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この人生、採点中  作者: 夜凪 灯
第二章 あなたは、誰の採点者ですか

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111/120

Review37「嫌いだった先生」

『高瀬』


『お前、先生になれ』



十五年前。


放課後の教室。



窓から差し込む夕日が、机の表面を赤く染めていた。


黒板には、消し忘れた数学の公式。教卓の隅には提出期限を過ぎたプリントが積まれている。


その前に、一人の教師が立っていた。


高瀬悠介。


十六歳。


高校一年生。


制服のネクタイは緩み、椅子には浅く腰掛けている。


そして、目の前の教師に向かって、はっきりと言った。



『絶対嫌です』



教師は笑った。


『即答か』


『当たり前でしょ』


『何で』


『先生って、面倒くさいじゃないですか』


『まあな』


『給料決まってるし、残業多いし、変な親いるし』


『詳しいな』


『先生が毎日愚痴ってるからでしょ』


『そうだったか』


『そうですよ』



教師は、机に置いてあった缶コーヒーを手に取った。


一口飲んで、顔をしかめる。



『……ぬるい』


『知りませんよ』


『人生もこんなもんだ』


『急に何の話ですか』


『期待したほど甘くない』


『ブラック飲んで何言ってんですか』



教師は笑った。


高瀬は笑わなかった。


この人は、いつもそうだった。


真面目な話をしていると思ったら、くだらないことを言う。


怒っていると思ったら、突然笑う。


何を考えているのか、よく分からない。



そして。


高瀬は、この教師が嫌いだった。




◇




現在。


高瀬は、実家の床に座り込んでいた。


目の前には、開かれた卒業アルバム。


その隣に、藤原美咲。


スマートフォンには、真壁からの着信履歴が残っている。



「……高瀬先生」



藤原が、慎重に声を掛けた。



「聞こえますか?」



「……うん」



「私が誰か分かります?」



「藤原美咲」


「はい」


「同僚」


「はい」


「俺よりしっかりしてる」


「そこまで聞いてません」



高瀬が、かすかに笑った。


藤原も少しだけ表情を緩める。



「気分は?」


「最悪」


「正直でよろしい」


「★★★★★?」


「今日は三つです」


「厳し」



冗談を言える。


それだけで、藤原は少し安心した。


しかし、高瀬の顔色は悪い。


額には汗が浮かび、呼吸も浅い。



「……思い出した」


高瀬が言った。



「何をですか?」


「俺の担任」


「名前も?」


「うん」



高瀬は、卒業アルバムへ目を向ける。


そこには、先ほどまで空白だった担任名が、確かに記されていた。



「……嫌いだった」


「え?」


「この先生」


一拍。


「めちゃくちゃ嫌いだった」



藤原は、何も言わなかった。


高瀬が続ける。



「でも」


「はい」


「俺が教師になったの」


声が、少し震える。



「この人のせいだ」




◇




十五年前。


高校一年生の高瀬は、学校が嫌いだった。


勉強が嫌いだったわけではない。


友達もいた。


部活も、それなりに楽しかった。


ただ、教師という存在が苦手だった。



「将来のため」


「あなたのため」


「今頑張らないと後悔する」



大人たちは、決まって同じことを言った。


未来。


将来。


可能性。


そんなもの、誰にも分からないはずなのに。


なぜか教師だけは、知っているような顔をしていた。



ある日。


高瀬は、進路希望調査票を白紙で提出した。



『高瀬』


『はい』


『何で白紙なんだ』


『決まってないからです』


『そうか』


『……それだけ?』



教師は、紙を見つめた。



『じゃあ、決まってないって書け』


『は?』


『白紙だと、考えてないのか、考えた結果決まってないのか分からん』


『……』


『違うだろ、その二つは』



高瀬は、教師を見た。



『先生』


『何』


『何でそんな面倒くさいこと言うんですか』


『仕事だから』


『嫌な仕事ですね』


『おう。たまにな』



教師は、赤ペンで何かを書いた。


進路希望調査票。


第一希望。



【未定】



その下に。



【理由:まだ決められない】



『これでいい』


『……怒らないんですか』


『何を』


『進路決めてないこと』


『十六歳だろ』


教師は笑った。



『まだ決まってない人生に、勝手に名前つけるなよ』



高瀬は、何も言えなかった。


この教師は嫌いだ。


そう思っていた。


なのに。


この言葉だけは、妙に覚えていた。




◇




現在。


午後六時二十七分。


真壁が到着した。



「……遅くなった」


「十分早いだろ」


「お前が死にかける速度に合わせてられない」


「死にかけてない」


「藤原」


「顔色は悪いです」


「ほらな」


「裏切ったな」



真壁は、二人の前にしゃがみ込んだ。


そして、卒業アルバムを見る。



「これが例の担任か」


「うん」


「名前、戻ったんだな」


「……戻った」



真壁は、写真をじっと見つめる。



「で?」


「何が」


「お前は、この教師を知ってるんだろ」


「知ってる」


「去年、会った記憶は?」


「まだ曖昧」



高瀬は、首を振った。



「高校の時のことは思い出した。でも、去年の旧校舎で何をしたかは、まだ繋がらない」


「記憶復元率は?」


「100%」


「なのに思い出せない?」


「……うん」



真壁が、眉を寄せた。



「それ、おかしくないか」


「俺も思った」


「100%って何の100%だ?」


「……」



高瀬は、スマートフォンを見る。


【記憶復元完了】


確かに、そう表示されている。



「高瀬」


真壁が言った。



「お前、Reviewに質問してないよな」


「してない」


「偉い」


「子ども扱いすんな」


「なら考えろ」



真壁は、アルバムを指差す。



「去年の記憶が戻ったとは、一度も書いてない」


「……あ」


「復元対象は、担任に関する記憶だったんじゃないのか」



高瀬は、画面を見直した。


未復元記憶。


一件。


対象者との関係。


――担任。



「……そうか」


「全部の記憶が戻ったとは限らない」


藤原が頷く。



「だったら、去年のことは別に調べる必要がありますね」


「そういうこと」



高瀬は、深く息を吐いた。


ようやく一つ、整理できた。


分からないことは、まだある。


でも。


分からないまま、決めつけなくていい。


それを、今は知っている。




◇




十五年前。


ある日の放課後。


高瀬は、教室で一人の男子生徒を見つけた。


机に突っ伏し、動かない。


同じクラスの生徒だった。


特別仲が良いわけではない。


でも、顔と名前くらいは知っている。



『……おい』


返事はない。



『帰らんの?』



男子生徒が、顔を上げた。


目が赤い。



『……帰りたくない』


『何で』


『別に』



高瀬は、困った。


こういう時、何を言えばいいのか分からない。


慰めるべきなのか。


放っておくべきなのか。



『……先生呼ぶ?』


『やめて』


『何で』


『大ごとになるから』



男子生徒は、机へ顔を伏せた。



『俺』


小さな声。



『学校来るの、しんどい』



高瀬は、何も言えなかった。


その時。


教室の扉が開いた。



『おーい、まだいたのか』



担任だった。



『……何してる』


『別に』


高瀬が答える。



教師は、男子生徒を見る。


そして、何も聞かずに近くの椅子へ座った。



『腹減ったな』


『……は?』


高瀬。



『何か食った?』


『いや』


『じゃあ購買行くか』


『もう閉まってます』


『知ってる』


『何なんですか』



教師は、少し笑った。


そして。


男子生徒へ向き直る。



『帰りたくないなら、もう少しいろ』


男子生徒が、顔を上げた。



『……いいんですか』


『俺も仕事残ってるしな』


『……』


『ただし』


教師は、机を指差す。



『一人でここにいるな』


『……何で』


『帰りたくない時に、一人でいると』


少し考えて。



『余計帰れなくなることもある』



男子生徒は、何も言わなかった。


でも。


少しだけ。


肩の力が抜けた。



高瀬は、その光景を見ていた。


教師は、何か特別なことをしたわけではない。


正しい答えを教えたわけでもない。


説教もしていない。


ただ。


隣に座った。



それだけだった。



なのに。


高瀬は、妙に腹が立った。



『……ずるい』


思わず、呟く。



教師が振り返る。



『何が』


『何でもないです』



高瀬は、顔を背けた。


その時。


初めて思った。



こんな大人には。


なりたくない。



でも。



こんなふうに誰かの隣に座れる大人には。


なってみたい。




◇




現在。


高瀬は、思い出したことを二人に話した。


藤原は、静かに聞いていた。


真壁は、腕を組んでいる。



「……それで教師になったのか」


真壁が聞く。



「分からん」


高瀬は答えた。



「でも、影響は受けたと思う」


「嫌いだったんだろ」


「嫌いだった」


「矛盾してるな」


「そうなんだよ」



高瀬は、アルバムを見る。



「正論ばっかり言うし、面倒くさいし、人のことよく見てるし」


「高瀬先生みたいですね」


藤原。



「え?」


「面倒くさいところ」


「そこだけ?」


「正論も言いますよ」


「よかった」


「たまに」


「たまに!?」



真壁が、鼻で笑った。



「影響受けすぎだろ」


「うるさい」



三人の間に、少しだけ笑いが生まれた。


その時。


高瀬は、卒業アルバムの最後のページに目を止めた。



寄せ書き。



クラスメイトの言葉。



『また遊ぼう』


『元気でな』


『絶対同窓会しよう』



その中に。


担任の字があった。



『高瀬へ』



高瀬は、指でなぞる。



『正しい先生にならなくていい。』


『間違えた時に、謝れる大人になれ。』



その下。



小さく。



『お前は、誰かを助けようとして、自分を壊すな。』



高瀬は、動けなくなった。



「……何で」


藤原が、覗き込む。



「どうしました?」



高瀬は、答えない。



十三年前。


いや。


十五年前。



この人は、もう。


分かっていたのだろうか。



自分が、そういう人間になると。



それとも。


自分が、そういう人間だったから。


この言葉を残したのか。



「……先生」


高瀬が、呟く。



不思議だった。


あんなに嫌いだった教師の言葉が。


今。


胸に刺さっていた。




◇




午後七時四十一分。


三人は、実家を出た。


外はすっかり暗くなっている。


高瀬は、玄関先で二人に頭を下げた。



「……ありがとう」


藤原が、笑う。



「珍しく素直ですね」


「成長期だから」


「三十六歳で?」


「晩成型なんだよ」


真壁。



「遅咲きにも程がある」


「お前ら今日ずっと厳しくない?」



笑い。


高瀬は、顔を上げる。



「でも」


二人を見る。



「一人だったら、多分また無茶してた」


「知ってます」


藤原。



「だから来ました」


真壁。



「だから呼べって言った」


「……うん」



高瀬は、頷いた。


十五年前。


教室で。


帰りたくない生徒の隣に座った教師。


あの人は、何も解決しなかった。


でも。


一人にしなかった。



今。


自分も。


一人ではない。



「……そっか」


高瀬が、小さく笑う。



「俺」


「はい?」


藤原。



「こういう先生になりたかったのかもな」



藤原は、少し考えてから言った。



「もう、なってると思いますよ」



高瀬は、首を振る。



「いや」


一拍。



「まだ途中」



真壁が、呆れたように言う。



「また採点中か」


「便利な言葉だろ」


「使いすぎると減点だぞ」


「採点すんなって」



三人は、笑った。




◇




その夜。


午後十一時二十六分。


高瀬は、自宅でノートを開いた。


今日分かったことを書く。



・高校時代の担任を思い出した。


・教師になった理由に、その人が関わっている。


・昨年の旧校舎に、同じ人物がいた可能性が高い。


・記憶復元100%は、全記憶の復元を意味しない。


・過去の自分は、その教師を思い出すことを恐れていた。



最後。


高瀬は、ペンを止めた。



『思い出したら、今度こそ俺は教師を辞める。』



あの紙。


今の自分の字。


過去の自分が、残した警告。



「……何でだよ」



教師になった理由を思い出した。


それだけなら。


むしろ。


続けたくなるはずだ。



なのに。


過去の自分は。


辞めると書いた。



「……去年」


高瀬は、呟く。



「何があった」



その時。


スマートフォンが震えた。



――ブッ。



【Review】



━━━━━━━━━━━━


本日の行動を

評価します。


━━━━━━━━━━━━



★★★★★。



━━━━━━━━━━━━


良かった点。


━━━━━━━━━━━━



━━━━━━━━━━━━


あなたは、


過去の自分を


否定しませんでした。


━━━━━━━━━━━━



次。



━━━━━━━━━━━━


改善点。


━━━━━━━━━━━━



━━━━━━━━━━━━


あなたは、


一つの事実を


見落としています。


━━━━━━━━━━━━



「……またか」



高瀬は、画面を見る。



━━━━━━━━━━━━


あなたが思い出したのは、


教師になった理由です。


━━━━━━━━━━━━



一拍。



━━━━━━━━━━━━


教師を続けた理由では

ありません。


━━━━━━━━━━━━



高瀬の、指が止まる。



「……続けた理由」



十三年。


楽しいことばかりではなかった。


辞めたいと思った日も。


何度もあった。



それでも。


続けた。



なぜ。



高瀬は、考える。



生徒。


同僚。


保護者。


感謝されたこと。


救えたこと。


救えなかったこと。



色々ある。



でも。



過去の自分が。


『思い出したら教師を辞める』


そう書くほどの。


何か。



「……何なんだよ」



その時。


画面が変わった。



━━━━━━━━━━━━


【Review Log】


昨年十月九日


━━━━━━━━━━━━



高瀬の、呼吸が止まる。



旧校舎。


桐谷が消えた時期。


もう一人の高瀬が現れた日。



━━━━━━━━━━━━


記録対象


高瀬悠介


━━━━━━━━━━━━



━━━━━━━━━━━━


行動記録


教師継続を選択。


━━━━━━━━━━━━



「……継続?」



次。



━━━━━━━━━━━━


選択理由


未確認。


━━━━━━━━━━━━



高瀬は、画面を見つめる。



去年。


自分は。


教師を続けることを。


選んだ。



それまで。


何を選ぼうとしていた。



――ブッ。



━━━━━━━━━━━━


補足記録。


━━━━━━━━━━━━



━━━━━━━━━━━━


昨年十月八日


高瀬悠介


退職意思を表明。


━━━━━━━━━━━━



「……は?」



高瀬は、声を失った。



去年。


自分は。


教師を辞めようとしていた。



記憶には。


ない。



━━━━━━━━━━━━


翌日。


━━━━━━━━━━━━



━━━━━━━━━━━━


退職意思を撤回。


━━━━━━━━━━━━



高瀬の、心臓が速くなる。



そして。



━━━━━━━━━━━━


撤回理由。


━━━━━━━━━━━━



数秒。



沈黙。



━━━━━━━━━━━━


「先生が、


辞めるなと言ったから」


━━━━━━━━━━━━



「……先生?」



高校時代の担任。



あの人が。


去年。


自分に。


辞めるなと言った。



だから。


続けた。



高瀬は、息を呑む。



でも。



おかしい。



過去の自分は。


その先生を思い出したら。


今度こそ。


教師を辞めると書いている。



辞めるなと言われたから。


続けた。



なのに。


思い出したら。


辞める。



矛盾している。



「……何で」



画面。



最後。



━━━━━━━━━━━━


当該発言者の

本人確認を行います。


━━━━━━━━━━━━



高瀬が、眉を寄せる。



━━━━━━━━━━━━


発言者


「先生」


━━━━━━━━━━━━



━━━━━━━━━━━━


照合結果


不一致。


━━━━━━━━━━━━



「……不一致?」



次。



━━━━━━━━━━━━


昨年十月九日。


高瀬悠介に


「教師を辞めるな」と告げた人物は、


━━━━━━━━━━━━



高瀬の、呼吸が止まる。



━━━━━━━━━━━━


高校時代の担任では

ありません。


━━━━━━━━━━━━



「……は?」



そして。



最後。



━━━━━━━━━━━━


発言者の氏名。


━━━━━━━━━━━━



一拍。



━━━━━━━━━━━━


――高瀬悠介


━━━━━━━━━━━━



高瀬は、動けなかった。



「……俺?」



去年。


教師を辞めようとしていた自分に。


辞めるなと言ったのは。



自分自身。



もう一人の。



高瀬悠介。



高瀬は、ノートを見る。



『思い出したら、今度こそ俺は教師を辞める。』



そして。



ようやく。


気付いた。



この文章の。


『俺』は。



今の自分とは。



限らない。



【End】

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