第6話 誘い
「以上をもちまして、本日の入学式を終了します。退場の際は、学生会の案内に従ってください」
オリティアは続けていくつか注意事項を伝えると、入学式の終了を宣言した。
もっとも、会場の新入生たちは、もう彼女の話などほとんど聞いていなかった。
頭の中は戦闘小隊と遺跡探索のことでいっぱいなのだろう。
早速、仲間になりそうな学生を探して辺りを見回す者もいれば、知り合い同士で集まり、小隊の編成について熱心に話し合う者もいる。
講堂内は、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
うるさくて頭が痛くなりそうだ。
俺は人の流れに乗って講堂を出た。
外へ出ると、少し離れた場所に晦朔が立っているのが見えた。
あいつはすぐには近づいてこず、傍らへ顎をしゃくって、そこで待つよう合図してきた。
さすがは学生会副会長。
式が終わったあとも、質問をする学生たちに囲まれている。
講堂から出てくる学生がほとんどいなくなった頃、晦朔はようやく人だかりを抜け、こちらへ歩いてきた。
「久しぶり」
晦朔は俺を上から下まで眺めた。
「もう死んだものだと思ってた」
「お互い様だろ」
「俺のペンのキャップは?」
「なくした」
「えっ?」
それまでの冷めた表情が、一瞬で崩れた。
「じゃあ弁償して」
「返してほしいなら、最初から人の頭に投げるなよ」
俺はうんざりしながらポケットへ手を入れ、あのペンのキャップを取り出して、晦朔の手に押しつけた。
晦朔は満足そうに頷いた。
まるで、ついさっきそれで俺を襲撃したのが自分ではないかのような態度だ。
晦朔も俺と同じく、裏の顔を持つエージェントだ。
ただし、俺が所属していた秘密裁判所ではなく、異端審判廷に属している。
秘密裁判所と異端審判廷の関係は、犬猿の仲という表現すら生ぬるい。
数年前のある任務で、俺たちは否応なく手を組まされることになった。
決して愉快とは言えない時間を長く共にした末、なぜか互いに背中を預けられるほどの親友になっていた。
自分でも信じられない話だ。
そして今日が、あの任務以来、初めての再会だった。
確かに、会うのはかなり久しぶりだった。
それでも、相変わらず小狡くて憎たらしいこいつを見ていると、少しも距離は感じなかった。
「それで、会長がさっき言っていた件は本当なのか?」
俺は前置きもなく尋ねた。
「は? 何の話?」
晦朔はまだとぼけるつもりらしい。
「……」
俺は呆れた目を向けた。
芝居が通じないと悟った晦朔は、仕方なさそうに肩をすくめる。
「遺跡の戦利品の件か? まあ、ほぼ決まりだ」
晦朔は寮区へ向かって歩き出した。
俺もその隣に並ぶ。
「そんな大きな話なのに、俺は何の噂も聞いていなかったぞ」
俺たちの仕事のかなりの部分は、古代魔導具の流通を管理することだ。
今回の件で大量の規制品が市場へ流れ込めば、俺の仕事量も一気に何倍にも膨れ上がっていただろう。
もちろん。
今となっては、もう誰か別の人間の仕事量だ。
そう考えると、急に気分がよくなってきた。
「いろいろな問題が、最後の最後まで決まらなかったんだよ。こっちも可能な限り情報を伏せていた」
晦朔は、秘密を扱うのが本職だ。
その能力自体を疑うつもりはなかった。
「惜しかったな。もっと早く決まっていれば、学生集めの格好の餌になっただろうに」
晦朔の足が、ほんの一瞬止まった。
そして、どこか気まずそうに頬を掻く。
俺の視線が、次第に冷たくなっていった。
おい。
どこが秘密厳守だよ。
「当時は、まだ初期段階の構想しかなかったんだ」
晦朔は小さく咳払いした。
「ただ、優秀な学生を勧誘する時には、その……なんと言うか」
少し言葉を探したあと、もっともらしい表情で答える。
「『将来的な可能性を十分に示唆した』ってことになってる」
「学生を集めるためなら、なりふり構わないんだな」
古代魔導具を餌に学生を釣る。
この破格の待遇には、どれほど名門の貴族でも心を動かされるだろう。
「それも、星月国と星月帝陛下の全面的な支援があってこそだよ」
この規模の政策となれば、学生会が要望を出しただけで実現するものではない。
おそらく星月帝も、年末に行われる『帝国首席魔法戦技武道会』を見据えて、今から準備を進めているのだろう。
星月国の威信がかかっているからだ。
とはいえ。
たった一度の武道会に勝つためだけに、古代魔導具の流通規制を緩め、大量の正体不明な遺物を社会へ送り出すとは……。
「反対する人間はいなかったのか?」
「反対意見に意味があるのか?」
晦朔は平然と聞き返した。
星月国では、星月帝が決めたことに口を挟める者などいない。
星月学でも、オリティアのような強い会長がいる以上、学生会は似たようなものなのだろう。
「そこまでやるなら、今回の武道会は絶対に勝つつもりらしいな」
俺は半分冗談のつもりで言った。
だが晦朔は首を横に振った。
「結局、最後は俺の小隊とオリティアの小隊次第だろうな。ほかはあまり当てにできない」
よく言う。
晦朔の実力については、俺もおおよその見当がついている。
どこの学府にいても、間違いなく指折りの実力者だ。
そして今の口ぶりからすると、オリティアも晦朔に劣らないらしい。
さすがは星月学の学生会長、といったところか。
「そういえば、お前、羽衣先輩と親しいのか?」
晦朔が突然そんなことを尋ねてきた。
「何だよ、急に――」
最後まで言い終える前に、背後から慌ただしい声が聞こえてきた。
「副会長!」
「晦朔副会長、待って!」
俺たちが振り返ると、羽衣先輩が講堂の方から小走りでやってきた。
「やっぱり二人一緒だったんだ」
羽衣は抱えていた荷物の中から、校章のあしらわれた小袋を取り出した。
「学生会の記念品、受け取り忘れてたよ。はい、今日はお疲れさま」
「ありがとう、羽衣。明日でもよかったのに。わざわざ走ってこなくても」
「明日になったら、私が忘れちゃうでしょ」
羽衣先輩はそう言いながら、もう一つ同じ小袋を取り出した。
「宇くんにも一つ。せっかくだから、どうぞ」
「ありがとうございます、先輩」
俺は小袋を受け取った。
中にはペンやノート、小さなぬいぐるみなど、星月学の校章入りの記念品が詰められている。
今日一日働いた学生会の人間を労うために用意されたものなのだろう。
俺は学生会の人間ではないが。
まあ、タダでもらえるなら、もらわない手はない。
「羽衣も寮の方まで一緒に帰る?」
晦朔が尋ねた。
羽衣先輩は慌てて手を振る。
「ううん。まだ残りの記念品を本部に持ち帰って、みんなに配らなきゃいけないから」
そう言って二歩ほど下がると、羽衣は俺たちに「どうぞ続けて」と手で示した。
「邪魔してごめんね。私は先に戻るから」
そう言い残し、羽衣は足早に去っていった。
ただ、数歩進むたびに、こちらを振り返っている。
気のせいだろうか。
どうも彼女は、俺たちを見ながら笑いを堪えているように見えた。
それに、俺と晦朔が一緒にいると分かってから、なぜか急に機嫌がよくなった気がする。
羽衣の背中を見送りながら、晦朔が口を開いた。
「羽衣、お前のことをずいぶん気に入ったみたいだな」
「午後もずっとお前のことを褒めていたよ」
「学生会の大きな問題を解決してくれたって」
「大したことじゃない。あいつの態度があまりにも目に余ったから、少し口を出しただけだ」
「羽衣は、この学校でもかなり人気があるんだぞ」
晦朔は意味ありげな視線を向けてきた。
「二人きりで食事に誘われたんだろ? 滅多にない機会なんだから、大事にした方がいい」
「そこまでだ」
俺は慌てて、こいつの噂好きな心を止めた。
「お前は星月学の学生会副会長だろ。お前の口から下品な話は聞きたくない」
「えっ? ああいうタイプは好みじゃないのか?」
晦朔は自分の胸元へ視線を落とした。
そして両手を持ち上げ、胸の前で何やらとんでもない形を作ろうとする。
俺は素早く両手を伸ばし、晦朔の手を押さえ込んだ。
くそ。
結局、聞かされてしまった。
晦朔を止めていると、周囲から何本もの冷たい視線が突き刺さってきた。
考えてみれば当然だ。
学生会副会長ともなれば、どこにいても人目を引く。
その副会長が今、見知らぬ男子生徒と道端でもみ合いながら、下品な身振りをしようとしている。
……妙な噂が立たないことを祈ろう。
「降参、降参」
晦朔は笑いながら両手を引き抜いた。
俺もすぐに手を放し、何事もなかったような顔をする。
「そういえば――」
「そういえば――」
俺たちは同時に口を開いた。
一秒ほど顔を見合わせる。
「副会長様からどうぞ」
俺がからかうように言うと、晦朔も遠慮はしなかった。
前方にある、夜の闇に包まれた寮棟へ顎を向ける。
「この先が、うちの小隊寮だ」
「うちの戦闘小隊《蝕影》を見ていかないか?」
その言葉に込められた意味を察し、俺はわずかに歩みを緩めた。
晦朔の顔からも、少しずつ笑みが消えていく。
「蝕影には、まだ最後の一人が足りない」
「敵に気付かれる前に潜入し、偵察を終え、標的を始末できる一流のアサシンだ」
「その一人さえ加われば、俺たちはオリティアの小隊を超えられるかもしれない」
これは単なる旧友同士の誘いではない。
晦朔は足を止め、俺の方へ向き直った。
その目は、先ほどまでとは違っていた。
「宇」
「力を貸してくれ」
「蝕影に入ってくれ」




