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元・特殊清掃員の怪談師『忌部 骸』が語る、胃の腑が冷える現代夜話  作者: 一 十


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9/16

第9夜:摩耗する轍

ええ、どうも。怪談師の『忌部 骸』です。

……ふふ、いやですねえ、そんなに引かないでください。

これでも本名は『佐藤 留吉』なんていう、とんだ昭和の隠居老人みたいな名前なんですよ。

あまりに名前がシブすぎて、死神ですら「あ、この人はまだいいか」と素通りしていくくらいでしてね。


まあ、私の元妻たちが皆、一周年を待たずにいなくなってしまったのは、死神の仕業というよりは……おっと、この話はやめておきましょう。


さて、今日は「車のタイヤ」についてのお話をしましょうかね。

皆さんは、車を運転されますか?

あるいは、深夜の道を歩いているとき、背後から迫るロードノイズに恐怖を感じたことは?


これは、あるIT企業に勤める阿部さん(仮名)から聞いたお話です。

阿部さんは半年ほど前、念願だった黒の大型SUVを中古で購入しました。


前の持ち主が急死したためとかで、相場よりもかなり安かったそうですが、阿部さんは「ラッキーだ」としか思わなかったそうです。

納車された車はピカピカで、タイヤも新品同様。溝も深く、グリップ力も申し分ない。


……ですが、乗り始めて一週間ほど経った頃です。

深夜、仕事帰りに静かな住宅街を走っていると、妙な音が聞こえてくるようになったんです。


「ペチャ……。ペチャ……」


分かりますか?

何か粘り気のある、濡れたものを踏んでいるような音です。

窓を開けても、外からは聞こえません。

車内の、それも足元……左後ろのタイヤのあたりから、規則正しく響いてくる。


最初は、ガムでも踏んだのかと思ったそうです。

翌朝、阿部さんはタイヤを調べました。

しかし、溝には小石一つ挟まっていない。泥すらついていない。

不気味なほど、その左後ろのタイヤだけが「黒々」としていたそうです。


それからも、音は止みませんでした。

それどころか、日を追うごとに音は生々しくなっていった。


「グチャッ……。ボキッ……」


まるで、生木を折るような、あるいは……人の……。

阿部さんは怖くなり、ディーラーに車を持ち込みました。

ですが、整備士は首を傾げるばかり。


「どこも異常ありませんよ。タイヤも、これ……本当に中古ですか? 溝の形が、見たこともないほど複雑で、美しいくらいだ」


整備士が指差したタイヤの溝の模様トレッドパターンを、阿部さんは初めて凝視しました。

そこには、幾何学模様というにはあまりに歪な……。

まるで、細い指を何本も絡め合わせたような、あるいは苦悶に歪む「顔」が連なっているような、そんな模様が刻まれていたんです。


その夜のことです。

阿部さんが自宅の駐車場で車を停め、エンジンを切ったときでした。

ふと、サイドミラーに何かが映りました。


車の下から、白い、細い「手」がぬぅっと伸びていたそうです。

その手は、左後ろのタイヤを、愛おしそうに、撫で回していました。

しかし、次第に指先がアスファルトを掻きむしり、爪が剥がれる音まで聞こえてくるようになりました。


阿部さんは背筋がから大量の冷や汗をかきながら、悲鳴を上げて車から飛び出しました。

そして、這いつくばりながらも、恐る恐るタイヤを振り返りました。


しかし……そこには、何もいませんでした。

ただ、アスファルトの上に、黒い「脂のようなシミ」が、わだちとなってずっと後ろまで続いていたのです。

自分が走ってきた道、その全てに。


阿部さんはその日のうちに、車を別の業者に売り払いました。

もちろん、二度と車には乗っていません。


ですがね、阿部さんは今、別の恐怖に怯えているんです。


彼の家の玄関。

朝起きると、必ず「黒い脂のついた轍」が、ドアの前まで続いているとか。

そして、耳を澄ますと、ベランダの外か、あるいは天井の裏か……。


「ペチャ……ペチャ……」と、何かが這い回る音が、ずっと聞こえてくるそうです


……どうやら、あのタイヤが踏み潰していたのは、道路だけではなかったようですねぇ。


ふふ……。

さて、皆さんも、ご自分の車のタイヤをよく見てみてください。

その溝に刻まれているのは、本当にメーカーが設計した模様でしょうか?


もし、見知らぬトレッドパターンだったら……。

それは、もう……。


今夜、お帰りの際はお気をつけて。

暗い足元、あなたの影を「踏んでいる」者が、いないとも限りませんから……。


それでは、また金曜日の20時にお会いしましょう……。

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