第13夜:埋められた音
ええ、どうも。怪談師の『忌部 骸』です。
……おや、そんなに肩を強張らせないでください。
私のこの、喪服のような格好が気になりますか?
ふふ、安心してください。これでも本名は『佐藤 留吉』という、どこにでもいる隠居じじいのような名前なんですよ。
あまりに凡庸な名前なもので、役所の方にはよく「書き間違いじゃないですか」なんて怪訝な顔をされる始末でして。
死者を扱う私の業を隠すには、丁度いい隠れ蓑なのですがねぇ。
さて……。
本日は「病院」にまつわる、ある音のお話をいたしましょう。
病院という場所は、生と死が絶えず入れ替わる、いわば「魂の吹き溜まり」です。
そんな場所の「壁」が、もし何かを飲み込んでいたとしたら……。
これは、ある中堅病院で事務をしていた伊藤さん(仮名)が体験したという、胃の腑が冷たくなるような、とある「お話」です。
その夜、伊藤さんは独り、外来棟の事務室で残業をしていました。
時計の針は21時を回り、周囲は静まり返っています。
ふと、耳の奥に「圧」を感じたそうです。
『ヴォォォォォォン……』
空気が震えるような、低く、湿った重低音。
換気扇の故障か、あるいは地下のボイラー室の振動か。
しかし、その音は奇妙でした。
廊下に出ると止み、自席に戻ると再び鼓膜を叩き始める。
まるで、その場所だけで鳴り響いているかのように。
不気味に思った伊藤さんは、音の出所を突き止めようと院内を歩き回りました。
窓を開ければ、外の闇からその唸りが聞こえてくる。
けれど窓を閉めれば、今度は建物の中からは聞こえない。
音は「外」にあるのか、「内」にあるのか。
あるいは、伊藤さんの「頭の中」で鳴っているのか。
気味が悪くなった伊藤さんは、近くの機械室へと入り、換気扇や大型空調のブレーカーを片っ端から確認しました。
「オン、オフ。オン、オフ……」
一つずつ、震える指でスイッチを切っては、窓を開けて外の音を確認します。
静寂が訪れるはずでした。
しかし、どのスイッチを切っても、あの不快な重低音は止まりません。
それどころか、心臓の鼓動に合わせるように、音の密度が増していくのです。
途方に暮れて廊下に立ち尽くしていると、夜勤巡回中の定年間際だという古株の職員が通りかかりました。
伊藤さんが事情を話すと、その職員は懐中電灯で廊下の何もない白い壁を照らし、ポツリと言いました。
「ああ……そういえば、その昔は、その壁の向こうに分電盤があったんだけどねぇ」
改装工事か何かで埋めてしまったのでしょうかねぇ。
なんだか薄気味悪くなってきた伊藤さんは、その言葉の真意を深く考えないように努め、逃げるようにして帰宅しました。
家に帰り、遅い夕飯を食べ、配信のドラマを少し見て、ようやく人心地ついた深夜。
就寝しようと布団に入り、目を閉じた瞬間でした。
バチッ!
脳裏に、強烈なフラッシュバックが走りました。
見たこともない光景です。
薄暗いコンクリートの壁。むき出しの配線。
そして、古い錆びついた分電盤を操作し、大型換気扇のスイッチに手をかける「自分」の姿。
(……あそこだ。あそこに、スイッチがある)
それは記憶でした。けれど、伊藤さんの記憶ではありません。
「止めなきゃいけない」
「動かさなきゃいけない」
そんな強迫観念が、伊藤さんの理性を塗り潰していきました。
翌朝、午前6時。
早番の職員たちが出勤して、病棟も朝の準備を始めた頃、病院中に轟くような凄まじい音が響き渡りました。
ドゴォン!! ドゴォン!!
そこには、病院の工作室から持ち出した大ハンマーを振りかざす、伊藤さんの姿がありました。
目は血走り、昨晩のあの何もない壁に向かって、一心不乱にハンマーを叩きつけているのです。
「伊藤さん!? 何してるんですか!」
同僚たちが叫びますが、伊藤さんは止まりません。
「ここだよ! ここにあるんだよ!!」
ガシャァァァン!
厚い石膏ボードとコンクリートが砕け散り、壁に大きな穴が開きました。
呆気にとられる職員たちの前で、粉塵が舞い上がります。
そして、露わになった壁の空洞。
そこには、古株の職員が言った通り、古びた分電盤がありました。
……いえ、それだけではありません。
狭い壁の隙間、本来は人が入れるはずのないその暗がりに、それは押し込められていました。
作業着を着たまま、無理やり折り畳まれたような不自然な体勢で、白骨化した死体がそこにいたのです。
四肢は本来曲がらない方向へとへし折られ、砕けた骨が剥き出しの配線に絡みついていました。
にもかかわらず、その指先だけは分電盤のスイッチを強く握りしめたまま。
暗い空洞の奥から、剥き出しの眼窩がこちらをじっと睨みつけていたのです。
あの低周波音は、機械の唸り声だったのでしょうか。
それとも、生きたまま壁に閉じ込められた作業員の、何十年分の呻き声だったのでしょうか……。
伊藤さんはその後、精神的な療養が必要となり、退職されたそうです。
発見されたご遺体が誰だったのか、なぜ埋められていたのか。
病院側は「調査中」の一点張りで、真実は闇の中だとか。
……ふふ。
どうやら、壁の中に埋まっていたのは、音だけではなかったようですねぇ。
さて、あなたの今いらっしゃる、そのお部屋。
壁の向こうから、かすかな「振動」を感じることはありませんか?
古い換気扇の音だと思い込んでいるその唸り……。
実は、誰かがあなたに「スイッチ」を切ってほしくて、必死に送っているサインかもしれませんよ。
……おや、私の後ろの壁からも、何やら聞こえてきたようです。
それでは、今宵はこのあたりで。
また金曜日の20時にお会いできるといいですね。
耳を塞いでお休みください……。




