第一章幕間 新しい朝、新しい生活
タカゴウが暴れ回ったおかげで、煙はゆっくりと晴れていった。観客席から声が届いてくる。
最初、俺は歓声かと思ったが、よく聞くとどうも違うらしい。
「「金返せ! 金返せ!」」
観客たちは、一試合まるごと煙に覆われていたことに不満を募らせ、口々に返金を求めていた。
「「「先ほども申し上げた通り、この試合はあくまでエキシビションマッチではありません。ですので、主催側が選手の戦術を制限することはありません」」」
司会者は持てる話術を総動員して場をつないでいた。煙がもうすぐ晴れそうなのを見ると、慌てて話題を変えた。
「「「ご覧ください、煙が晴れてきたようです! 戦況はいったいどうなっているのか、この神秘のベールを今こそ解き明かしましょう!」」」
実際には、別に神秘でも何でもなかった。彼の手元には、とうに璨星瓶の判定結果が届いていた。
ただ、司会者もネタバレで観客の怒りを買うのが怖かったので、わざわざ最後まで引っ張っていたのだ。
「「「見えてきました! 場内では多くの選手が倒れているようです! では、最後まで立っていたのはいったいどちらなのか? どうやらネゲントロピーです、ネゲントロピーです! ネゲントロピー、戦羊を相手に大逆転勝利です!」」」
煙が晴れるのを見て、俺は慌ててほかの面々を探した。
シヴァーナは枝の山の真ん中に座っていた。煙が晴れると、すぐにタカゴウのそばへ駆け寄った。
だがシヴァーナ自身の魔力はすでに璨星瓶にすべて吸収されていたため、会場の神官に早く治療するよう急かすことしかできなかった。
希珀はシヴァーナから少し離れた場所で、自分の刀にもたれかかって座っていた。身にまとった制服はすでに血で濡れきっていたが、幸いまだ動けるようだった。
ミュイレンとヘルガの二人は、なぜか辰巳凌とギルダと一緒に火を囲んで座っていた。妙に和やかな空気で、煙が晴れるとすぐ元気よく俺に手を振ってきた。
アパシャについては……
「おい、ネゲントロピーの隊長、早くこいつに口を離させろ! 痛ぇんだよ!」
黒沢渉は泣きそうな顔で俺に文句を言いながら、アパシャを引きずってこちらへ歩いてきた。アパシャは黒沢渉に噛みついたまま、まったく離そうとしない。
さすが根に持つアパシャだ。
黒沢渉は、おそらく彼女の気に入らないことを言ったのだろう。
全員が無事そうなのを見て、俺の体に残っていた緊張もふっと抜け、まっすぐ後ろへ倒れた。
「宇!」
ミュイレンは俺が倒れるのを見てひどく心配し、慌てて駆け寄って様子を見た。
「大丈夫? どこか怪我した?」
「いや、大丈夫。ただ、せっかくだし救護班のお姉さんに担架で運んでもらおうと思って」
体に痛みが走っているのは感じるし、魔力もかなり消耗している。
だが、まったく動けないというほどではない。
俺の言葉を聞いたミュイレンは、残念なものを見るような目で俺を見た。
ちょうどそこへ、ヘルガが歩いてきた。
「宇、大丈夫?」
ミュイレンはその機会を逃さず、ヘルガに告げ口した。
「救護班のお姉さんをからかいたいって言ってた」
ヘルガはすぐに顔を赤くし、悪い子を叱るように俺の胸をぽんと叩いた。
「宇、そんなこと言っちゃだめだよ!」
普段の彼女の力なら、きっと誰も傷つけられないだろう。
だが今は祝福魔法の強化が乗っている。その一撃は、今の俺には洒落にならなかった。
俺は痛みの記憶がまた呼び覚まされた気がして、危うく血を吐きそうになった。
ミュイレンは俺の真っ赤になった顔を見て、ようやく一矢報いたことに満足そうだった。
「これで本当に運んでもらえるね」
その時、アパシャも歩いてきた。
「どうじゃ、まだ生きておるか?」
彼女の口元には赤い輪が残っていて、まるでドラゴンフルーツを食べたばかりのようだった。
「今は、あまりよくない……」
俺は力なくそう言った。だがミュイレンがすぐに言葉を継いだ。
「元気だよ。それよりアパシャ、その格好どうしたの? 黒沢渉、何したの?」
そう言いながら、ミュイレンはアパシャにハンカチを差し出した。
「あやつ、ちゃんとわしと戦わんでな。ずっとちび、ちびと呼びおるから、つい腹が立って、少し懲らしめてやったのじゃ」
アパシャはハンカチで口元を拭いた。まだ少し怒りが残っているようだった。
「そんなに痛いなら、なんで直接降参しなかったの?」
ヘルガが横で不思議そうに言った。
「あやつ、璨星瓶を籠手の中に隠しておったらしい。わしが口を離さぬ限り、届かんのじゃ」
なんとなく、黒沢渉に悪い気がしてきた。
「みんな、大丈夫?」
希珀も歩いてきた。救護班に応急処置を受けたらしく、かなりの量の包帯が巻かれていた。
「大丈夫大丈夫」
ミュイレンは笑って答え、そのついでに、さっきヘルガに叩かれたところを押した。痛みで俺は思わず「いってぇ!」と叫んだ。
「ほら、元気そうでしょ?」
覚えてろよ。
「希珀、大丈夫?」
ヘルガは少し心配そうだった。
希珀はただうなずいて言った。
「大したことはない。ただ、あとでもう一度医務室に行く必要がある」
背後を救護班が通り過ぎ、気絶したタカゴウを運んでいった。
「ひどそうだね」
たとえ彼女が悪人だと認定した相手でも、ヘルガはタカゴウに少し同情するらしい。
「自業自得じゃろ」
アパシャとミュイレンに同情する気はなさそうだった。
とはいえ、彼にとって肉体的な苦痛は一時的なものだ。今日のあとで、精神的に影響を受けるかどうかは分からない。
その時、救護班もようやく手が空いたらしく、俺たちのような軽傷者のところへ来て、こちらに尋ねてきた。
「担架が必要な人はいますか?」
俺はすぐに手を挙げた。ついでに、俺の周りにいる四人の「関係者ではない人間」を追い払ってもらった。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
朝の陽射しがカーテンの隙間から少し漏れ込み、やさしく時間を教えてくれていた。
意識はすでに戻っていたが、それでも俺は目を閉じたまま、もう少しベッドでだらけることにした。休日に少しだけ怠けると、一日分の幸せを得られることがよくある。
目を開けると、ベッドのそばには小さなクマのぬいぐるみが一つ、俺に付き添うように置かれていた。たしか「ボボ」という名前だった気がする。ほのかにいい匂いがした。
タカゴウと戦ってから、俺はまた少し絆が深まったように感じていた。
この家との絆が。
今日の幸せは、とりわけ短かった。
まだ半分眠っている俺の耳に、上から「ドタドタドタッ」という足音が聞こえてきた。
「バキッ!」
「ガラガラガッシャーン!」
世の中には、休日は休むためにある、という当たり前の真理を理解していない者がいる。朝っぱらから、家中を大騒ぎにしていた。
俺の休日気分は、無情にも粉々に砕かれた。
俺は恨みを抱えながら、しぶしぶ起きて身支度をするしかなかった。
上から聞こえる騒音は収まるどころか、ますます激しくなっていった。
そしてついに、重いものが階段から転がり落ちる音が、俺の部屋の前まで届いた。
「バンバンバンバンバン!」
激しいノックの音が響いた。
早めに起きていてよかった。もし眠っている最中にこの音を聞いていたら、俺の心臓は一日もたなかったに違いない。
「宇! 助けて! ミュイレンが私を拷問しようとしてる!」
扉の外から、ヘルガの絶望に満ちた声が聞こえてきた。
俺は部屋の中で静かに歯を磨き、できるだけ音を立てないようにした。
「ヘルガ、ちょっと試すだけだって!」
やたら切迫した足音とともに、ミュイレンの声も扉の外から聞こえてきた。
「ただの化粧だよ。試してみたら好きになるって」
「いやだよ!」
ヘルガは泣きそうな声で、慌ててリビングへ逃げ込んだ。そしてミュイレンと一緒に、テーブルの周りで追いかけっこを始めた。
「アパシャ、捕まえて!」
ミュイレンは、ゆっくり階段を下りてきて見物しているアパシャに声を飛ばした。
「嫌じゃ。面倒くさい」
「捕まえてくれたらごちそうする」
ミュイレンもここで大きく出た。
そしてアパシャも、即座に釣られた。
「ヘルガ、悪く思うでないぞ!」
俺は彼女たちの騒ぎの中で、外出の準備を済ませた。今出ていけば間違いなく彼女たちに捕まり、あの騒動に巻き込まれるのは目に見えていた。
俺はすぐに、こっそり逃げ出すことを決めた。
窓から直接出ていくという選択肢もあった(これも俺が用意していた言い訳だ)。
結局、俺はそのまま訓練場の隅にある、誰も寄りつかないトイレへ転移した。
あの連中と一緒に住むようになってから、ここはよく俺のリスポーン地点になっていた。
先に朝飯を食べに行くことにしたが、まさか二歩も歩かないうちに、朝ラン中の希珀に会うとは思わなかった。
「よっ」
俺は彼女に挨拶した。
彼女は俺を見ると、少し不思議そうにじっと見つめた。俺に特に問題がなさそうだと分かると、そのまままた走っていった。
次からは時間をちゃんと見計らって、できるだけ彼女に会わないようにしよう。
世間は狭いとはよく言ったものだ。
食堂に着くと、俺はまたタカゴウに出くわした。
タカゴウは最初、俺を見て逃げようとした。
俺もそれに合わせ、見なかったふりをして立ち去ろうとした。
ところが彼は少しためらったあと、やはりこちらへ歩いてきた。
「し……師匠」
タカゴウのぎこちない様子を見て、俺は思わず笑いそうになった。
俺だったら絶対に、そのまま死んだふりでやり過ごす。
これもたぶん、彼なりの家名への意地なのだろう。
「本当にそう呼ばなくていい。あれはミュイレンの冗談だから」
ミュイレンはたぶん本気だったと思うが、ここは彼女の冗談ということにしておいた。
「待て」
タカゴウは俺が言い終えてすぐ立ち去ろうとするのを見ると、慌てて俺を呼び止めた。
俺が振り向くと、彼はまた何か言いたそうで、言葉が出てこないような顔をしていた。
しばらく間を置いてから、彼は決心したように俺へ言った。
「俺の伝手でお前の身元を調べた。けど、何も出てこなかった。お前が俺をからかったことは認めるが、それでも俺は、お前がどこの貴族の人間なのか本当に知りたいんだ」
「教えてくれ。これは俺にとって本当に大事なことなんだ」
その真剣な様子を見るに、俺のことを、身分を隠したどこかの大貴族だと思っているのだろう。
何と言えばいいのか分からなかったが、少し考えたあと、やはり本当のことを言った。
「考えすぎだ。お前が俺のことを調べても出てこないのは、俺の言ったことが本当だからだ。俺は無魔力者の子どもだから、記録なんて残っていない」
「けど……」
タカゴウはまだ何か反論しようとした。
だが声はそこで途切れた。
彼は苦しそうに目を閉じ、何度か深呼吸したあと、苦々しげに目を開けた。
「もしそうなら、無魔力者と俺たちに何の違いがあるんだ」
タカゴウは、ほとんど自分にしか聞こえない声で言った。
「知らない」
俺は首を横に振り、軽い調子で答えた。
「この世界は、そういうよく分からないルールでできている。それでも、案外ちゃんと回っているだろ?」
俺は彼の肩を叩いた。これ以上、俺の朝飯を邪魔しないでくれることを願いながら。




