【閲覧注意】第12夜:3分間の供物
ええ、どうも。怪談師の『忌部 骸』です。
……ふふ、そんなに露骨に肩を強張らせないでください。
「忌部 骸」なんて名乗ってはおりますが、戸籍をめくれば『佐藤 留吉』。
近所の公園で鳩に豆でもやっていそうな、実に無害な隠居老人のような名前でしょう?
かつての妻たちも、この名前の響きに安心して、私と添い遂げようとしたのでしょうが……。
おっと、失礼。この話は、また別の「死体」を片付ける時にでも。
さて、今日は都内の小さな出版社に勤める高橋さん(仮名)から伺った「カップ麺」にまつわるお話をひとつ……。
ある雨の夜、高橋さん(仮名)は不運にも終電を逃してしまいましてね。
タクシー代を惜しんだ彼は、傘も差さず、2駅先の狭いアパートを目指して歩き始めました。
雨は次第に強まり、体温を奪っていくことでしょうね。
暗い夜道、街灯もまばらな住宅街。
途方に暮れながら歩く彼の視界に、古びた雑居ビルの軒下で、チカチカと不規則に明滅する自動販売機が飛び込んできたんです。
そこには、見たこともないほど古い、錆びついた筐体がありました。
商品はたった一つ。ラベルも絵柄もない、真っ白な容器のカップ麺。
「……温かいものが食べたい」
コンビニが近くにないわけではないのですが、なぜかその時は、その自動販売機に導かれるように硬貨を投じていました。
ガラン、と重苦しい音を立てて落ちてきたのは、妙にずっしりと重いカップでした。
彼はそれをカバンにねじ込み、ようやく狭いワンルームのアパートに辿り着きました。
玄関を開けると、湿った空気と孤独が彼を迎えます。
風呂に入りたい気持ちもありましたが、まずは腹が減った。と、急いで電気ケトルでお湯を沸かし、その「真っ白なカップ」の蓋を半分ほど剥がしました。
中には、干からびたような、しかし妙に「黒ずんだ」麺の束だけが入っていました。
味噌味なのか、醤油味なのか、そもそも麺自体に味が練り込まれているのか?などと考えながらも、お湯を注ぎ、タイマーを3分にセットしました。
……その3分間が、運命の分かれ道でした。
1分が経過した頃。
狭いキッチンに、奇妙な音が響き始めました。
「ピチャ……ピチャ……」
それはカップの中から、何か湿った肉質が蠢くような音です。
2分。
カップの隙間から、湯気と共に、得体の知れない、これまで嗅いだことのないような、鼻を突く「すえた異臭」が立ち上りました。
それは、生理的な嫌悪感を呼び起こすおぞましい臭いだったそうです。
高橋さんは、目の前の「異常」に脳の理解が追いつかず、ただ呆然と立ち竦むほかありません。
そして、3分を告げるタイマーが鳴る直前。
蓋の隙間から、白くて細い、赤ん坊のような「指」が一本、また一本と這い出してきました。
それはカップの縁をガチリと掴み、中から「何か」を引きずり上げようとしていました。
ピピピッ、とアラームが鳴った瞬間。
高橋さんの指先は、恐怖でガタガタと引き攣るように震えていました。
けれど、見てはいけないと理性が叫ぶ一方で、どうしても中身を確かめずにはいられない、底の知れない呪縛のようなものに突き動かされ──。
彼は、逃げ場のない絶望を覚悟しながら、たまらず蓋をひん剥きました。
……そこにあったのは、麺ではありませんでした。
真っ黒な、そして濡れた「長い髪の毛」が、容器から溢れんばかりに詰まっていたんです。
髪の毛の隙間から、濁った「目」が彼を見上げ、低く、湿った女の声が響きました。
「……3分。食べ頃ね」
その瞬間、高橋さんは気づいてしまいました。
「食べ頃」なのは、カップの中身ではなく、逃げ場のない狭い部屋で独りきりになった……高橋さん、彼自身の肉体のことだったのです。
高橋さんは叫び声を上げ、全力でアパートを飛び出しました。
翌朝、彼が警察と共に部屋に戻ると、キッチンには一滴のスープも、一本の髪の毛も落ちていなかったといいます。
ただ、シンクの横には……。
彼が買ったはずのない、もう一つの「真っ白なカップ」が、お湯を注がれた状態で置かれていたそうでしてねぇ……。
……ふふ。
さて……お話は以上ですが、あなたの部屋のキッチン、妙に静かすぎませんか?
あるいは、換気扇の回る音に混じって、どこかでポコポコと、水が沸き立つような音が聞こえてはいませんか。
高橋さんが見つけた、自動販売機、あなたの家の近くにあるかも知れませんよ?
……おや、ちょうどお湯が沸いたようです。
蓋を開けるときは、どうぞ、一気に剥がさないようお気をつけて。
あの「すえた臭い」が鼻を突いたとき、あなたはもう、食べられる側の「供物」として、完成してしまっているのですから。
それでは、また金曜日の20時にお会いしましょう。
どうぞ良い夢を……。




