マリの来襲
お母さまにお休みの挨拶をして戻った部屋に、マリがいた。
「遅い! こんなに私を待たせて何やってんのよっ」
さっきまで私が座っていたカウチソファにマリはだらけた格好で腰かけていた。
足を組んで、その足先には脱ぎかけの靴をぶらぶらさせている。
前世で遅い電車に乗ったときに見た疲れたOLさんみたいだわ……。
こんな姿をお母さまやマナーの先生が見たら卒倒するだろう。
私もちょっと驚いた。
それより何よりこのままお母さまの部屋へとんぼ返りしたい。
「何そこでぐずぐずやってんの。さっさと入ってきなさいよっ!」
「きゃっ」
ドアを開けたまま中へ入るのをためらっていた私に、マリが何かを投げつけた。
顔のすぐ横の壁に当たったのは、お祖父ちゃまに手紙を書こうとテーブルに置いていた魔色ペンだ。
嫌な音がしたので壊れたのかもしれない。
「だーかーらっ、入って来いって言ってんの。とろとろしてんじゃないわよっ」
しかもマリはさらに何かを掴むと腕を振り上げる。
私は一気に震え上がった。
「マリっ、やめて」
「だったらさっさと入ってドア閉めなさいよ! 何やってんの、バカなの? グズなの? ああ、あんたはグズだったか」
今日は機嫌がめちゃくちゃ悪い。
怖くて体が震えるけれど、それを気取られるとマリの嗜虐心を煽る恐れがあるから必死で普通の顔を作って部屋に入った。
「なに私を待たせてんのよ。あんた、そんなに偉くなったわけ? 一体何様? 私の奴隷のくせに、勝手にうろうろしてんじゃないわよ。いつ私が来てもいいようにずっと部屋で待ってるべきでしょ」
マリの勝手な言い分に私はため息を噛みつぶす。
お休みの挨拶に行ったお母さまの部屋で少しおしゃべりしたのだが、その少しの時間待たされたのが気に入らないらしい。
そもそも王宮でのお茶会以降ずっとマリは私に対してツンケンしている。
だから近いうちに部屋に突撃してくると思っていたのだ。
それが今夜で、しかも私が留守にして待たせてしまったからここまで機嫌を損ねたのだろうが、この後のマリのおしゃべりを思うとげんなりした。
マリから離れた窓際のソファに座ると、何か投げつけられたときの盾にしようと油断なくクッションを抱える。
「あんたさあ、おとといは何でお茶会に来たわけ? せっかくドレスを汚してやったのに、私の苦労を台無しにしてんじゃないわよ。もっとたっぷりドレスを汚してやればよかった。あームカつくっ」
かりかりと爪を噛みながらマリが私を睨みつけてきた。
「本当はドレスを切り刻んでぼろぼろにしてやろうと思ってたのよ! なのにドレスが置いてある部屋には鍵がかかってて入れないし、オバサンの家だから廊下を歩くとすぐにメイドから声をかけられて何にも出来ないしで、もう最悪っ」
「そんなひどいことをしようとしてたの……?」
「ひどい? ひどいのはあんたの方でしょっ。あんたがお茶会に来たせいで私が全然目立たなかったのよ! お茶会が台無しになったのは全部あんたのせいでしょ」
信じられない話を聞かされて開いた口がふさがらない。
マリの計画が実行されなくてよかったと今さらながら胸がヒヤッとした。
「ミアンが作ったドレスで私が注目されるはずだったのに、あんたと同列になって本当許せないっ! 地味なドレスだったのに何かいい感じに直してもらってさあ。遅れて入ってきたときなんか、会場中から注目を受けててマジふざけんなって思ったわ。あんたってヒロインなだけあってマジいいとこ持っていくの上手すぎ! 本っ当ヒロインだわ。あーもうムカつく! ムカつくムカつくムカつくっ」
またマリの口癖の『ムカつく』が出た。
逆にマリがムカつかないことなんてあるのかと思う。
自分が一番じゃないと気が済まないこの性格が前世からのものだったとしたら、前の世ではずいぶん生きづらかったのではないだろうか。
それとも、今みたいに『ムカつく』と周囲に悪態をついていたのか。
「挨拶に来るヤツらも全部あんたのことばっか。何が可憐な花の精霊だよ。単に花の飾りつけてるだけだろ。私のことは髪形しか口にしなかったくせに! しかも派手すぎとか子供に相応しくないとか、おしゃれのこと全然わかってないくせに勝手なことばっか言いやがって。あんたらのガッチガチに固めた古くさい髪形の方が恥ずかしくて笑っちゃうわ」
あー、確かにマリは少しチクリと言われてたなあと挨拶に来てくれた人達のことを思い出す。
「挙句の果てには、鼻水垂らしたガキにドレスを触られるし! もうゾッとした。にやにやした顔で近付いてきてキモいんだよっ。伯爵の子だが何だか知らないけど、あんなキモい男に近寄られても寒気しかないわ。この私に相手されるとでも思ってんのか、マジありえないんだけど! 自分の顔見ろや! これだから甘やかされたガキは手に負えないんだわっ」
とんでもない内容も呆れた言いざまも慣れたものだから今更反応したりしない。
マリも私の反応を見たいわけじゃないからか気にもせずに口を動かし続ける。
「ムカついたからさっさと会場を抜け出したのに、お母さまが追いかけてくるし。本当何あれ。あんなのマンガになかったじゃん! 親がついてきたらジュリマリが始まらないじゃん! 空気読めよっ、クソババア!」
苛々したようにマリの爪を噛むのが激しくなった。
「おかげでキース王子にも会えないし。わかってんの? 娘がキース王子と結ばれるための出会いを、親のあんたが台無しにしてんだよ。バラ園でキース王子が私を待ってたのにっ。行けば会えたのに! ジュリマリの一大イベントだったのに逃したなんてもう最悪! マジありえなくね? これでキース王子とは学園に入るまで会えないってのに~っ。しかもヒステリー起こして怒鳴り散らしてくるし、逆にこっちが怒鳴りたかったわ」
ぼんやりと話を聞き流していたら、マリがじろりと私を睨んだ。
苛つきをぶつけるみたいに険悪な目で見られる。
「ちょっと! あんた、おとといは本当にキース王子と会ってないんでしょうね? 嘘付いたら許さないから。その髪全部引っこ抜かれたくないなら正直に言いなさいよ」
「あ、会ってないわ。キース王子とは挨拶のとき以外会ってない」
「本当はバラ園に行ったんでしょ! バラ園で王子と会ったんじゃないのっ?」
「バラ園? そんなものなかったわ。行ってないものは行ってない。王子にも会ってないわ」
「本当でしょうね? だったらあんなに長い時間何してたの。どこで何をしてたか、何であんたまでお茶会を抜け出したか、一から説明して!」
説明って……。
マリの命令に困惑する。
「だからおととい馬車の中で話したじゃない」
「うるさいわねっ。いいからもう一度話しなさいよっ」
「う……ん。マリとお母さまがいなくなったあと、アントンまでいないことに気付いて、探したら生け垣の向こうにアントンを見つけたから追いかけたのよ。二人で道に迷ってうろうろしてたらお祖父ちゃまに会って、蝶が見たいって言うと研究所へ連れていってくれたの」
「研究所ってどんなとこよ」
「蝶を育ててる場所よ。蝶がたくさんいるの。国中の蝶を集めている場所なんですって。蝶のために色んな植物が育てられてたわ。大きなシダの木とか。私が見たのはルリハネモルフォ蝶って瑠璃色のきれいな羽の蝶なんだけど、小さい頃は暗くて湿った場所に生えるきのこを食べて育つんですって。だから、そういう暗くてジメジメした場所をわざと作って幼虫を――」
「虫の話はやめてっ。気持ち悪いって言ってんでしょ!」
大声で止められて私は口をつぐむ。
そんな気はなかったけれど、虫が嫌いなマリにはちょっと意地悪なおしゃべりだったと気付いた。
「あんたさ、女のくせに虫が好きとかありえなくない? ゾッとするわ。何喜んで虫の話をしてんのさ。虫なんか全部滅べばいいのに。あんた、虫が好きとか言って男受けするとでも思ってんの? とんだ勘違い女だわ」
鳥肌でも立ったのか腕を擦っているマリに少し申し訳ないと思ったけれど、おしゃべりを聞くとそんな気も薄れた。
「ああでも、アントンは釣れてたか。すっかりアントンと仲良くなっちゃって。てか、あんなのが好み? 趣味悪くね? センス疑うわー。メガネ豚よ。メガネをかけたぶっくぶくに太ったガキ。キース王子の方が何倍もいいでしょ。や、比べるのが失礼だわー」
うん、反省するだけばかだった。




