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第09話 ジャック・スタインボルト その4


──合流──




 アズマとわかれたリゥは、ひとまずカレン達と合流するためにスタインボルトホテルへ戻ってきた。


 フロントに寄り、自分に伝言がないかと問えば、先にやってきたカレン一行から部屋に来て欲しいと伝言を伝えられ、彼女はカレン達一行がとった部屋へとやってきた。

 ちなみにカレン達は今回リッチフィールドを名乗り部屋をとってはいないらしい。


 リッチフィールドの名を出せば間違いなく宿全体にカレン存在が伝わってしまい、ジャックにカレンのことが伝わってしまうからだ。


 カレンがここにいるとわかれば、ジャックは逃げないにしても警戒するだろうし、今後の観察もしにくくなるからだ。

 コンコンとノックをし、リゥがやってきたと告げると、部屋からメリッサが顔を出しリゥを出迎えてくれた。


 カレンは部屋の中にある椅子に座り、テーブルにつっぷしている。



「……どうしたんじゃ?」



「色々ありまして。お嬢様は今回の死亡事故の真相を調査しつつ行方不明のジャック様を探してこの結婚騒ぎを阻止しながらサラ様もついでにエリーゼ様もハッピーエンドにすると意気ごんでいたのです」



「ほうほう」


「ですが、いくら考えてもどうにもうまくいかないようで、こうして頭を抱えてしまっているわけなのであります」

「まあ、それはそうじゃろうな」



 どこか同情したようにリゥは声を上げた。



 そもそも今回の事故に関しては状況から考えて、その情報は地道な聞きこみやボタンの追跡などしか今のところやれることはない。彼女がそれらを考え、実行したとしてもその結果が実を結ぶのは今日明日すぐにとは決して言えないだろう。

 さらに行方不明のジャックを探すなんてことまではじめたら、いくら組織力のあるリッチフィールドでもてんやわんやになるのは目に見えていた。


 そしてカレンのこの撃沈具合から見て、リゥにはそれ以外にもなにか意気消沈する理由があるのだろうとも思った。



「とりあえず、こちらの得てきた情報を伝えるぞ。ワシ等はボタンの持ち主におおよそのあたりをつけ、住んでいる場所までは特定した。今アズマはその持ち主を特定するためにバーンズ一家というアウトローに潜入しに行った。詳しいことはまた今夜連絡するといっていたので、以上じゃ」



 そうあったことをつらつらと伝えると、テーブルにつっぷしていたカレンも顔を上げ、ぽかんとしてちょっとお間抜けに口を開いてリゥを見ていた。メリッサもどこか信じられないようにリゥを見ている。

 そしてリゥは、その二人の反応にそりゃそうか。と苦笑した。


 カレンが変な顔をしたまま、ゆっくりと手を上げる。先生。質問が。というような雰囲気だ。


 リゥもあえてツッコミはスルーし、カレンに質問をうながした。



「あの、どう試算しても、あのボタンから持ち主を特定するのはウチの人間をフル動員しても一ヶ月以上はかかると思うのですが……」

「ちなみに、リッチフィールドの資金力を使わない場合は一年以上かかるでしょう」

 なぜかメリッサが補足を入れた。



「そんなのを一晩、いや、数時間でやってのけるなんて、あの方は一体なにものなんですか?」



「何者って、アズマはあれじゃ。サムライじゃ」

「サッ、サムライっ……!」


 カレンはその名を聞き、背後に雷が光ったような衝撃を受けた。



「サムライ、スゴイ」



「……」

 なんか勘違いしたような感じでうめくカレンを見て、メリッサはなにも言わずいつものすまし顔で立っていた。



(なんか勘違いさせたような気がするが、それ以上の説明もできんし、どうしよう……)



 アズマだからできたことにはかわらないのだが、カレンにはなんか変なイメージを植え付けてしまったような気がするリゥであった。


 しかし、その誤解はどうやって解けばいいのかさっぱりわからない。

 どうしたもんかとおでこをかくが、答えは出なかった。



「私もサムライになれますかね?」

「いや、なれるのならワシもなりたいが、無理じゃろ」


「それは残念ですわ……」


 カレン、しょんぼり。




「へっくち」

「どうした先生?」

「いや、なんか間違った認識されてるような気がする」


「なんじゃそりゃ」

 どこかのカジノで用心棒の先生がくしゃみをしていたそうな。




「じゃから、あの事件に関してはアズマに任せておけばいい。お前達は事件か事故かはっきりするまで、自由に他のことに集中していろ」

「……リゥさん」


 カレンががたんと立ち上がった。

 そしてふらりふらりと体を揺らしながらリゥのもとへとやってくる。


「な、なんじゃ……?」



「そんなことをわざわざ言わないでください! 気を使わずとも、きちんとどちらもがんばりますから!」



「それでもどちらもなのがさすがですお嬢様」

 しれっと言った言葉にメリッサもしれっとツッコミを入れた。



「ともかく、事故の件はひとまずアズマさんに任せるとして、こちらの問題も解決しましょう。そう、サラさんの健康問題です!」


「ほう」

 リゥをはなし、指をピンと立て天をさしたカレンが宣言する。



「この事件を解決するのも、このスタインボルトホテルの総支配人サラさんの心の安らぎを作るため。本物のジャック様を探すのも彼女のため! 決してジャックが結婚式をしてファーストキスを他人に奪われてなるものかなんてわけではありません!」


「ほほーう」

 カレンの宣言にリゥが目をきらんと光らせた。



(さすがに呆れてらっしゃいますかね。どれだけ言いつくろっても、結局はジャック様のことですから)



 カレンが言い出したいいわけじみた理由に、リゥが怒るんじゃないかとメリッサは心配した。いくら気を使ってくれるリゥとはいえ、キスを阻止したいからジャックの結婚を阻止するというのはちとわがまますぎる。


 これでは、人助けではなく完全に私情だからだ。


 肩をぷるぷると震わせ、リゥはぎらりとカレンを睨んだ。



「ああ、そうじゃな。ファーストキスならば絶対に他人に奪わせてはならんな!」



 カレンの叫びに、リゥも同じように力をこめて同意した。


(いいのー!?)


 眉をピクリと動かし、すまし顔を少しだけ崩してメリッサは驚いた。



 リゥにとってもキスとは神聖なものである。エルフに伝わる言い伝えとして、異性同士のファーストキスというのは運命の相手とも言われることもあり、おまじないレベルの言い伝えだが、乙女としてはやっぱり捨て置けない話だった。

 ちなみに、肉親とのはノーカウント。


 現在のリゥの想い人、アズマと命の危機を救うためながら運命を感じてしまった彼女は、カレンを応援したいと思うのだった。


 ゆえにメリッサの予測に反し、応援の立場をとったのである。



「ですからどうしてもスタインボルト家のジャックを探さないといけないのです!」


「そうか。その想い、ワシに十分伝わったぞ。で、どうやって探すのじゃ!?」



 一番情報を持って探しに行ったコリンズも、結局そのジャックは見つけることができず偽者のジャックをしたてるという策をうった。

 いくらリッチフィールドの情報網があるとはいえ、そうたやすく行くとは思えなかった。



「……」

 そして、カレンはリゥから視線をそらした。口をつぐみ、完全に明後日の方へと向いている。



(あっ……)

 この時点で、リゥは察した。さっきなぜ、カレンがテーブルにつっぷしていたのかを。


 この態度を見た時点で、彼女ははっきりと理解した。



「……」

「……」

 カレンもリゥも、なにも言えなかった。



「……とりあえず、本物のジャック様について色々調べはしました」


 いたたまれなくなったメリッサが、話を進めようとスタインボルト家のジャックについて調べたことを話しはじめた。



「ほ、ほう。どれくらいまで調べがついたんじゃ?」

 コリンズにある程度のことは聞いているので、それについて補足ができればいいと思い、リゥはメリッサの方へ顔を向けた。


 決してカレンがいたたまれなくて見ていられなくなった。ということはない。


「はい……」



 ジャック・スタインボルト。


 スタインボルト夫妻の次男であり、長男とは七歳歳が離れている。


 彼が生まれた時期はちょうどこの地に日照りが続き、この一帯は大規模な干ばつと水不足が重なり、街の区画の中で水の奪い合いが起きるほどだった。

 そしてこの地をまとめていたのが、かのスタインボルト夫妻であり、ちょうどその時期に夫の死と重なるように彼は生まれた。


 区画のリーダーとなっていたサラは、赤子のジャックを育てられないことを悟り、知人に養子として預けることとする。


 幼いジャックより、彼女はこの地の人々を救うことを選択したと言ってもいい。

 これにより、この区画に住む住人はサラに多大の恩義を感じている。



 彼を預かった義理の両親は、彼にそのことを伝え、なに不自由のない暮らしを与えた。


 しかし、愛情の注ぎ方がまずかったのか、実の親でないことが不満だったのかはわからないが、歳を重ねるにつれ彼は悪い仲間とつるむようになり、ついには些細なことが原因で怪我人を出す喧嘩をおこし、彼は住んでいた街から逃げるように去っていった。


 それから彼の足取りはつかめていない。

 外見的特徴は金髪碧眼であり、その特徴をまとめると、確かにサンダーボルトのジャックに似ているとも言えた。



 それを聞いて、リゥは目を瞑った。


 事情が事情だが、両親が育てられず彼を捨てたというのは事実である。


 さらに、義理の両親は自分達が実の親でないことを彼に告げている。これはスタインボルト夫妻がどんなことをしているのか、ジャックを愛していないわけじゃないと伝えたかったのだろうが、それが逆効果になった可能性がありえるように見えた。


 ゆえに彼は悪い仲間とつるみ、そしてそこから逃げ出した。



 もし、万が一の話だが、このジャックが元々母のもとにいる兄を恨んでいたとしてもおかしくはない。



「……これ、事件じゃったら逆に長男を殺した犯人と疑われても正直おかしくないぞ」

「ええ。その場合ここにいるジャック様が疑われて面倒なことになるかもしれませんね」


「確かにな……」


 それはそれで厄介だとリゥは心の中ではきすてた。



「それにしても、短時間でここまでよく調べたものじゃな。ちなみに、皮肉ではないぞ」


 アズマがやったことを考えれば皮肉のようにも聞こえると感じたリゥは、先に断りを入れておいた。


 さっきのアズマのことは規格外もいいところなので、話をしているメリッサもわかっていますと素直にうなずく。



「リッチフィールド家の調査力をご理解できましたか……というわけではなく、単純にすでに一度調べた方がいますから、それのほぼ後追いになっただけです」

「ああー」


 リゥはすでに調べたもの。コリンズを思い出した。


 その資料を調べることができれば、この短時間でこれだけのことを把握することができるのも不思議はないだろう。

 ただ、その方法をどうやったのか。はあまり聞きたくないが。



「ともかく、行方は結局わからなかったのだな?」

「はい。行方不明になったあとの足取りは現在調査中です」


「そうか……」


 一番肝心なことはわからない。ということで、カレンがさっきテーブルに轟沈していた理由もはっきりした。



「……はっ!」


 突然カレンが、なにかひらめいたー! というように声を上げた。



「ふふっ。ふふふふふ……」


 そして、笑いはじめる。


 話をしていたリゥとメリッサも、あまりに突然の奇行にびくうと肩を震わせ、笑うカレンへ視線を向けた。


 そこには口に手を当て、笑いをこらえているカレンの姿があった。なにかとんでもない大きな希望を胸に、これが成功すれば一発逆転。ジャック(偽)の結婚なんて一発で吹き飛ぶほどの逆転ホームラン級の策が思いついたというような顔をしていた。



「いいことを思いつきましたわ……!」

「……なんか嫌な予感がするが、聞くぞ?」


 嬉しそうに笑うカレンの姿にどこか嫌な予感を感じたリゥだったが、その策を聞くため答えを促した。



「そ、それはですね……!」


 カレンの声が震える。


 自分の考えが正しいならば、これは本当に一撃必殺の女王の一撃だからだ!



「ボタンの持ち主を特定したアズマさんがいれば、そのスタインボルトのジャックさんも見つけられると思うのです!」



 右のこぶしをぐっと握り、それを天に伸ばした。

 それはまさに、天をつかむポーズ!


 だが、リゥは悲しくため息をついた。



「気持ちはわかる。言っていなかったワシも悪い。残念じゃが、本人を探すには本人が必要じゃから意味がないぞ……」

「ぐはー!」


 その衝撃で、なぜかカレンは真上に吹っ飛んでいった。



 アズマのアレは、過去にそれがどこにいたかを調べるというものだ。肝心のそれが目の前にないと調べることすらできないのである。


 床にごろりと転がり、ふらりふらりとベッドへと向かう。



「……ねます」



 そしてそのまま、ベッドに入り不貞寝をはじめてしまった。


 ドレスも脱がず、頭からシーツをかぶり完全に殻に閉じこもってしまっている。



「……そっとしておこう」



 空気を察したリゥは、そっと部屋から出てゆくことにした。


 どのみち今日はアズマからのつなぎがなければもうやれることはない。

 部屋を出る際、メリッサがぺこりと頭を下げた。



「今、リッチフィールドの方で酒場や酒屋をあたりその日どこで酒を飲んだか、仕入れたかを調べさせています。結果はそちらと違い時間がかかるでしょうが、一応やることはやっておりますのでお嬢様を責めないでください」


「責めん責めん。むしろ本物のジャックを探すのに力になれず悪かったと思っているくらいじゃよ」


「なら助かります」


「ワシも一度部屋に戻る。続きは明日以降じゃな」


「はい」

 こうしてリゥも部屋に戻り、彼女はアズマからのつなぎを待つことになった。




──バーンズカジノ──




 用心棒として認められたアズマは、隣に隣接するカジノを見おろせる二階のいわゆるVIP席にいた。


 そこには一部壁がなく、一階のカジノ側を見下ろせるよう吹き抜けとなっており、落下防止の欄干が設置されている。

 アズマの用心棒としての役目は他の用心棒でも対処できないような厄介な客が現れた時の最終兵器。普段はバーンズ親分の近くに控え、最強の壁として敵に立ちふさがる役割だった。


 一気に親分であるバーンズに近づいた形だが、その間には側近である若い男ともう一人屈強な用心棒がいる。

 その用心棒は最初にバーンズと顔を出した男であり、彼も身体を鍛え、アズマと同じく銃を持ちこめぬ状況ではとても頼りになりそうな拳闘士を思い起こさせる姿だった。

 それが、アズマとの間にどっかりと座っている。


 これからアズマも完全に信用されているわけではないようだ。



 アズマは二階席のはしに座り、ギャンブルをしている下の階をミルクをすすりながら見ていた。



 眼下にはブラックジャックをしている席があり、ディーラーが五人の客を一度に相手をしている。


 ちなみにブラックジャックとは、いかに二十一という数に近い数字をカードで集められるかというゲームである。

 カジノにおいては、ディーラーと呼ばれる親に対し、数人の子が挑むという形になり、ディーラーに勝てば子は倍の掛け金をもらえるというものだ(例外で二枚で二十一、ブラックジャックの場合はさらに高い倍率の配当がもらえる)


「へえ」

 そのディーラーを見て、アズマは関心の声を上げた。



「ほぅ。サムライの先生はギャンブルもわかりなさるのかい」


 それを見たバーンズが、感心したようにやってきて欄干に体を預けた。



「ディーラーをやっているのはジミー。ふた月ほど前にふらりと現れて、いつの間にかいついちまった男だ。ディーラーとしての腕も中々でね、重宝しているんだよ」



 上から見た限りだと、ジミーという男の腕前はたいしたものだった。大敗もせず大勝もしない。実に絶妙なタイミングで負け、そして勝ち、相手から引っ張れるだけ引っ張れる掛け金を奪う。絶妙に勝てそうなので、つい熱くなった男達は、それに釣られて金を搾り取られているようだった。


 ゲームが終わり、ジミーの出番も一時終わる。



 大敗した男達は場にカードを投げ捨て、捨て台詞をはいて別のギャンブルへ向かっていった。



 ディーラーであるジミーは一礼し、奥へとさがって行く。



 どうやら大きな問題は起きなかったようである。



「先生の出番は今日は必要ないみたいですなあ」

 げははと笑うバーンズが、めでたいといわんばかりに杯を上にあげた。


 天井に飾られた豪華なシャンデリアの光に中の液体が反射し、美しいオレンジ色をバーンズに見せた。



「……親父」


 コンコンと扉がノックされ、廊下から声をかけられた側近の男がバーンズに声をかけた。


 バーンズへ近づくと、小さく耳打ちをする。



「ホテルの跡取りの件です」

「そうか」


 アズマに聞こえないようそっと言ったつもりだろうが、耳が格段に聞こえてしまうアズマには無意味であった。


 バーンズが大きくうなずき立ち上がる。



「先生、ちょいとすまねえが、下で遊んできてください」

「はい。こちらがウチで使えるコインになります」


 バーンズが言うと、側近が用意してあったコインを取り出した。箱に入っているので今何枚入っているのかはアズマにわからないが、そこそこの大きさがあるのでけっこうな枚数が入っているのだろう。



 アズマにそれを手渡すと、バーンズと側近。そして屈強なもう一人の用心棒の三人で連れ立ち、そのVIP席から出て行った。



(……ふむ)



 側近からコインを受け取ったとき、アズマはさりげなく側近の手に触れた。


 するとあの若い側近の男こそ、睨んだとおりスタインボルトホテルの長男が橋から落ちた現場に落ちていたボタンの持ち主であった。

 彼の服のボタンが落ちてそこに残されていたのである。



「そうかそうか。さて。ぱーっと遊んできますか」


 そう言って、アズマも廊下へと出て行った。




 廊下に出た三人は窓が一つしか存在しない部屋へ移動した。

 入り口を閉め、その入り口には屈強な用心棒の男が立つ。


 ボスのバーンズが席に座り、側近の男へ視線を向けた。



「で、どうだった?」

「はい。どうやら養子から戻ったそうです」


「……やはりか」


 自分の記憶違いではなかったことに、バーンズは苦々しい顔をした。



「はい。あのジャックというのは母親の実子に間違いないようで、せっかく弱ったあのサラも、元気を取り戻してきているようです」


「ちっ。目障りなのが戻ってきやがったな」


 葉巻に火をつけ、即座にそれをもみ消した。せっかくのタバコもおいしくないようだ。



「やっちまいますか?」

「いや、息子が続けて。じゃいくらなんでも世間の目がうるせえ。立て続けに起きちゃダンナもとぼけ続けるのは難しいだろう」


「そうですね。捜査しないわけにもいかないでしょうから……」


「……あぁ、そうさ。捜査で思い出したぜ。もう一人目障りなのがいたじゃねえか」

「目障り、ですか?」


「あれだよ。マルコニアス商店の。あいつを使ってみるか」


「ああ、確かに保安官殿に散々調査の再開を頼みに行ってるんでしたね。あいつを……」



「っ! 待て!」


 側近の言葉をバーンズが止めた。手を勢いよく上げて、側近の顔の前に突き出す。



 側近はあまりのことに驚いて言葉を詰まらせてしまった。



 そんな側近を無視し、バーンズはがたりと立ち上がり、窓を勢いよく開く。


 両開きの窓が乱暴に開かれ、バーンズはそこから顔を出した。



「ど、どうしたんです親父」



「いや、気のせいか。誰かいた気がしたんだがな……」


 ちっと舌打ちをして、再び席に戻った。



「おう。話の続きだ」

「はい。マルコニアスの野郎のことでしたね」


 そして再び、マルコニアスについての話がはじまる……




「……ふぅ」

 バーンズ達が話をしている部屋の真下の部屋。そこで冷や汗をぬぐうジミーの姿があった。


 見つからなかったことに、安堵の息をはく。



 彼はこの部屋から身を乗り出し、上の階で秘密の会話をしていたバーンズ一家上層部の話を盗み聞きしていたのだ。

 しかし、肝心の部分はほとんど聞くことができず、残念な結果に終わったのである。



 もう一度トライを考えたが、あまり長くこの部屋にいるのも怪しまれると思い、彼は一階の奥に用意されたディーラーの控え室へと戻ることにした。


「一体、なにを企んでいやがる……」


 小さくそうつぶやきながら。




 ディーラー控え室。

 出番まで、ディーラーはここで休憩しながら次の出番を待つことになっている。


 盗み聞きに失敗したジミーは、そのいらつきを収めるように、トランプをいじっていた。

 シャッシャと音を立て、左手に持ったトランプの山を右手でシャッフルし、二つにわけた山を両手で持ち、そのはしをはじいてかみ合わせながら一つの山へと戻してゆく。


 手の中でトランプが模様を描くように動き、彼はこれをしながら、心の苛立ちをおさえていた。



 がちゃり。と控え室の扉が開く。


(なんだ?)


 音に反応し、ジミーはそちらへ視線を送った。今休憩中なのはジミーだけのはずだった。この一人という絶好の機会に盗み聞きを行おうと思ったのだから、それは間違いない。

 ならば誰かが急に具合でも悪くなり、ピンチヒッターに呼ばれるのか? などとも推測したが、それらは全部はずれであった。


 扉を開いて控え室に入ってきたのは、一人の奇抜な衣装を纏った少年だったのだ。



(誰だ?)


 とジミーは思ったが、そういえば今日のカジノがはじまる前にバーンズ一家に新しい用心棒が入ったという噂を耳にしたのを思い出した。

 とんでもなく若いというのに、素手で銃を持つ十人以上の用心棒と一家の若いのを軽々とのしてしまったという凄腕だ。


 格好は見たこともない女のような子供だというので、入ってきてすぐにわかった。


「……」

 扉を開けて入り口でキョロキョロと中を見回す少年は、とてもじゃないが十人近いアウトローを素手で倒すような存在には見えなかった。


 むしろ人懐っこく、愛嬌があって愛でたくなるように感じられる。



「ここ、なんですか?」


 唯一休憩しているディーラーのジミーに少年は声をかけた。


 ジミーも探検でもしているのかと思い、やれやれと頭を振る。ここは子供の遊び場ではないのだ。



「ここはディーラーの控え室だよ。見てわからねーのか?」

「実は知ってます」


「知ってんのかよ!」

 にぱーっと笑顔で答えられて、思わず声を荒げてしまった。


 すると少年。まあアズマなんだが、それがにひっと笑い、近づいてくる。



「実はさっき上であなたの勝負を見ていてね。すごいなーと思って。まさかあそこでイカサマをやっちゃうとは思わなかったよ。あれで手をわざと悪くして、勝負を長引かせた」


「なっ……!?」

 アズマの言葉に、ジミーは思わず立ち上がった。バーンズにさえ見破られなかったイカサマが見破られたからだ。


 自分の腕には絶対の自信があったのだが、まさかこんな子供に見破られていたとは思わなかったからである。



「あ、気を悪くしたらごめんなさい。上から見ていたから気づけたんですよ。同じ高さにいたらきっと気づかないから」

「……ちっ」


 そういうことかと、ジミーは舌打ちした。



 しかし、バーンズもあの時同じく上から見ていたのだが、気づきもしなかった。彼のイカサマはアズマだから気づいたのであって、決してそのレベルが低いなんてことはないのだ。



「それで、あんまりにもすごいから、ちょっと顔を見たくて。なんなら俺にあの技伝授してくれてもいいんですよ!」

「誰が人の生命線を他人に漏らすかよ」


「ちょっとだけ。ちょっとだけでいいですから!」



「駄目に決まってんだろうが阿呆!」



 足にすがりついてくるアズマの顔面を残った足で押し返しながら、ジミーは断固として拒否を貫く。イカサマ師からイカサマをとったらなにも残らない。だからそれを教えるなんてできないことだった。



「ちえー。しょうがない。なら……」


「……まさか、俺がイカサマをしているってばらすのか!」


「……その手があったか!」

 ぽん。とアズマは今気づいたというように手を叩いた。



「ちくしょう!」

 なんてことを言ってしまったんだと、ジミーは床に手をついて後悔の慟哭をするのだった。



「わーったよ。基礎だけ教えてやる。だから黙ってろ!」

「わーい」

 ぴょーんと飛び跳ねたアズマの笑顔に、なんなんだこいつはと苦笑するジミーであった。


 自分の生命線を奪われるというのに、なぜか悪い気はしなかったからである。



(……やっぱり、か)



 トランプを取り出し、イカサマのやり方を自分に教えるジミーの姿を見て、アズマはあることを確信した。


 なぜ、あの悪巧み現場を盗み聞きしようとしていたのかを……




──ほっぺたとぷにぷに──




 夜。


 空には雲ひとつなく、星々がキラキラとその光を大地に降り注がせている。



「……」

 夕飯も終わり、リゥは自分達が使わせてもらえることになっている三階の部屋に戻ってきた。

 ベッドが二つあるそこそこ広くてグレードも高い部屋だ。


 アズマとわかれて一人で戻ってきてからわかったことだが、この部屋は元々アズマと一緒に使うことになる予定だったらしい。

 普段なら相部屋になってもジャックもいて三人なので気にも留めなかったが、今回は下手するとここに二人きりになっていたと思い至り、少しあわてたがそれは過去の話だ。



「そろそろつなぎが来てもいいころじゃと思うのだが……」


 きょろきょろと部屋を見回す。

 あのアズマのことだ。きっと思いもよらぬ方法で手紙や情報を伝えに来るに違いないと、リゥは警戒していた。


「いや、むしろワシのそんな考えの裏をかいてフロントに手紙を届けさせるという手法をとるに違いない!」


 ばっと勢いよく入り口を見る。



 コンコン。



 まるでタイミングを見計らったかのように、ドアがノックされた。


「やはりか!」


 自分の考えがあたり、少し上機嫌になった彼女は、扉を開く。



「サービスですリゥ様。本日はご迷惑をおかけしてもうしわけありません」


 いたのは、紅茶とルームサービスのクッキーをサービスしに来たコリンズであった。



 ご丁寧にカップは二つある。が、運んでいるトレイに手紙はない。



「手紙は?」

「はい? これは、わたし個人のサービスです。旅の途中、足止めした結果になりましたから」


「そ、そうか……」



 紅茶とクッキーのサービスをテーブルに置き、コリンズはにこにこと笑顔で去っていった。

 リゥも彼が帰るのを見届け、扉を閉めたところでそこにこつんと頭をつけ、小さくため息をついた。



「ちがったか……」

「ちがったの?」


「ああ。てっきり裏の裏をかいてフロントに手紙を届けると……」


 聞き覚えのある誰かの声と会話し、リゥは答える途中で大慌てで部屋の中へ振り返った。



「はろー」


 そこには、テーブルについてサービスのクッキーと紅茶を楽しむアズマの姿があった。



 彼の後ろにある窓が少しだけ開いている。どうやらそこから入ってきたようだ。



(普通にきおったー!)



 一番ないと思っていたことをやられてしまった。まさか用心棒が抜け出してここに来るとは完全に想定外である。

 そもそもアズマは裏をかこうなんて考えてもいなかったように、ショックを受けるリゥを見て首をかしげていた。


「ふふっ。まさか直接来るとは思わなかったぞ」


 どこか自嘲気味にリゥはアズマが来たことを歓迎した。

 なんか黄昏入ったリゥを見て、アズマはまた反対側へ首を倒す。



 さすがのアズマも今なぜリゥがそうなっているのかわからないようだ。



「気にするな。それで、なぜわざわざ来た? 手紙でも十分じゃったろうに」



「色々積もる話もあるし、文章にまとめるのも長いから、直接話そうかと思って。ついでに、せっかくだから寝ているリゥのほっぺたもつんつんしようかと思ってさ!」


 イェイ! と人差し指を立て、リゥのほっぺを指さした。ついでにおでこも。



「なんちゅーことを考える!」


 指差されたおでこを両手で隠し、がーっと吼えた。それは、どこか猫のようである。



「え? つんつんしちゃだめ?」

「駄目に決まっているだろう!」


「ちえー」

 残念そうに唇を尖らし、アズマはすねた。そのままぼりぼりとクッキーをほおばっている。


 駄目と言ったリゥも、心の中では焦っていた。



(そんなことされたらワシの心臓が緊張のあまり破裂するわ!)



 どきどきと高鳴る心臓を押さえながら、咳払いにまぎれて小さく二、三度深呼吸をして平静さを取り戻す。



「そ、そんなことより、なにかわかったのか?」


「色々わかったよー。書面にまとめておいたからあとでカレンさん達に渡しといて」



 シュピッとなにもなかった手の中に手紙を入れた封筒が出てきた。さっきジミーに習ったなにも持たない手に物を出すというイカサマの応用だ。

 しかしリゥはアズマの無茶苦茶をいつも見ているため、このくらいの手品ではまったく驚かず、気にも留めなかった。


 むしろリゥが気づいたのはそこではなく……



「結局書いてまとめてあるんじゃないか! お前本当にワシのことをつんつんしにきただけか!」



「そうだよー。あっちむっさい男しかいないから潤いを求めてきたんだー」


「あっさり肯定するなー!」


 テーブルをひっくり返さん勢いで怒鳴ったリゥから、アズマは紅茶のカップと手紙をテーブルに置いて跳ねて逃げた。



「わ、わかった。真面目にやる。ほっぺつんつんは諦める。だからおさえて」


 手を伸ばし、怒りの炎に燃えるリゥを牽制する。

 リゥもその言葉に、睨んだままだが進行を止めた。



「かわりにほっぺむにむにで我慢するから!」



 ほっぺむにむにとは、両手でほっぺをはさみこみ、むにむにとそのやわらかさを堪能することである!



「ほっぺたから離れろー!」



 スパーンとどこからともなくとりだしたハリセンがうなった。




「調子に乗りました」

 すみませんとアズマは土下座する。ぺこぺこと、何度も何度も頭を下げる。リゥにこれは通じるはずだと祈りながら。


 アズマの住まう国において最上級の謝罪方法土下座。これで伝わらなければ、残るは腹を切るしかない!



「すみませんでした。本当にすみません! 謝罪としてかわりに俺のほっぺむにむにつんつんしていいから!」

「いいだろう」


「へっ?」

 予想外の返事に、アズマは大きく下げて床にこすりつけた頭をあげてしまった。

 その答えは予想外。という顔だ。



「ふふっ。そう言えばワシが逆にうろたえて誰がするかと拒否すると思ったな! 残念じゃったな。そうはいかんぞ! そんなにして欲しいというのなら、ぎゃ、逆襲してやる!」



 腕を組み、声を張り上げる。緊張四割興奮四割、期待もその影に隠し、彼女はまるで怒るように顔を真っ赤にしてそう宣言した。



「さあ、お前の罪を償わせてやる!」

「な、なんかちょっと目が血走ってるんだけど」


「それはお前がワシを怒らせたからだ!」



(潤いが欲しくてワシのところへ来たとか、思わず期待してしまうじゃろうがー!)



 実際にはこの手紙を届けるのが目的であり、自分に会いに来たのはついでだとわかっているゆえ、その反省をさせる意味でもあり、こんな機会でもなければアズマの頬に触れることもないというのもあり、本当に複雑な気持ちで怒りの言葉を発するのであった。


 その迫力は、アズマを土下座の体制から体を逆側へのけぞらせた。


 さらに両手をわきわきさせてにじり寄る余裕のないリゥの姿は、さしものアズマもたじたじさせた。リゥが一歩進むたびにアズマは両手を床につき、腰を浮かせて逆四つんばいのような格好でその追撃から逃げる。


 しかしその機動力のない格好ではこの部屋から逃げ出すことはできず、実にあっさりと壁際にまで追い詰められてしまった。


「こ、これはまずいかも……」

 こつんと後頭部が壁にぶつかり、肩越しに硬い壁があるのを確認したアズマは思わず額に冷や汗を流した。



「いつもワシをからかいおって! 積年のうらみじゃー!」

「にゃー」



 むにむにむに。



 リゥは仰向け状態のアズマへのしかかり、そのほっぺたを両手で包みむにむにとそのやわらかさを堪能しはじめた。


(こ、これは……!)

 その瞬間、リゥの脳内に電撃が走る。



(なんとしっとりとしていてそれでいてきめ細かい肌。触れるだけで吸いついてくるが、だというのにそれを跳ね返そうとする弾力も持ちあわせているなんとも言えないもみ心地! これはいくらもんでも飽き足りない、なんというほっぺたじゃ! これは確かに、つんつんしてむにむにしたくなる!)


 ふおおおおー! と興奮するリゥにほっぺたを両手で捕まれ、そのままパン生地でもこねるかのようにむにむにとされるがままのアズマであった。



「ちょっ、いやっ……」

「ふふふ。いつもの強気がどうした」



 むにむにともまれるほっぺたから逃れようと身をよじるが、マウントを取られたアズマはそこからうまく逃げ出すことができない。


 ただただリゥの両手にされるがまま、小さな声をあげて抵抗することしかできなかった。



 それもまた、リゥの加虐心を掻き立てる。



 なんとも言えない充実感と恍惚感。そしてとてもいけないことをしているという背徳感がリゥの中に充満した。



「もうしわけありません! ミルクを付け忘れていました!」



 バン! と部屋の扉が勢いよく開いた。


 コリンズが紅茶ポットにミルクをつけるのを忘れたのを思い出し、急いでやってきたのだ。



 ノックもせず相手にも確認せずこうしてとびこんできてしまうのだから、人がよくてもなかなか補佐代理から抜け出せない理由も察せよう。



「……」

「……」


 ミルク入れを持ったコリンズが、壁際でアズマを相手にマウントを取り、ほっぺたを両手ではさみ顔を近づけているリゥを見た。



 それはまるで、押し倒して今からキスをするような姿のようにも見えた。



 そしてリゥも冷静になり、客観的に今の状況を見つめなおす。両手でアズマの顔をはさみ、笑って顔を近づけていたこの状況。それは……



「ど、どうぞごゆっくりー」



 赤面したコリンズは、そのままそそくさと扉を閉めて逃げるように去っていった。



「ご、誤解じゃー!」



 そそくさと逃げるコリンズの背中を追い、扉に向かって走り出し手を伸ばすが、もう遅かった。


 手が届く前にパタンと扉は閉まり、なんとも言えない空気だけがその場に残った。



 リゥは思わず膝をつき、自分はなにをやっているんだと暗くなった。



「……もう、おいら、ぷにぷに界に顔向けできない……」

「なんじゃその業界!?」



 転がって両手で顔をおおい嘆くアズマに、リゥはツッコミを返した。

 ツッコミをする元気がある。というより、ただの八つ当たりに近い。


 そうしてやったことを後悔するリゥを見て、アズマはにやりと笑い立ち上がった。



「くっくっく。それがぷにぷにの魅力。お前はもう、この魔性の魅力から逃れられないのだ。きっと二日後にはうー、あーと呟きながらほっぺたを求めるほっぺぞんびになっているだろう!」


「んなもんになるか阿呆! このすかたん!」


 恥辱の炎を使い、手の中に炎を生み出したリゥはそれをアズマに投げつけた。威力のないそれは、アズマの頭にすこーんとあたり、かるーい音を立てる。

 ちなみにその炎は、跳ね返ってしばらく進んだあと勝手に消えた。


「なっ!? ならない、というのか……?」

「なぜなると思う!」



(いや、確かに病み付きになってしまうようななにかはあったが、中毒患者のようにはならん! たぶん!)


 そもそもなるわけないのだが、動揺しているリゥはそんなことを考えてしまった。

 ショックを受けたアズマは、うつむいて肩をプルプルと震わせている。


 いつものアズマとはちょっと違う雰囲気だ。



「り……」

「り?」

「リゥのわからずやー! あと赤ちゃんのほっぺたをむにむにして考えを改めろー!」



 謎の捨て台詞をはいて、アズマは入ってきた窓から逃げていった。


 窓に近寄ってみると、その姿はすでに外のどこにもない。見事にいなくなってしまっている。アズマがいた形跡として残されたのは、テーブルの上にある手紙と飲みかけの紅茶だけだ。



「……本気でワシのほっぺたで遊びにきただけかあの男」



 いなくなったアズマの残した手紙とカップを見て、リゥはそう呟いた。


 その視線は、アズマの使ったカップに注がれる。



「……」

 かぁ。っとまた顔が赤くなったのがわかった。



 先ほどの状況がまた頭の中にフラッシュバックする。


 両手でアズマの顔を挟み、もにもにとしている自分。しかもアズマの体にのしかかるようにして、笑いながら顔を近づけているのだ。


 いくら混乱していたといって、あんなにアズマの顔が近くにあったのはそうあることじゃない。



 さっきアズマの使ったカップを見たとき、そこからアズマの唇をイメージしてしまった。そしいてまた、コリンズに誤解された時の状況を思い出す。



 あれは明らかに、自分がアズマを押し倒し、唇を奪おうとしていた状況でしかなかった……



 リゥは、自分の唇をその手で触れる。


 昼間カレンとキスのことで盛り上がってしまったため、余計に意識が向いてしまう。



(あのままひょっとするとワシは……)



「わっ、わー!」


 ボム! と顔を真っ赤になった。



 思いついてしまった可能性に、頭をかきむしったリゥは、ランプの明かりを消してベッドに潜りこんだ。


 頭から布団をかぶり、わー、わー、と頭を抱え、頭を振ってそのイメージを振りほどこうと必死に目を瞑った。



 しかし思い浮かんでくるのは近くにあったアズマの顔であり、しかもそれはどこか怯えているというとんでもなくレアなものだった。


 思わずふふふと笑いがこみ上げ、手に残った感触、その体温を思い出す。



 だがそうなるとはっと冷静になり、また頭を抱えてベッドの中でもだえることとなるのだった。


 リゥはベッドの中で一心不乱に別のことを考えようとし、またさっきのことがリピートされるというある意味地獄で極楽な状況を延々と繰り返す羽目となった。



 時折睡魔に襲われ、夢の世界へといざなわれるが、今度はその夢の中である人のほっぺたを思う存分むにむにするどころか、自分のほっぺたを相手のほっぺにくっつけてすりすりするという夢を見てしまい、飛び起きるという事態にも陥った。


 気づくとあまりの気恥ずかしさにもだえ、だが感触がわかっているが故その夢はなんていいものだったのだろうかと頬を緩ませてしまう。しかしまたはっと冷静になり頭を抱えるというのを繰り返すはめになった。



 起きてもだえて夢を見てまたもだえて、延々とそんなある意味夢のような状況を繰り返した結果。



 ふと気づけば、朝日が昇っていた。



「……」

 目をこすりながらベッドから起き上がり、周囲を見渡す。



 部屋の中にはリゥ一人。改めて考えると、アレは夢だったんじゃないか? とさえ思える。しかし、テーブルの上には置いたままになっている手紙と夜寝ぼけてリゥが飲んだ空になったティーカップがあり、アレは夢ではないとリゥにはっきりと告げているのを見つけ、彼女はまた頬を赤くするのだった。




──行動開始──




 朝。



「……」

 カレンは昨日に引き続き、テーブルの上でぐったりとしていた。


 どれだけ考えをめぐらせても、スタインボルト家のジャックを短時間で見つける方法は思いつかず、行方不明になったところから人海戦術で調査してゆくという基本的な手段がもっとも手堅いという結論にしかならなかった。



 しかしそれでは、スタインボルト家の次男を演じるジャックとエリーゼのかりそめの結婚式は止められないし、偽りの誓いのキッスは阻止することはできない。


 ならばといっそジャックを奪って逃げ出そうかなんて本末転倒なことも考えついたが、本当に本末転倒な上サラに余計なダメージを与えたあげくジャックに怒られるという最悪な未来しか見えないので没になった。



 他にも色々散々考えたが、結婚の阻止は本物を連れてきてお芝居自体をうやむやにするというのが一番だという結論しか出なかった。


 しかしそれはこの広大な新大陸のどこにいるのかもわからない人を探すという人探しであり、リッチフィールド家を持ってしても時間制限があったら実質的に無理な話となり、彼女はこうして頭を抱えてうんうんうなるしかできないのであった。



「時間さえ。時間さえあれば……!」


 時間をかければ、リッチフィールド商会の情報網をもって必ず見つけられるだろう。だが、結婚までという時間制限がある今ではどう計算しても無理なのだ。不可能なのだ。


 逆転満塁ホームランは存在しない。



 この事実に、彼女は大きく打ちのめされる。



(……意外なところで挫折を感じてらっしゃいますね)

 そんな姿を後ろから見るメリッサが、ほう。と感心した。こういう挫折は彼女にとって後に大きな財産となる。西部に来てからこうした彼女の糧となる経験が多くあった。これらの経験は、必ず将来彼女を大きく成長させるだろう。


(やはり、無理してでも外の世界を見に来たのは正解でしたね……)



 こんこん。



 部屋のドアがノックされた。



「いるか?」

 声は、リゥの声である。


 カレン達は元々朝食はこの部屋に運んで食べる予定だった。それを知っているリゥが、昨日アズマに預かった手紙を一緒に見るためやってきたのだ。



 カレンの指示でメリッサは扉を開け、リゥを招き入れると彼女はリゥの分の朝食も調達するため一度下へ降りていった。



「ひどい顔をしているな」

「そういうあなたもずいぶんとひどい顔をしていますわよ?」


「気にするな」

「私の方も気にしないでください」



 顔を持ち上げたカレンは苦笑し、視線を合わせたリゥもまた苦笑した。



 二人とも昨日の夜はあまり寝ていない状態なので、ひどい顔をしていた。

 具体的にどんな顔か説明したいところだが、乙女のプライドにもかかわるのでひどい顔。の一言で済ませておこうと思う。



「まあ、色々考えることが多いのはわかるが、目移りしていてはことも収まらん。一つ一つ片付けてゆくしかないからな。本物のジャックは結果を待つにして、まずは死亡事故の方じゃ。アズマが調べてきたことについての報告じゃ」


 ぽん。と昨日の夜アズマが持ってきた封筒に包まれた手紙をテーブルに投げる。


 昨日あの有様だったから、リゥもまだ中身を読んではいない。



 うながされたカレンが封をあけ、それを取り出し読み進める。


 リゥもその隣で顔を近づけ、それに目を通す。



 流暢で美しい筆記体が紙には並んでいた。普段ちゃらんぽらんな姿からは想像できないほど、とても綺麗な文字である。

 手紙を見たカレンも驚いた。



 読み進めるたび、その顔色がどんどこ変わってゆく。



「な、なんですかこれー!」


 絶叫が響いた。



 朝食のベーコンエッグをのせたトーストとミルク。あとサラダを運んできたメリッサが一瞬びくぅと驚いた。

 部屋に入ってきたら突然お嬢様が飛び上がっているのだ。さしものメイドも驚くってもんだ。



「い、いったいなにが?」


 目を放した隙にどんなことがあってしまったのかと、メリッサは一心不乱に手紙を読み進めるカレンから視線をはずし、隣にいるリゥへ聞いた。


 しかし隣で読んでいたリゥも、カレンと同じく一心不乱にその手紙を読んでいる。

 二人ともメリッサのことなど今眼中にないようだった。


 どうやら二人が驚いたのは、アズマの文字の美しさなどではなく、その書かれていた内容なのだった。



 そこにはなんと、カレンの欲しいと思っていた答えが丸々載っていたのだ。



 カレンががたんと椅子を蹴って立ち上がる。



「メリッサ!」

「はい」


「今すぐここに書かれた指示通りの準備をはじめなさい! これが成功すれば、明日にはすべてが解決しますわ!」


「はい……はい?」

 勢いに押されイエスと答え方、あまりのことに聞き返してしまった。


 それほど、メイドのメリッサにとってみても突拍子もない発言だったからだ。



 カレンは持ち上げた手紙をメリッサに手渡し、代わりに彼女が持っていたトレイをテーブルの上へと移動させた。


 そして、トレイの上に乗っているベーコンエッグトーストとミルクを勢いよく口に運ぶ。

 隣にいたリゥも同じく。


 一口二口と一瞬にしてそれを平らげ、サラダもぺろりと平らげた二人は、ふう。と一息をついて同時にメリッサを見た。この視線はもう、睨んだといってもいいだろう。メリッサを一瞬たじろがせるくらいの迫力があった。



「私とリゥは今から寝ます! 準備ができ次第起してください!」


「頼む!」

 そう言うと、二人はこの部屋に用意された二つのベッドにダイブした。



 その直後、どこか安心したような寝息が響きはじめる。



 メリッサは面食らい、その行動をただ見送るしかできなかった。


 珍しく苦笑し、一体この手紙になにがあるのかと手渡されたそれを見て、彼女も驚きの表情を見せた。


「これは確かに、お嬢様もああなりますね」

 なにか納得したように手紙をポケットにしまい、彼女は空になった皿とトレイを持って部屋を出て行った。



 指示された準備を終えるために……




「しかし、たった一晩でここまでのことをやってのけるとは。彼は、並のサムライではありませんね。ひょっとして……」

 部屋を出たメリッサが小さく呟いたが、その言葉は誰にも届くことはなく、そのまま廊下に消えていった。




──マッマ動く──




 リッチフィールド商会令嬢襲来から一晩たって朝。起床したマッマはベッドで大きく伸びをした。


 昨日一日アズマに言われたとおり歩かずにいたので、今日はもう足も全快である。今ならきっと百メートルも四十秒台で走り抜けられると自信を持って言えるほどだった。



「さて、今日も一日がんばりましょうかね!」



 商品の品出しから在庫の確認、そして売り上げのチェックに店員とのコミュニケーション。ここ最近保安官への懇願ばかりに行っておろそかになっていた仕事をテキパキと片付けてゆく。



「オーナー、そこ棚が違います」

 品出しをしては店員のミッキーに怒られた。



「はい、在庫の確認はもう終わってますよオーナー」

 在庫は自分がいなくても完璧に処理されていた。



「あんた、そこミスっているよ。気をつけて」

 売り上げのチェックは、かみさんの方が完璧だった。



「……」

「あ、オーナー。今日は店にいるんですね!」



 ──店員とのコミュニケーションだけは、完璧だと自負している。



「……」

 彼は奥の自分のデスクに座り、お茶を飲んでいた。


 やることはせいぜい自分の決定を待つ書類にはんこを押すくらいである。正直それは、いつもまとめてやっていることなのですぐに終わってしまった。

 デスクに座っていると、体がうずうずとうずいてしまった。



 毎日のように保安官のところへ嘆願しに行っていたから、今日も行かないとなんか気分が悪いのだ。



「はっ、ひょっとして、わたし保安官に罵られるのが快感になっているとか!」


「そんなわけないでしょう」

 奥さんの冷たいツッコミが突き刺さった。


 しょんぼりと唇を突き出し、すねる。



「もう。今はリッチフィールド様とそのお連れの方に任せておくと言ったのはあなたじゃないですか」


「そうなんだがね。そうなんだが……」


 ゆさゆさと、落ち着きなさそうに体を揺らす。


 やっぱり少しでも動いていないと、どこか不安なのだ。



「そうだっ!」

 ぴこーんと、最新式の白熱電球が彼の頭の上に輝き、重く沈んだ椅子から立ち上がった。



「なにを思いついたんです? まさか保安官のところへ行くなんていいだしませんよね?」



「保安官のところには行かないよ。今日は知り合いの服飾店に行くだけさ。そこでたまたま持っていたボタンの話になってもおかしくはないだろう!?」

 どうだね! と大きなお腹をぷるんと揺らし、マッマは得意げに鼻を天井へ突き上げた。あんまり高くないだんごっ鼻なので、いくら突き上げても天井に届くということはないが。



 彼の奥さんは、大変呆れたようにため息をつきます。それはもう、本当に呆れたように。



「そうやって屁理屈をつけて……」

「でもな、わたしがいてもあんまり意味がないし、だから、ほら、な?」


「はぁ。駄目です。足だってまだ万全じゃないんですから。ちゃんと今日も安静にそこにいなさい」

 ぴしゃっと言われてしまった。



「……わかったよ」

 むすーっと、子供のように膨れながら、マッマは席に戻った。


 奥さんもそれで納得したのか、お茶を置いてまた仕事に戻っていった。



「……なーんて、な」



 にへっと笑い、マッマはいそいそとハンガーにあるコートをとり、部屋からこっそり抜け出していった。


 足は軽い。これならばちょっと遠くまで足をのばしてもいけるだろう。

 こうして彼は、ボタンの手がかりを得るため、知り合いの服飾店への聞きこみへと向かう。



 ……そして、この夜。話しこんだ服飾店から出たのを最後に、マッマの足取りはつかめなくなった。


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