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第09話 ジャック・スタインボルト その5


──再会──




 その日、エリーゼはかつて愛しい人に助けられたその場所へやってきていた。


 理由はわからない。ジャックとの仮初ながらの結婚という話が進み、不安になったからかもしれない。

 なにより、サラを騙しているという罪悪感があったからかもしれない。



 はっきりとした理由もわからないまま、彼女は虫の知らせでこの場所へやってきたのだ。



 そこは、人通りも少ない表通りを一本入った裏通り。あまり長い時間ここにいれば、またタチの悪い男が彼女の美貌と姿に吸い寄せられてしまうかもしれない。



「おや、あの時の娘さんじゃないか。またこんなところにいると、危ないぜ」


「え?」

 エリーゼの心音がどくんと高鳴った。この声、忘れもしない。



 彼女は大慌てで振り返る。



 背後から声をかけたのは、彼女の知る人物だった。

 しばらく前に自分を助けてくれた、ディーラーのような服装をした金髪の男。名も知らない、自分と同じくらいの青年だ。


 彼の名はジミー。バーンズカジノでディーラーを勤め、アズマにイカサマを一つ教えた男だ。



「あ、あの時の!」

「おう。久しぶりだな」


 ジミーは気さくに手を上げ、声をかける。



「あの、あの時はお礼の一つも満足にできず、すみませんでした!」

「いや、いいさ。あの時も言ったろ。ただの気まぐれだって。それより、またこんなところにいたら同じ奴に絡まれるぜ? 俺とかによ」


「ふふっ。面白い方ですね。でも、あなたになら……」


 ジミーの言葉と一緒に、エリーゼも笑う。


 彼の耳には、でも。のあとの言葉は小さすぎて届かなかった。



「まあ、冗談はこれくらいにして、あんた、なにやら気分が優れないように見えるけど、どうしたんだい?」


「え? ああ、いえ。気分は悪くありません。ただ、少し不安なだけなんです」

「不安?」


 ジミーは笑顔をやめ、真面目に聞きなおした。



「はい。少し長くなりますけど、聞いてもらえますか?」

「ああ。美人の相談なら歓迎さ」


 光栄だね。とジミーはエリーゼに笑いかけた。



「ありがとうございます。今度私、結婚するんです……」



 その瞬間、ジミーの体が大きく揺れたように見えた。



「そ、そうかい……」


 どこか動揺しているようだが、それを必死に表に出さない。その平静の保ち方は、さすがディーラーと言え、そのおかげでエリーゼもその動揺には気づかなかったようだ。



「そいつはめでたいな。あんたみたいな美人さんと結婚できるなんて、どんなヤツなんだい?」



「はい。スタインボルトホテルのジャックさんです」



「スタインボルトのジャックだって!?」

 今まで平静を保ってきたジミーの表情が崩れ、いきなり大声をあげた。


 いきなり声を上げたため、エリーゼもびくりと体を震わせる。



「は、はい」


 びくびくと、体を縮め、彼女は表情を変えた男を見た。



 ジミーもはっとし、苦笑いを浮かべる。



「ひょっとして、お知り合いですか?」



「い、いや。まったくしらねえな。ジャックなんて男は、まったく」

「そうですか……」


 ジミーの言葉に、どこか残念そうに、エリーゼはつぶやいた。



「その男は、なにかい? あんたを不安にさせるような男なのかい?」



「いえ。無理難題をおしつけたというのに、それでも笑って許してくれる、とても器の大きな人です。迷惑をかけているのはこっちだというのに、それでも受け入れてくれて……」



 その言葉に、ジミーはどこか複雑そうな顔を浮かべた。

 ディーラーをやっている彼は、他人の嘘に敏感である。そしてその彼女の言葉に、嘘は感じられなかった。


 その言葉は、心の底からそのジャックをいい人だと認めている。



「そ、そうかい。それならいいんだ。幸せになるんだよ……」


「あっ」


 そこまで聞いて、ジミーはそれ以上話を聞くのがつらくなり、背を向けて去ってしまった。



 彼女の話はこれからだというのに、最後まで聞かずに……



 エリーゼもその背中を追いかけたが、通りのカドを曲がるとすでに男の姿は見えなくなってしまっていた。


 表通りに出て、エリーゼはキョロキョロとあたりを見回すが、人ごみの中にその金の髪を見つけることはできなかった。

 小さくため息をつき。



「……誤解、させちゃったかしら」



 そう、つぶやいた。




──確認──




 太陽が中天を回り、影が最も小さくなった時間。

 昼飯を終えたジャックは、食後の散歩もかね、ホテルを抜け出した。


 ついでに、サラになにかお土産でも買おうかと考えながら。



「しっかし、リゥもアズマも朝からなにやってんだ?」



 昨日から姿を見せない二人もついでに探そうかなんてハラでもある。



 リゥがホテルの中にいてたまにちょろちょろ廊下を歩いているのは見かけたのだが、サラの相手が忙しくなにをしているのかまではジャックは把握していなかった。


 ホテルの従業員入り口を出て、表通りに出ようと歩く。



「あんたが、ジャックかい?」



 あともう少しで表通り。というところで声をかけられた。


 ジャックが振り返ると、物影から一人の男が姿を現した。先ほどとは服装も髪型も変えているが、しばらく前にエリーゼと話をしたディーラーのジミーである。



「そうだが?」


 男に見覚えはなかったが、ジャックは素直に答えた。相手は銃を持っているようにも見えず、また銃を持っていて自分を殺そうとしても返り討ちにできるだけの自信がジャックにはあるからだ。



「喧嘩を吹っかけようとかそういうつもりはハナからねえさ。ちょっと顔が見たくてよ」


「? どういうことだ?」


 いぶかしむジャックを、男はじろじろと値踏みするようにして頭の先からつま先まで見回す。



 じっとジャックを見て、男は手元に取り出したコインをぴん。とジャックへ放り投げた。



 ジャックはそれを片手で軽々と受け止める。


 軽く放っただけだが、その軌道をはっきりと見切りつかんでしまうのだから、彼の運動能力は侮れないということがわかった。



 男はひゅー。と口笛を吹く。



「開いて表だったら、あんたにやるよ。金貨」


「はぁ?」

 いきなりなにを言ってんだアンタ。と言うように、ジャックは手を開いた。手を開き、手のひらに乗っていた金貨は表を上にして、ジャックの手のひらの上に乗っていた。


「ははっ、アンタの勝ちだな」


「いきなり言われもないのにもらえねえさ。返すぜ」



 ジャックはいらん。と男の言い分を跳ね除け、その金貨を投げ返した。男はそれをジャックと同じように受け止める。



「なんだ? いらねぇのか?」

「もらう理由がねえ」


「ははっ。心当たりもないってか。そうかい。確かにそうだよな」


 男はどこか嬉しそうに笑った。



(なんともお人よしなやろうだぜ)



 同じアウトローとして呆れるほどまっすぐな男だと、ジミーは感じた。金貨さえ投げ返すとは、金に興味がないのかと思ってしまう。

 彼はほぼ直感した。こいつは金が目的でこのホテルに出入りしているのではないと。


 それだけわかれば、十分だった。



「ありがとよ」

「は?」


 突然感謝の言葉を言われても、ジャックには意味がわからない。



 ぽかんとするジャックの肩を叩き、ジミーはその横を通り抜け、そのまま去っていってしまった。



 そのまま男は、人ごみの中へと消えてゆく。


「なんだったんだ、今の……?」

 わけがわからないと、ジャックは疑問符を上げるしかできなかった。



 ちなみにだが、サラに土産を買おうとした時財布がそもそもない無一文状態であったことを思い出し、ジャックは意気消沈して帰っていくことになった。




──行方不明──




 翌朝。


 川岸がざわざわと騒がしい。

 周囲には川を覗きこ保安官が集まり、橋の上には、別の保安官が立っていた。



「どうやらここから落ちたようだな……」



 橋の欄干には誰かが乗り越えたような跡が残り、その近くにはブーツが一つ落ちていた。

 川岸から棒を使い川底をあさる保安官補佐を、その保安官は欄干から身を乗り出して見おろす。



「ゲィス保安官ー。どうやら下流にまで流されたらしく、このあたりにはいませんー」



 透き通り、川底の見えるそこにはなにも浮かんでもいないし沈んでもいない。もしここからなにかが落ちたとすれば、そのまま下流へ流されてしまったのだろう。



「這い上がったような後はないか!?」

「それもありません!」


「そうか、ない、か」



 ゲィスと呼ばれた男。何度も何度もマッマの陳情を跳ね除けた保安官は、にやりと笑った。



「それならしかたがないな」


 にたにたと笑い、なにかを確信したように、自分の懐を確かめた。



「あ、あなたー!」



 そこへ、マッマの妻が走りこんできた。

 昨日の夜からマッマが戻らず、探し回っていたのだが、誰かが川に落ちたという話を聞き、急いで駆けつけたのである。

 欄干の下に落ちているブーツを見つけ、彼女は声にならない悲鳴を上げた。


「こ、これあの人の、あの人の靴だよ。私がつくろってあげた靴紐がついている。そんな、そんなぁ……!」


 保安官補佐がおさえるのも聞かず、彼女はそのブーツを抱きしめた。



「だから、だから行くなって言ったじゃないか!」


「……」

 大粒の涙を流す彼女に、保安官補佐が肩を叩いた。


 足の怪我があったというのも聞いていたが、そのせいで落ちたのだろう。なんてゲィス保安官は見立てていたのだが、さすがに彼はそれを伝えるのも忍びないと、ただ黙って肩を叩くしかできなかった。



 遅れてマッマの弟、コリンズもやってきた。

 泣き崩れる奥さんの姿を見て、彼も同じように橋へ膝をついた。



「なんてことだ。なんて……」


「残念な事件だったな」



 肩を震わせ悲しむコリンズの背中を叩き、ゲィス保安官は口元が釣りあがるのをおさえながら、その場から去っていった。




──ジャック逮捕──




「総支配人、見違えましたね。調子はどうですか?」

「はっはっは。ジャックが戻ってから、調子がうなぎのぼりさ」


 朝。朝食となりジャックと共に朝食をとるサラが、食事を運んできた料理長の言葉にご機嫌で笑った。

 注意してサラを見なければ、今の彼女を見れば調子がかなり回復してきていると誰もが思うだろう。



「はい。かーさんには茶じゃなく、薬湯だよ」

「ありがとうね。ジャックがいれてくれた薬なんて、それだけでワタシャ病気も吹っ飛んじまうよ」


「言い過ぎだって」

 料理長もふくめ、三人は笑った。



「こ、困ります!」


「邪魔をするぞ!」

 ばん! と扉が勢いよく開かれ、保安官をなだめて止めようとするエリーゼを押しのけ、ゲィス保安官がサラの家の食堂へ入ってきた。



「一体なんの騒ぎだい!」



 無礼な侵入をしてきたゲィスに対し、サラが不快感を示す。


 しかし、ゲィス保安官は不敵な笑みを浮かべ、サラの言葉など気にも留めない。



 食堂を見回し、その中で一番若く、そして金髪の男。ジャックへ視線をとめた。



「お前がジャックか?」

「ん? そうだが?」


 サラの薬湯を入れ終え、保安官など無視して席に戻ろうとしていたジャックが答えた。



「そうか。よし、ひっとらえろ!」


「はっ!」


 ゲィス保安官の指示と共に、保安官補佐が部屋へとどかどかはいりこんでくる。



「抵抗するんじゃないぞ! お前には殺人の容疑がかかっている!」

「な、なにぃ!?」

「なんだって!」


 ゲィスの啖呵に、ジャックとサラが驚きの声を上げ、料理長とエリーゼは声も出せず驚くしかできなかった。


 サラの元にいたことで、銃を抜くわけにもいかないジャックは周囲を囲んだ保安官補佐に両手を捕まれた。



 ゲィス保安官が、身動きの取れないジャックの体をボディチェックする。



「やはり、か」

 ジャックのジャケットの内ポケットから、茶色いボタンを取り出し、ゲィスはにやりと唇を吊り上げた。



「これこそがなによりの証拠!」

 ずいっとボタンを突きつけられたが、ジャックには意味がわからない。


 長男の死の事情について、マッマと話したこともなければ調べたこともないからだ。



「意味がわからねえよ。そのボタンがなんだっていうんだ!」


「しらばっくれても無駄だ! これは生前、殺されたマッマ・マルコニアスが持っていたものだ! マルコニアスはな、お前の兄を殺した犯人を探していた。その手がかりのボタンをお前が持っていたということは、ジャック、お前が実の兄を殺し、その真相を探るマルコニアスをも手にかけたということだ!」



「意味がわからねえよ! マルコニアスって誰だよ!」



「保安官、なにかの間違いだよ! ジャックがそんな大それたことのできる子じゃありません! この子は、親思いのいい子なんだ!」

「そうです! ジャックさんがマッマさんを殺す理由なんてありません……!」


 サラとエリーゼが保安官にすがりつく。



「ええい、動機ならばあろう! 養子に出されたお前はこの家を憎んでいた! 兄が死ねばこのホテルはジャックの元に入ってくる! その死を探るマルコニアスはその自分に迫る厄介な男だ! そしてこのボタン! すべて証拠が物語っているだろう!」



 ゲィス保安官はサラとエリーゼを跳ね除け、食堂を出るべく歩き出した。



「待って! 待ってください! その人が犯人なわけがありません! この人はかんけ……」


「エリーゼ、黙ってろ!」



 エリーゼが真実を話そうとした瞬間、ジャックが声を上げ、その言葉をさえぎった。



「俺は無実だ。だから、ちょっと待っててくれ。かあさん」

 うつむいたエリーゼからサラへ視線を返し、ジャックは微笑んだ。


 エリーゼはうつむいたまま、なにも言えずジャックが連れて行かれるのをただ見ているしかできなかった。



「さあ、いくぞ!」



「ジャック! ジャックー!」


 つれてゆかれるジャックへ手を伸ばすが、サラは胸を押さえて苦しがり、料理長が倒れようとするサラをなんとか支えた。



 こうして、ジャック・スタインボルトはマッマ・マルコニアス殺害の容疑で逮捕されることとなったのである……




 ジャックが連れて行かれ、倒れたサラをベッドへ運び、医者を呼びに行ったりしててんやわんやとなり、しばらくの時間が過ぎた。

 サラの容態はなんとか安定し、今は小さな寝息を立てている。


「ジャック……」


 残された唯一の肉親の名を呼び、その目じりにはわずかに涙のあとが見られた。



 その姿を悲しそうに見たエリーゼが、ゆっくりと寝室の扉をしめる。



「ジャックさん……あなたは馬鹿ですよ。自分にこのホテルを狙う理由がない。自分は偽者だって言えばよかったのに……」


 騒ぎを聞いて戻ってきたコリンズが、一人こぶしを握って涙を流していた。


 コリンズが呼ばなければこの一件と無関係だったジャックがこの一連の犯人なわけがない。コリンズはそう確信している。ジャックは明らかに、はめられたのだ……



「言えなかったんですよ。総支配人の前でしたから……」

「サラさんを気遣って、あの人は、本当に……」


 エリーゼの言葉に、コリンズはすまない。すまないと、壁を殴った。

 兄のマルコニアスが行方不明だというのに、ジャックのことまで気にかけるこのコリンズも実にお人よしと言ってもよかった。



「あのー」

 二人の会話を遠くから聞いていた料理長が声をかけてきた。


 ジャックが連れて行かれる現場にいたので、彼もサラを運び、色々とやっている間に仕事場に戻るタイミングを逸してしまったのである。

 もっともホテルで殺人事件の容疑者が出たのだから、まともに営業などできていないのだが。


「なんです?」

 コリンズが、おずおずと手を上げた料理長へ視線を向ける。



「思い違いかもしれませんが、わたしには保安官があらかじめボタンを持っていて、それをジャックさんの懐からとりだしたように見えたんですけど……」



「な、なんだって……!」

「本当なんですか?」


「絶対確実確か。とは言えませんが、私には、そう見えた、気がしました……」


 二人につめよられ、料理長もたじたじしてしまう。



 しかしこれで、様々なことのつじつまがあった。

 なぜ保安官が事故を再調査しなかったのか。なぜマッマが行方不明になったとたん、ジャックを逮捕しにきたのか。



「なんてことだ。保安官が、犯人側とぐるだったなんて……!」


 どうして気づかなかったんだ! とコリンズは頭を抱えた。


「そんな。それじゃ料理長がこのことを訴えても無駄じゃ……」




「無駄ではありません!」



 ばん! とサラの屋敷の廊下へ入る扉が勢いよく開いた。


 逆光が差しさみ、その扉の入り口にドレスを着た少女のシルエットが浮かび上がった。

 一瞬強い光に目が焼かれたが、逆光から目が慣れはじめると、三人はそこに誰がいるのかゆっくりとわかってきた。



「あ、あなたは……」

「リッチフィールド商会の……」


「カレンさん」


 料理長とコリンズとエリーゼがその姿を確認し、なぜここにとつぶやいた。

 腰に左手を当て、右手を高々とかかげたカレンが、呆然とする三人に向け、大きく口を開いた。



「あなた達が我慢したおかげで、保安官の不正の証拠も手に入りました! これからが、反撃ののろしですわよ!」



 威風堂々と宣言したカレンだったが、三人はいきなり現れた彼女の言葉の意味がわからない。

 そんな混乱をよそに、彼女は話を続ける。


「あなた方に紹介したい人がいます! 今回のリーサルウエポン! さあ、出てきなさい!」



 すっと、逆光の中そのシルエットが姿を現した。



「あ、あなたは……!

 その姿を見た三人は、驚きの声を上げた。



 そこにいた人物とは……




──真相──




 夜。


 バーンズカジノにある、二階VIP室。

 そこに、変装したゲィス保安官とバーンズがウイスキーの栓をあけ乾杯していた。



「これでやっと、スタインボルトホテルも終わりですな」


 そう言いながら、バーンズは保安官に酒を注いだ。

 ゲィスもそのバーンズの顔を見て、にやりと笑う。



「家の中から大罪人を出したのだ。今度こそ店をたたまざるを得ないだろう」



「まったくです。その後に建つのは、ウチのカジノの二号店。あの立地ならば、ここの五倍、いや、十倍の稼ぎが期待できましょう!」


「ぬわっはっはっは。となればワシの懐に入ってくる目こぼし料も十倍というわけか?」

「もちろんその通りでございます」



 ぬわっはっはと二人は笑いながら、グラスをぶつけ合った。



「それで、あの目障りだったデブはどうやって始末したのかね?」

「ああ、それはこいつがやってくれたよ」


 ゲィス保安官の質問に、バーンズがくいとアゴをしゃくる。すると、そばにいる若い側近の男が頭を下げた。



「ほほう。やはりか。せっかくだ。どうやってやったのか聞かせてくれないかね?」

「はい」


 やはりか。と言ったのはジャックを捕まえる時に使ったマッマの持っていたボタン。それをこのゲィスに手渡したのはこの側近の男だったからだ。


 側近の男はうなずくと、静かに昨日の夜のことを語りはじめた。




 あの日、マッマは服飾店で遅くまで話をしていた。


 その帰り道、チャンスと思った側近の男がマッマをつけ、橋のところへきたところでそれを実行したのである。

 暗がりから側近は飛び出し、マッマに銃を向ける。


 月明かりの中、銃を向けた側近を見て、マッマは驚いた表情を浮かべていた。


「あ、あんたは……」

「俺のことはどうでもいい。俺の落としたボタン、今も持っているんだろう? そいつを、死にたくなければおとなしく渡せ」


「あ、あれを落としたのはお前だったのか……! なら……」


「うるせえよ。渡すのか、それともぶっ殺されてから奪われるのか、どっちがいい?」

 マッマの腹へ、銃をぐりっと突きつけた。ぷにぷにしたお腹がその弾力でつきつけられた銃を少しだけ跳ね返す。


「こんだけ脂肪が詰まってりゃ、ひょっとすると一発じゃ死なねえかもな。苦しんで苦しんで死ぬのと、ボタンを渡してすっきりするの、どっちがいい?」


 いひひと笑いながら、側近はそのままマッマの突き出たお腹を何度も突いた。



「わ、わかりました。わかりましたから! 渡せば、助けてくれるんですね?」

「ああ。渡せばな」


 にやりと笑った側近に、マッマはしぶしぶながら自分の手提げカバンから包みに入れたボタンをとりだした。

 側近はそれをひったくり、開いてそれを確認する。



 月明かりの下に照らし、それが自分のボタンに間違いないと確信した。



「ちっ。ドジったもんだぜ。あの日こいつを落としていたなんてよ」


 実物を見て、側近は舌打ちをした。これがなければ、面倒なことはなかったというのに。



「だが、今回は怪我の功名よ」


 逆にこれを利用し、一芝居うつのだから、怪我の功名といってもいいだろう。



「さて……」


「こ、これでわたしは逃がしてくれるんですよね。大丈夫ですよね?」

「ああ。逃がしてやるよ。川の中にな」


 ぐりっと、腹に突きつけた銃をそのままに側近はにやりと笑った。



 マッマの顔が青ざめる。



「そのまま下がって、欄干に足をかけろ。そして、川に飛び降りるんだ。運がよけりゃ、生きて帰れるぞ」

「そ、そんな。わたしが川に落ちたら死んでしまいますよ! わたしは泳げないんですから!」


「好都合じゃないか。ここで死ぬか、落ちて死ぬかだ!」



 実際のところ、銃で撃ち殺して川に放りこんでもよかった。


 しかし、銃を使えばその音ですぐに人が集まって来る可能性がある。すぐに事件が発覚してしまうと、ヤツのアリバイが証明され、その後の計画に支障が出る可能性があった。ゆえに、なるべく犯行時間はあいまいになる入水の方が都合がよい。


 だからこうして、自分から飛び降りるよう脅しているのだった。



 とはいえ、言うことを聞かなければ当然引き金を引く準備はある。



「さあ、どうするんだ!」

 ドスを効かせ、目つきを鋭くして脅す。



 怯えたマッマは、体を震わせたまま欄干に手をかけ、ずりずりとそこをのぼっていった。



「おら、早く飛び降りろ! なんなら俺が叩き落してやろうか!」

「ひいぃ……!」


 欄干をのりこえ、そこに腰掛けたマッマだったがそこから中々飛び降りない。側近は舌打ちをし、少し助走をつけ、マッマの体に蹴りを入れた。


 ぼよん。という実にいい弾力を感じ、マッマの体はそのまま宙を舞い、欄干から川へと落下していった。



 どぼーんという音と共に、橋には脱げた彼のブーツが一つ残された。



 側近は欄干から川を見下ろしたが、真っ暗い水面に動くものはすでにいなかった。どうやらそのまま沈んでいったようである。

 溺れる姿を高笑いしながら見ようと思ったが、どうやらそうもいかなかったようだ。



 側近はけたけたと笑い、自分のボタンをぴん。と指で一度跳ね上げ、ゲィスとの密会現場へと向かい歩きはじめた。



「と、言うわけです。見せてやりたかったですね。あのマッマの無様な姿。それに、あの体ですからね。間違いなく川底に沈んだでしょう」

「いや、脂肪が多いと逆に浮いてしまうんだよ。だからあれは流され、下流へ行ってしまったんだろう」


「ほほう、一つ賢くなりましたね」

 側近と保安官が顔をあわせ、同時ににやりと笑い、さらにはっはっはと面白いように笑いあった。




「……」


「っ! 誰だ!」

 外に何者かの気配を感じ取ったバーンズは、窓を睨み立ち上がった。


 直後、誰かが窓から離れようとする気配が感じられる。



 しかし、対処はバーンズ側の方が早かった。常にバーンズと共にいる屈強な男、このバーンズ一家最強の用心棒が逃げる気配のする壁に向けこぶしを振るったのだ。



 ばきぃと激しい音を立て壁を突き破ったそのこぶしは、壁の向こうで逃げようとしたなにかをつかんだ。



「むん!」



 男の掛け声と共に、その腕が大きく膨れ上がり、壁をさらに壊しながら、その気配を部屋の中へとひっぱりこむ。


 なんというパワーであろうか。いくらこの時代の壁がまだ木板を打ちつけただけとはいえ、人の力でそれを突き破り、さらに外からひっぱりこむなど、早々できるものではない。



 用心棒の手から離れたそれは、部屋の中を転がり反対の壁まで転がってゆく。



「て、てめえは!」

 バーンズが驚きの声を上げた。


 そこで小さくうめくのは、最近売り出し中のディーラーだったジミーだったからだ。



 ジミーはよろめきながらも、すれて血の出た頬をぬぐいながら立ち上がる。



「聞いたぞ、すべてを。お前達の魂胆、よくわかったぜ! よくもアニキをあの世に送ってくれたな!」


「アニキだと!? マッマなわけがねえから、まさかてめぇ!」



「ああそうだ。俺こそが本当のジャックだよ! 手前等に目をつけ、ずっと調べていたんだ! よくも、よくもアニキを殺してくれたな!」

 バーンズの驚きに、さらなる驚愕がジミーの口から発せられた。


 三ヶ月前に殺したスタインボルトホテルの嫡男。その行方不明の弟だと言うのだから、驚いて当然だろう。



「はっ、嘘かホントかはわからねえが、口だけは達者だな! だが、知られたからには容赦しねえ。なに、すぐに地獄であわせてやるぜ。おう!」


「へい!」

 用心棒と彼の兄を殺した側近が、ジミー改めジャックの側面に回るようにして移動する。二手に別れ、挟み撃ちの算段のようだ。



 ゲィスとバーンズは手出しはしない。バーンズはボスだし、ゲィスは下手に手出しをすれば自分の正体が外にバレるからだ。



「くっ……!」

 若い側近は銃を抜いているし、用心棒は銃などなくとも人を殴り殺せるようなバケモノだ。この場は勝ち目がないと、ジャックは床を蹴った。


 そのまま部屋を走り、一階を見下ろせる欄干に足をかける。



「まさか、そこから飛び降りるつもりか!」


「くそっ、シネー!」


 バーンズが叫び、側近が銃を撃ったが、ジャックがそこから下へと落ちる方が早まった。

 銃弾はジャックには当たらず、天井付近のシャンデリアを破壊しそのガラスを床へと降らせる。



「きゃあぁぁぁぁ」


 一階の客と接客をしているバニーの悲鳴が上がった。


 側近達があわてて駆け寄り、欄干から一階をのぞきこんだ。



 ジャックはブラックジャックの台に落下し、その台を派手に破壊していた。そのおかげで衝撃が薄まったのか、うめきながらも立ち上がり、カジノから逃げようとふらふらと出口へ歩き出す。


 片足を引きずっている。落下の衝撃を台で完全に消しきれなかった証拠だ。



「てめえら、逃がすな! ヤツをぶっ殺せ!」

 バーンズの怒号と共に、奥の部屋から用心棒と手下が飛び出してきた。



「くっ……」

 足を引きずりながら、逃げ惑う客に紛れジャックは走る。


 銃を構えた側近も舌打ちをする。ここで撃てば、他の客に当たるからだ。いくらアウトローとはいえ、カジノの客を撃ってしまっては明日からの営業に差し控える。



 だが、逃がすわけにはいかない。



 控え室から飛び出した手下達が、逃げ惑う客達をかきわけ走る。

 客を追い出すのに加え、ジャックを逃げ出さないよう捕まえるためだ。



「おら、今日は店じまいだ! とっとと出て行け!」


「てめぇは逃げられると思うな!」


 足を引きずりながらも逃げようとするジャックを見つけた手下が、その背中へ手を伸ばした。



 必死の抵抗もむなしく、ジャックは取り押さえられ、客がすべていなくなったカジノのホールの中央へ放り出されることになった。


 両手両足を後ろ手に縛られ、床にはいつくばる。



「くそっ、離せ。離しやがれ!」



「おうおう、威勢がいいな」

 床で暴れるジャックをVIP席から見おろしながら、バーンズがにやりと笑った。


 側近が銃の弾倉に弾丸をこめ、それをジャックに向けた。



「ま、これでおしまいだがな。よかったなお前。アニキと同じヤツに殺されるんだ。なかなかねぇぜ」



 側近がにやりと笑った。

 このジャックが本物のジャックだとは思っていなかったが、せっかく相手がスタインボルトのジャックと名乗ったのだから、そのお芝居に乗ってやったのである。



「て、てめぇかー!」



 その言葉を聞いた瞬間、ジャックは床の上で暴れだした。

 しかし、後ろ手に縛られ、足まで怪我をしている彼ではただ床をのたうちまわることしかできない。


 その激昂の仕方は、演技ではなく本物なのかもしれない。とカジノの者達に思わせた。



「てめぇを、てめぇをぶっ殺してやる! 絶対だ!」



「ひゅー。養子に出されて家族と離れ離れだったってのに、アニキをうらんでいねぇとは、こいつは涙なくてはかたれねぇなぁ」

 にたにたと笑いながら、側近はジャックに狙いをつける。



 近くでは何発目でジャックにあたり、その後何発でしとめられるか、手下や用心棒達が賭けに興じている。

 一発目だ。俺は二発目だとか、そういった人の命をゲームにした会話がなされている。そんな言葉も平然と口にされる。これこそまさに西部であった。



「うるせえ! てめぇらになにがわかる! そりゃガキの頃はなんで俺だけ捨てたんだって思ったさ。こうしてアウトローに身を落としたさ! だがな、こっちに帰ってきて知ったんだよ! 母さんがどれだけの思いをして俺を養子に出したかを! どれだけ俺を愛していたかを!」




 ──最初は確かに自分を捨てた母を、憎いと思った。




 ジャックは二歳の時に養子に出された。


 義理の両親はサラとその夫に恩があり、彼のことを二つ返事で受け入れ、彼を大切に育てようとした。

 ゆえに、物心ついた時から、ジャックは不自由のない暮らしができた。


 どんなわがままをやっても、どんな無茶をしても彼を育てた養父母は笑って許してくれた。

 人のよいこの義両親は、彼を愛する方法はそれしかわからなかった。


 しかしそれは、彼にしてみると愛情が感じられない行為だった。


 ジャックは、幼い頃から自分が養子であることを知っていた。ひょんなことからサラに恩があり、預かったと知ってしまったのだ。ゆえに、なんでも許してくれるその行為は愛ではないと感じてしまった。



 義理の両親は必死に愛しているというのに、彼はそれは違うと感じ、悪事をエスカレートさせてしまった。



 そしてある日、些細な喧嘩が原因で、彼は住んでいた街から逃げ出した。


 どこにも居場所がないと思い、彼はそのままクズのアウトローの道を転げ落ちて行ったのだ。


 カードでイカサマをし、カジノのディーラーとして各地を回る。イカサマがばれてはその地を離れ、稼いではまた離れるを繰り返していた。



 そして三ヶ月前、風の噂で自分の兄が死んだと知る。



 実の母の苦しむ顔を見てやろうと思い、彼はこの地にやってきた。


 そして、兄の棺おけの前でじっと涙をこらえる母を見た。

 その姿は、自分を生んだ年齢の女性とは思えないほど年をとっているように見えた。



 葬儀に参列する人々に紛れジャックはその姿を見ていた。葬儀の参加者は、聞いてもいないというのにこの街でなにがあったのか。サラがどれだけこの区画の人間を助けたのかを語ってくれた。



「あの人こそ幸せになるべきだってのに、最愛の息子さんの一人はヨソにとられ、もう一人はこうして死んでしまうなんて、神はなんて残酷なんだろうね」


 彼はこの時初めて、この地の歴史知る。



 自分の生まれた時、この地が赤子を育てるのに、どれだけ厳しい状況だったのかを。

 母の姿は、この地でどれほどの苦労を重ねてきたかの証であり、その姿を見れば、この地がどれほど厳しい世界であったかもすぐに見て取れた。


 こんな厳しい世界で、あの人はどれだけ苦労して生きてきたのかがわかった。



 ジャックはすぐに理解した。なぜあの人が自分を東部に養子に出したのか。


 そして、自分はなんて恵まれていたんだろうと理解した。



 あの義両親はしかってくれなかったんじゃない。あれほど愛してくれていたのだと気づいた。


 だが、気づいた時にはもう遅かった。



 ──あの時、俺は自分が恥ずかしくなった。こんなクズになった俺は、あんなまっすぐに生きた母さんにあわせる顔はない。だから、だからせめて母さんの幸せを奪ったヤツを探そうと心に決めた!



「こんなアウトローの俺は、真正面からあいになんて行けねえ。だから俺は、母さんが大切にしていたアニキを殺したやつを見つけて、そいつを……!」



「残念。そいつに殺されるクズの方が、お前さ」


 側近がにやりと笑い、引き金を引いた。



 たん。と軽い火薬の破裂音が響き、その弾丸は一直線にジャックの頭へと飛来する。



 周囲の手下や用心棒達も、一発コールをあげている。

 側近は確信していた。間違いなくこの一撃で終わりだと。


 ジャックの目に、その弾丸が迫る様ははっきりとわかった。



 ──畜生!



 ジャックはもがく。

 まるでスローモーションのようにゆっくりと弾丸が迫ってきている。


 それは、間違いなく自分の脳天をとらえているのがわかった。頭をどうにかして動かそうとするが、その意識の鮮明さとは裏腹に、体の動きはとてつもなく鈍かった。




 ──畜生!!




 弾丸の速度と同じく、体も水にでも使っているかのように、スローモーションでしか動かないのだ。


 回避はできない。間違いなくその弾丸は、自分の脳天を貫くことがわかった。

 目の前に兄の仇がいるというのに、自分はもう死ぬしかないというのがはっきりとわかった。




 ──畜生!!!




 弾丸が、目の前に迫る。



「ちくしょおぉぉぉぉー!!」



 刹那。




 キィン!




 目の前に迫る弾丸が、天井へ跳ね上がった。


 ジャックをふくめた男達は一瞬、なにが起きたのか理解できなかった。



 確実に当たると思った弾丸が、ジャックに命中する直前、突然進路を変えて真上に飛び上がったように見えたからだ。



 いや、そうじゃない。弾丸が勝手に軌道を変えるはずがない。


 ゆっくりと事態を認識してゆく男達は、自分達の見たことをそう否定する。

 弾丸の軌道を、誰かが無理やり変えたから、ジャックに当たるはずの弾丸が、天井へ突き刺さったのだ。



 きらりと、天井で揺らめくシャンデリアのろうそくの光が反射した。


 そこに、美しい刃紋を持つ刀のきらめきがあった。



 男達は思い出した。あの曲剣が、弾丸を打ち払い、天井へと跳ね除けたのだと。


 銀色の軌跡が描かれ、飛来した弾丸を弾き飛ばしたのだと。



 だが、武器が勝手に動くはずがない。



 そこでやっと、男達はそこに少年が立っていることに気づいた。



 異貌の装束を纏う、異国の少年。それが、ジャックを守るようにして射線に立ちふさがっていた。


 男達は、やっとことの全貌を理解する。



 突如弾丸の射線にわりこんだ少年が、その武器を持って弾丸を打ち払ったのだと。

 高速で飛来する弾丸をあの細い剣で跳ね除けたという、信じられない事実に、彼等は一度理解を放棄してしまったのだ。


 少年がすっと、刀を持たぬ左手を天井へあげ、指を一本立てた。



「はーい。俺、誰が何発撃ってもこの人にかすり傷一つつけられない。に賭けるよ」


 そう言い、にやりと笑った。



「なっ、なにを言ってやがんだてめぇは!」


「なにって、賭けだよ。賭け。一発目二発で殺せるとかは誰でも賭けられるから、俺は誰も賭けない、一括総どりに賭けてるんだよ」



「そこにてめえがいるってことは、今からこいつをぶっ殺すのを邪魔して、それを実現するってことか!」



「そうだよ」


「そんなの、賭けになるか! 大体、てめえ一人で俺達全員の弾丸もさばくつも……な、なに言ってんだ、お前?」


 アズマの言葉に反応し、罵声を浴びせていた手下の一人が、気づいた。



 そう、アズマはジャックの前に立ち、自分の言った賭けを成立させようとしている。それはわかる。だが、それをやるとすると、当然手下の自分達も銃を撃つ。何十人もの自分達が銃を撃つというのに、そうなるのが明らかだというのに、この少年は、にやりと不適に笑っているのだ。



 誰かが、ごくりと息を飲んだ。


 まさか。と思ったのだ。一発目のアレは、まぐれだったのかもしれない。でも、ひょっとすると。と思ってしまったからだ。



 あれを、意図的にやった。という、ありえない想像を。



「バカ野郎! そんなわけあるか!」


 バーンズが欄干に身を乗り出し、アズマに飲まれかけた空気を吹き飛ばした。



「先生よぉ。そんな賭けのために、アンタは命を捨てようってのか? そいつは俺達の裏切り者だ。生かしておいたらためにならねえ。もし、アンタがそんなくだらない賭けをして、俺達と敵対してぇっつうんなら、一緒にぶっ殺してやることになるぜ? 一度だけだ。考え直すなら、今だけだ?」



 アズマの強さを知るバーンズだが、いくらなんでも銃に勝てるとは思わなかった。手下に囲まれた今の状態で銃を撃たれれば、蜂の巣になるのは間違いない。


 アズマの実力を買い、少し気に入っているバーンズは、そいつは忍びないと最後通告を送ってやった。



 しかし……



「御託はいらないよ。俺はね、ここでこの人を死なせるわけにはいかないんだ。だから、この人を殺したければ、俺ごと殺すんだね」



 ……アズマは平然と、そう言ってのけた。



 ジャックも、目の前で起きたことが信じられなかった。

 死にたくないと願い、叫んだ直後、目の前に少年の姿が現れた。


 彼は自分を微笑み、なぜか守るように自分の前に立っている……



「お、お前……」


 信じられなかった。今生きていることが。ここに、味方がいることが……



 バーンズはアズマの平然とする姿を見て、びきりとこめかみに怒りのマークを浮かべた。



「いいだろう! どうやらこの先生は自殺願望の塊みたいのようだ! 全員、一斉にぶっぱなせ!」

「おおー!」


 全員が一斉に銃を引き抜き、アズマとジャックめがけて引き金を……



「……遅い」



 ぱちん。



 ……引こうとした瞬間、アズマの刀はすでに、鞘へと戻されていた。



 直後、銃を抜こうと動いていた手下達の動きがぴたりと止まる。

 同じように、二階でアズマを狙っていた側近の動きもだ。



「? どうした?」

 突然動きをとめた手下達を見て、バーンズがいぶかしんだ。


 しかし、誰も動かない。まるで人形になったように、全員が彼の言葉に反応せず、銃を構えようとする格好のままとまっている。



「ど、どうしたんだお前達!」


 バーンズが近くにいた側近の肩へ手を伸ばす。




 びゅぅ。




 それと同時に、アズマを中心にして、小さな旋風が巻き起こった。


 まるで、今更ながら、遅れて空気が動いたかのようだ。



 その風が部屋の中を流れ、銃を抜こうとして固まっている手下や用心棒のもとへ到達する。バーンズの伸ばした手も、それとほぼ同時に側近の肩へ触れた。



 ぐらり。



 風が触れ、少しの衝撃がくわわっただけだというのに、男達は次々と糸の切れた人形のように倒れていった。


 ばたばたと、まるでドミノのように白目をむいて崩れ落ちてゆくのだ。



「ひっ、ひいぃ!」

 ゲィスが悲鳴を上げた。欄干にアゴをうち、完全に白目を向いた側近を見て声を上げてしまったのである。



「なっ、なっ、なにをした!」

 バーンズが欄干に身を乗り出し、アズマへ怒鳴った。



 一瞬にして三十名近い手下と用心棒が倒れたのだ。まさか偶然とは思うまい。それをやったのは、間違いなくあの元用心棒の先生だからだ!



「なにって、言ったらシンプルですよ。全員を刀の峰で殴って気絶させた。それだけです」


「なっ!?」

 バーンズは一瞬めまいを覚えた。ふらりと揺らぐ足元を、欄干を握ってなんとか踏みとどまる。


 刀と峰という言葉の意味は理解できなかったが、殴って気絶させたという事実は理解できた。



 嘘だ! とバーンズは否定したかった。しかし、実際に起きた現実が目の前にあるのだ。それを嘘だ! と叫べるほどの確証もない。むしろ、本気を出せばそれくらい可能かもしれない。そう思わせるなにかを目の前の少年が持ち合わせているのをバーンズは感じ取っていた。



 当然、アズマの言っていることは事実である。



 アズマは目にも留まらぬ速さで手下と用心棒を峰打ちで殴り倒し、また同じ場所に戻って刀を鞘に戻したのだ。


 超スローモーションで見ると、途中VIP室にあったハムを一枚失敬しているのもわかったが、ただのチンピラ程度の集まりでは、いかずちのごときアズマの動きをとらえられた存在は一人としていなかったようである。



「残りはあなた達三人だ」



 アズマが視線をVIP席へ向ける。

 そこにいるのは、変装している保安官と、バーンズ。そして常にバーンズのそばに控える最強の用心棒だけである。



「ふん。馬鹿を言うんじゃない。俺にはまだこいつがいる! 最後の切り札がある! いけ!」



「おおー!」

 バーンズ最後の切り札。


 屈強にして最強の用心棒が二階VIP席から飛び降りた。



 体重百二十キロを超える巨漢が一階に落下し、べきりと床にヒビを入れた。

 彼は元拳闘士であり、逃げ出すことのできない移動式の闘技場で無敗だった男だ。あまりの強さに興行主すべてを殴り殺し、バーンズに拾われ彼を守る最強のボディーガードとして多くの邪魔者を殴り殺してきたまさにバーンズ最後の切り札であった。


 銃の持ちこめぬ場所ならば負けるものなどはいない。その最強がこぶしに特注のカイザーナックルを装着し、巨大なそれをアズマに向かって振り下ろす。



「やっちまえー!」

「そうだそうだー!」


 バーンズとゲィスがこぶしを振り上げ応援する。




 べきぃ!



 カイザーナックルが、アズマの体に炸裂した。


 衝撃でアズマの立っていた床にはヒビが入り、巨大な衝撃がカジノ全体を揺らす。

 その巨体ゆえ、アズマの体はバーンズ達の視界から完全に隠れてしまっていた。ただ、ぶしゅぅと噴出す血しぶきが見えたのがわかる。



「勝った! これで終わりだ!」

 バーンズが勝利を確信しこぶしを握る。ゲィス保安官も同じように両手でガッツポーズをかまえた。



 しかし、こぶしを振り下ろしたままの姿で、用心棒の動きがとまる。

 むしろ、ぐらりとその体が揺れた。



「?」

 バーンズも保安官も、用心棒の動きにいぶかしむ。


 終わったのは、アズマではなかった。




「ぎゃあぁぁぁ!」




 用心棒が悲鳴を上げ、こぶしと肘から血を噴出しながらのたうち回る。その右腕は、まるでなにか硬いものへ勢いよくつっこんだように激しく砕けているのがわかった。


 崩れ落ちる用心棒の影からアズマが姿を現した。



 アズマは用心棒の振り下ろしたこぶしにあわせるよう、左手を突き出すような形で立っていた。


 その左手はなにかを握っている。



 それは、鞘に入れたままの刀だった。鞘を持ち、親指でツバを押さえたまま、アズマはその柄の先を突き出していたのだ。



 それはつまり、用心棒の振り下ろすこぶしにめがけ、柄の先。柄頭と呼ばれる金属で覆われたところを突き出したということになる。

 それとカイザーナックルがぶつかりあった結果、砕けたのは用心棒のカイザーナックルであり、用心棒のこぶしであり、その先にある肘だった。



 打ち合った結果負けたのは、用心棒の体だったのだ……!



 アズマは涼しい顔をしたまま、のたうちまわる男を尻目に刀をもとの位置に戻した。


 用心棒があまりの痛みにのたうちまわる。この状態ではすでに戦闘など続行できないだろう。



「大丈夫。箸がもてるくらいには回復するよ。おっと、フォークって言った方がわかりやすいか」



 アズマの言葉は用心棒には届いていない。痛みのあまりそんな優しい声を聞いている余裕など欠片もないからだ。



「ばっ、ばっ、ばか、な……」

「なんてことだ。おい、今すぐ逃げるぞ!」

 愕然とするバーンズに向かい、ゲィスが悲鳴を上げるように叫んだ。



 用心棒が全員いなくなった今、ここまでアズマがやってくる可能性が高くなったからだ。



「ああ、ちなみに……」

 そうしてうろたえるゲィス保安官の雰囲気を察したのか、アズマが静かに口を開く。



「どうしてあの用心棒さんを倒しておかなかったのか。それって、もうちょっと時間を稼いでおきたかったからなんです」

「ど、どういう、ことだ?」


 さっきからバーンズは疑問しかあげていない。

 もう彼の理解をこえた事態ばかりが起こっているのだから、それもある意味しかたがないのかもしれない。


 だが、次のアズマの言葉は、バーンズもすぐに理解できた。



「だって、あんた達を逮捕しに、官憲の皆様が押し寄せてくるから」



「なっ!?」

 アズマが言った直後、カジノの扉、そして裏口が大きな音を立て開き、大勢の保安官がなだれこんできた。



「バーンズ一味、そしてゲィス保安官! お前達には殺人、および殺人の共謀共同正犯の疑いで逮捕する!」


 先頭の保安官。この街で一番えらいいわゆる署長が逮捕状を広げる。



 すでにバーンズ一家には逃げ場はない。ロビーに倒れる手下達は次々と手錠をかけられ、VIP室から逃げようとするゲィス保安官もバーンズも、銃を突きつけられ抵抗などできない状況と化した。



「くっ、くそっ、これが狙いだったのか……!」


 気づけば、アズマの姿もジャックの姿も消えていた。突入してきた保安官達が探してもいないところを見ると、突入と同時に脱出してしまったのだろう。すべて、このための時間稼ぎだったのだ……!



 ぎりりと歯軋りをするが、バーンズに食もう逃げ場はない。おとなしくうなだれるしかできなかった。



「な、なぜ私まで!」

 同時に捕まえられたゲィス保安官が首を振る。変装をしていても、同僚が見ればゲィスだと一瞬にしてわかってしまった。それでも自分は関係ないと、悪あがきをしようとする。



「残念だが君には証拠の捏造の容疑もかかっている。悪あがきをしても無駄だよ」


 署長がかつこつと靴音を立て、ゲィスに近づく。



「なぜです! 私はそんなことを……!」


「だまらっしゃい! お前達が殺そうとしたマッマ・マルコニアス。彼は死んではいないのだ! 彼を殺そうとした人物は、君が逮捕した人物ではない。そこに転がる男だ! ボタンを奪ったのもな! なのに君はそのボタンを持ち、冤罪をでっちあげた! これでも言い訳が通ると考えているのなら、いくらでもあがくがいい!」



「なっ、なっ……」


 ゲィスはもう、声が出なかった。最大の生き証人が現れてしまったのだ。これでは弁明のしようがない。


 がくりと肩を落とし、おとなしく連行されてゆくしかなかった。



 このような大規模逮捕が可能になったのは、マッマ・マルコニアスの証言だけではない。その証言の上、リッチフィールド商会がここの警察署に圧力をかけたため、このような大規模一斉捜査が可能になったのである。

 リッチフィールドという大きな圧力がかかったため、この街の署長までもが先頭にたって指揮する逮捕劇になった。


 マッマという生き証人。これ以上の証人はいない。彼の証言により逮捕されたバーンズ一家の自白により、スタインボルトの長男も殺人事件として表面化し、不正を働いたゲィス保安官もバーンズ一家も一網打尽と相成ったのである。




 この逮捕劇を、こっそりとジミーこと本物のジャックを連れて逃げ出したアズマは遠くで見ていた。

 喧騒が広がり、バーンズ一家とゲィスが逮捕されてゆく中、アズマはジャックの怪我に応急処置をほどこす。



「これで、彼等の事件は白日のもとに晒されて、法のもとで罰を受けますよ」


「……せめて、せめてアニキを殺したヤツだけでも殺したかったんだがな」



「そうはいきません。そんなことしたら、きちんとお天道様の下を歩けなくなっちゃうじゃないですか」



「そんなの関係ない! 俺は、俺は……!」


 手錠をとられた両手でこぶしを握り、強く強く握り締めた。

 その手に、アズマの手がそっと重ねられる。



「そう思うのなら、別のやり方がありますよ。お兄さんに報いたいのなら、ね」



「……」


 彼も、それにはうすうす気づいているようだった。



 それでも、どこか後ろめたく、それを決断できずにいたようだ。



「つーわけだから、行きますよー」

「ちょっ!?」


 ひょいっとジャックを持ち上げたアズマは、彼の足と背中を支え、抱きかかえた。それは簡単に言えばお姫様抱っこだ。


「なんつー運び方をしやがる! 離せ。離せー!」

「いーやでーす」


 ふんふんふーんと鼻歌を歌いながら、アズマは軽やかに目的地を目指し歩き出した。


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