」


「ただ?」


「そいつは、学校にいた」


 高瀬は、黙った。


「でも、教師じゃなかった」


 もう一人の高瀬が、顔を上げた。


「……どういう意味?」


 桐谷は、ゆっくり答えた。


「教室にいたんだよ。ずっと」


「……生徒として?」


「いや」


 桐谷は、首を振った。


「……誰の名前も呼ばなかった」


 高瀬は、息を止めた。


「……え?」


「授業もしない。黒板にも何も書かない。ただ、机を並べてた」


 桐谷は、遠くを見るような目をした。


「一つずつ、丁寧に」


 高瀬は、黙って聞いていた。


「……それで、俺が聞いたんだ」


『何してんだ?』


 桐谷は、少しだけ笑った。


「そいつ、こう答えた」


『帰ってくる人の席を、用意してる』


 高瀬の胸が、強く鳴った。


 帰ってくる人の席。


 三十七人目の席。


 宮原蒼太。


 そして。


 自分たちが見つけた、古い机。


「……そいつ」


 もう一人の高瀬が、静かに聞いた。


「……どんな顔してた?」


 桐谷は、少し考えた。


「……疲れてた」


「……」


「でも、笑ってた」


 高瀬は、息を呑んだ。


 桐谷は、ゆっくり続けた。


「……お前ら二人とは、ちょっと違う笑い方だった」


 もう一人の高瀬が、目を伏せた。


「……そっか」


 高瀬は、しばらく黙っていた。


 そして。


「……会ってみたいな」


 桐谷が顔を上げる。


「……怖くねえの?」


「怖いよ」


 高瀬は、笑った。


「でも、会わなきゃ分からないだろ」


 桐谷は、少しだけ笑った。


「……そうだな」


 もう一人の高瀬も、ゆっくり頷いた。


「……うん」



     ◇



 午前八時四十七分。


 職員室。


 高瀬は、藤原と真壁に昨夜の紙片を見せた。


『こっちにも先生がいるんです』


 藤原は、何度も文字を読み返した。


「……三人目、ですか」


「うん」


 真壁は、腕を組んだ。


「まだ決めつけるなよ」


 高瀬が顔を上げる。


「……え?」


「その先生が、高瀬だとは書いてない」


 高瀬は、息を止めた。


 確かに。


 宮原は、先生がいると言った。


 でも。


 高瀬悠介がいるとは、書いていない。


「……そうか」


 真壁は頷いた。


「桐谷さんが見た人物と、宮原が会った人物が同じとも限らない」


 藤原も、ゆっくり頷いた。


「……確かに」


 高瀬は、少し笑った。


「お前、ほんと助かるわ」


「今さらか」


「もっと早く褒めとけばよかった」


「そうしろ」


 藤原が笑った。


 けれど、高瀬はすぐに真剣な表情へ戻った。


「……でも、確かめたい」


 真壁が頷く。


「どうやって?」


 高瀬は、紙片を見つめた。


 宮原から届いた手紙。


 名前は消える。


 記録も消える。


 でも。


 言葉は、届いた。


「……返事を書いてみようと思う」


 藤原が顔を上げた。


「……返事?」


「うん」


 高瀬は、少し笑った。


「向こうから手紙が来るなら、こっちから送れるかもしれない」


 真壁は、少し考えた。


「……方法は?」


「まだ分からない」


「だろうな」


「でも、試したい」


 真壁は、腕を組んだ。


「……条件を揃えよう」


 高瀬が眉を寄せる。


「……条件?」


「紙の種類、場所、時間。それから、書く内容」


 真壁は、机の上にメモを置いた。


「何でもかんでも試したら、何が原因で届いたのか分からなくなる」


 藤原が頷いた。


「じゃあ、私たちで準備しましょう」


 高瀬は、二人を見た。


 そして。


「……ありがとう」


 小さく頭を下げた。


 真壁が、少しだけ笑った。


「礼は届いてからにしろ」


 藤原も笑った。


「でも、届くといいですね」


 高瀬は、頷いた。


「……うん」



     ◇



 午後四時三十七分。


 旧校舎。


 高瀬、藤原、真壁の三人は、使用許可を得て教室に入った。


 窓際の最後列。


 古い机。


 天板には、まだ『69』と『また明日』の文字が残っている。


 高瀬は、その机に一枚の紙を置いた。


 白い便箋。


 そこには、短い文章が書かれていた。


『宮原へ』


『手紙、読んだよ』


『そっちにも先生がいるんだな』


『その先生は、どんな人?』


『帰りたいと思ったら、教えてほしい』


『帰りたくないなら、それでもいい』


『でも、困ってるなら、一緒に考えよう』


『高瀬より』


 藤原が、横から覗き込んだ。


「……いい手紙ですね」


 高瀬は、少し照れくさそうに笑った。


「……そう?」


「はい」


 真壁が、便箋を見た。


「……ただ、一つ気になる」


「何?」


「最後」


 真壁が指差した。


『高瀬より』


「……どっちの高瀬だ?」


 高瀬は、固まった。


「……あ」


 藤原が、吹き出した。


「……確かに!」


 高瀬は、頭を抱えた。


「……ややこしいな、俺たち!」


 真壁は、少し笑った。


「だから、区別する方法を考えろって言っただろ」


「いや、今朝も話したんだけど!」


「で?」


「……決まってない」


「だろうな」


 藤原が、笑いながら言った。


「じゃあ、今は『学校にいる高瀬より』でどうですか?」


 高瀬は、少し考えた。


「……それ、いいな」


 便箋の最後を書き直す。


『学校にいる高瀬より』


 そして。


 机の上に置いた。


 三人は、少し離れて待った。


 一分。


 二分。


 三分。


 何も起こらない。


 高瀬は、時計を見た。


「……駄目かな」


 真壁が言った。


「まだ分からない」


 藤原も頷く。


「昨日の紙片も、突然現れましたし」


 高瀬は、少し笑った。


「……そうだな」


 その時。


 教室の窓が、静かに揺れた。


 カタ。


 三人が顔を上げる。


 風は、吹いていない。


 それなのに。


 便箋の端が、ゆっくり持ち上がった。


 高瀬は、息を止めた。


「……来た?」


 紙が、ふわりと浮いた。


 そして。


 机の上から、消えた。


 藤原が、口元を押さえた。


「……消えた」


 真壁が、すぐに時計を見る。


「午後四時四十一分」


 高瀬は、息を呑んだ。


 届いた。


 かもしれない。


 宮原へ。


 自分たちの言葉が。


 高瀬は、ゆっくり息を吐いた。


「……頼むぞ」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


 ただ。


 届いてほしかった。



     ◇



 午後六時十二分。


 高瀬の自宅。


 もう一人の高瀬は、夕飯の準備をしていた。


 今日は、カレーだった。


 高瀬が帰宅すると、台所からいい匂いが漂ってきた。


「……ただいま」


「おかえり」


 もう一人の高瀬が振り返る。


 高瀬は、思わず笑った。


「……すげえ、ちゃんと料理してる」


「昨日の卵焼きで学習した」


「成長早っ!」


「人間、失敗から学ぶんだよ」


「教師っぽいこと言うな!」


 二人は笑った。


 高瀬は、鞄を置いた。


「……今日、宮原に手紙出した」


 もう一人の高瀬の手が止まった。


「……え?」


「届いたかもしれない」


 男は、ゆっくり振り返った。


「……本当に?」


「うん」


 高瀬は、教室で起きたことを説明した。


 男は、黙って聞いていた。


 そして。


「……そっか」


 少しだけ笑った。


「……よかった」


 高瀬は、頷いた。


「……うん」


 男は、鍋の火を弱めた。


 そして。


「……俺も、書きたい」


 高瀬が顔を上げる。


「……手紙?」


「うん」


 男は、少しだけ目を伏せた。


「……蒼太に」


 高瀬は、頷いた。


「……書こう」


 男は、少し笑った。


「……ありがとう」


 高瀬は、笑い返した。


「礼はいらないって」


 その時。


 玄関の扉が開いた。


「……ただいまー」


 桐谷だった。


 高瀬が振り返る。


「おかえり」


 桐谷は、台所の匂いを嗅いだ。


「……カレー?」


「うん」


「最高じゃん」


 桐谷は、鞄を置いた。


 そして。


「……なあ」


 二人が顔を上げる。


「……今日、変なことがあった」


 高瀬が眉を寄せた。


「……何?」


 桐谷は、スマートフォンを取り出した。


「……知らない番号から電話が来た」


 高瀬は、息を止めた。


「……誰?」


「分からない」


 桐谷は、画面を見せた。


 着信履歴。


 番号は表示されていない。


 ただ。


『不明』


 とだけ書かれている。


「……出たの?」


 高瀬が聞く。


 桐谷は頷いた。


「……うん」


「……何て?」


 桐谷は、少しだけ目を伏せた。


 そして。


「……高瀬先生は、いますかって」


 高瀬の胸が、強く鳴った。


「……誰が?」


 桐谷は、ゆっくり答えた。


「……子どもの声だった」


 もう一人の高瀬が、顔を上げた。


「……蒼太?」


「分からない」


 桐谷は、首を振った。


「でも、声は似てた」


 高瀬は、息を呑んだ。


 宮原蒼太。


 あの少年。


 電話。


 桐谷が戻ってきた時も、電話が繋がった。


 高瀬は、ゆっくり聞いた。


「……それで?」


 桐谷は、少しだけ目を伏せた。


「……俺、聞いたんだ」


『どちらの高瀬先生ですか?』


 高瀬は、息を止めた。


「……そしたら?」


 桐谷は、ゆっくり答えた。


「……向こうが、こう言った」


『どちらでもありません』


 静寂。


 高瀬は、動けなかった。


 もう一人の高瀬も、何も言えなかった。


 桐谷は、続けた。


『僕が探しているのは』


 少しだけ声を落とす。


『先生を辞めた高瀬先生です』


 高瀬の胸が、強く鳴った。


 先生を辞めた高瀬。


 それは。


 誰だ。


 今ここにいる二人は、どちらも教師だった。


 一人は、今も教師を続けている。


 もう一人は、教師としての居場所を失った。


 けれど。


 自分の意思で辞めたわけではない。


 高瀬は、ゆっくり顔を上げた。


「……三人目」


 桐谷は、頷いた。


「……多分な」


 もう一人の高瀬が、静かに呟いた。


「……教師を辞めた俺」


 その言葉に、三人は黙った。


 同じ名前。


 同じ顔。


 違う人生。


 そして。


 違う選択。


 高瀬は、窓の外を見た。


 夜が、ゆっくり広がっていた。


 その時。


 テーブルの上に置かれた紙が、ふわりと浮いた。


 三人が、顔を上げる。


 紙は、ゆっくり裏返った。


 そこには、文字が浮かび上がっていた。


『先生へ』


『手紙、届きました』


 高瀬は、息を呑んだ。


 宮原からの返事。


 そして。


 次の一文。


『こっちの先生は、学校に来ません』


 高瀬の指が止まった。


『でも、毎朝、僕の席を用意してくれます』


 もう一人の高瀬が、顔を上げた。


 桐谷も、黙っていた。


 高瀬は、続きを読んだ。


『先生は、先生じゃないって言います』


 静寂。


 そして。


 最後の一文。


『でも、僕はあの人のことも、先生だと思っています』


 高瀬は、動けなかった。


 教師を辞めた高瀬。


 その男は。


 今も。


 誰かのために、席を用意している。


 高瀬は、ゆっくり息を吐いた。


「……そっか」


 もう一人の高瀬が、顔を上げる。


「……何?」


 高瀬は、少し笑った。


「……先生って」


 言葉を探す。


 そして。


「……辞めても、先生なんだな」


 もう一人の高瀬は、黙った。


 桐谷も、静かに頷いた。


 高瀬は、紙片を見つめた。


 そして。


「……会いたいな」


 小さく呟いた。


 三人目の高瀬。


 教師を辞めた男。


 その男が、どんな人生を歩んできたのか。


 高瀬は、知りたかった。


 その時。


 スマートフォンが震えた。


 ――ブッ。


【Review】


新規評価対象を確認しました。


 高瀬は、眉を寄せた。


「……え?」


 次の表示。


【評価対象】


高瀬悠介。


 高瀬は、息を止めた。


 そして。


 最後の表示。


【職業】


無職。


 高瀬は、動けなかった。


 無職。


 教師を辞めた高瀬。


 三人目の自分。


 その男が。


 今。


 Reviewの評価対象になった。


 高瀬は、ゆっくり呟いた。


「……何で、今?」


 答えはない。


 けれど。


 スマートフォンには、もう一つだけ文字が浮かび上がっていた。


【初回評価】


開始。


 高瀬は、息を止めた。


 そして。


 次の瞬間。


 画面が、真っ暗になった。



【End】

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