第三十六話 底を抜くもの
僕が辿り着いた結論はこうだ。
――浅川めぐるは逃げている。
なぜか。
――他人のせいにできなくなったから。
じゃあどうする?
――何としても捕まえる。
なんで。
――だって僕は、本当の浅川めぐると話がしたいんだ。
僕は、浅川めぐるをさがした。
連絡したら遠くに逃げられる気がした。追いかけていることを知られないうちに、彼女を捕まえなければならない。
体育館、このさき看板、幽霊看板、喫茶店、高校の前のコンビニ、離れた街、イルミネーションがあった商店街。浅川と一緒に行った場所のどこにもいない。
家にも行ってみたが、誰の気配もなかった。
日がほとんど沈みかけていた。
今日のところはあきらめて、同好会室に戻ることにした。
僕は、暗い部屋の扉を開けた。
いた。
「あ、浅川?」
と言っている間に、彼女は僕の横を抜け、開いていたドアから逃げた。
「まて!」
浅川めぐるは、しなやかな動きで廊下を駆け抜けていく。
浅川はただやみくもに逃げた。僕は彼女を必死に追いかけた。
僕も浅川も、どのコースが逃げやすいとか、どこに逃げられたらまずいとか、そんなことを考えている余裕なんかまったくなかった。
体力勝負なら僕にだって勝ち目がある。いやむしろ僕のほうが有利だ。
僕は校庭の真ん中で、一度浅川をつかまえかけた。浅川が派手に転んだので、心配して立ち止まった。しかし、彼女は再び勢いよく地面を蹴って、鬼ごっこが再開された。
音楽室の扉を浅川が閉めて逃げようとしたとき、僕は閉じた扉に頭をぶつけた。すりむいて血が出た。
四階の廊下で追いつめかけたときに、壁蹴り宙返りで回避された時には、度肝を抜かれたものだ。
僕は思わず尻餅をついたのだが、浅川は華麗に着地を決めた。
美しさに、息をのんだ。
すぐに身をひるがえし、全力で駆けていった。
僕は慌てて立ち上がり、なんとか見失わないように追いかけ続けた。
「なんで追いかけてくるの!」
浅川は言うが、こっちこそ言ってやる。
「なんで逃げる!」
言葉は返ってこなかった。
何度も追いつきかけた。熱い身体に触れることはできても、動きは奪えなかった。
最高速度では僕のほうが速い。けれど、持久力と身のこなしにおいては浅川の方が上だった。
僕は体力の限界を超えて追いかけ続けた。
追いつけないままは絶対に嫌だ。くらいついた。
汚くても、みっともなくても構わない。
やがて、浅川にも体力の限界がきた。
すっかり暗い裏庭の池の前、葉っぱだらけになった、しだれ桜の下で、二人、立ち止まって膝に手をついた。
上履きがどろどろに汚れている。
浅川はずっと僕に背を向けたままだ。
僕らは汗だくだった。呼吸も荒い。走るのをやめてしばらくしたら、身体中の傷が痛みだした。
深呼吸を繰り返し、互いに落ち着きかけたとき、浅川は泣き叫ぶように言った。
「いっしょにいるとつらいの!」
「なんで!」僕も浅川の背中に、大きな声で返した。
「自分のやったこと、忘れちゃいけないし! ていうか怒ってないのおかしい!」
浅川は整理のつかない思いを吐き出した。
「きらりも、さやかも、来なくて……ああ悪くないなとか思ってしまう私が……誰よりもきらりを不幸にしているし! 変な部活、続ける理由もないし! 本当に一緒にいたいのかもわからないし!」
嘘の泥にまみれた思いが、溢れてきた。
「こんな私は、本当に汚い!」
洗い流したり、捨て去ったりする方法を僕は知らない。
でも、汚いから何だ。
そもそも、本当に汚いのかか。
僕よりも?
だって、僕は浅川の思いをすべて理解できるのだから、浅川が汚いというなら、僕も同じかそれ以上に汚いことになる。
見なかったことにしろと言われた始まりの日から、忘れられないものが僕の中で積み重なった。
僕のなかで、取り返しのつかない大事件だらけだ。
自分の醜さと向き合う時間もたくさんあった。
浅川のそばにいるのは許されないと思ったことだって、何度もあった。
それでも僕は、浅川めぐると一緒にいたい。
泥にまみれることになっても。
「浅川。とりあえず、僕の話をちゃんときけ」
浅川は静かに、振り向いた。
目を覆って、涙を拭きとった。
抑えられない感情が、とめどないのだ。
潤んだ瞳が、僕を見ていた。
僕は浅川めぐるに向き合って、しっかりと伝える。
「おさんぽ部っていう部活動があるんだが、浅川、暇してるなら入らないか?」
浅川めぐるは頷いた。
「もう、先回りしなくていいの?」
「ああ」
「もう、好感度調整しなくていいの?」
「そうだ」
「こんな私でも、一緒にいていいの?」
いつも遅れてばかりの僕だった。やっと追いつくことができた。
「浅川の気持ちは、汚くなんかない。人間なら、きっと誰もが持っているものだ。浅川めぐるが沈めていたのは、やさしさの塊みたいなものだらけだぞ」
僕は地面を蹴り、歩き出す。
「今まで気づけなかった、愚か者でごめんな」
浅川めぐるを強く抱きしめた。
「好きだ」
僕が言うと、まるで小さな子供みたいに、浅川めぐるは声をあげて泣き続けた。




