第7夜:愛の加圧
ええ、どうも。怪談師の『忌部 骸』です。
……ふふ、そんなに怯えた顔をしないでください。
これでも役所へ行けば『佐藤 留吉』なんていう、 町内会の掃除当番を一度も欠かさない、 善良な隠居みたいな名前を名乗っているんですから。
「留吉さん、今日はお元気そうで」 なんて近所の方に声をかけられるたび、私は思うのですよ。
自分の背後に並んでいる「かつての妻たち」が、 私の代わりに返事をしてしまわないか、と。
以前、特殊清掃や復元納棺師をしていた頃、 私は数えきれないほどの死者と触れ合ってきました。
そこで学んだのは、死というのは一つの区切りでしかないということ。 本当に恐ろしいのは、死ぬことさえ許されず、 ただただ「嫌なこと」が続く日常なのですよ。
……例えば、そう。 毎日使う健康器具が、一生あなたの体の一部になってしまったとしたら。
さて、今日は「血圧計」についてのお話を。
私の元妻たちも、最後は皆、血圧がゼロになってしまいました。 ……おっと、これは失言でしたね。
独り暮らしの徳造さん(仮名)は、健康だけが自慢の七十歳でした。
毎晩、寝る前にデジタルの血圧計に腕を通すのが日課でしてね。
カフ……あの腕に巻く帯ですね。 あれがギュッと締まって、拍動を読み取るあの感覚。
徳造さんにとって、それは自分の命がまだ続いていることを確認する、 唯一の儀式だったのですよ。
ある熱帯夜のことでした。
いつものように血圧計を起動させると、どうも様子がおかしいのです。
機械が空気を送り込む音が、普段より湿って聞こえるんです。
「シュルシュル……」ではなく、 「ズ、ズズ……」という、喉に痰が絡んだような音が。
そして、カフが腕を締め付けた瞬間。
徳造さんは、椅子から転げ落ちそうになりました。 機械的な圧迫ではありません。
冷たく、細い、何本もの指が、 自分の二の腕に直接食い込んできたような感触がしたのです。
液晶画面には、見たこともないエラーコードが点滅していました。
『H─E─L─P』
いえ、古い機種ですから、そんなアルファベットが出るはずがないのですが。 けれど、彼には間違いなく見えたのです。
慌ててカフを外そうとしましたが、 マジックテープが皮膚に癒着したように剥がれないのです。
それどころか、締め付けはどんどん強くなります。
徳造さんの腕の骨がミシミシと悲鳴を上げるほどに。
ふと、隣に視線を感じて顔を向けました。
そこには、三年前になくなった奥さんが座っていました。
彼女は、徳造さんの血圧計の上から、 自分の両手を重ねて、女性の力とは思えぬほどの力で締め上げながら、 口だけを耳元まで裂いて、こう囁いたのです。
「ねえ、おじいさん。毎日測り続けてあげますからね……」
徳造さんは恐怖のあまり意識を失いました。
翌朝、彼は自分のベッドの上で目を覚ましました。
「ああ、夢だったのか」 そう安堵して、自分の左腕を見た時、彼は絶叫したのです。
血圧計のカフが、巻かれたままだったのです。
外そうとしても、マジックテープがどうやっても剥がれません。 ハサミを持ち出して布の部分を切ろうとしても、 刃がこぼれるばかりで、傷一つ付かないのです。
それどころか、カフの隙間からは、 自分のものではない「細い指」が何本も覗いていて、 二の腕の肉に深く、深く食い込んでいる。
病院へ駆け込みましたが、医者は困惑するばかり。
レントゲンを撮っても、そこには徳造さんの骨しか映りません。
「何も付いていませんよ、徳造さん。疲れすぎです」
そう言われるのですが、彼の左腕には、確実に重苦しい感触と、 脈打つたびにギリギリと締め上げる「指」の力がある。
徳造さんは、今も存命です。
ですが、彼の左腕のカフは、今も外れていません。
それどころか、日を追うごとに、 カフが少しずつ「肩」の方へとせり上がり、もうすぐ、首に届くようです。
奥さんの指が、自分の喉元に触れる日を待ちながら、 徳造さんは今夜も、血圧計の電源を入れます。
入れないと、もっと強く締められるのだと言って……。
……ふふ。
さて、健康に気を使うのは良いことですが、
一度身に付けたものが、一生外れなくなるとしたら、どうします?
あなたの腕にあるそのカフ。
数値が「エラー」を表示したとき。
それは機械の故障ではなく、誰かがあなたの循環を止めに来た合図かもしれません。
おや、あなたの今の血圧……。
少し、高くなりすぎていませんか?
では、また金曜日の20時にお会いしましょう....。良い夢を……。




