第11話 枕持参の幼女
俺は勇気を振り絞り、テーブルクロスをめくった。
テーブルの下には、小さな旅行鞄が一つ。
そして、もう一つ。
いや、一人。
見た目だけなら、まだ幼い少女、寝袋の中で丸くなっていた。
しかも枕まで使っている。
あの当然のように眠っている様子からして、かなり前からそこに潜んでいたらしい。
問題は。
いつ入り込んだ?
俺はほんの少し席を外しただけのはずだ。
それなのに戻ってきたら、自分のブースの下に伏兵が増えていた。
俺は試しに、彼女が奪い取った申請書を取り返そうとした。
すると少女は、獲物を守る野良猫のように背中を丸めた。
俺が申請書へ手を伸ばした瞬間、彼女は容赦なく噛みついてきた。
「がう」
危なかった。
とっさに手を引っ込めていなければ、今日は早退して教会の施療院に駆け込むところだった。
「なあ」
彼女の制服を見て、俺はひとまず学生扱いすることにした。
「出てきて、少し話せないか?」
彼女は考えるまでもなく首を横に振った。
そしてさらに奥へ縮こまる。
「アパシャさん」
俺は子供をなだめるような声で続けた。
「うちのパーティーに入りたいなら、せめて魔力測定報告書くらいは見せてくれないか?」
彼女はそれを聞いて、しばらく考え込んだ。
やがて、ひどく不本意そうに寝袋から這い出す。
それから鞄の中を探り、数枚の紙を取り出した。
俺は一歩後ろに下がり、外へ出るよう促す。
すると彼女は、ゆっくりとテーブルクロスの下から這い出して、報告書を差し出してきた。
アパシャという名の少女は、見た目だけなら十歳そこそこにしか見えない。
明らかに何サイズか小さい制服を着ている。
やや乱れた髪は顔の横へ垂れ、そのまま胸元の紋章を隠していた。
何を言われても、今にも眠ってしまいそうな顔をしている。
俺はしばらく彼女をじっと見た。
なぜか、どこかで見覚えがある。
隣のミュイレンも、目の前の少女を驚いたように見つめていた。
さっきテーブルの下から急に手が伸びてきたせいで、彼女もかなり驚いたらしい。
だが今、俺がより気になっているのは、彼女の年齢だった。
「君、今年で何歳なんだ?」
彼女はその質問にも答えたくないらしい。
「基本情報を隠すなら、加入許可を取り消すこともできるけどな」
俺は何気ない口調で、わりと悪役じみたことを言った。
「……じゅうに」
アパシャは抵抗を隠しきれない小声で答えた。
「十二か?」
若いな。
俺は心の中でそう感心した。
「四十二じゃ」
「四十二?」
俺は思わず聞き返した。
アパシャは、俺が何度も言葉を繰り返すのを見て、ミュイレンの方へ顔を向けた。
それから自分の頭を指差す。
顔には、はっきりとこう書いてあった。
こやつ、頭は大丈夫なのか。
ミュイレンは真剣な表情で俺を見た。
そして同意するように、こくりと頷いた。
お前たち、さっき出会ったばかりだよな?
なぜそんなところでもう通じ合っている?
俺はすぐに報告書の種族欄を探した。
果たして、そこにはこう書かれていた。
種族:ドラゴン。
その時、アパシャも髪を少しかき上げた。
右胸の徽章が露わになる。
一般的な家の紋章とは違い、彼女の徽章は外側を丸い輪が囲み、その中心に一文字だけ刻まれていた。
龍。
ドラゴン。
伝説級の魔法生物である彼らの姿など、常人なら一生に一度見られるかどうかも怪しい。
長年、都市樹に住んでいる者でも、空の彼方にその影を眺める機会がたまにある程度だろう。
ドラゴンである以上、この測定報告書は見なくても上位に決まっている。
実際、総合評価はA+。
個別の数値にも、S級がいくつも並んでいた。
職業選択は戦士。
実に王道である。
「でも、ドラゴンの寿命から考えると、あなたも私たちと同じくらいの見た目になっているはずですよね」
ミュイレンは、ドラゴンについてかなり詳しいらしい。
「どうして十歳そこそこの姿なんですか?」
アパシャは、この件について明らかに話したがっていなかった。
だが、それで俺の野次馬根性が止まるわけがない。
「答えてもらえるか?」
俺は少し厳しい声で促した。
彼女は俺たちに押し切られたと悟ったらしく、仕方なく事情を話し始めた。
「本来、わしらドラゴンは、おぬしら下等生物の姿になど変わる気もないのじゃ」
いきなり上から来た。
さすがドラゴン。
「じゃが、ある日、空で遊んでおった時のことじゃ」
「下から妙な奴がわしに向かって怒鳴り散らしてきおった」
「口を開けば、竜を屠る、竜を屠ると、そればかりじゃ」
「さすがに腹が立ってのう。少し相手をしてやった」
「ところが、その者は思ったよりずっと強かった」
アパシャはそこで、ほんの少し言葉を切った。
「わしは、死にかけた」
「仕方なく人の姿になって逃げたのじゃ」
「逃げることには成功したが、その戦いで大量の魔力を失った」
「今残っている魔力では、この姿を維持するのが精一杯じゃ」
「そのせいで、魔力の消耗を抑えるために、毎日かなり長い時間眠らねばならん」
彼女がそう言った瞬間、俺はようやく思い出した。
どこで見たのか。
入学式の時、枕持参で机に突っ伏していた勇者。
あれは、目の前のこの少女ではないか。
これで、名高いドラゴンであるはずの彼女が、なぜほかのパーティーから敬遠されているのか、その理由がなんとなく見えてきた気がした。
だが、確認すべきことはまだある。
「毎日、どれくらい寝てるんだ?」
「食事の時間以外は、できるだけ寝ておる」
彼女は胸を張って答えた。
「じゃあ訓練は?」
「瞑想訓練じゃ」
「戦闘は?」
「静をもって動を制する」
おそらく、このあたりの答えはとうに用意してあったのだろう。
本人としては、完璧に答えられたつもりらしい。
勝ち誇ったような顔で、ミュイレンに向かって片目をつぶってみせた。
「じゃあ、なんで戦闘パーティーに入るんだ?」
これこそが、俺が本当に聞きたかったことだ。
「戦わない道を選ぶこともできるだろ」
「うちの学科は、必ずパーティーに入らねばならん」
「じゃあ、なんでわざわざ戦闘学科を選んだんだ?」
俺みたいに、非戦闘系の学科を選べばよかっただろうに。
「非戦闘系は授業に出ねばならん」
アパシャは真顔で言った。
「戦闘系は授業に出なくてよい」
「は?」
それは初耳だった。
「たぶん、戦闘系は訓練欠席の申請ができる、という意味だと思います」
横からミュイレンが補足する。
「パーティー訓練や個人訓練の予定が授業と重なった場合、授業を休めるんです」
なるほど。
だいたい理屈は分かった。
だが、まあ、つまり。
「じゃあ、君はそこまでして学校に通いたいのか?」
俺は流れに沿って尋ねた。
来ても、ほとんど通っていないようなものでは?
「生徒会の者が言ったのじゃ」
アパシャは平然と事情を明かした。
「わしが来れば、学費は全額免除。食事も住居も用意すると」
俺はすべてを理解した。
なるほど。
アパシャは完全に、ただ飯と寝床目当てでここに来たのだ。
学院側の事情も分からないではない。
ドラゴンの学生というだけで、それ自体が生きた看板になる。
非戦闘系なら、授業に出なければ退学。
戦闘系でも、パーティーに入らなければ退学。
だから、俺に目をつけたというわけか。
「それで、どうしてうちのパーティーに入りたいんだ?」
俺は最後の質問を投げかけた。
自分にとどめを刺すために。
アパシャは俺を見上げた。
「おぬしは、誰でも拒まんと聞いた」
知ってた。
「あのな」
俺は最後の抵抗を試みる。
「実は、うちには面接があってだな……」
「全部聞いておった、面接など、おぬしが人を騙すためにでっち上げた嘘じゃろう」
アパシャは申請書を抱えたまま、狡猾そうに笑った。
「それに、わしはおぬしの弱みも知っておる」
「わしを入れぬなら、副会長に言いつけるぞ」
ばれている。
くそ。
身体は子供でも、頭はよく回るらしい。
俺は認めざるを得なかった。
俺の完敗である。
俺が黙り込むと、アパシャはテーブルの下から自分の荷物を引っ張り出した。
「ほかに用がないなら、わしは行くぞ」
彼女は勝者の姿勢で、胸を張って歩き去っていった。
「だ、大丈夫ですか……?」
ミュイレンは、垂れ下がった俺の肩を見て、少し可哀想に思ったらしい。
わざわざ近づいて慰めてくれた。
本当にいい子だ。
俺は大丈夫だと伝えた。
ついでに、彼女の申請にもサインしておいた。
ミュイレンを見送ったあと、俺はうっすらと感じていた。
これはまだ終わりではない。
普通のパーティー基準で言えば、一人は訓練しない。
もう一人はそもそも何もしない。
この時点で、パーティーとしては完全に崩壊している。
しかし俺にとって、今来た二人はまだ想定の範囲内だった。
俺は固く決意する。
三人目だけは、絶対に阻止しなければならない。
それにしても晦朔のやつ。
あいつは完全に、俺のところをゴミ箱扱いしていないか?
どこにも行き場のない人間を、とりあえず俺のところへ放り込む。
そんなことを続けた結果、奇人変人だらけのパーティーができあがったとして、それはあいつの期待に沿っているのか?
少しは頭を使っているのか?
そんな俺の予感に応えるように。
背後から、澄んだ少女の声が聞こえてきた。
「あの、少し聞いてもいいですか?」
その声に、妙な聞き覚えがあった。
振り返る。
そこにいたのは、以前夜に出会った天然ボケだった。
今日は制服を着ている。
右胸にある徽章には、上部に豪奢な金色の桂冠。
その下には翼を広げた天使が描かれている。
天使は両手を胸の前で交差させていた。
彼女は本当に、教廷直属の牧師だったらしい。
そこは、俺の見立てが甘かった。
「あっ、バカおじさん!」
天然ボケも俺に気づいたらしい。
しかし、その呼び方は何だ。
まず、俺はバカではない。
だがそれ以上に重要なことがある。
「俺はまだ二十になったばかりだ! どこがおじさんなんだ!」
「えへへ、そこは大事じゃないよ」
俺に怒鳴られても、天然ボケはまったく気にしていなかった。
ただ、えへへと間の抜けた笑みを浮かべている。
そして笑い終わると、急に空中の匂いをくんくんと嗅いだ。
「ここ、なんだか臭いね」
俺には確信があった。
彼女がここに現れたのは、決して偶然ではない。
早急に追い払う必要がある。
「俺は何も感じない」
俺は淡々と答えた。
「それで、ほかに用は?」
「あ、そうだ」
天然ボケはようやく本題を思い出したらしい。
「ここって、宇の小隊ですか?」
前言撤回。
さっきの「ゴミ箱扱いしていないか」は反語ではなかった。
あいつは本当に、俺のところをゴミ箱だと思っている。
「ふん」
俺は小さく鼻で笑った。
彼女にだけは、嘘をつく必要がない。
「そうだ」
「何の用だ?」
「あ、これ、私の魔力測定結果です」
俺が相手だと分かって警戒心が薄れたのか、天然ボケは妙に嬉しそうに報告書を取り出した。
「加入条件、満たしてますか?」
俺はひとまず受け取って確認した。
彼女の名前はヘルガ。
職業は牧師。
そして総合評価は、まさかのA+だった。
思わず目が止まる。
牧師という職業は、その性質上、ほかの能力値があまり高くないことも多い。
魔力や元素親和力も、そこまで極端に高くなくていい。
牧師にとって重要なのは、いわゆる神とのつながりだからだ。
もっとも、最高位の牧師ともなれば、結果的に十項目すべてが高水準になることも珍しくない。
とはいえ。
俺は報告書をそのまま彼女へ返した。
「不合格だ」
「帰れ」
「えっ?」
ヘルガは一気に慌てた。
「総合評価がAならいいって書いてありましたよね? 私、A+ですよ? 見えてますか?」
彼女は報告書の評価欄を指差しながら、紙を俺の顔に押しつけてくる。
「報告書に問題はない」
俺は冷酷に彼女の手を押し返した。
「問題は別だ」
「もしかして、もう牧師さんがいるんですか?」
ヘルガは悲しそうに尋ねた。
それが一番の心配だったのだろう。
一般的に、一つのパーティーに牧師は一人。
そして一人で十分だ。
俺は首を横に振った。
そして一枚のチラシを取り出し、彼女へ渡す。
「三つ目を読め」
ヘルガは俺の字を必死に判読した。
「知能が正常……」
そして、無垢な目で俺を見上げた。
「つまり、あなたの知能が正常じゃないってこと?」
「お前の知能が正常じゃないんだよ!」
なぜだろう。
彼女を相手にすると、俺はいつも簡単に限界を迎える。
いったいどんな思考回路をしていれば、その答えに辿り着けるのか。
「そんなはずないよ。私、いくらなんでもバカおじさんよりは賢いと思うし」
自覚はあったらしい。
少しだけだが。
「好きに言え」
俺はきっぱりと拒絶した。
「誰に聞かれても同じだ」
「駄目なものは駄目だ」
彼女は知らないだろう。
だが俺が彼女に出会う前、この紙にその一文は存在しなかった。
つまり、この一文は、俺のパーティーから彼女のような人間を完全に排除するために追加されたものなのである。
まさか、本人が自分から突っ込んでくるとは思わなかった。
それに俺は、かなり合理的に疑っている。
彼女が巡り巡って、俺という名のゴミ箱まで流れ着いたということは。
ほかの誰かも、同じ問題に気づいたのだ。
「わ、私……」
ヘルガの声が少し震えた。
「もう、断られるわけにはいかないの……」
俺は答えなかった。
まるで彼女が存在しないかのような顔をしていた。
俺が一切の余地を残していないことを悟ったのだろう。
彼女の瞳は少しずつ潤み始めた。
その姿は、確かに儚げで、胸を打つものがあった。
今の状況だけを見れば、誰がどう見ても、俺が彼女をいじめている。
だが、構わない。
もし彼女が泣いて俺を追い込むつもりなら、俺も一緒に号泣するまでだ。
俺の泣き声は彼女ほど人の心を揺さぶらないかもしれない。
だが、人の命を削るくらいならできる。
少し意外だったのは。
ヘルガが、最後まで泣かなかったことだ。
彼女は涙をこらえたまま、俺の名を呼んだ。
「宇さん」
「宇さん、ですよね?」
「まだ何かあるのか?」
俺の声には、少し苛立ちが混じっていた。
「この前のこと」
ヘルガは真剣な顔で俺を見た。
「あれ、あなたが私を助けてくれたんですよね」
「ありがとう」
「それと……」
彼女は少し言葉を探すように目を伏せた。
「よく分かってないんだけど、私、たぶんあなたにすごく迷惑をかけました」
「バカおじさんって呼んだのも、よくなかったです」
「ごめんなさい」
ヘルガは深々と頭を下げた。
俺がまだ反応できないうちに、彼女はそのまま背を向け、一度も振り返らずに歩いていった。
俺が用意していた皮肉は、一瞬で喉の奥に引っかかった。
本当に、変な女の子だ。
俺が思っていたよりもずっと馬鹿で。
俺が思っていたよりもずっと強い。




