第2話 アレス
「ヒヒーン――!」
精霊馬の長い嘶きとともに、列車がゆっくりと停車した。
乗客たちは次々と席を立ち、新しくできた友人たちと連れ立って寮へ向かっていく。
すごいな。
たった数時間で友達ができるのか。
どうやら俺は入学後最初の交友チャンスを逃してしまったらしい。
ため息をつきながら列に並んでいると、後ろの男子二人の会話が耳に入った。
「なあ、さっきお前に話しかけてた子、どう思う?」
片方がニヤニヤしながら肘で友人をつつく。
「へえ、お前ああいうタイプが好きなんだ?」
もう一人も負けじと言い返した。
「俺はまあ普通かな。」
「目高くない?」
「今年の新入生は全体的に微妙だろ。」
彼は肩をすくめる。
「でも羽衣先輩はいいと思うな。スタイルいいし、顔も整ってるし。」
「あー、それは諦めた方がいい。」
もう一人が苦笑した。
「兄貴の話だと、今まで告白した奴は山ほどいるけど、成功した奴は一人もいないらしい。」
「それはまだ俺に会ってないからだよ。」
男は胸を叩いた。
「一学期あれば余裕で落とせる。」
そう言って二人は顔を見合わせて笑い出した。
ああ。
なんとも青春らしくて、なんとも残念な会話だ。
しかも本人がすぐ後ろにいることに全く気付いていない。
ちらりと羽衣先輩を見る。
笑顔は崩れていない。
ただし目だけは完全にゴミを見る目だった。
俺は心の中で二人の冥福を祈った。
駅を出ると、その規模に思わず目を見張った。
アーチ状の天井は三、四階建ての建物ほどの高さがあり、白い大理石の柱がそれを支えている。
とても終着駅とは思えない豪華さだ。
さすがは大陸七大学府の一つ、星月学。
金の使い方が豪快すぎる。
もっとも、今の俺にとっては迷宮みたいな巨大駅でしかなかった。
一刻も早く寮へ行って寝たい。
俺は荷物を下ろし、慌てて地図を広げる。
だが、地図を見れば見るほど迷宮に迷い込んだ気分になり、現在地すら分からなくなってきた。
そんなことを考えていると、不意に肩を叩かれた。
「宇くん。」
振り返る。
羽衣先輩だった。
「どうかしました?」
「いえ、迷ってるみたいだったので。」
相変わらず太陽みたいな笑顔だ。
「寮へ行くなら、ちょうど私もそっち方面なので案内できますよ。」
もちろん断る理由などない。
しかも美人の先輩である。
「ありがとうございます。ぜひお願いします。」
どこか遠くで誰かの歯が砕ける音が聞こえた気がした。
気のせいだろう。
「じゃあこっちです。近道がありますから。」
羽衣先輩に案内され、俺は人の流れから外れて細い路地へ入った。
「そういえば。」
歩きながら尋ねる。
「列車の中で、学生会の人たちが迎えに来るって言ってませんでした?」
「ああ。」
羽衣先輩は少し考える。
「たぶん前の列車の新入生対応がまだ終わってないんだと思います。」
なるほど。
こういう運営仕事は思った以上に大変だ。
その時、ふと出発前に院長から言われたことを思い出した。
「ところで、晦朔って人を知ってますか?」
「黎晦朔?」
羽衣先輩が目を丸くする。
「もちろん知ってますよ。」
むしろ知らない方がおかしいと言わんばかりだった。
「学生会副会長ですから。」
副会長。
俺は思わず足を止めそうになった。
あいつなら何かしらやっているだろうとは思っていた。
だが、まさか一年で副会長とは。
予想以上だ。
「知り合いなんですか?」
羽衣先輩が興味深そうに尋ねる。
「何か聞きたいことでもあるんですか?」
「い、いえ、別に何も!」
ようやく自分の態度に気付いたらしく、彼女は少し気まずそうに視線を逸らした。
「ただ、副会長ってずっと謎めいた人なんです。それに、入学前から彼を知っていたという人も今までいなかったので……宇くんが急に名前を出したから、少し気になっただけです」
俺は肯定も否定もせず、曖昧に笑った。
晦朔もエージェントだ。
謎めいた人物に見えるのは、当然のことだった。
「前が寮区画ですよ。」
羽衣先輩が前方を指差した。
そこには寮区画へ続く側門が見える。
側門とは言うものの十分広い。
だが今は一台のトラックが通路を塞いでいた。
正確には――
一台のトラックを学生会の面々が取り囲んでいた。
そのせいで残り二つの通路に車両が集中し、軽い渋滞が起きている。
「どうしたんだろう。」
羽衣先輩は眉をひそめた。
「少し様子を見てきますね」
「大丈夫です、先輩。行ってきてください」
そう言うと、羽衣先輩は状況を確認するため、門の方へ小走りで向かっていった。
俺も荷物を引きながら後を追った。
トラック自体はそれほど大きくない。
だが荷台は分厚い布で厳重に覆われている。
輪郭からすると中は檻だろうか。
生きた魔獣でも積んでいるように見える。
さらに近づくと、怒鳴り声が聞こえてきた。
「おいおい! まだ終わらねえのか!」
男が苛立った様子で叫ぶ。
「何回確認すれば気が済むんだよ! 俺の時間を無駄にするな!」
「もう少々お待ちください。」
学生会の男子生徒が愛想笑いを浮かべる。
「現在確認中ですので――」
「確認? 相談?」
男は鼻で笑った。
「俺の時間を無駄にした分の補償も相談するのか?」
そう言いながら、相手の胸元を指で突く。
そこには家紋があった。
哀れな学生会員の家紋は、灰色の小さなネズミだった。
胸を突かれるたびに、彼はびくりと肩をすくめる。
そのたびに家紋から「チュウ、チュウ」と鳴き声まで響き、本人も怯えたネズミのように身を縮めていた。。
周囲の学生たちはむしろ笑いを堪えている。
気の毒だとは思うが、学生会が大勢いる以上、俺の出る幕ではない。
そのまま通り過ぎようとして――
男の胸元の紋章が目に入った。
巨大な角を持つ雄羊。
銀製の徽章。
前脚を高々と掲げている。
轟踏の雄羊。
アレス家。
星月国を代表する二大貴族の一つ。
帝国の警備・監察機構を完全に掌握している一族だ。
学生会が対応に苦慮しているのも無理はなかった。




