チャイルズ(前半戦)
最近、よく言われるようになったのが「親父に似てきたな」というセリフだ。
それを聞くたびに、僕は嫌な気持ちになる。
外見が似てきた、声が似てきたと言われるたびに、僕は心の中でこう叫ぶのだ。
『親父なんて大っ嫌いだ』と。
けれど先週、僕は親父に向かってそれを言った。実際に口に出して、叫んだ。
それから僕は、家を飛び出したんだ。
● ● ●
ふうん、と少女は気だるげに相槌を打った。栗色の毛が褐色の肌を流れて揺れる。
「それってつまり、反抗期なんじゃないの? 親に向かって反抗する十六歳の夜。ひゅー、かあっこいいーっ」
少女はとてもうざい反応をしたけれど、僕は大人なので落ち着いて対応する。
「違うよ。僕は本当に親父が嫌いなんだ」
「へえ。まあ、あたしにはどうでもいい話ね。――そんなどうでもいい話のために、あたしがこんな辺鄙なところまで一週間も出かけることになるなんて。あたしってもしかして悲劇のヒロインなんじゃないかしら」
「……ごめん」
「そこで謝るからあんたはダメなのよ」
はあ、と少女はため息をついた。
「いい? あんた、一週間前あたしにこう言ったわよね? 『着いてきて』って。そして、あたしは理由も聞かずに着いてきた。なんでかわかる?」
「いや、ぜんぜん」
はぁー、と少女は深くため息をついた。
「もういいわよ……わかってたわよ、あんたの――アンの鈍さくらい……。生まれた時から一緒だもんね……」
「……いや、なんかごめんね、ジェイシー」
「……そこで謝るからあんたはダメなのよ。ため息つかれる理由もわかってないくせに」
あたしが滑稽に見えるからやめてよね、と言って、少女――ジェイシーは僕を睨みながら、スパゲティを口へ運んだ。
親同士の付き合いがあって、しかも両家両親とも多忙な人たちであったからか、僕はジェイシーの兄姉に預けられることが多かった。
いわゆる幼馴染というやつだ。
気の置けない親友である。
「で、どうするの。王都を飛び出して、もう関所よ? たかが子供の家出で隣国まで行くとはだれも思わないわよ?」
「……家には帰りたくない」
「わかってるわよ。アン、あんた、自分からは帰りたくないけど、迎えには来てほしいんでしょ」
「違うよ」
「違わないわよ。本気で違うと思ってるんなら、それはあんたがまだ気づいてないだけ。あんたはね、お父さんに迎えに来てほしいだけなのよ」
「……違うって」
「じゃあどうして、お昼ご飯をこの店で食べようなんて言ったの」
……。いやだって、それは、
「ここが一番美味しいし、メニューも豊富だし……」
「……あんた、本当にお父さんに似てきたわね」
どこがだよ。全然似てないだろ。
そう言い返すと、ジェイシーは眉尻を下げて、はぁあ~っ、と深く大きくため息をついた。
●
関所街グリーンブリッジ。
それがこの街の名前である。主な特徴としては、隣国であるガレア共和国との関所を目前に控えた流通の街であることがあげられる。
ガレアの特産品は良質な海の幸だ。だからか、このグリーンブリッジでは魔法で冷凍された産地直送の魚介が安く食べられるのである。
「魔法で凍らせた魚を紙で包んで、それを保冷性の高い箱に入れるんだ。それを急いで馬車で運ぶわけなんだけれど、魔法を定期的にかけなおさないとすぐに溶けて腐っちゃうから、輸送には氷結魔法に秀でた魔術師が一人は随行しなきゃならない。魔法使いだって、長距離の旅行を荷物につきっきりで過ごさなきゃならないから、当然賃金が高くないとこんな仕事したくない。運ぶ距離が長くなれば長くなるほど、冷凍魚介類が高価になる理由がこれだよ」
先ほどと違う味のスパゲティをフォークの先に絡ませ、ジェイシーはへえ、と呟く。
「詳しいわね。あんた、学校で流通系の授業とってたっけ」
「うん。先生が勝手に入れてた。……親父の仕事が、あれだから」
「……うわあ。かわいそう。あたしは必須系しかとってないわ」
「いや、でも、面白くないわけじゃないんだよ? ものを運ぶためのコストがどうとか、そういう話を聞くのって」
「というかさ、」
ジェイシーはフォークをほおばって、咀嚼し味わい、飲み込んだ。そのまま二口め、三口めと味わい、皿が空になってから、彼女はもう一度口を開いた。
「美味しいわね、ボンゴレロッソ……。……あれ、何の話してたっけ」
僕の話よりあさりとトマトのパスタのほうが優先度が高いのか……。
「流通の授業が面白いっていう話だよ」
「ああ、そう、それよ。それそれ。そういう話ってさ、あんたのお父さんからされたりしないの?」
「……いや、そういえば、親父からはされたことないな。従業員とか母さんから聞いたことはあるけれど、親父はそれこそどうでもいい話ばっかり僕にしてた」
「例えば?」
「『おいちょっとこれ見ろよ! トマトにテントウムシついてる! かわいい!』とか」
「あんたの親父、それで大丈夫なの……?」
いや、どうだろう。経営が傾いたことはないし、どころか右肩上がりを続けるだけでなく社会貢献もすごいし……。
けれど、それら親父の活躍は、僕が家の外で伝え聞いたことがほとんどだ。よくよく考えてみれば、親父は僕に自分がどういうことをしてきて、どういうことをしていくのか、話をしてくれたことがない。
「……大丈夫なのかな」
僕は、信用されていないのだろうか。
信用に足る人物ではないと、そういうことなのだろうか。
そうであれば――家出して、正解だった。
自嘲気味に、少し笑う。
僕がいてもいなくても、なにも変わらない。
親父が有能だからといって、僕も有能であるというわけではない。
「……さ、明日は越境だ。そろそろ宿に戻ろうよ」
「……ふぅん。ま、あんたがそういうつもりなら、あたしもついていくけど」
面白そうだし、とジェイシーは付け足した。
● ● ●
うぃっす、と軽く手を上げて挨拶してくる彼を見た瞬間、僕は越境が叶わないことを知った。
このままダッシュで逃亡してやろうかとも考えたけれど、彼から逃げられるとは思えなかったので、やめておいた。
「あら、カース兄さん。なにやってるの?」
「駆け落ちしたカップルを狩る遊びだよ」
「それ、楽しいの?」
「ああ、最高さ!」
縦の長さが2メートルを軽く超える、シルエットの細い紅い鎧。
背中に背負った馬鹿でかい両手剣。
くぐもった陽気な声と、恐ろしい外見がとんでもなくミスマッチなその人は、
「カース兄さん……僕ら、別に駆け落ちしたわけじゃないんだけど」
「そうなの? じゃあ狩るのはやめておいてあげよう」
ジェイシーの兄、カースナンバー兄さんだ。
ぎちり、と音を立てて、兄さんはこちらを向いた。
「ともあれ――伝言だよ、二人とも。まずはアン、君のお父さんから」
「……」
あの人が、僕になにを伝えたいというのだろう。
「『避妊はしなさい』だそうだ」
本当にダッシュで逃亡してやろうかと、僕は思った。
「そしてお母さんから。『冒険は良いものです。しかし、自ら始めた冒険を終わらせるのは、また、自らであるということを覚えておきなさい。そして、あなたに着いてきてくれた女の子のことを大切にしなさい』」
「母さん……!」
よかった……! 母さんはまともだ……!
「『具体的には避妊をちゃんとしなさい』だってさ」
「まともじゃなかった!」
咄嗟にダッシュで逃亡しなかった僕を褒めてあげたい。
というか、どうしてこううちの両親はそっち方向にオープンなんだろう。頭大丈夫か。大丈夫じゃないか。大丈夫じゃないわ。ダメだわ。
「次、ジェイシー。うちの父さんと母さんから伝言」
「はいはい、なにかしら。今のふたつの伝言で、あたし、もうすぐにでもここからダッシュで逃亡したいくらいには幻滅しているんだけれど」
「『避妊はしなさい』」
僕らはダッシュで逃亡した。
● ● ●
意外というか、やはりというか……カース兄さんは追いかけては来なかった。
念のため以前と違う宿屋に駆け込んだのだけれど。
結局のところ、本当の伝言はカース兄さんが直々に来たことだろうと思う。
暗黙の伝言――親父たちは、『自由にしろ』と、そう言いたいのだろう。
ジェイシーは貴族の家系だし、僕の家は大商人。つまり、金持ちなのだ。その金持ちの子供二人がふらふらとしていれば、もちろん、危険はたくさんあるだろう。
それなのに親父たちは、僕らに自由を与えた。
何故か。
……おそらく、カース兄さんは、最初から――それこそ王都を飛び出した時から、ずっと僕らを見張っていたんだと思う。
カース兄さんは万能だ。姿を隠すことも、こっそりと付け回すことも、そして、僕らを知らずのうちに危機から救うことすらも、容易にこなすだろう。
だからこその、自由だ。
けど、それは、
「……束縛だよね」
ぼそりとぼやく。
仮初の自由だ。親父の手のひらの上で遊んでいるだけじゃないか。
僕は借りた部屋で椅子に座って壁を見つめる。材質は木、木目に沿って柔らかなクリーム色に塗られている。
「そうね」
ジェイシーは短く応じ、でも、と言葉を繋げた。
「アン、あんた、実際に自由ということがどういうことか――わかる?」
「……」
僕は何も答えなかった。
答え、られなかった。
「ねえ、アン。いいかしら」
ジェイシーは言う。
「自由というものはね、同時に責任を持つということなの。自分の言動に責任を持つなんて言うと、なんだか学校の教育方針みたいで軽く聞こえるけれど――本当の責任というものはね、アン」
彼女は、背後から僕を浅く抱いて、顎を手で優しくなぞった。
頭一つ高い位置で、囁く。
「成功も失敗も、支援も負担も、それらすべてを自分の一身で受け止めるということよ」
自分の身を自分で守り。
自分の食い扶持を自分で得て。
そうやって生きていくことが、自由だと。
ジェイシーは言った。
「自由は辛くて苦しいものよ」
「――そっか」
僕はただ、それだけ返した。
喉のあたりを優しく撫でる手を少しくすぐったく思う。
ややあって、僕はまた口を開いた。
「ねえ、ジェイシー。じゃあどうして、人は自由を求めるのかな」
「そんなの、考えるまでもないでしょう。自由は辛くて苦しいけれど、――それと同じくらい甘美で素晴らしいものなのよ」
そっか、と僕は呟いた。
――アン、あんた、自分からは帰りたくないけど、迎えには来てほしいんでしょ。
昼に聞いたジェイシーの言葉が、脳裏に蘇る。
そうだ。僕は、構ってほしかっただけなのだ。
今もこんなに保護されているというのに――、その保護すら理解せず、構ってもらえていないと勝手に思い込んで。
僕は周りが見えちゃいなかったし、見ようともしていなかった。
軽く上を見上げる。女の子がいた。
その女の子は、いつも僕と一緒にいてくれて、いつも僕の味方でいてくれて、いつも僕を叱ってくれて、いつも僕を励ましてくれて――いつも、いつも、いるのが当たり前だと思っていた。
でも、けれど、当たり前というのは実は当たり前ではなくて、だから、彼女はいつか僕の傍から離れていくのだろう。おそらく、自由というものはそういうものだし、そういうことだから。きっと、離れて、そして、それで……それは。
それは、嫌だった。
「ねえ、ジェイシー」
僕は、ふと、言った。
口を突いて出た言葉があった。
「なにかしら?」
彼女は、逆さの顔をさらに覆いかぶせてきて、長い髪が僕の視野を狭めた。
「あのさ――、僕を保護してくれない?」
「……保護するだけなら、今もしているじゃない」
「そうじゃなくて……その、これからずっと。ずっと、僕と一緒にいて。僕も、君を――保護するから。大事に、保護するから」
「……馬鹿ね」
軽く、彼女は僕の頭を叩いた。
「それ、男が女に言うセリフ? というか、そんなセリフで告白のつもりなの? 素直に好きって言えばいいじゃない」
「……ごめん」
「そこで謝るからあんたはダメなのよ」
どこかで聞いたセリフだ。
彼女は僕の顎をつかんで、軽く彼女側に寄せて向きを替えさせた。
彼女自身もいつの間にか椅子の横に移動していて、僕らはようやく逆さではなく、きちんと顔を向けあった。
頬に朱が登る。……それだけ、勇気のいることを言ったという自覚はあった。
「まあでも、そうね――、そう。及第点かしら」
そう言って、彼女は僕にキスをした。
●
とりあえず、仕事をしてみることにした。
「あたしたちは今、疑似的にとは言え自由に近い状態にあるわけよね。なら、自由において大切なこと――つまり、自らを先へと動かすためにできることを、体験してみるべきなのよ」
僕ら、二人とも家が裕福なので働く必要は特にないのだけれど、しかし、それでも働くということがどういうことか、興味がなかったわけではない。
僕たちには、王都近隣の農家の子供たちのように幼いころから働いてきたという経験がない。
学校に行っていた――富裕層ゆえに学校に行けていたという、その事実が、逆に僕らが自由を得た際に、足かせになることがあるのだ。
「職業訓練の授業とか、学校にもないわけじゃないけどね。あたしは取ってないけど」
「僕もそれは取ってないな……」
正確にいうならば、とる気がなかった。
なぜなら、
「あれさ。職業訓練場所の提供、全部うちの提携店とかなんだよね」
「……さすがは天下に轟く大商会ね。でも、そうね。アンは自分だけ特別扱いされるの嫌いだものね。自分が行ったところで、店舗側も気を遣うでしょうし……どれだけ平等に扱おうと意識したところで、そういった意識をしてしまっている時点でもうダメよ。特別扱いしないようにするっていうこと自体、特別扱いしていることとなんら変わりないものね」
「まあ、じゃあどうしろって話なんだけどね。結局、僕が我慢するしかなかったりするわけで」
でも、特別扱いをされるということは、悪いことではないのだ。それで得をしたことは何度もある。
けれど、集団の中で僕だけが違う扱いを受けるということは、それは集団の中で僕だけが違う存在であるということに他ならない。
僕はそれが嫌いだった。
「……まあ、それはともかくとして」
僕は言う。
「今回ばかりは迷っていられないから――ここで」
指さした先にあるのは、労働者職業斡旋組合だ。
赤煉瓦で堅牢に組まれた大きなその建物は、まだ建物としては新しく――築十五年ほどだろうか。
労働者職業斡旋組合ができたのは、僕が生まれる少し前だったと聞いている。
一攫千金を夢見て、冒険者として、あるいは傭兵として仕事をする人々がたくさんいる一方で――それらから脱落した人たちも、また、多い。
そういった『スキルのある人』に見合った職業を紹介し、労働力として再活用、市場のさらなる活性化を図ることを目的として設立されたのがこの組合なのだ。
そして、
「……うちの親父がこの組合の発起人で、つまり、まあ」
「コネに頼るってことね」
うん、と頷く。
僕らみたいな若くてどこのものとも知れない輩を雇ってくれる人はいないだろう。
けれど、いちおう僕らは二人とも魔術師レベルとまではいかなくとも呪文使い程度の魔法使いだし、学校の授業でもそれなりの成績を残している。
あとは顔を繋いでくれる人がいればいい。
そして、この建物には僕の顔を知っている人がいる。
「どうせ親に頼らきゃやってられないなら、開き直って頼り倒せばいいんだと思うことにしたんだ」
「あら」
ジェイシーはくすりと微笑み、耳にかかった柔らかな髪を手で掻いて後ろに流した。
「それは敗北宣言?」
「むしろ宣戦布告のつもりなんだけど」
「お父さんに対する、かしら?」
「それもあるけど……一番は、今までの自分に対して、かな」
うん、と頷く。
「やっぱりさ、嘆いても喚いても僕を取り巻く環境が変わるわけじゃないんだよね。じゃあ、僕が変えに行くしかないんじゃないかなって――ようやく、そう思えたから」
少し、遅かったかもしれないけれど。それでも、気づかないまま大人になるよりは、ずっといい。そのはずだ。
「だから、ジェイシー。僕さ――僕、頑張るよ」
言って、彼女の手を握る。
彼女はまた微笑んで、うん、と呟いて応じた。
●
フローレス・ディガロ。通称『輸送職人』。
親父の商会に所属する運び屋の中で、もっともデリケートな仕事を託される魔法使いだ。
「デリケートつってもな、丁寧にやりゃあなんだって運べるもんだぜ。運ぶものがどういったもので、どういう対処が必要で、いつまでに運ぶ必要があるか。……それさえ考えてりゃ、運べねえものはねえ。運ぶための労力が増えれば値段は割高になるけどな」
くたびれたとんがり帽子の鍔のほつれをいじくり、彼女は言う。
「……で、坊っちゃん。仕事が欲しいって?」
「うん。どんなものでも構わないから」
「むちゃくちゃ言うねえ……」
いいかい、と彼女は人差指を立てる。
「俺、親父さんの手下だから……坊っちゃんらにそういうことすると、いろいろアレなんだよなあ」
「大人しく帰るつもりはないよ」
「だよねえ……」
彼女はため息をつく。ややあって、あ、と声を上げた。
「坊っちゃんさ、氷系の魔法得意だよな?」
「え? ああ、うん、まあ……」
母さんの遺伝なのだろうけど、僕は氷結魔法にはちょっとした自負がある。
「それじゃあさ、こうしよう。坊っちゃんらにゃいっちょ輸送の仕事をやってもらう」
「いいの?」
「ただし。ただし、だ」
立てた人差指で、彼女は僕の額を弾いた。
「あて先は王都、中央大通りの料理店だ。――わかるな?」
「……」
それはつまり――親父に届けろ、ってことか。
背後、ジェイシーに視線を遣る。彼女は小さく頷いた。
――あんたに着いていくわよ、かな。いや、それかお腹空いたからさっさとしろとかそんなのかもしれない。
なら、
「……それでお願い」
「あいよ。仕事は仕事だ、しっかりやれよ、坊っちゃん」
にかっと笑って、フローレスは僕の肩を一度、強く叩いた。
こうして、僕らの初めての仕事が始まった。




