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18 神単語の降臨

 先生に向かって「お母さん」と呼びかけて、恥ずかしい思いをしたことはないだろうか。


 別に本当に先生をお母さんと勘違いしたわけじゃない。「お母さん」と呼びかけているのに慣れているから、間違えて「お母さん」と言ってしまっただけだ。


 そしてそんなこと、誰もが分かっている。だから、みんな笑ったり、からかったりして済ませる。誰も怒ったりはしない。


 ただし、マキシミリアンを除いて。

 彼はミスに容赦なかった。


 ―――


 Tuを使い始めてから、ジョゼットとの距離が縮まった。やはり、Vousには相手と一定の距離を保つ効果があるらしい。尊敬の意を表す敬語とは、そういうところで一線を画す。

 そして、Tuでジョゼットの態度が少し変わると、そのことが嬉しくて、私の方も積極的に話しかけるようになった。


 今日も洋服を選ぶ際に、ジョゼットの意見を聞いてみた。

「C'est bien ?」(これでいい?)

「Les chaussures ne vont pas avec le reste. Prenez ça.」

(靴が合っていませんね。これにして下さい。)

「Merci.」

「Tu aimes ça ou ça ?」(これとこれどっちが好き?)

「Celles en bleu sont meilleures.」(青い方がいいですね)

「Où ça ?」(どこにある?)

「C'est ici.」(ここですよ)

「Tu aimes ça ?」(これ好きなの?)

「Oui, c'est très joli.」(はい、とてもきれいですよ)

「D'accord. Je prends ça.」(わかったわ。これにする。)


 そう、私は便利な単語をゲットした。「これ」に近い使い方の「ça()」である。

 Tuの形に活用した動詞にçaをつけたら「これを〜して。」になる。

 Fais(フェ) ça().(これして)

 Prends(プロン) ça(). (これとって)

 Mets(メッ) ça().(これ着けて、これ置いて)


 s'il(シル) te(トゥ) plaît(プレ) をこの後につけたら、

 お願い構文の出来上がり。

 便利すぎる!


 さらに、çaは終わらない。

 どちらか聞く時も

 「 ça() ou() ça() ?」でOK。

 たくさんあっても「 Ça() ?」と、順番に指をさしていけばいい。

 万能すぎる!


 まだまだある。

 言われたものがどこか、いつか、誰か分からない時も、疑問詞にçaをつければ、なんちゃって疑問文。

 () ça() ?(それどこ?)

 Quand(カン) ça() ?(それいつ?)

 Qui() ça() ?(それだれ?)

 100%文法的にアウトだろうけど、きちんと通じる。

 まさに神単語の降臨。


 ただ、授業中に観察したところ、アントワーヌから「ça」はほとんど聞かない。多分、別にも「これ」を表すものの方が正式なのだろう。それでも、文は文だ。大目に見てほしい。


 おかげで今まではシーンとしていた朝の支度や昼食などのちょっとした時が、楽しい時間になった。

 ジョゼットは、準備の手を動かしながら、色々とボーモン家であった出来事などを話してくれる。もちろん、理解できるのは2,3割程度しかない。でも、食事の話やら、他の使用人の話やら、ものまねも交えながら、楽しそうに話してくれるので、分からなくても楽しい。


 次は他の使用人とも仲良くなろうと画策中。まずは、食事係の人だろうか。ご飯を食べながら材料に目星をつけているので、ぜひ答え合わせをしたい。


 今までは、授業が私の生活のすべてだったが、少しずつおしゃべりができるようになって、視野がいっきに広がった。アントワーヌ先生には感謝でいっぱいだ。


 ―――


 昼食は各自、自分のタイミングで取るが、夕食は基本的にその場にいる家族が全員そろって頂く。主には、公爵夫妻、マキシミリアン、アントワーヌ、そして私の5人。そこに、親戚や仲のよい人が時折加わる。


 全員揃うと給仕が始まる。フルコースと比べると少し簡素で、前菜→主菜→サラダ→チーズ→デザート→コーヒーと進んでいく。前菜はスープやパテで、主菜はがっつり肉料理なことが多い。


 だいたい全員分が大皿にのって運ばれて来て、そこから自分が食べる分だけを取って、隣に回す。動かないビュッフェ形式のようなものだ。個々のお皿に美しく盛りつけた状態で出てこないあたり、少し家庭のご飯感がする。それでも大皿には華やかに盛りつけられており、匂いだけでなく、目でも楽しませてくれる。私は食べ過ぎないよう、どれも3、4口ですむ分を取るように心がけなければいけない。


 交わされている会話の内容は、9割方分からないが、多分、情報共有や意見交換みたいなことが行われているようで、私以外はよく話す。話すし、盛り上がる時もあるが、笑い声が飛び交うということはない。だからか、家族団欒という雰囲気ではなく、食事なのに会社のミーティング的な緊張感が漂っていた。


 会議中にもかかわらず、理解することを諦めている私はいつも出された食べ物に集中している。五覚をフル活用しながら、この肉は牛肉っぽい?このソースは栗が入っている?そんなことを考えながら、ある意味有意義な時間を過ごしていた。


 たまに私に話を振られる時もあるが、それはアントワーヌ先生によるものが大半で、愛想笑いで頷いておけばすむものばかり。

 フランス語初心者の私には、この人たちと会話をするのは、まだハードルが高すぎる。

 ただし、遠くのものを取るのをお願いすることは出来る様になった。万能語ça様のお陰だ。


「Maximilien, prends(プロン) ça(), s'il(シル) vous() plaît(プレ).」

 と、向かいに座るマキシミリアンにソースの入った小皿をお願いした。


 はずだった。

 はずだった…


 なのに、その場から話し声が止んだ。

 皆が、動きを止め、目を見開き、私の方を凝視している。


 私の頭がものすごいスピードで検証を始め、ひとつの可能性をはじき出したのは、2秒後。


 口をついて出たのは

 Vousの活用「Prenez (プロネ)

 ではなく

 Tuの活用「Prends(プロン)」。


 いつもジョゼットに話している様に言ってしまったみたいだ。

「S'il vous plaît」はさすがに言っていたはず…。


「Antoine,」

 マキシミリアンが、沈黙を破り、私ではなく、静かにアントワーヌに話しかけた。


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