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第3話 魔畜

「申請書類には、確かに問題ありません」

羽衣先輩は資料の確認を終えた。


彼女が自分に有利な発言をした途端、アレス家の男はすっかり勝ち誇った顔になった。

「さすが先輩、話が分かるじゃないか。規則の一つも理解していない学生会の下っ端どもとは大違いだ」

「誤解が解けたなら、さっさと通してくれよ」


その時、羽衣先輩の隣にいた女子生徒が、おずおずと彼女の袖を引いた。

そして口元を耳に寄せ、何かを小声で伝える。


次の瞬間。

さっきまで少し咎めるような表情をしていた羽衣先輩の顔が、疑問から驚愕へと変わった。


少し距離はあった。

それでも、どうにか彼女の唇の動きを読み取ることができた。


――「魔畜(まちく)」。


羽衣先輩の顔色が変わったのを見て、アレス家の男も、このままでは通してもらえないと察したのだろう。

たちまち、元の凶悪な顔つきに戻った。


「今、あんた自身が俺の申請は通っていると言ったよな?」

「ここで話をひっくり返したら、責任を取ってもらうぞ!」


自分で墓穴を掘ったことに気付いた羽衣先輩は、明らかに板挟みになっていた。


通せば、平民の生徒たちを敵に回す。

止めれば、アレス家を敵に回す。


まさに、進むも地獄、退くも地獄だ。


ビリッ――!

突然、トラックの後方から、布を強く引っ張る音が響いた。


「おい! 何をしている!」

アレス家の男の顔色が変わる。


彼は弾かれたように荷台の後ろへ駆け寄ると、覆い布をめくろうとしていた『不審者』を捕まえた。


つまり、俺だ。


俺は驚いたふりをして肩を跳ねさせた。

「あっ、すみません。荷台が檻みたいに見えたので、つい気になってしまって」

「中にどんな魔獣がいるのか、少し見てみたかっただけです」


「勝手に俺の荷物に触りやがって。今ここでその手を斬り落としてやろうか?」

男は俺の手首を乱暴に掴んだ。

同時に、荒々しい魔力探知が全身を駆け巡る。


けれど――


今、こいつが強く出れば出るほど、自分が後ろめたいと証明しているようなものだ。

さっきから、この男は妙に焦っていた。

ここに長く留まれば、それだけ余計な注目を集める。

本人も、それを恐れているのだろう。


魔畜。公的な呼称は「無魔力者」だ。


魔畜を奴隷として扱うことは、多くの者にとって、平民を奴隷にするのと何ら変わらない。


こいつだって、そんな常識さえ知らない貴族の馬鹿息子ではないはずだ。


ならば。

俺も自分の左手にはそれなりに愛着があるが、ここは賭けてみる価値がある。


「痛たたたっ。まあまあ、そう怒らないでくださいよ」

「でも、俺の気持ちも分かるでしょう?」

「アレス家が手塩にかけて育てた珍獣なんて聞いたら、どんな姿なのか誰だって見てみたくなるじゃないですか」


最後の「珍獣」だけ、わざと周囲にも聞こえるように声を張った。


案の定、近くにいた学生たちが興味を示す。


「アレス家?」


「本当か?」


「中に何がいるんだ?」


人だかりが、みるみるうちに大きくなっていった。


アレス家の男の目に、一瞬だけ動揺が走る。


俺はすかさず、さらに火をくべた。

「それにしても旦那、ちょっと反応が大げさじゃありません?」

「これからみんな同じ学院で学ぶ仲なんですし、そんな珍しい獣なら、早めにお披露目してくれてもいいでしょう」


周囲から、ひそひそと囁き合う声が聞こえ始めた。


狙いどおりだ。

俺の手首を掴む男の手が、わずかに強張った。

このまま俺を掴んでいれば、見物人の好奇心を煽るだけだ。

ようやくそれに気付いたらしい。


「お前には関係ねえだろうが!」

男は俺の手を乱暴に振り払うと、学生会の面々へ向き直って怒鳴った。


「もういい! 俺は中に入る!」

「止める理由がないなら、さっさとそこをどけ!」


頃合いだ。

ここで一気に畳みかける。

「アレス家だからって、星月学の学生会を脅して無理を通していいわけじゃないでしょう!」


「何だと?」


「学生会はまだ荷台の中身を確認してないんですから、そのまま通せるわけないでしょう!」


「お前ごときに疑われる筋合いはねえ!」

アレス家の男は、怒りを通り越して笑いそうな顔になっていた。


俺は言い返さず、羽衣先輩へ視線を向ける。

「先輩たちは、もう中を確認したんですか?」


羽衣先輩は、すぐに俺の意図を察した。

「いいえ、まだです」

「本来なら、規則に従って積み荷を確認しなければなりません」

「見落としていました。私の不手際です」


俺はしれっとした顔で、両手を広げてみせた


すると、見物人たちから一斉に声が上がった。


「調べろ!」


「そうだそうだ!」


「じゃあ見せればいいじゃん!」


「てめえっ!」

状況が自分の手に負えなくなったと悟ったアレス家の男は、俺に怒りをぶつけようと駆け寄ってきた。

そして、俺の胸倉を掴み上げる。


チリン――。


その時、檻の中から鎖を引きずる音が聞こえた。

外の騒ぎで、中の『魔獣』が目を覚ましたのだろう。


男の拳が止まった。

俺を今すぐ絞め殺したい。

その目には、はっきりとそう書かれていた。


しかし、これ以上ここでぐずぐずしている時間はない。

中の『魔獣』が本格的に物音を立て始めれば、困るのは彼の方だ。


「てめえのツラ、覚えたからな!」

男はそう吐き捨てると、人垣に向かって怒鳴った。

「どけどけ! さっさと道を空けろ!」


見物人たちを追い払い、無理やり一本の通路を作る。


トラックはゆっくりと後退を始めた。


そして、そのまま道の向こうへと姿を消した。


俺はようやく息を吐いた。

真っ先に自分の荷物のところへ駆け戻る。

中身を確認する。


よし。

何もなくなっていない。

これなら野宿せずに済みそうだ。


荷物を引いてその場を離れようとすると、羽衣先輩が後ろから駆け寄ってきた。

「さっきは本当に助かったよ」


「いえいえ」

俺は慌てて両手を振った。

「俺、普段は本当にあんなことしないんです」


これは本当だ。

少なくとも任務中は、あんな目立つやり方はしなかった。


羽衣先輩は堪えきれず、くすりと笑った。

「分かってる。ありがとう」

そう言って、新入生用の仮寮がある方向を指差した。

「私はまだここで仕事があるから、もう案内してあげられないけど……今度、お礼にご飯をご馳走するね」


「ありがとうございます」

俺は振り返ることなく、その場から逃げるように走り去った。


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