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この人生、採点中  作者: 夜凪 灯
第二章 あなたは、誰の採点者ですか

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120/121

Review46「怖かった先生に、会いたかった」

 会いたい人がいる。


 けれど、その人に会うのが怖い。


 そんな矛盾した気持ちを、高瀬悠介はこれまで何度も見てきた。


 喧嘩をした友達。


 疎遠になった家族。


 謝りたいのに、顔を合わせる勇気が出ない相手。


 会いたいという気持ちと、怖いという気持ちは、必ずしも反対ではない。


 むしろ、大切な相手だからこそ、会うのが怖くなることもある。


 高瀬は、昨日の水野修司の言葉を思い出していた。


『あの子が待ってるのは、お前じゃない』


 宮原蒼太。


 三十七人目の生徒。


 No.001。


 そして、もう一人の高瀬を怖がっていた少年。


 その少年が、今も教室で待っているという。


 高瀬は、隣で眠るもう一人の自分を見た。


 同じ顔。


 同じ名前。


 けれど、違う時間を生きてきた男。


 その男に、宮原は何を伝えたいのだろう。


 そして。


 なぜ、怖かった相手を待ち続けているのだろう。



     ◇



 午前七時二十一分。


「……行くのか?」


 朝食を食べながら、桐谷が聞いた。


 高瀬は頷いた。


「うん。今日、旧校舎に行こうと思う」


 桐谷は、箸を止めた。


「……二人で?」


「藤原先生と真壁も一緒に行く」


「そうか」


 桐谷は、少し考えた。


 そして、もう一人の高瀬を見る。


「……お前は?」


 男は、黙っていた。


 味噌汁の湯気が、ゆっくり上がっている。


「……怖い」


 しばらくして、男が答えた。


 高瀬は、顔を上げた。


「……宮原に会うのが?」


「うん」


 男は、箸を置いた。


「……あの子、俺のこと怖がってたんだろ」


 高瀬は、頷いた。


「……そう書いてあった」


「……なら、会わない方がいいんじゃないか」


 その言葉に、桐谷が眉を寄せた。


「……お前、本気で言ってんの?」


「……だって」


 男は、目を伏せた。


「俺が行ったら、また怖がらせるかもしれない」


 桐谷は、しばらく黙っていた。


 そして。


「……それ、宮原が決めることじゃねえの?」


 男が顔を上げた。


「……え?」


「会いたくないなら、会いたくないって言うだろ」


 桐谷は、味噌汁を飲んだ。


「でも、待ってるんだろ?」


 男は、何も言えなかった。


 高瀬も、黙って聞いていた。


 桐谷は続けた。


「お前が怖いからって、あいつの気持ちまで決めるなよ」


 その言葉が、静かに落ちた。


 もう一人の高瀬は、俯いた。


 しばらくして、小さく頷いた。


「……そうだな」


 高瀬は、少し笑った。


「……一緒に行こう」


 男は、顔を上げた。


「……うん」


 桐谷が、少しだけ笑った。


「……よし」


 そして、突然言った。


「じゃあ、俺も行く」


 高瀬が目を丸くした。


「……お前、仕事は?」


「休む」


「軽っ!」


「有給だよ、有給」


「そんな簡単に取れるのか?」


「取れた」


「いつ!?」


「昨日」


「準備よすぎるだろ!」


 桐谷は笑った。


「お前ら二人だけじゃ、絶対面倒くさいことになるからな」


 高瀬は、呆れたように笑った。


 でも。


 少しだけ、安心していた。



     ◇



 午後四時五十六分。


 旧校舎。


 高瀬、もう一人の高瀬、桐谷、藤原、真壁。


 五人は、三十七人目の席があった教室の前に立っていた。


 廊下には、夕日が差し込んでいる。


 窓の外では、運動部の掛け声が聞こえていた。


 高瀬は、扉に手を掛けた。


 その時。


「……待って」


 もう一人の高瀬が言った。


 高瀬は、振り返る。


「……どうした?」


 男は、少しだけ目を伏せた。


「……俺、何て言えばいい?」


 高瀬は、答えられなかった。


 桐谷も、黙っている。


 藤原が、静かに言った。


「……何も決めなくていいと思います」


 男が顔を上げた。


「……え?」


「会ってから、考えましょう」


 藤原は、少し笑った。


「宮原君が、何を話したいのかも分からないですから」


 男は、ゆっくり頷いた。


「……うん」


 高瀬は、扉を開けた。


 ガラガラ、と古い音が響く。


 教室には、誰もいなかった。


 机。


 椅子。


 黒板。


 夕日に照らされた窓。


 何も変わっていない。


 けれど。


 高瀬は、すぐに気付いた。


 最後列。


 窓際の席。


 そこに、一冊のノートが置かれていた。


「……あれ」


 高瀬が呟く。


 真壁が近付いた。


「……昨日はなかったな」


 藤原も頷いた。


「はい」


 高瀬は、ゆっくりノートを手に取った。


 表紙には、名前が書かれていた。


『宮原蒼太』


 高瀬の胸が、強く鳴った。


「……宮原」


 その名前を口にした瞬間。


 教室の空気が、少しだけ変わった。


 窓の外の音が遠くなる。


 夕日の色が、わずかに濃くなる。


 高瀬は、ノートを開いた。


 最初のページ。


 そこには、短い文章が書かれていた。


『先生へ』


『僕は、先生が怖かったです』


 もう一人の高瀬が、息を止めた。


 高瀬は、続きを読んだ。


『でも、先生に会いたかったです』


 静寂。


 男の指が、震えた。


「……何で」


 小さな声だった。


「……何で、俺に」


 高瀬は、ページをめくった。


 次の文章。


『先生は、僕を助けようとしてくれました』


『でも、そのせいで、先生がいなくなりました』


 高瀬は、息を呑んだ。


 もう一人の高瀬が、顔を上げる。


『僕は、先生に助けてほしかったわけじゃありません』


 その一文に、全員が黙った。


 高瀬は、続きを読んだ。


『僕は、先生にいてほしかったんです』


 もう一人の高瀬の表情が、歪んだ。


「……蒼太」


 男が、名前を呼んだ。


 その時。


「……先生」


 声がした。


 教室の奥。


 誰もいなかったはずの席。


 そこに、一人の少年が座っていた。


 宮原蒼太。


 あの少年だった。


 高瀬は、息を止めた。


 藤原が、口元を押さえる。


 真壁も、動きを止めた。


 桐谷は、静かに目を伏せた。


 少年は、もう一人の高瀬を見つめていた。


「……久しぶりです」


 もう一人の高瀬は、何も言えなかった。


 少年は、少しだけ笑った。


「……先生、痩せましたね」


 男の唇が、震えた。


「……蒼太」


 少年は、頷いた。


「……はい」


 男は、ゆっくり近付いた。


 一歩。


 また一歩。


 そして。


 少年の前で、立ち止まった。


「……ごめん」


 男が言った。


 少年は、首を振った。


「……謝らないでください」


「……でも」


「……僕、先生に謝ってほしくて待ってたんじゃないです」


 男は、息を呑んだ。


 少年は、静かに続けた。


「……先生に、聞いてほしいことがあったんです」


 男は、ゆっくり頷いた。


「……何?」


 少年は、少しだけ目を伏せた。


 そして。


「……僕、先生が嫌いだったんじゃないです」


 男の目が、揺れた。


「……うん」


「……怖かったんです」


 男は、黙って聞いていた。


「先生が、僕のために何かするたびに」


 少年の声が、少しだけ震えた。


「……先生が、どんどん苦しそうになっていったから」


 男は、息を止めた。


「……僕、先生に助けてほしいって言えなくなりました」


 高瀬の胸が、締め付けられた。


 少年は、続けた。


「……だって」


 ゆっくり顔を上げる。


「僕が助けてって言ったら、先生、また自分を犠牲にするでしょ」


 静寂。


 もう一人の高瀬は、何も言えなかった。


 少年の目から、涙が落ちた。


「……僕、それが怖かったんです」


 男は、ゆっくり膝をついた。


 少年と目線を合わせる。


「……蒼太」


 声が、震えていた。


「……俺」


 言葉が出てこない。


 何を言えばいい。


 どう謝ればいい。


 どうすれば、この子を救える。


 考えようとした。


 けれど。


 少年が、先に口を開いた。


「……先生」


 男が顔を上げる。


「……はい」


 少年は、涙を拭った。


 そして。


「……今日は、僕の話を聞くだけにしてください」


 男は、息を呑んだ。


 少年は続けた。


「何かしてくれなくていいです」


「……」


「助けようとしなくていいです」


「……」


「……ただ、聞いてください」


 男は、ゆっくり頷いた。


「……分かった」


 少年は、少しだけ笑った。


「……ありがとうございます」


 高瀬は、その光景を見つめていた。


 もう一人の自分。


 ずっと誰かを助けようとしていた男。


 その男が、初めて。


 何もせずに。


 ただ、話を聞こうとしている。


 それだけで。


 少年の表情が、少しだけ柔らかくなった。



     ◇



「……僕、先生が二人いること、知ってました」


 宮原が言った。


 もう一人の高瀬は、黙って頷いた。


「……いつから?」


 高瀬が聞くと、少年は少し考えた。


「……最初からです」


 高瀬は、息を止めた。


「……最初から?」


「はい」


 少年は、二人の高瀬を見比べた。


「……だって」


 少しだけ笑う。


「先生、全然違いましたから」


 高瀬は、思わず眉を寄せた。


「……そんなに?」


「はい」


 少年は頷いた。


「こっちの先生は、よく笑ってました」


 現在の高瀬を見る。


「でも、こっちの先生は」


 もう一人の高瀬を見る。


「……笑う前に、僕の顔を見てました」


 男は、息を止めた。


「……何でだろう」


 少年は、少しだけ首を傾げた。


「分かりません。でも、僕が笑ってから、先生も笑うんです」


 高瀬は、もう一人の自分を見た。


 男は、俯いていた。


 相手が笑ったら、自分も笑う。


 相手が安心したら、自分も安心する。


 自分の気持ちを、後回しにする。


 その癖は、今の自分にもあった。


「……先生」


 少年が、もう一人の高瀬を呼んだ。


「……うん」


「……僕、あの時、言いたかったんです」


 男は、顔を上げた。


「……何を?」


 少年は、少しだけ笑った。


「……先生も、先に笑っていいんですよ」


 その言葉に。


 男の表情が、崩れた。


 高瀬は、息を呑んだ。


 藤原が、目を伏せる。


 真壁も、黙っていた。


 桐谷は、窓の外を見つめていた。


 少年は、続けた。


「……僕が元気じゃなくても」


「……」


「僕が失敗しても」


「……」


「……先生まで、悲しくならなくていいんです」


 男の目から、涙が落ちた。


「……ごめん」


 思わず、言葉が漏れた。


 少年は、少しだけ笑った。


「……また謝ってる」


 男は、顔を上げた。


「……あ」


 少年が笑う。


 高瀬も、少しだけ笑った。


 桐谷が、横から言った。


「……ほんと、二人とも同じだな」


「……うるさい」


 二人の高瀬の声が重なった。


 その瞬間。


 宮原が、声を出して笑った。


 高瀬は、息を止めた。


 少年が笑っている。


 ずっと苦しそうだった少年が。


 今。


 心から笑っている。


 もう一人の高瀬も、少しだけ笑った。


 それは。


 少年が笑ったからではなかった。


 ただ。


 嬉しかったからだった。



     ◇



 午後六時二十九分。


 夕日が、教室の床を赤く染めていた。


 宮原は、机の上に置かれたノートを閉じた。


「……先生」


 もう一人の高瀬が顔を上げる。


「……うん」


「……一つだけ、お願いがあります」


 男は、頷いた。


「……何?」


 少年は、少しだけ迷った。


 そして。


「……僕のこと、助けないでください」


 高瀬は、息を止めた。


 藤原も、真壁も、黙った。


 もう一人の高瀬が、ゆっくり聞く。


「……どういう意味?」


 少年は、少しだけ笑った。


「……僕、自分で決めたいんです」


 男は、黙っていた。


「先生に助けてもらうんじゃなくて」


 少年は、窓の外を見た。


「……自分で、ここから出たい」


 高瀬の胸が、強く鳴った。


 教室。


 三十七人目の席。


 ずっと待っていた少年。


 その少年が。


 自分で、ここから出たいと言った。


「……分かった」


 もう一人の高瀬が答えた。


 宮原は、少しだけ驚いた顔をした。


「……いいんですか?」


「……うん」


 男は、ゆっくり頷いた。


「……でも、一つだけ」


 少年が顔を上げる。


「……何ですか?」


 男は、少し笑った。


「……困ったら、呼んでくれ」


 宮原の目が、揺れた。


「……え?」


「助けるかどうかは、その時一緒に考えよう」


 男は、ゆっくり言った。


「……でも、話は聞くから」


 少年は、しばらく黙っていた。


 そして。


「……はい」


 小さく頷いた。


 その瞬間。


 教室の窓が、静かに開いた。


 風が吹き込む。


 カーテンが揺れる。


 机の上のノートが、ぱらぱらとめくれた。


 高瀬は、思わず顔を上げた。


 教室の空気が、変わっている。


 何かが。


 動き始めている。


 宮原は、ゆっくり立ち上がった。


「……先生」


 もう一人の高瀬が顔を上げる。


「……うん」


 少年は、少しだけ笑った。


「……行ってきます」


 その言葉に。


 男の目が、見開かれた。


 行ってきます。


 帰る場所がある人間の言葉。


 戻ってくるつもりのある人間の言葉。


 高瀬は、息を止めた。


 少年は、教室の扉へ向かった。


 一歩。


 また一歩。


 そして。


 扉の前で、立ち止まった。


 振り返る。


「……先生」


 二人の高瀬が、顔を上げる。


 少年は、少しだけ笑った。


「……今度は、ちゃんと帰ってきてくださいね」


 高瀬は、息を呑んだ。


 もう一人の高瀬も、動けなかった。


 宮原は、扉を開けた。


 そして。


 廊下へ、一歩踏み出した。


 その瞬間。


 教室の時計が、動き始めた。


 止まっていた秒針が。


 カチリ、と音を立てた。


 高瀬は、息を止めた。


 藤原が、思わず声を上げた。


「……時計が」


 真壁も、目を見開いていた。


 宮原は、振り返らなかった。


 ただ。


 ゆっくり廊下を歩いていった。


 その背中が。


 夕日の中へ、少しずつ溶けていく。


 高瀬は、追いかけようとした。


 けれど。


 もう一人の高瀬が、静かに首を振った。


「……いいんだ」


 高瀬は、顔を上げた。


「……でも」


「……あいつ、自分で行くって決めたんだ」


 男は、少し笑った。


「……だから、見送ろう」


 高瀬は、黙った。


 そして。


 ゆっくり頷いた。


「……うん」


 二人は、並んで立っていた。


 同じ顔。


 同じ名前。


 違う時間を生きてきた二人。


 その二人が。


 初めて。


 同じ方向を見ていた。



     ◇



 午後十一時五十七分。


 高瀬のスマートフォンが震えた。


 ――ブッ。


【Review】


本日の行動を評価します。


★★★★★


良かった点。


あなたは、宮原蒼太の選択を

尊重しました。


改善点。


あなたは、まだ

宮原蒼太の選択が

何を変えたのか

理解していません。


 高瀬は、画面を見つめた。


「……何を変えた?」


 次の表示。


【Review Log】


No.001


宮原蒼太


現在状態。


【保留】


 高瀬は、眉を寄せた。


「……保留?」


 画面が変わる。


【補足】


宮原蒼太は、

自らの意思で

評価対象から離脱しました。


 高瀬は、息を呑んだ。


「……離脱?」


 次の表示。


【結果】


No.001


評価対象外。


 高瀬は、動けなかった。


 評価対象外。


 それは。


 Reviewが、宮原を評価できなくなったということなのか。


 高瀬は、画面を見つめた。


 そして。


 小さく笑った。


「……やるじゃん、宮原」


 少年は。


 自分の意思で。


 評価される場所から、出ていった。


 高瀬は、ノートを開いた。


 今日の最後に、一行だけ書いた。


『人は、誰かに救われなくても、自分で歩き出せる。』


 その言葉を見つめ、少しだけ笑った。


 けれど。


 その時。


 スマートフォンが、もう一度震えた。


【Review】


警告。


評価対象外となった人物は、

評価履歴から削除されます。


 高瀬の笑みが、消えた。


「……え?」


 次の表示。


【削除予定】


宮原蒼太


 高瀬は、息を止めた。


 削除。


 その言葉。


 今まで何度も見てきた。


 桐谷。


 佐伯。


 そして。


 宮原蒼太。


 高瀬は、画面を握りしめた。


「……待てよ」


 次の表示。


【削除処理】


開始まで。


00:00:10


 高瀬の心臓が、強く鳴った。


「……ふざけんな」


 九秒。


 八秒。


 高瀬は、立ち上がった。


 もう一人の高瀬が、顔を上げる。


「……どうした?」


 高瀬は、スマートフォンを見せた。


「……宮原が」


 七秒。


 六秒。


「……消される」


 男の表情が、変わった。


 五秒。


 四秒。


 高瀬は、画面を見つめた。


 そして。


 叫んだ。


「……待て!!」


 三秒。


 二秒。


 一秒。


 画面が、真っ白になった。


 高瀬は、息を止めた。


 そして。


 次の瞬間。


 表示された文字を見て、動けなくなった。



【削除処理】


完了。



【End】

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