第5話「五人の教え子(後編)」
フリッツは言う。あの教師は自分で叱らず他の教師に告げ口する。あの教師は男子だけ体罰が酷い。あまり言い過ぎるから、キャルは不安そうに彼を見上げていた。
しかしジョシュア氏は文句も言わず、うんうん頷いてる。
「まあ分かった。だがまず新顔たちを紹介してくれよ」
「ああ、そうだった」
フリッツは頭をぽりぽり掻いて、ぞんざいな様子で私に手を向けた。
「まず、こいつが……」
これは適当極まりない紹介になりそうだと、渋い顔をする。機転の利く彼だが、それ以外の部分で万事大雑把だ。
「まあ待てよ。せっかくだから、順番に自己紹介してもらおうじゃないか。ついでにフリッツとキャルも」
「僕たち全員と知r合いですけど?」
「レクリエーションだよ。あとまあ、座ろうぜ。お茶を入れようか」
ジョシュア氏が義足を付け始めたので、気を利かせたのか、ヴィルヘルミナ先輩がコンロに向かう。
「燃料はどこにありますか?」
「すまんな、右下の棚だ」
彼女は片手サイズの小さなタンクを取り出し、コンロの横に設置された機械に流し込んだ。トランクくらいの大きさで、排気用の煙突が室外に繋がっている。そして彼女は取っ手を握って、一気に引っ張った。魔力が機械に充填され、ブルンブルンと音を立てる。あとは生成した水をやかんに注ぎ、魔力を充填したポットで温めるだけだ。
魔導内燃機関はこの時代には既に生活に密着した存在だった。排煙は空気中で分解するから、環境は汚さないが、気を付けないと服を汚すのも今と同じだ。
「キャル、上の棚に茶菓子があるから、欠食児童に出してやってくれ」
「やったぜ!」
フリッツがガッツポーズを取る。相変わらずこいつは胃袋で生きている。
ハイジも几帳面にふきんの場所を尋ね、机をきっちりと磨き上げた。ジョシュア氏は、それを感心した様子で見ていたが、準備が終わるのを見計らって、黒塗りの万年筆を胸ポケットから抜き、一人一人に向けた。マイクのつもりらしい。
「じゃあ一番な。俺、フリッツ・シュヴァルツリッター。好きなことは食うこと。あと将来のチャンピオン!」
ファイティングポーズを取るフリッツに、お行儀よくしなさいとハイジが窘めた。彼は唇を尖らせる。
なお仰々しい彼の姓については誰も何も言わない。本人も気にしているようだし、私たちは普段、姓で呼び合う関係でもなかったから。ジョシュア氏もそれは同じらしく、ただ次のキャルに万年筆を向けた。
「僕は、カルヴィン・ヘルト。ロボット技術とかに興味があって、ここで先生に勉強させてもらってるんだ。将来はモンズーン社かマイスター社の技術課に行きたい。ちょっと遠いけど、ワイズマン社でもいいな」
こういう時のキャルは多弁だ。彼が挙げたのは全部大手のロボットメーカーで、そこで製図板に向かうのは狭き門である。それでも彼の突撃精神は大変勇ましく、ロボット部隊の基地祭や企業の工場見学に繰り出しては、教師や両親に叱られている。そして気の弱い彼は、全てを失ったようなしょげた顔で授業を受けている。
私としては、そんなに怒られたくないならやめればいいと思う。ただ机で図面を書くだけの仕事の何処に怒られる価値があるか分からなかった。
困ったものねぇとこぼしたハイジが、次の番だった。
「じゃあ私ね。アーデルハイト・ヘルト。語呂が悪いからハイジ・ヘルトって呼んでいいわよ。キャルは私の弟。芸術は色々嗜むわ。歌とか、絵画とか」
彼女もキャルも、栗色の髪のせいか、なんだか庶民的な親しみやすさがある。とは言え、親は大病院の副院長だから、本来私たちとつるむ「階層」ではないのだが。
ところで「絵画」の単語が出た時、ヴィルヘルミナ先輩が楽しそうにくすくす笑ったのを見て、疑問に思った。ハイジ本人は気にしていない様子だったが。
「私はヴィルヘルミナ。皆さんミナと呼んでくれてます。普段は美術部で絵を描いていますね」
彼女は奇麗なブロンドの長髪と、水晶のような緑色の瞳。三年の男子たちに言わせれば、「高嶺の花」というやつだ。絵はとても上手いらしいが、当時の私には絵心はなく、判別は不明であった。
「オーケー、苗字も聞いていいのかな?」
何気ない質問に、彼女は唇に指を当てた。
「私はヴィルヘルミナです」
柔らかく、そして明確な拒絶だった。確かかなり立派なフルネームだと聞いたことがあるが、彼女はなぜかそれを名乗らない。積極的に隠すわけではないが、なんとなく嫌だ、と言うふんわりとした忌避感を感じた。
ジョシュア氏はそれも気にしない様子だ。
「じゃあ最後だ少年」
万年筆が私に向けられる。「少年」呼びは気にしない。というより説明する面倒が省けていいと思っていた。
「カルロは……」
「俺はカルロ・シューラー」
ハイジの言葉を遮る。私の性別を訂正してくれるつもりだったのだろう。しかしせっかくいいように誤解してくれたのだから、余計な気遣いは無用だ。もっとも、この後十年に渡って、私はそれを後悔する事になる。
「あとは別に、話すことなんてねぇよ」
「でもさ! カルロは良いやつなんだ! 前にパンの耳を買う金が無かった時、昼飯を分けてくれてさぁ」
空気が悪くなったと思ったのか、フリッツから余計なフォローが入る。私の態度が原因なのは分かっているが、そもそも大人に媚びを売るつもりはない。私は湧きかけた罪悪感を押し戻した。
「了解だ諸君。じゃあ、話を聞こうか。昨日の焚書騒ぎだよな?」
「そーだよ先生!」
自己紹介を挟んで気勢をそがれたのか、学校批判は多少、穏やかなものになった。フリッツは言う。不貞腐れた様子は隠さず。
「でもまぁ、先生がいてくれてよかったよ。俺みたいなのが漫画読むのなんて、貸本か立ち読みか回し読みだろ?」
「俺みたいなの」というカテゴリーは、要するに「お金がない人」だ。私も当時はこの中にいたから、あの感覚はよくわかる。他人にあるのに自分にないモノは、やっぱり卑屈に感じてしまう。
「誰かが新作を買ったり借りたりすると、取り合いになるからな。相場も高ぇし」
「お金取って見せあってるの? 品がないんじゃない?」
何かと堅苦しいハイジが言う。私はそうは思わなかった。ただでさえ足りない資金を、腹の膨れない本に使う神経を疑っていただけなのであったから。
「金じゃねぇよ。密輸したリンゴとか菓子パンとか、そう言うの」
「……呆れた」
むっとするフリッツに、よせばいいのに説教を始めるハイジ。なお「密輸」とは、寮の規則に違反して持ち込んだあれこれ、と言う意味である。
「そもそもあなた、漫画ばっかり読んでると、賢い大人になれないわよ?」
「センコーみたいに言うなよ。お前だって漫画読むだろ」
「私は漫画以外も読みまーす。読む作品も厳選するし」
「その”厳選”が信用ならないんだよ! 何でヒーローものがよくて、格闘物が駄目なんだよ!?」
「人を殴るなんて野蛮です! 殴るならヴィランだけにしないと」
「何だよその理屈!」
本気の喧嘩が始まると思いきや、話題は変な方向に行く。キャルもヴィルヘルミナ先輩も、楽しそうにやりとりを見ていて何も言わない。そんな私たちの空気感は、この時すでに出来上がっていた。私がその大切さを知るのは、もう少し後になる。
「カルロはどうなんだよ?」
フリッツが水を向けてきた私に、ハイジが割って入る。
「カルロはもっとメルヘンも読むわよね? ほら、あの絵本も!」
私は一瞬言葉に詰まり、そしてこの空気を壊した。
「しらねぇよ。本つったって紙の束だろ? 金持ちの道楽だ」
強い言葉を使ってしまった。他人にあの絵本を語ってほしくなかったから。しかし不快さを表明せず、何かを察して済まなそうにする彼女に、強い罪悪感を感じた。
場が沈んだとき。
「じゃあ、体験してみるのはどうだ? 金持ちの道楽をな」
話を黙って聞いていたジョシュア氏が、立ち上がる。何がいいかなー? と頭を掻き、平積みの本をがさごそと探し始めた。
停滞した空気は、にわかに動き出す。彼が何を出してくるか? という好奇心によって。
戻ってきた義足の男性は、手品を披露するように、一冊の本を置いた。
「『ブレイブ・ラビッツ』って本だ。本を焼くやつらを懲らしめる、正義の怪盗団の記録さ」
「記録? 小説じゃないんですか?」
ジョシュア氏はにっと笑い、はっきりと断言した。
「彼らは、本当にいたからな」




