4, 異変と懸念
この話のみ視点が変わります。
おかしい。
今朝から起き上がるのも辛いくらい、体が重くて息苦しい。
昨日まで何の異変もなく自由に動けていたのに、突然のことだった。
これでは以前と同じ状況ではないか。
半年ほど前から俺は謎の病に苦しめられていた。
どの医者に見せても状況が好転するどころか、原因すら分からずじまい。
手を打つにもその術がなく、衰弱していく身体に最悪の結末も想起される。
この身体せいで、あと少しで決まり掛けていた婚約の話は破談。
いくら伯爵家の地位を有していても、病弱な人間との婚約に踏み切る相手はいなかった。
未知の病を患ってからは、踏んだり蹴ったりの毎日が続いていた。
不幸のどん底に落ちたそんな時にルーカリウス家の誰かが、聖女クレアの話を耳にする。
彼女はラインベル子爵家の令嬢で、何でもその神秘的な力によって、病気やケガは快方へと向かい、辛い思い出や過去も忘れさせてくれる。
もし本当に噂通りであれば、人智を超えた存在だった。
彼女に依頼すれば、もしかするとこの苦しみから開放されるかもしれない。
そのような期待を胸に秘め、彼女に会える日を楽しみにしていたが、そう簡単にはいかなかった。
自分と同じように、聖女の力を頼る者は大勢存在したのだ。
彼女に話をつけに家の使用人が交渉に向かったが、早くても数ヶ月は掛かるとの返答。
ならば、大金を積むので他の者よりも先に見て欲しいと、頼んでも見たもののクレアは難色を示した。
「そのお金は受け取れません。聖女の力を必要とされているにも関わらず、すぐさま駆け付けられないことは大変申し訳なく思っております。しかしあなた方と同じように重病を抱えられていても、待ち続けている方もいらっしゃいます。私は神に仕えし聖女として献身を捧げている身。お金で優劣をつけるような真似は致しません」
聖女としてはすごく美しい模範的な回答だった。
しかし彼女のその答えに、苛立ちを見せた使用人は伯爵家の名前を出して圧力を掛けようとしたが、同じように軽くあしらわれるばかり。
仕方なく、聖女が来るのを待つしかなかった。
だが待てども待てども、順番はやって来ない。
その間にも病は進行し続け、ついにはベッドから起き上がるのも難しい状態になっていた。
これでは彼女が来る前に、自分の身が危うい。
そう感じていたのは、ルーカリウス家全員の総意であった。
クレア本人に対する直接的な説得は効果がなかった。
なら、彼女を取り巻く他の部分からならどうだろう?
クレアとの交渉が上手くいかず、ルーカリウス家の誰かがそんな風に考え始めていた。
幸いラインベル家は、クレアの婚約者探しに奔走し難航していると聞く。
クレア本人は聖女として株を上げているとはいえ、他の貴族たちの見立てとしてはまだ没落のラインベル家、という心象が拭えされないでいるのだろう。
これは好機だ。
今ならクレアとの婚約に漕ぎ着けることも可能。
そうなれば必然的に、クレアも聖女の力を振るわざるを得ない。
そして実際にその通りに事は運び、俺自身の容態もすっかり良くなったのだけれど。
クレアの祈りによって、完治したと思っていた俺の病は再発していた。
ふらふらの身体で、家の者に気取られぬように外出を始める。
要らぬ心配を掛けたくないというのもあるが、この状態で見つかって足止めを食らうのも面倒だ。
目指すのは教会だけど。
しかし懸念もあった。
つい先日、クレアとの婚約を破棄する旨の文書をラインベル家に送りつけてしまっていたからだ。
正直に言って、寝耳に水だった。
その事実を知ったのは、体調が戻った次の日に母から直接告げられた。
「侯爵家の令嬢が、再びレオニスとの婚約を考え直すと通達があったわ。あの子には悪いことをしたけど、もう用済みだし問題ないわよね?」
母は淡々と感情の起伏のない声音で、クレアとの婚約を破棄した理由を言っていた。
俺に判断を委ねることもなく、自らが最善だと思ったからそうしたと。
だけど母の判断には、複雑な感情を抱いていた。
理屈としては理解できる。
今よりもルーカリウス家の地位を強固な物にしたい。
そのために子爵家のクレアより、侯爵家の令嬢と婚約をということなのだろう。
けれどそれでは、クレアに対してあまりにも不義理ではないか。
母とは違って彼女を——クレアを初めから見切るつもりなんて微塵もなかった。
それに俺はまだ、あの時のお礼を言えていない。
俺は俗事を優先して、何事も無かったかのように日常へと戻ろうとしていた。
本当は真っ先に向かうべきはずだったのに。
彼女に会って感謝の意を伝えなければ、ルーカリウス家末代までの恥だ。
俺は満身創痍の状態で、教会へとやってきた。
建物はお世辞にも綺麗とは言い難く、みすぼらしい所ではあった。
けれど聖女の祈りを求めて、足を運んでいる者も多いようだ。
教会内に入ると、一人の黒服に声を掛けられた。
どうやら教会に立ち入って良いのは、今日クレアから祈りを捧げられる者のみに限られているらしい。
恐らくラインベル家の使用人のようで、便宜を図ってもらうために自分の身分を明かすと大層驚いていた。
それからは使用人の方が話を通してくださったようで、彼女の控室で修道服を纏った聖女クレアとの面会が叶った。
「それで? 今日はどうされましたか? 随分とご気分がすぐれないように見えますが?」
平静を装っていたつもりだったけど、一瞬で見抜かれてしまった。
せめて礼を尽くすまでは、普段の姿でいたいと勝手な意地みたいなものではあったが。
「困るんですよね〜、こうして祈りを捧げてもらいたいと直談判されるのは。いくら貴族の方と言えど順番を守っていただかなくては〜」
「い、いえ、そうではなく。俺はクレアにお礼を言いたかった」
「お礼、ですか……?」
知り合ってからの期間がそんなに長くないからだろうか?
どこか他人行儀のようにも思えるクレアの言動に、違和感を覚えつつも話を進めていく。
「遅ればせながらあの時、自分を病から救っていただき心より御礼申し上げる……こうして、今は……元気に日々を送っております」
「い、いえ。とても元気に回復されてるようには見えませんけど、大丈夫…………? って、それよりも——」
ダメだ。思うように言葉を発せない。
この程度の演技力ではクレアにも、俺の想いは伝わっていないようで、何かを思い悩むような仕草を見せていた。
しばらくの間、室内には沈黙の時間が続く。
部屋の中で何をするでもなく、クレアは椅子に座ったまま俺をどこか観察しているかのように眺め続けていた。
「一つだけ、訊いてもいいかしら?」
クレアは徐に口を開く。
彼女が釈然としないのも頷けた。
まさか婚約破棄された家の当事者から、お礼を言われるなんて思いもしなかったのだろう。
戸惑いもあるのだろうが、それにしてはどこか余所余所しいという感じで、ばつが悪そうにも見える。
時間だけがゆっくりと流れていく中、彼女は意を決した表情で尋ねてくる。
そしてその内容は、俺の全く予想していないものだった。
「——あなた、誰?」




