第12話 天然ボケ3
また新しい朝が来た。
本来ならこの時間、俺は花壇の縁に寝転がり、本を顔にかぶせて、貴重な睡眠時間をむさぼっているはずだった。
だが残念なことに。
今日は、俺がいつも寝ている場所が占領されていた。
占領者は一匹の猫。
かなり貫禄のある、太った茶トラ猫である。
どうやら学内では少し名が知れているらしい。
通りかかる学生たちは、その猫を見るたびに親しげにこう呼んでいた。
「にゃんにゃん先輩」
先輩である以上、俺も礼を欠くわけにはいかない。
そこでまずは、友好的な交渉を試みた。
「先輩」
「少しだけ場所を譲ってもらえませんか?」
にゃんにゃん先輩は俺を無視した。
ただ、のそりと寝返りを打ち、尻尾を反対側へぱたりと投げ出しただけだった。
仕方ないので、今度は少し強めに出てみる。
「ここは俺の場所です」
「起きてください」
にゃんにゃん先輩はようやく反応した。
ゆっくりと仰向けになり、四本の足を空へ向ける。
その姿はまるで、こう言っているようだった。
さあ、撫でろ。
「……」
笑う顔に矢立たず。
ましてや、相手は笑う猫である。
仕方ない。
俺が一歩譲ればいいんだろう?
そういうわけで、俺は昨日ミュイレンが持ってきた椅子に座り、朝の時間を過ごすことになった。
だが、その平穏もすぐに破られた。
「おはよ、リーダー」
「今、もう昼前だという可能性はないか?」
「まあ、そういう細かいことはいいじゃん」
やって来たのはミュイレンだった。
棒付きキャンディをくわえたまま、元気いっぱいに俺へ挨拶してくる。
ミュイレンはごく自然に花壇の縁へ座り、にゃんにゃん先輩のマッサージを始めた。
そして何度か俺を見ては、何か言いたそうな顔をする。
「用があるなら早く言え。ないなら帰れ」
俺はミュイレンを急かした。
「こう見えて、俺も忙しいんだ」
ミュイレンはへへっと笑い、わざとらしく媚びるような声を出した。
「いやあ、私も宇の小隊の一員として、募集状況を心配して見に来ただけだよ」
「待て」
俺は、少し離れた木の下でこそこそしているヘルガにとっくに気づいていた。
そのまま彼女を指差して、ミュイレンに言う。
「彼女の口利きに来たのなら、今すぐ諦めろ」
「そんな冷たいこと言わないでよ」
俺に見つかっていると分かると、ミュイレンも隠すのをやめた。
彼女は木の下へ向かって手招きし、ヘルガを呼ぼうとする。
「いい子なんだよ?」
「自分の周りを美少女が取り囲むパーティー、人生の夢って人が世の中にどれだけいると思ってるの?」
「そのチャンスが、今まさに目の前にあるんだよ?」
こいつ、普段いったい何を読んでいるんだ。
ヘルガはミュイレンが手招きするのを見ると、ぱっと花が咲くように笑顔になった。
そして、ぴょんぴょんとこちらへ走ってくる。
「止まれ」
俺は手でヘルガを制した。
それから、軽く手を振る。
「戻って待ってろ」
ヘルガの笑顔が一瞬でしぼんだ。
彼女はしょんぼりと木の下へ戻り、またそこに隠れた。
「まあまあ、怒らないでって」
ミュイレンは俺の後ろに回り、両手を俺の肩に乗せた。
どうやら肩を揉むつもりらしい。
俺はすぐに肩を揺らし、その手を振り払った。
ミュイレンは自分が歓迎されていないと悟ったらしく、仕方なくにゃんにゃん先輩の世話へ戻る。
「あなたとあの子のこと、もう聞いたよ」
彼女は猫を揉みながら言った。
「別に、大したことじゃないでしょ?」
「いつまでも意地を張ってると、男として小さく見えるよ」
「彼女から何をもらって、俺の説得に来た?」
俺は相変わらず取り合わなかった。
「そんな言い方しないでよ」
ミュイレンはもっともらしい顔を作る。
「ほら、うちのパーティーには牧師が足りないしさ」
彼女は苦しい理由をひねり出した。
俺が無言で白い目を向けると、ミュイレンはようやくため息をつき、本当のことを話し始めた。
「昨日の夜、夕飯のあとに散歩してたら、たまたまあの子を見つけたんだ」
「一人で林の中に隠れて、ぐしゃぐしゃに泣いてた」
「さすがに放っておけなくて、理由を聞いたの」
そこまで言って、ミュイレンは俺を見る。
「まさかリーダー、あなたという薄情者が、あの子の乙女心を傷つけていたとはね」
「だから、つい同情して、私が味方になるって約束しちゃったんだ」
「さっきからずっと突っ込みたかったんだが」
俺は目を細めてミュイレンを見る。
「俺たちを、別れたばかりの恋人みたいに言うな」
こいつは助けに来たのか。
それとも場を荒らしに来たのか。
「お前が知らないこともある」
俺は真面目に言った。
「外見に騙されるな」
「私が知らないこと?」
ミュイレンが急に声を荒げた。
がりっ。
口の中の棒付きキャンディを、一口で噛み砕く。
俺はびくっとした。
にゃんにゃん先輩まで驚いて花壇から飛び降り、そのまま振り返らずに逃げていった。
「男のくせに、なんでそんなにぐちぐちしてるの!」
ミュイレンは立ち上がり、ものすごい勢いで俺を睨んだ。
「あの子に一発殴られただけでしょ?」
「今ここで、私を一発殴りなよ」
「それでおあいこってことでいいでしょ!」
本気で怒ったミュイレンを見て、俺は逆に冷静になった。
「来い」
俺は花壇の縁をぽんぽんと叩く。
「少し声を落とせ」
「ここに座れ」
ミュイレンは俺を睨んだ。
だが結局、素直に座った。
「彼女の魔力測定報告書は見たのか?」
俺は尋ねた。
ミュイレンは頷く。
「見たよ」
「あなたの条件、満たしてたでしょ?」
「だからだ」
俺はゆっくりと筋道を立てて説明し始めた。
「彼女は各項目の数値があれだけ高い」
「なのに、どこのパーティーも彼女を受け入れようとしない」
「なぜだ?」
「自分の状況と照らし合わせて、よく考えてみろ」
ミュイレンは眉を寄せ、真剣に考え始めた。
しばらくして、彼女は言った。
「あの子にも、何か言いづらい事情があるのかも」
よし。
俺が考えてほしかった方向には、一ミリも進んでいない。
むしろ共感が深まっている。
「その可能性もある」
俺はミュイレンの言葉に乗った。
「だが、別の可能性もあるだろ」
「たとえば、俺たちに見えないところに何か問題があるとか」
俺は自分の頭を指差した。
かなり分かりやすく示したつもりだった。
しかしミュイレンは自分の考えに沈んでいて、俺の指などまったく見ていなかった。
彼女は立ち上がり、その場を二歩ほど歩き回る。
そして最後に、何かを決意したような顔で俺を見た。
「私は、一度言ったことは曲げない」
「彼女を助けるって約束した以上、取り消すつもりもない」
「待て、俺は――」
俺が口を挟もうとすると、ミュイレンは手を上げてそれを止めた。
「私は、自分の第一印象を信じる」
「それだけ」
ミュイレンの表情は真剣だった。
「あなた、最初は私のことだって入れたくなかったでしょ?」
「だから、こうしよう」
「彼女の問題は、これから私が責任を持つ」
「もし彼女が何かをして、あなたがどうしても追い出すべきだと思ったら」
「その時は、私も一緒に出ていく」
「私たち二人の去就は、全部あなたに任せる」
「それなら、どう?」
ミュイレンは真剣そのものだった。
出会って間もない天然ボケと、自分の運命を結びつける。
それは、軽い気持ちで言えることではない。
義侠。
俺の頭に最初に浮かんだのは、その二文字だった。
こいつ、意外と格好いいな。
俺は軽くため息をついた。
ここまで言われてしまえば、どうしようもない。
俺も完全に血も涙もない悪魔というわけではない。
ミュイレンの熱を帯びた視線を前にして、二人まとめて拒絶し続けることはできなかった。
あの天然ボケが、彼女を裏切らないことを祈るしかない。
ヘルガはまだ木の下に隠れ、こちらをこっそり見ていた。
俺は彼女に手招きした。
彼女はたぶん、ミュイレンが今どれほど大きな担保を差し出したのか分かっていない。
ただ、俺たちが大声で言い合いをしたように見えたのだろう。
だから俺の意図が分からず、おずおずと近づいてくる。
「申請書を出せ」
俺は彼女に微笑んだ。
「それって……?」
彼女はまだ不安そうだった。
「合格だ」
俺は言った。
「ミュイレンにちゃんと礼を言え」
「やった――!」
ヘルガの顔が、ぱっと花のように咲いた。
表情の変化が、漫画のキャラクターよりも大げさだった。
彼女はそのまま振り向き、ミュイレンに飛びつく。
「ありがとう!」
「ベトベトンちゃん!」
ベトベトンって何だよ。
「だから、その呼び方はやめてってば」
ミュイレンは怒っているような、困っているような顔をした。
「だって、ベトベトンちゃんは臭いんだもん」
ヘルガは純粋そのものの顔でミュイレンを見る。
それから俺を見た。
「宇さんにも分かるよね?」
俺は少しだけ顔を近づけ、匂いを確認した。
ミュイレンは本当に自分が臭うのではないかと心配になったらしく、慌てて一歩後ろへ下がる。
正直に言うと。
俺に近づいてくる女子は、だいたいみんないい匂いがする。
だから俺は、ありのままを告げた。
「何も匂わない」
「ええ――?」
ヘルガはまったく理解できないという顔をした。
しかしすぐに、自己完結したらしい。
「そっか」
「宇さん、ちょっとおバカだもんね」
ミュイレンが後悔し始めていないことを祈る。




