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この人生、採点中  作者: 夜凪 灯
第二章 あなたは、誰の採点者ですか

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100/120

Review26「辞めた人間が、出勤してきた」

朝。


高瀬は、職員室の入口で足を止めた。


理由は単純だった。


佐伯がいた。


自分の机に座って。


いつものように。


パソコンを開いていた。


「……」


高瀬は。


しばらく。


何も言えなかった。


昨日。


確かに見た。


佐伯が。


自分の手で。


退職届を出した。


誰かに書かされたものではない。


書き換えられたものでもない。


自分の意思で。


自分の名前を書いた。


そして。


提出した。


なのに。


「おはようございます」


佐伯が。


高瀬に気付く。


「……おはようございます」


返した。


普通だった。


あまりにも。


普通だった。


佐伯は。


机の上の資料を揃えている。


今日の授業で使うプリント。


赤ペン。


出席簿。


何も。


おかしくない。


だからこそ。


おかしい。


高瀬は。


ゆっくり近付いた。


「佐伯先生」


「はい?」


「今日」


一度。


言葉を選ぶ。


「何でいるんですか?」


佐伯が。


瞬きをした。


「……仕事だからですけど」


「いや」


「?」


「昨日」


高瀬は。


佐伯を見る。


「退職届、出しましたよね」


数秒。


沈黙。


佐伯の表情から。


笑顔が消えた。


「……何の話ですか?」


高瀬の背中を。


冷たいものが走った。


「退職届です」


「だから」


佐伯が。


困ったように笑う。


「出してませんよ」


「……」


「高瀬先生?」


嘘をついている。


そうは。


見えなかった。


むしろ。


本当に。


高瀬が変なことを言っていると思っている。


「昨日」


高瀬は続けた。


「俺と話しましたよね」


「話しましたけど」


「そのあと」


「そのあと?」


佐伯は。


少し考える。


「普通に帰りましたよ」


「……退職届は?」


「書いてません」


即答だった。


「提出も?」


「してません」


「……」


高瀬は。


何も言えなかった。


佐伯が。


逆に心配そうな顔をする。


「高瀬先生」


「はい」


「大丈夫ですか?」


「……」


その言葉を。


最近。


何度聞いただろう。


高瀬は。


少しだけ笑った。


「今のところ」


「?」


「多分」


「何ですか、それ」


佐伯も。


少しだけ笑った。


その笑い方まで。


昨日と同じだった。



◇



「ない?」


「ないですね」


藤原が。


職員室の端で。


小さな声で答えた。


高瀬は。


周囲を確認する。


佐伯は。


教室へ向かった。


今はいない。


「昨日の退職届」


「はい」


「提出された記録がないです」


「……そんなことある?」


「普通はないです」


藤原が。


パソコンの画面を見る。


「管理職にも確認しました」


「何て?」


「佐伯先生から退職の申し出は受けてないって」


「……」


「書類もありません」


「昨日」


高瀬は。


声を落とす。


「俺たち、見たよな」


藤原が。


すぐに頷く。


「見ました」


「佐伯先生が書いた」


「はい」


「本人が」


「はい」


「自分で出した」


「……はい」


二人とも。


覚えている。


なのに。


現実には。


存在しない。


「代替記録」


高瀬が呟く。


藤原が。


高瀬を見る。


「また?」


「分からない」


高瀬は。


首を振る。


「でも」


昨日まで。


佐伯を巡って。


何度も起きた。


本人の意思とは違う記録。


本人より先に。


本人の人生を決める記録。


そして。


昨日。


ようやく。


佐伯自身が選んだ。


自分で。


退職届を書いた。


だから。


終わったと思った。


「本人が決めても」


高瀬が。


小さく言う。


「駄目なのか」


藤原は。


答えなかった。


その時。


「何が?」


後ろ。


高瀬が振り返る。


真壁。


「……いつからいた」


「『本人が決めても』くらい」


「一番聞かれたくないところ」


「なら職員室で話すな」


「正論やめて」


真壁は。


二人を見る。


「佐伯のこと?」


高瀬と。


藤原が。


一瞬。


顔を見合わせる。


「……何で分かった」


「朝からお前が佐伯見て固まってた」


「見てた?」


「目立ってた」


「そんなに?」


「かなり」


藤原が頷く。


「かなり」


「藤原先生まで」


真壁は。


高瀬の隣へ立つ。


「で」


「?」


「佐伯がどうした」


高瀬は。


迷った。


でも。


もう。


一人で抱え込むつもりはなかった。


「昨日」


言った。


「佐伯先生が退職届を出した」


真壁が。


黙る。


「本人が書いて」


「……」


「本人の意思で」


「……」


「俺と藤原先生は見てる」


真壁が。


藤原を見る。


藤原が頷く。


「でも」


高瀬は続けた。


「今日」


佐伯は。


普通に出勤している。


「本人は」


一拍。


「退職届を書いたことすら覚えてない」


真壁は。


しばらく何も言わなかった。


それから。


「書類は?」


「消えてる」


「データ」


「ない」


「管理職の記憶」


「提出されてないことになってる」


「……」


真壁は。


佐伯の机を見る。


そこには。


今日の予定が書かれた手帳。


授業の教材。


飲みかけのコーヒー。


今日も。


明日も。


ここで働く人間の机だった。


「高瀬」


「何」


真壁が。


静かに言った。


「それ」


「?」


「佐伯だけか?」


高瀬が。


止まる。


「……どういう意味」


「消えたのが」


真壁は。


高瀬を見る。


「退職届だけなのかって聞いてる」


「……」


高瀬は。


佐伯を見る。


教室から戻ってきた。


生徒と話しながら。


笑っている。


昨日。


佐伯は。


何と言っていた。


なぜ。


辞めると決めた。


何が。


あの人を。


そこまで追い詰めた。


高瀬は。


思い出す。


思い出せる。


はずだった。


「……あれ?」


藤原が。


高瀬を見る。


「どうしました?」


「いや」


理由は。


知っている。


何度も。


話した。


なのに。


言葉にしようとすると。


一部分だけ。


霧がかかったように。


出てこない。


「高瀬先生?」


「待って」


高瀬は。


額へ手を当てる。


佐伯が。


辞めたいと思った理由。


本人の意思。


代替記録。


全部。


分かっている。


なのに。


一番最初。


そもそも。


どうして。


自分たちは。


佐伯の退職に関わった。


「……藤原先生」


「はい」


「最初」


「?」


「佐伯先生の件」


高瀬は。


ゆっくり聞いた。


「誰から聞いた?」


藤原の表情が。


止まった。


「……え?」


「俺たち」


高瀬は。


自分でも。


嫌な予感がしていた。


「何で」


一拍。


「佐伯先生が辞めたいって知ったんだ?」


藤原は。


答えない。


真壁も。


黙っている。


高瀬のポケット。


振動。


――ブッ。


三人が。


同時に。


そこを見る。


高瀬は。


ゆっくり。


スマートフォンを取り出した。


━━━━━━━━━━━━


【Review】


本人確認を

開始します。


━━━━━━━━━━━━


「……また」


藤原が呟く。


表示。


━━━━━━━━━━━━


対象


佐伯


━━━━━━━━━━━━


次。


━━━━━━━━━━━━


質問。


━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━


昨日、


退職届を書いた人物と、


━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━


本日、


出勤している人物は、


━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━


同一人物ですか?


━━━━━━━━━━━━


YES


NO


━━━━━━━━━━━━


高瀬は。


画面を見る。


昨日。


本人確認。


誰が決めたのか。


誰の意思なのか。


それを。


ずっと確かめてきた。


だから。


答えは。


簡単なはずだった。


佐伯だ。


昨日も。


今日も。


同じ佐伯。


「……YES」


指を。


伸ばす。


その時。


真壁が。


高瀬の腕を掴んだ。


「待て」


「何」


「それ」


真壁が。


画面を見る。


「顔の話か?」


「……は?」


「名前?」


「何言って」


「記憶?」


真壁が。


佐伯を見る。


「何をもって」


静かに。


聞いた。


「同じ人間だと判断する」


高瀬の指が。


止まった。


顔。


同じ。


名前。


同じ。


声。


同じ。


職場。


同じ。


でも。


昨日の選択を。


覚えていない。


それでも。


同じ人間なのか。


「……」


高瀬は。


YESから。


指を離した。


Review。


選ばない。


まだ。


選べない。


その時。


画面が。


変わった。


━━━━━━━━━━━━


【Review】


回答を

保留しました。


━━━━━━━━━━━━


次。


━━━━━━━━━━━━


本人確認には、


本人の意思が

必要です。


━━━━━━━━━━━━


「……」


さらに。


一文。


━━━━━━━━━━━━


現在。


対象の意思を


確認できません。


━━━━━━━━━━━━


高瀬が。


顔を上げる。


佐伯は。


いる。


そこに。


普通に。


同僚と話している。


笑っている。


生きている。


意識もある。


会話もできる。


なのに。


Reviewは。


言った。


本人の意思を。


確認できない。


「……佐伯先生」


高瀬は。


歩き出した。


藤原が。


後ろから続く。


真壁も。


何も言わず。


ついてきた。


「佐伯先生」


「はい?」


佐伯が振り返る。


「一個」


高瀬は。


目の前に立つ。


「聞いていいですか」


「何です?」


「今」


一度。


息を吸う。


「仕事」


佐伯を見る。


「辞めたいですか?」


職員室。


周囲の音が。


遠くなる。


佐伯は。


驚いた顔をした。


そして。


笑った。


「何ですか、急に」


「いいから」


「……」


「辞めたいですか?」


佐伯は。


少しだけ考えた。


「辞めませんよ」


「……」


「昨日も言ったじゃないですか」


高瀬の表情が。


変わる。


「昨日?」


「はい」


佐伯は。


何でもないことのように。


言った。


「高瀬先生に」


一拍。


「『辞めたくない』って」


高瀬は。


動けなかった。


昨日。


自分が聞いた言葉と。


逆だった。


藤原も。


何も言わない。


真壁だけが。


佐伯を見ている。


ポケットの中。


スマートフォンが。


震えた。


でも。


高瀬は。


見なかった。


「佐伯先生」


「はい」


「昨日」


喉が。


少し乾く。


「俺と」


高瀬は。


藤原を見る。


「藤原先生と」


そして。


真壁を見る。


「真壁」


一度。


止まる。


「三人で」


何を。


した。


昨日。


佐伯と。


誰がいた。


高瀬の頭の中で。


記憶が。


一瞬だけ。


ずれた。


知らない。


場面。


見たことのない。


職員室。


夜。


自分。


佐伯。


そして。


もう一人。


誰かが。


立っている。


顔は。


見えない。


でも。


その人間が。


言った。


『本人に聞くな』


「……っ」


頭痛。


高瀬が。


机へ手をつく。


「高瀬先生!」


藤原が。


身体を支える。


「大丈夫」


「大丈夫じゃないです」


「……今」


高瀬は。


頭を押さえる。


「何か」


「何です?」


「見えた」


真壁の表情が。


変わる。


「記憶?」


「分からない」


「誰がいた」


「……」


高瀬は。


目を閉じる。


もう。


消えている。


顔。


声。


場面。


何一つ。


掴めない。


ただ。


言葉だけ。


残った。


『本人に聞くな』


高瀬は。


ゆっくり。


スマートフォンを見る。


画面には。


さっきとは違う表示。


━━━━━━━━━━━━


【Review】


確認しました。


━━━━━━━━━━━━


「……何を」


次。


━━━━━━━━━━━━


対象


佐伯


━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━


本人確認


失敗


━━━━━━━━━━━━


「失敗……?」


そして。


━━━━━━━━━━━━


理由


━━━━━━━━━━━━


表示まで。


数秒。


かかった。


━━━━━━━━━━━━


本人が、


二人存在します。


━━━━━━━━━━━━


「……」


高瀬は。


佐伯を見る。


一人しか。


いない。


目の前に。


一人。


「二人って」


藤原が。


小さく呟く。


高瀬は。


答えられなかった。


その時。


職員室の電話が鳴った。


誰かが取る。


「はい。――はい」


高瀬は。


まだ。


佐伯を見ている。


電話を取った教師が。


こちらを見る。


「佐伯先生」


「はい?」


「お電話です」


「誰からです?」


教師が。


少し困った顔をした。


「それが」


受話器を押さえる。


「お名前を」


一拍。


「佐伯と名乗ってます」


誰も。


動かなかった。


佐伯の顔から。


初めて。


笑顔が消えた。


「……え?」


高瀬は。


受話器を見る。


そして。


目の前の。


佐伯を見る。


昨日。


退職届を書いた人間。


今日。


出勤してきた人間。


そして。


電話の向こう。


もう一人。


佐伯。


高瀬のスマートフォン。


最後の表示。


━━━━━━━━━━━━


【Review】


警告。


━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━


二人を、


会わせないでください。


【End】


━━━━━━━━━━━━

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