Review26「辞めた人間が、出勤してきた」
朝。
高瀬は、職員室の入口で足を止めた。
理由は単純だった。
佐伯がいた。
自分の机に座って。
いつものように。
パソコンを開いていた。
「……」
高瀬は。
しばらく。
何も言えなかった。
昨日。
確かに見た。
佐伯が。
自分の手で。
退職届を出した。
誰かに書かされたものではない。
書き換えられたものでもない。
自分の意思で。
自分の名前を書いた。
そして。
提出した。
なのに。
「おはようございます」
佐伯が。
高瀬に気付く。
「……おはようございます」
返した。
普通だった。
あまりにも。
普通だった。
佐伯は。
机の上の資料を揃えている。
今日の授業で使うプリント。
赤ペン。
出席簿。
何も。
おかしくない。
だからこそ。
おかしい。
高瀬は。
ゆっくり近付いた。
「佐伯先生」
「はい?」
「今日」
一度。
言葉を選ぶ。
「何でいるんですか?」
佐伯が。
瞬きをした。
「……仕事だからですけど」
「いや」
「?」
「昨日」
高瀬は。
佐伯を見る。
「退職届、出しましたよね」
数秒。
沈黙。
佐伯の表情から。
笑顔が消えた。
「……何の話ですか?」
高瀬の背中を。
冷たいものが走った。
「退職届です」
「だから」
佐伯が。
困ったように笑う。
「出してませんよ」
「……」
「高瀬先生?」
嘘をついている。
そうは。
見えなかった。
むしろ。
本当に。
高瀬が変なことを言っていると思っている。
「昨日」
高瀬は続けた。
「俺と話しましたよね」
「話しましたけど」
「そのあと」
「そのあと?」
佐伯は。
少し考える。
「普通に帰りましたよ」
「……退職届は?」
「書いてません」
即答だった。
「提出も?」
「してません」
「……」
高瀬は。
何も言えなかった。
佐伯が。
逆に心配そうな顔をする。
「高瀬先生」
「はい」
「大丈夫ですか?」
「……」
その言葉を。
最近。
何度聞いただろう。
高瀬は。
少しだけ笑った。
「今のところ」
「?」
「多分」
「何ですか、それ」
佐伯も。
少しだけ笑った。
その笑い方まで。
昨日と同じだった。
◇
「ない?」
「ないですね」
藤原が。
職員室の端で。
小さな声で答えた。
高瀬は。
周囲を確認する。
佐伯は。
教室へ向かった。
今はいない。
「昨日の退職届」
「はい」
「提出された記録がないです」
「……そんなことある?」
「普通はないです」
藤原が。
パソコンの画面を見る。
「管理職にも確認しました」
「何て?」
「佐伯先生から退職の申し出は受けてないって」
「……」
「書類もありません」
「昨日」
高瀬は。
声を落とす。
「俺たち、見たよな」
藤原が。
すぐに頷く。
「見ました」
「佐伯先生が書いた」
「はい」
「本人が」
「はい」
「自分で出した」
「……はい」
二人とも。
覚えている。
なのに。
現実には。
存在しない。
「代替記録」
高瀬が呟く。
藤原が。
高瀬を見る。
「また?」
「分からない」
高瀬は。
首を振る。
「でも」
昨日まで。
佐伯を巡って。
何度も起きた。
本人の意思とは違う記録。
本人より先に。
本人の人生を決める記録。
そして。
昨日。
ようやく。
佐伯自身が選んだ。
自分で。
退職届を書いた。
だから。
終わったと思った。
「本人が決めても」
高瀬が。
小さく言う。
「駄目なのか」
藤原は。
答えなかった。
その時。
「何が?」
後ろ。
高瀬が振り返る。
真壁。
「……いつからいた」
「『本人が決めても』くらい」
「一番聞かれたくないところ」
「なら職員室で話すな」
「正論やめて」
真壁は。
二人を見る。
「佐伯のこと?」
高瀬と。
藤原が。
一瞬。
顔を見合わせる。
「……何で分かった」
「朝からお前が佐伯見て固まってた」
「見てた?」
「目立ってた」
「そんなに?」
「かなり」
藤原が頷く。
「かなり」
「藤原先生まで」
真壁は。
高瀬の隣へ立つ。
「で」
「?」
「佐伯がどうした」
高瀬は。
迷った。
でも。
もう。
一人で抱え込むつもりはなかった。
「昨日」
言った。
「佐伯先生が退職届を出した」
真壁が。
黙る。
「本人が書いて」
「……」
「本人の意思で」
「……」
「俺と藤原先生は見てる」
真壁が。
藤原を見る。
藤原が頷く。
「でも」
高瀬は続けた。
「今日」
佐伯は。
普通に出勤している。
「本人は」
一拍。
「退職届を書いたことすら覚えてない」
真壁は。
しばらく何も言わなかった。
それから。
「書類は?」
「消えてる」
「データ」
「ない」
「管理職の記憶」
「提出されてないことになってる」
「……」
真壁は。
佐伯の机を見る。
そこには。
今日の予定が書かれた手帳。
授業の教材。
飲みかけのコーヒー。
今日も。
明日も。
ここで働く人間の机だった。
「高瀬」
「何」
真壁が。
静かに言った。
「それ」
「?」
「佐伯だけか?」
高瀬が。
止まる。
「……どういう意味」
「消えたのが」
真壁は。
高瀬を見る。
「退職届だけなのかって聞いてる」
「……」
高瀬は。
佐伯を見る。
教室から戻ってきた。
生徒と話しながら。
笑っている。
昨日。
佐伯は。
何と言っていた。
なぜ。
辞めると決めた。
何が。
あの人を。
そこまで追い詰めた。
高瀬は。
思い出す。
思い出せる。
はずだった。
「……あれ?」
藤原が。
高瀬を見る。
「どうしました?」
「いや」
理由は。
知っている。
何度も。
話した。
なのに。
言葉にしようとすると。
一部分だけ。
霧がかかったように。
出てこない。
「高瀬先生?」
「待って」
高瀬は。
額へ手を当てる。
佐伯が。
辞めたいと思った理由。
本人の意思。
代替記録。
全部。
分かっている。
なのに。
一番最初。
そもそも。
どうして。
自分たちは。
佐伯の退職に関わった。
「……藤原先生」
「はい」
「最初」
「?」
「佐伯先生の件」
高瀬は。
ゆっくり聞いた。
「誰から聞いた?」
藤原の表情が。
止まった。
「……え?」
「俺たち」
高瀬は。
自分でも。
嫌な予感がしていた。
「何で」
一拍。
「佐伯先生が辞めたいって知ったんだ?」
藤原は。
答えない。
真壁も。
黙っている。
高瀬のポケット。
振動。
――ブッ。
三人が。
同時に。
そこを見る。
高瀬は。
ゆっくり。
スマートフォンを取り出した。
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【Review】
本人確認を
開始します。
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「……また」
藤原が呟く。
表示。
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対象
佐伯
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次。
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質問。
━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━
昨日、
退職届を書いた人物と、
━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━
本日、
出勤している人物は、
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━━━━━━━━━━━━
同一人物ですか?
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YES
NO
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高瀬は。
画面を見る。
昨日。
本人確認。
誰が決めたのか。
誰の意思なのか。
それを。
ずっと確かめてきた。
だから。
答えは。
簡単なはずだった。
佐伯だ。
昨日も。
今日も。
同じ佐伯。
「……YES」
指を。
伸ばす。
その時。
真壁が。
高瀬の腕を掴んだ。
「待て」
「何」
「それ」
真壁が。
画面を見る。
「顔の話か?」
「……は?」
「名前?」
「何言って」
「記憶?」
真壁が。
佐伯を見る。
「何をもって」
静かに。
聞いた。
「同じ人間だと判断する」
高瀬の指が。
止まった。
顔。
同じ。
名前。
同じ。
声。
同じ。
職場。
同じ。
でも。
昨日の選択を。
覚えていない。
それでも。
同じ人間なのか。
「……」
高瀬は。
YESから。
指を離した。
Review。
選ばない。
まだ。
選べない。
その時。
画面が。
変わった。
━━━━━━━━━━━━
【Review】
回答を
保留しました。
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次。
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本人確認には、
本人の意思が
必要です。
━━━━━━━━━━━━
「……」
さらに。
一文。
━━━━━━━━━━━━
現在。
対象の意思を
確認できません。
━━━━━━━━━━━━
高瀬が。
顔を上げる。
佐伯は。
いる。
そこに。
普通に。
同僚と話している。
笑っている。
生きている。
意識もある。
会話もできる。
なのに。
Reviewは。
言った。
本人の意思を。
確認できない。
「……佐伯先生」
高瀬は。
歩き出した。
藤原が。
後ろから続く。
真壁も。
何も言わず。
ついてきた。
「佐伯先生」
「はい?」
佐伯が振り返る。
「一個」
高瀬は。
目の前に立つ。
「聞いていいですか」
「何です?」
「今」
一度。
息を吸う。
「仕事」
佐伯を見る。
「辞めたいですか?」
職員室。
周囲の音が。
遠くなる。
佐伯は。
驚いた顔をした。
そして。
笑った。
「何ですか、急に」
「いいから」
「……」
「辞めたいですか?」
佐伯は。
少しだけ考えた。
「辞めませんよ」
「……」
「昨日も言ったじゃないですか」
高瀬の表情が。
変わる。
「昨日?」
「はい」
佐伯は。
何でもないことのように。
言った。
「高瀬先生に」
一拍。
「『辞めたくない』って」
高瀬は。
動けなかった。
昨日。
自分が聞いた言葉と。
逆だった。
藤原も。
何も言わない。
真壁だけが。
佐伯を見ている。
ポケットの中。
スマートフォンが。
震えた。
でも。
高瀬は。
見なかった。
「佐伯先生」
「はい」
「昨日」
喉が。
少し乾く。
「俺と」
高瀬は。
藤原を見る。
「藤原先生と」
そして。
真壁を見る。
「真壁」
一度。
止まる。
「三人で」
何を。
した。
昨日。
佐伯と。
誰がいた。
高瀬の頭の中で。
記憶が。
一瞬だけ。
ずれた。
知らない。
場面。
見たことのない。
職員室。
夜。
自分。
佐伯。
そして。
もう一人。
誰かが。
立っている。
顔は。
見えない。
でも。
その人間が。
言った。
『本人に聞くな』
「……っ」
頭痛。
高瀬が。
机へ手をつく。
「高瀬先生!」
藤原が。
身体を支える。
「大丈夫」
「大丈夫じゃないです」
「……今」
高瀬は。
頭を押さえる。
「何か」
「何です?」
「見えた」
真壁の表情が。
変わる。
「記憶?」
「分からない」
「誰がいた」
「……」
高瀬は。
目を閉じる。
もう。
消えている。
顔。
声。
場面。
何一つ。
掴めない。
ただ。
言葉だけ。
残った。
『本人に聞くな』
高瀬は。
ゆっくり。
スマートフォンを見る。
画面には。
さっきとは違う表示。
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【Review】
確認しました。
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「……何を」
次。
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対象
佐伯
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本人確認
失敗
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「失敗……?」
そして。
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理由
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表示まで。
数秒。
かかった。
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本人が、
二人存在します。
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「……」
高瀬は。
佐伯を見る。
一人しか。
いない。
目の前に。
一人。
「二人って」
藤原が。
小さく呟く。
高瀬は。
答えられなかった。
その時。
職員室の電話が鳴った。
誰かが取る。
「はい。――はい」
高瀬は。
まだ。
佐伯を見ている。
電話を取った教師が。
こちらを見る。
「佐伯先生」
「はい?」
「お電話です」
「誰からです?」
教師が。
少し困った顔をした。
「それが」
受話器を押さえる。
「お名前を」
一拍。
「佐伯と名乗ってます」
誰も。
動かなかった。
佐伯の顔から。
初めて。
笑顔が消えた。
「……え?」
高瀬は。
受話器を見る。
そして。
目の前の。
佐伯を見る。
昨日。
退職届を書いた人間。
今日。
出勤してきた人間。
そして。
電話の向こう。
もう一人。
佐伯。
高瀬のスマートフォン。
最後の表示。
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【Review】
警告。
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二人を、
会わせないでください。
【End】
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