第4話 物語の所以
「何故、あの地を明け渡さないのですか」
俺がそう問うと、父は目を細めて笑みを浮かべながら問い返してきた。
「何故だと思う?」
その問い掛けに、俺は眉間に皺を寄せる。
分からないから聞いているのだ、と。
毎年のように続くサヴァニア連合との小競り合い。
徴兵される民のことを思えば、あんな森などさっさと明け渡してしまえばいい。しかし、父はそれを頑なに拒み続けている。
賢帝と言われる父が、理由もなくそのようなことをするとは考えられない。
だから、調べ尽くした。
ベオルグの森が帝国の領地となった歴史も、それに関わる当時の資料も、全て調べたが、答えに至らなかった。
「そんな顔をするな、ルカ」
父は楽しそうに笑う。
そして、小さく息を吐いてから、俺の顔をじっと見つめた。
「ブリリオート公国が、我が帝国に下ったことは知っているな」
「はい。勿論です」
「お前のことだから、宰相にでも強請って当時の出来事を洗いざらい調べたのだろうな」
「はい――いえ、そこまではしていませんが……」
「ならば、この話も調べたのであろう?」
「この話とは?」
「――ベオルグの森の竜の話だ」
賢帝の口から、御伽噺が出てくるとは思ってもいなかった。
「……それが、何か?」
「ルカよ。物語には語られるだけの所以があるのだ」
「所以ですか?」
「左様。数百年後には物語の一部として語られることになる」
「……実在しているのですから、物語ではなく史実でしょう?」
「数百年後、それを証明できる人間がどこにいる?」
そう言われて、俺は口を閉ざす。
数百年後、俺たちの存在を証明できる人間などいない。であれば、語られる話は――物語となる。
***
数百年おきに、地上に魔が放たれます。
魔は穢れた羊たちを操り、食べ尽くし、腹が満たされると元の住処へ帰っていきます。
魔が放たれている間、羊たちは家の中に閉じこもり、魔が過ぎ去るのは待つばかり。
それを哀れに思った神様が、一つの卵を地上に落としました。
卵は森に落ち、長い長い時間をかけて、一匹の竜が生まれました。
神様は生まれたての竜に、使命を与えます。
その目で世界を見て回りなさい。
お前がともに歩むべきものが、羊飼いとなるのですから、と。
竜は数多の世界を巡り、ようやく羊飼いを見付けます。
羊飼いは竜とともに旅をし、魔を退け、羊たちに安寧をもたらしました。
魔が消えた大地を見て、竜は生まれ故郷の森に帰ることにしました。
年老いてしまった羊飼いとともに。
竜と年老いた羊飼いは、短い間、森の中で穏やかな日々を送りました。
老いた羊飼いが息を引き取る時、彼は竜に笑って言いました。
友よ、また会おう。
竜はその時、初めて涙を流しました。
それから竜は羊飼いを待ち続けています。いつかまた、巡り合えると信じて。
これは昔、昔の話。
ベオルグの森に住まう竜の話。
***
「――ベオルグの森の竜の話は分かりました。それと、森を明け渡さない理由に結びつきません」
「そう答えを急ぐな」
俺は早く答えが知りたいのだ。
無論、父のことだからそんな俺の心情など、お見通しなのだろうが。
「ブリリオート公国が我が国に下った際に交わした盟約がある」
「盟約? そんなもの宰相は……」
「口止めをしているのだよ。ぺらぺらと語るものでもない」
その言葉を聞いて、俺は姿勢を正した。
誰にでも語るものではない――それはつまり、皇帝が許した者のみに語られる話だ。
生半可な気持ちで聞いてよいものではない。
「お前の兄も、お前のように聡明であったらよかったのだがな……」
父は少し悲しそうに目を伏せてから、再び皇帝としての顔に戻る。
「ブリリオート王国の内乱の原因は、魔のものたちの計略。奴らは次の羊飼いが現れる前に、竜を始末する算段であった。それを瀬戸際で阻止し、ブリリオート公国として成り立っていたものの、サヴァニア連合の拡大する軍事力に危機を感じたのだろうな。公国は我らに助けを乞うてきたのだ」
「……父上。俄かに信じられません。竜を守るために、あの土地を……?」
俺は素直に述べる。
幼い頃に、母から物語を聞かされていた時のような気持ちだ。
「よい。私も父より話を聞いた時、同じような反応をした」
父は優しく俺に笑い掛ける。
「信じなくてもよいのだ。ただ、ベオルグの森がいかに大切な土地であるか、それだけは胸に刻んでおくれ」
「……はい。分かりました」




