第25話 退屈なファイル
だいぶ間が空いてから、ミュイレンが入ってきた。
きっとヘルガに、中で何が起きたのか聞いていたのだろう。
だが、壁に完全にめり込み、まだ砂を漏らし続けているサンドバッグを見ると、思わず目を見開いた。
「これ、いったい何があったの?」
「細かいことは気にするな」
俺は本能的に、さっき死にかけた経験を思い出したくなかった。
「ほら、座れ」
訓練室には小さな机が一つあった。俺はミュイレンを自分の向かい側に座らせた。
今日の彼女の匂いは、本当に少し目にしみる。
ミュイレンは俺が自分の個人ファイルを読んでいるのを見ると、腰を下ろしながら、軽い調子で茶化してきた。
「隊長、人の昔の経歴をこそこそ見るのって、かなりストーカーっぽいよ」
「まるでお前の個人ファイルが面白いみたいな言い方をするな」
俺は彼女にジト目を向けた。
「幼い頃からクレオ家の領島で暮らし、十三歳の時にノクトゥア本島へ行って魔法を学び、星月学に合格するまでそこで過ごした。
こんな経歴、」
「退屈にもほどがあるだろ」
「私が悪いっていうの?」
ミュイレンは俺に向かって舌を出した。
「はあ、まあいい。仕事が減ったと思っておくか」
俺は小さくため息をつき、手のひらを上にしてミュイレンへ差し出した。
「手」
「何するの?」
ミュイレンは体をすくめ、手を後ろへ引っ込めた。
「魔力探知をする」
「……」
「早く」
「セクハラ」
「さっさと測り終えれば帰れる」
「職場セクハラ」
俺は心底呆れた顔をして、手を引っ込めようとした。
ミュイレンは俺の表情を見て、ようやく手を差し出した。
「冗談だってば。ほんと、からかい甲斐がないんだから」
ミュイレンが手を伸ばしてきた瞬間、俺はその手首をがしっと掴んだ。
「何するの!」
ミュイレンは驚いて、すぐに手を引っ込めた。
「お前、十月生まれだろ。誕生日プレゼントを用意してやった」
俺は彼女の手首を指さした。
「誕生日おめでとう」
ミュイレンは一瞬固まった。それから、自分の手首にブレスレットが巻かれていることに気づいた。
「ちぇっ、ウサギのデザインとか、ベタすぎない?」
口ではそう言っていたが、声はわりと満足そうに聞こえた。
「お前の家の家紋だろ。これでも少し選んだんだぞ」
彼女がそれなりに満足しているのを見て、俺も少しだけ得意げに言ってみた。
「もう一つ面白いことに気づいた」
俺はさらに一つ思い出した。
「俺たち、学校に着いた日も同じだったんだな」
「ますますストーカーっぽく聞こえてきたんだけど」
ミュイレンは立ち上がろうとして、最後に俺に確認した。
「それじゃ、ほかに用がないなら、希珀を呼んでくる?」
「確かに、大きな問題はない」
俺は個人ファイルを彼女の前へ押し出した。
「内容に間違いがないか、確認してくれればいい」
ミュイレンはざっと目を通して言った。
「特に問題なさそうだけど」
そこで俺は、書類の上に置いていた手をどけた。
「なら、名前は?」
ミュイレンは最初、何気なく名前を見ただけだった。
だが、すぐに視線を外せなくなった。
そこに書かれていたのは、彼女の名前ではなかったからだ。
「悪趣味だね。そんな冗談」
ミュイレンはすでにうっすら冷や汗を浮かべていたが、それでも口調だけは必死に平静を保っていた。
「一緒に探偵ごっこをしよう」
俺は自分の結論を直接告げず、あえて彼女に分析させるように続けた。
「手がかりは三つある。これが一つ目だ」
ミュイレンは足が少し震え始めているのを感じながらも、平静を装って言った。
「たとえこの個人ファイルが本物だとしても、うちの家族は人数が多いんだよ? 私と似た経歴の人が何人かいたって普通でしょ」
「どうして私の個人ファイルが偽物だって断言できるの?」
ミュイレンは、捕まった人間が必ず口にする疑問を投げてきた。
「お前には想像しにくいかもしれないが、俺はこれとまったく同じような個人ファイルを山ほど見てきた」
「この中に本物は一つもないと保証する」
俺は苦笑した。
業界の情報差、というやつだ。
「あなた、いったい何者なの?」
ミュイレンの額に細かな汗が浮かんだ。自分の身分に、こんなに早くほころびが出るとは思っていなかったのだろう。
「二つ目の手がかりは、お前の魔法だ」
「まさか、私の魔法が下手だとか、喧嘩が強すぎるとか、そういう理由で疑ってるわけじゃないよね」
ミュイレンは反論した。
まるで、俺が理不尽なことを言っているかのような口ぶりだった。
「お前の問題は、その逆だ。お前の魔法は熟練しすぎている」
俺の言葉は、またしてもミュイレンの予想外だったらしい。
「お前は人間の魔法の原理を知らないんだろう。
簡単に言えば、先に魔法陣があって、それから元素が集まる。
なのにお前は、たかだかBランクの元素親和力で、先に大きな火球を集めてから詠唱できていた。
魔力測定の時に一部の属性を隠したせいで、測定結果が歪んだんだ」
ミュイレンは爪を噛んだ。
一つ目は事情を知らなかったせいだとしても、これは確かに彼女の不注意だった。
「ついでに、小さなミスも言っておこう。
入学の日、車内で魔力探知を使って俺たち全員を探った時、お前はそこまで深く考えていなかったはずだ。
だが、さっき俺が手首を掴んだ瞬間、お前はまた魔力探知を使った」
俺は首を横に振った。
「お前は自分の探知に自信を持ちすぎている。魔力の特徴を他人に覚えられる可能性を、まったく考えていなかった」
ミュイレンは今、胃が痛くなるような気分だった。
列車での行動は、ただ生徒たちの能力データを集め、魔力測定の参考にするためだった。
それが、まさかこんな隙を残していたとは思わなかったのだ。
「だが最後にして決定的だったのは、ヘルガのお前に対する反応だ。おそらく、お前自身も気づいていたんだろう」
俺は椅子から立ち上がった。
「ヘルガが優秀な聖職者だとは想像しにくい。だが、評価された側のお前なら、彼女の反応には誰より敏感だったはずだ。だからこそ、お前はその妙な匂いの香水でごまかそうとした」
「だが、はっきり言っておく。彼女が言う『お前の匂いを嗅いだ』というのは、お前が放つ魔力を感知しただけだ。
ただ、ヘルガの頭が少し残念だから、それを何かの臭いだと思い込んだだけだ。香水をどれだけ使っても意味はない」
むしろ今は、本当にかなりはっきりした匂いがする。
ミュイレンは目の前の男を見た。
これは彼女にとって、この旅で最も絶望的な瞬間ではなかった。
だが、間違いなく最もつらい瞬間だった。
彼女はようやくここで足場を固め、友達までできた。
今日を境に、そのすべてが泡になって消える。
知ってしまった俺を殺して逃げるしかない。
「変なことを考えるな」
俺は彼女がすでに戦闘態勢に入っていることを見抜いていた。
「お前のブレスレットには即死魔法がかかっている。お前が手を出した瞬間、即座に発動する」
これで終わりだと悟ったのか、ミュイレンは絶望し、全身から力が抜けたように、肩を落とした。
自分に期待を寄せながら、一緒には来られなかった仲間たちのことを思う。
今、彼女は泣きたかった。
だが彼女は戦士だ。
泣いてはいけない。
尊厳を持って死に向かわなければならない。
捕まって尋問され、生き地獄を味わうくらいなら、ここで終わるのが一番いいのかもしれない。
「……殺して」
ミュイレンは、懇願するような声で俺に言った。
「慌てるな。まだ結論を言っていない」
俺としては、せっかくの推理披露の時間を邪魔されたくなかった。
冷笑を浮かべながら、俺は彼女に答えを告げた。
「おそらく、この大陸のほとんどの人間は、もうお前たちのことを忘れているんだろうな。お前たち――」
「北境のイヴ族!」
「あれ?」
ミュイレンは、自分の想像とは違う答えを聞いた。
「もう隠すな! お前たちは、かつて魔族側についた人間の生き残りだろう。お前たち一族が学んでいるのは魔族魔法だから、差別されるのを恐れて偽の身分を買ったんだ」
俺は格好つけてポーズを決め、自分の推理結果を彼女に告げた。
「同じ理由で、体から魔族の匂いがする」
最後に、俺は格好よく彼女を指さした。
「すべてはお見通しだ!」
ミュイレンは一瞬その場で固まった。俺が本気なのか冗談なのか、判断がつかなかった。
俺は顎に手を当て、嘲るような表情で言った。
「お前、さっきは俺を騙して、自分が本当に魔族だと思わせようとしていただろ。『殺して』なんて敗北者みたいな台詞まで言って」
俺は彼女に向かって、軽蔑するように指を振った。
「俺にお前を通報させて、生徒会の前で笑いものにするつもりだったんだろ。残念だったな。俺の方が一枚上手だったわけだ。ははは!」
「ああ、まさかそこまで見抜かれていたなんて。ああ、悔しいなあ」
ミュイレンはまださっきの激しい浮き沈みから立ち直れていないらしく、少しぎこちない調子で俺の話に乗った。
まあ、今はこれでいい。
この大陸に数十年ぶりに魔族が現れたというのは、確かに報告すべき重大事項だ。
だが、俺はそんな仕事を背負い込みたくない。
普通に考えれば、彼女が本当にイヴ族である可能性は、魔族である可能性よりずっと高い。
俺が「そう見えた」と言えば、十分押し通せる。
デヴィランドから大洋を越えて聖樹大陸まで来るなど、彼女一人でできることではない。
だがミュイレンの日々の行動を見る限り、彼女は仲間と連絡を取ろうとしたこともなければ、有用な情報を集めようとしたこともない。
彼女がここに現れたのは、本当に奇跡みたいな例外に見えた。
俺は彼女の部屋を隅から隅までひっくり返したが、気になるものは何も見つからなかった。
「じゃあ、このブレスレットは外してもいい?」
ミュイレンはまだ怯えたまま、急いでそれを外そうとした。
「冗談だ。それには何の魔法もかかっていない」
俺はミュイレンを慰めた。
本当にやり合うことになれば、俺一人で彼女を殺せるからだ。
だが、ミュイレンは明らかに怯えたままで、そのブレスレットに八つ当たりするように、素早く俺に投げ返した。
「もう行っていい? さっきの隊長の芝居に付き合わされて、疲れたんだけど」
ミュイレンはわざと軽い調子で言った。
「駄目だ」
俺の一言で、ミュイレンはまた緊張した。
俺は彼女の個人ファイルを手に取った。
「まず、この個人ファイルはあまりにも偽物くさい」
俺は彼女の目の前でその個人ファイルを破り捨てた。
それから鞄から新しい個人ファイルを一冊取り出し、彼女に渡した。
「これがこれからのお前の新しい個人ファイルだ。帰ったら暗記しておけ」
「ついでに」
俺は彼女の家紋を指さした。
「これからは、このウサギを身につけなくていい。印象が悪すぎる」
ミュイレンは一瞬どうしていいのか分からない様子だったが、それでも黙って個人ファイルを受け取った。
「二つ目」
俺は彼女に錠剤の箱を渡した。
「これを飲めば、お前の体から出ている魔族の気配は中和される。効果時間は長い。多くても一週間に一度、決まった時間に飲めばいい」
これはかつて、魔族の一部がまだ大陸に潜伏していた頃、彼らが開発した薬だった。ヘルガのような聖職者に対応するためのものだ。
魔族が消えた後、奥秘魔法協会は同じ原理を利用して、気配を変える薬を開発した。
秘密裁判所にも安定して供給されている。
「つまり、この薬を飲めば、ほかの人には私がその……イヴ族だってばれないってこと?」
「保証はできない。だが、ヘルガには確実に分からなくなる。ヘルガですら感じ取れないなら、ほかの人間もまず問題ないだろう」
「……ありがとう」
ミュイレンはそこでようやく、俺が自分を助けているのだと実感したらしい。
不安材料が消えたことで、彼女の気分も少し戻った。
「最後に、本物の魔族魔法を見てみたい」
俺は真剣に彼女へ言った。
これはめったにない機会であり、ミュイレンが戦力になれるかどうかを測る重要な要素でもあった。
「本物の魔族魔法って言われても、私が使えるのはこれ一つだけだよ」
ミュイレンは慣れた様子で手を広げた。
その手の上に、緑色の炎が浮かび上がる。
これが魔族の炎なのか。
生まれつき魔力を持つ者と同じように、ミュイレンが炎を操る時も、魔法陣や詠唱は必要ないらしい。
手の上の緑の炎は、不吉な気配を放っていた。命を吸い取る呪いを最初から宿しているようにも見える。
炎そのものは、生き物のように狂った動きで踊り、俺を挑発しているようだった。
「どう?」
ミュイレンが俺に尋ねた。どこか得意げにも見える。
「……」
「見とれちゃった?」
ミュイレンは自分の魔法に俺が驚いたのだと思ったらしい。
「案外普通だな」
「どういう意味? 見たいって騒いだの、隊長でしょ」
俺の言葉に腹を立てたミュイレンは、すぐに炎を消した。
「俺が言いたいのは、確かに違いは感じるが、違うだけだということだ」
俺は丁寧に説明した。
「99パーセント以上の人間は、お前を少し変わった生まれつきの魔力持ちだとしか思わないはずだ。お前と魔族を結びつけることはない」
「じゃあ、残り1パーセントの人は?」
ミュイレンは、俺がこの魔法を使わせようとしているのだと察したようだった。それでも、まだ不安は残っている。
「残り1パーセントの人間は、お前が魔法を使わなくても、お前と魔族の関係に気づく。魔法を隠すだけ無駄だ」
ミュイレンはヘルガのことを思い出したのか、何か考え込むようにうなずいた。
「希珀を呼んできてくれ」
ミュイレンが扉を開けようとした瞬間、俺はふと思い出した。
「そういえば、お前の本当の誕生日はいつなんだ?」
「教えない」
ミュイレンは素早く扉を閉めた。
素直じゃないガキだ。




