Review49「三人目は、先生じゃない」
自分と同じ顔の人間が、もう一人いる。
それだけでも、十分におかしな話だった。
けれど。
もし、三人目がいるとしたら。
高瀬悠介は、食卓に並んだ三つのマグカップを見つめていた。
一つは、自分のもの。
一つは、もう一人の自分のもの。
そして、もう一つは桐谷のもの。
昨夜、宮原蒼太から届いた紙片には、こう書かれていた。
『だって、こっちにも先生がいるんです』
桐谷は言った。
『あっちにもいるんだよ。高瀬悠介が』
高瀬は、深く息を吐いた。
「……なあ」
向かいに座る桐谷が顔を上げる。
「ん?」
「一個だけ確認していい?」
「どうぞ」
「……俺って、何人いるの?」
桐谷は、コーヒーを吹き出した。
「ぶっ!」
「汚ねえ!」
「いや、お前、朝から何聞いてんだよ!」
「こっちは真剣なんだよ!」
もう一人の高瀬が、隣で笑った。
「……確かに、気になるな」
「だろ!?」
「でも、三人目がいたら、どう呼ぶ?」
「……高瀬三号?」
「それは嫌だって昨日言っただろ」
「じゃあ、プレミアム高瀬」
「何がプレミアムなんだよ」
桐谷が、腹を抱えて笑った。
「お前ら、ほんと同じ顔してくだらねえな!」
「お前も笑いすぎだろ!」
三人の笑い声が、朝の部屋に響いた。
けれど。
笑いが収まると、少しだけ沈黙が残った。
高瀬は、桐谷を見た。
「……で、本当のところは?」
桐谷は、マグカップを置いた。
「……分からない」
「……え?」
「俺が見たのは、一人だけだ」
高瀬は、眉を寄せた。
「……じゃあ、三人目って」
「蒼太が言ってる先生が、俺の見た奴と同じならな」
桐谷は、少しだけ目を伏せた。
「……ただ」
「ただ?」
「そいつは、学校にいた」
高瀬は、黙った。
「でも、教師じゃなかった」
もう一人の高瀬が、顔を上げた。
「……どういう意味?」
桐谷は、ゆっくり答えた。
「教室にいたんだよ。ずっと」
「……生徒として?」
「いや」
桐谷は、首を振った。
「……誰の名前も呼ばなかった」
高瀬は、息を止めた。
「……え?」
「授業もしない。黒板にも何も書かない。ただ、机を並べてた」
桐谷は、遠くを見るような目をした。
「一つずつ、丁寧に」
高瀬は、黙って聞いていた。
「……それで、俺が聞いたんだ」
『何してんだ?』
桐谷は、少しだけ笑った。
「そいつ、こう答えた」
『帰ってくる人の席を、用意してる』
高瀬の胸が、強く鳴った。
帰ってくる人の席。
三十七人目の席。
宮原蒼太。
そして。
自分たちが見つけた、古い机。
「……そいつ」
もう一人の高瀬が、静かに聞いた。
「……どんな顔してた?」
桐谷は、少し考えた。
「……疲れてた」
「……」
「でも、笑ってた」
高瀬は、息を呑んだ。
桐谷は、ゆっくり続けた。
「……お前ら二人とは、ちょっと違う笑い方だった」
もう一人の高瀬が、目を伏せた。
「……そっか」
高瀬は、しばらく黙っていた。
そして。
「……会ってみたいな」
桐谷が顔を上げる。
「……怖くねえの?」
「怖いよ」
高瀬は、笑った。
「でも、会わなきゃ分からないだろ」
桐谷は、少しだけ笑った。
「……そうだな」
もう一人の高瀬も、ゆっくり頷いた。
「……うん」
◇
午前八時四十七分。
職員室。
高瀬は、藤原と真壁に昨夜の紙片を見せた。
『こっちにも先生がいるんです』
藤原は、何度も文字を読み返した。
「……三人目、ですか」
「うん」
真壁は、腕を組んだ。
「まだ決めつけるなよ」
高瀬が顔を上げる。
「……え?」
「その先生が、高瀬だとは書いてない」
高瀬は、息を止めた。
確かに。
宮原は、先生がいると言った。
でも。
高瀬悠介がいるとは、書いていない。
「……そうか」
真壁は頷いた。
「桐谷さんが見た人物と、宮原が会った人物が同じとも限らない」
藤原も、ゆっくり頷いた。
「……確かに」
高瀬は、少し笑った。
「お前、ほんと助かるわ」
「今さらか」
「もっと早く褒めとけばよかった」
「そうしろ」
藤原が笑った。
けれど、高瀬はすぐに真剣な表情へ戻った。
「……でも、確かめたい」
真壁が頷く。
「どうやって?」
高瀬は、紙片を見つめた。
宮原から届いた手紙。
名前は消える。
記録も消える。
でも。
言葉は、届いた。
「……返事を書いてみようと思う」
藤原が顔を上げた。
「……返事?」
「うん」
高瀬は、少し笑った。
「向こうから手紙が来るなら、こっちから送れるかもしれない」
真壁は、少し考えた。
「……方法は?」
「まだ分からない」
「だろうな」
「でも、試したい」
真壁は、腕を組んだ。
「……条件を揃えよう」
高瀬が眉を寄せる。
「……条件?」
「紙の種類、場所、時間。それから、書く内容」
真壁は、机の上にメモを置いた。
「何でもかんでも試したら、何が原因で届いたのか分からなくなる」
藤原が頷いた。
「じゃあ、私たちで準備しましょう」
高瀬は、二人を見た。
そして。
「……ありがとう」
小さく頭を下げた。
真壁が、少しだけ笑った。
「礼は届いてからにしろ」
藤原も笑った。
「でも、届くといいですね」
高瀬は、頷いた。
「……うん」
◇
午後四時三十七分。
旧校舎。
高瀬、藤原、真壁の三人は、使用許可を得て教室に入った。
窓際の最後列。
古い机。
天板には、まだ『69』と『また明日』の文字が残っている。
高瀬は、その机に一枚の紙を置いた。
白い便箋。
そこには、短い文章が書かれていた。
『宮原へ』
『手紙、読んだよ』
『そっちにも先生がいるんだな』
『その先生は、どんな人?』
『帰りたいと思ったら、教えてほしい』
『帰りたくないなら、それでもいい』
『でも、困ってるなら、一緒に考えよう』
『高瀬より』
藤原が、横から覗き込んだ。
「……いい手紙ですね」
高瀬は、少し照れくさそうに笑った。
「……そう?」
「はい」
真壁が、便箋を見た。
「……ただ、一つ気になる」
「何?」
「最後」
真壁が指差した。
『高瀬より』
「……どっちの高瀬だ?」
高瀬は、固まった。
「……あ」
藤原が、吹き出した。
「……確かに!」
高瀬は、頭を抱えた。
「……ややこしいな、俺たち!」
真壁は、少し笑った。
「だから、区別する方法を考えろって言っただろ」
「いや、今朝も話したんだけど!」
「で?」
「……決まってない」
「だろうな」
藤原が、笑いながら言った。
「じゃあ、今は『学校にいる高瀬より』でどうですか?」
高瀬は、少し考えた。
「……それ、いいな」
便箋の最後を書き直す。
『学校にいる高瀬より』
そして。
机の上に置いた。
三人は、少し離れて待った。
一分。
二分。
三分。
何も起こらない。
高瀬は、時計を見た。
「……駄目かな」
真壁が言った。
「まだ分からない」
藤原も頷く。
「昨日の紙片も、突然現れましたし」
高瀬は、少し笑った。
「……そうだな」
その時。
教室の窓が、静かに揺れた。
カタ。
三人が顔を上げる。
風は、吹いていない。
それなのに。
便箋の端が、ゆっくり持ち上がった。
高瀬は、息を止めた。
「……来た?」
紙が、ふわりと浮いた。
そして。
机の上から、消えた。
藤原が、口元を押さえた。
「……消えた」
真壁が、すぐに時計を見る。
「午後四時四十一分」
高瀬は、息を呑んだ。
届いた。
かもしれない。
宮原へ。
自分たちの言葉が。
高瀬は、ゆっくり息を吐いた。
「……頼むぞ」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
ただ。
届いてほしかった。
◇
午後六時十二分。
高瀬の自宅。
もう一人の高瀬は、夕飯の準備をしていた。
今日は、カレーだった。
高瀬が帰宅すると、台所からいい匂いが漂ってきた。
「……ただいま」
「おかえり」
もう一人の高瀬が振り返る。
高瀬は、思わず笑った。
「……すげえ、ちゃんと料理してる」
「昨日の卵焼きで学習した」
「成長早っ!」
「人間、失敗から学ぶんだよ」
「教師っぽいこと言うな!」
二人は笑った。
高瀬は、鞄を置いた。
「……今日、宮原に手紙出した」
もう一人の高瀬の手が止まった。
「……え?」
「届いたかもしれない」
男は、ゆっくり振り返った。
「……本当に?」
「うん」
高瀬は、教室で起きたことを説明した。
男は、黙って聞いていた。
そして。
「……そっか」
少しだけ笑った。
「……よかった」
高瀬は、頷いた。
「……うん」
男は、鍋の火を弱めた。
そして。
「……俺も、書きたい」
高瀬が顔を上げる。
「……手紙?」
「うん」
男は、少しだけ目を伏せた。
「……蒼太に」
高瀬は、頷いた。
「……書こう」
男は、少し笑った。
「……ありがとう」
高瀬は、笑い返した。
「礼はいらないって」
その時。
玄関の扉が開いた。
「……ただいまー」
桐谷だった。
高瀬が振り返る。
「おかえり」
桐谷は、台所の匂いを嗅いだ。
「……カレー?」
「うん」
「最高じゃん」
桐谷は、鞄を置いた。
そして。
「……なあ」
二人が顔を上げる。
「……今日、変なことがあった」
高瀬が眉を寄せた。
「……何?」
桐谷は、スマートフォンを取り出した。
「……知らない番号から電話が来た」
高瀬は、息を止めた。
「……誰?」
「分からない」
桐谷は、画面を見せた。
着信履歴。
番号は表示されていない。
ただ。
『不明』
とだけ書かれている。
「……出たの?」
高瀬が聞く。
桐谷は頷いた。
「……うん」
「……何て?」
桐谷は、少しだけ目を伏せた。
そして。
「……高瀬先生は、いますかって」
高瀬の胸が、強く鳴った。
「……誰が?」
桐谷は、ゆっくり答えた。
「……子どもの声だった」
もう一人の高瀬が、顔を上げた。
「……蒼太?」
「分からない」
桐谷は、首を振った。
「でも、声は似てた」
高瀬は、息を呑んだ。
宮原蒼太。
あの少年。
電話。
桐谷が戻ってきた時も、電話が繋がった。
高瀬は、ゆっくり聞いた。
「……それで?」
桐谷は、少しだけ目を伏せた。
「……俺、聞いたんだ」
『どちらの高瀬先生ですか?』
高瀬は、息を止めた。
「……そしたら?」
桐谷は、ゆっくり答えた。
「……向こうが、こう言った」
『どちらでもありません』
静寂。
高瀬は、動けなかった。
もう一人の高瀬も、何も言えなかった。
桐谷は、続けた。
『僕が探しているのは』
少しだけ声を落とす。
『先生を辞めた高瀬先生です』
高瀬の胸が、強く鳴った。
先生を辞めた高瀬。
それは。
誰だ。
今ここにいる二人は、どちらも教師だった。
一人は、今も教師を続けている。
もう一人は、教師としての居場所を失った。
けれど。
自分の意思で辞めたわけではない。
高瀬は、ゆっくり顔を上げた。
「……三人目」
桐谷は、頷いた。
「……多分な」
もう一人の高瀬が、静かに呟いた。
「……教師を辞めた俺」
その言葉に、三人は黙った。
同じ名前。
同じ顔。
違う人生。
そして。
違う選択。
高瀬は、窓の外を見た。
夜が、ゆっくり広がっていた。
その時。
テーブルの上に置かれた紙が、ふわりと浮いた。
三人が、顔を上げる。
紙は、ゆっくり裏返った。
そこには、文字が浮かび上がっていた。
『先生へ』
『手紙、届きました』
高瀬は、息を呑んだ。
宮原からの返事。
そして。
次の一文。
『こっちの先生は、学校に来ません』
高瀬の指が止まった。
『でも、毎朝、僕の席を用意してくれます』
もう一人の高瀬が、顔を上げた。
桐谷も、黙っていた。
高瀬は、続きを読んだ。
『先生は、先生じゃないって言います』
静寂。
そして。
最後の一文。
『でも、僕はあの人のことも、先生だと思っています』
高瀬は、動けなかった。
教師を辞めた高瀬。
その男は。
今も。
誰かのために、席を用意している。
高瀬は、ゆっくり息を吐いた。
「……そっか」
もう一人の高瀬が、顔を上げる。
「……何?」
高瀬は、少し笑った。
「……先生って」
言葉を探す。
そして。
「……辞めても、先生なんだな」
もう一人の高瀬は、黙った。
桐谷も、静かに頷いた。
高瀬は、紙片を見つめた。
そして。
「……会いたいな」
小さく呟いた。
三人目の高瀬。
教師を辞めた男。
その男が、どんな人生を歩んできたのか。
高瀬は、知りたかった。
その時。
スマートフォンが震えた。
――ブッ。
【Review】
新規評価対象を確認しました。
高瀬は、眉を寄せた。
「……え?」
次の表示。
【評価対象】
高瀬悠介。
高瀬は、息を止めた。
そして。
最後の表示。
【職業】
無職。
高瀬は、動けなかった。
無職。
教師を辞めた高瀬。
三人目の自分。
その男が。
今。
Reviewの評価対象になった。
高瀬は、ゆっくり呟いた。
「……何で、今?」
答えはない。
けれど。
スマートフォンには、もう一つだけ文字が浮かび上がっていた。
【初回評価】
開始。
高瀬は、息を止めた。
そして。
次の瞬間。
画面が、真っ暗になった。
【End】




