菫の髪飾り
「何かございましたらいつでもお呼びくださいませ――」
晩餐のあと、お祖父ちゃまからもらった髪飾りを持って部屋に戻った。
リクエストしていたお茶を用意してもらったあと、しばらくのんびりしたいからとポーラには下がってもらう。
ドレスを汚した罪を被せられて謹慎か解雇かと心配していたポーラだが、エリーナの取りなしで私のメイドとしてこれまで通りに働いてもらっている。
動いてくれたエリーナには感謝しているし、頼もしいと信頼も厚くなった。
「ふふ、本当に可愛い」
王都の伯爵家に相応しい豪奢なカウチソファに座って、お祖父ちゃまからいただいた髪飾りをためつすがめつ眺める。
マリの手前、気に入った態度を見せると面白がって取られる可能性がある。
だからあの場であまりじっくりと見ることは出来なかったのだ。
ひとりになってようやく好きに行動できる。
見れば見るほど可愛く思えてくる髪飾りだ。
それにお母さまが言っていたように思ったより上等な品かもしれない。
小指の爪ほどの小さな花が寄せ集まった髪飾りだ。
紫、薄紫、青みがかった紫、灰色が混じった紫――花のひとつひとつが微妙に色が違うのも美しく、張りのある輝くような布地で花びらが作られているせいか本物そっくりに花開いているみたいに見える。
「菫の花に少し似てるわ。菫の花ってモチーフによく使われるのかしら」
おととい見た菫の花に似ているような気がして唇が緩んだ。
色も紫が中心だから余計に精霊の庭で見た紫菫の木のことを思い出す。
菫の花のシャワーの下でくるくる回った楽しい時間のことを。
それに、この紫色の石ってまさか魔石かしら。
花びらの中に埋もれるように朝露のような小さくて丸い石が一粒隠れていた。
深く透き通った紫色で、夜の暗めの部屋でも不思議とキラキラと光っている。
角度を変える度に淡い光がこぼれる様子は、普通の石にはとても見えなかった。
「魔道具? ううん、この場合は魔石のアクセサリーって言うのかしら」
魔石は一流の職人さんの手にかかれば護符のアイテムにもなると本で読んだ。
とても難しい技術を要するとかで、魔石の護符はとても高価で珍しいようだ。
一般には出回らないそれではないかと、ちょっとだけ髪飾りを持つ手が震えた。
「まさか、ね」
お祖父ちゃまがそんな貴重で高価な品を七歳の子供にくれるわけないわ。
この世界特有のファンタジーな紫水晶か何かよね。
そう思い直して落ち着くことにする。
「何よりこの神秘的な紫の輝きって――――」
まるでルカーシュさまの瞳の色みたい……。
おとといのことをふと思い出す。
菫の花の雨が降る中で見た深く澄んだ紫にも、温室のガラス越しに差し込んできた光にキラキラ輝いていた紫にも見えて、胸がことことと騒ぎ出す。
うー、まただわ。
こういうのってどうなんだろう……。
疼きとも甘酸っぱさとも言えるような胸の騒めきに小さな呻き声を上げた。
前世では十八歳だった私だけれど、七歳のジュリエッタに引っ張られて心が幼くなっているのは自覚している。
でも、あの時の私は本当にただの七歳の女の子になってしまっていた。
同年代の男の子としてルカーシュさまに心が躍ってしまったのだ。
それが後ろめたくて恥ずかしい。
ルカーシュさまが子供なのにあまりにかっこいいのがいけないんだわ。
私が変態さんだからじゃない。
それにルカーシュさまももうキース王子と同じ八歳になっているかもしれない。
そうしたら、ほら、私より年上だわ!
年上男子よ!
だから全然おかしくないのよ――――…きっと。
熱くなった頬に手を当てて冷やそうとする。
初恋もまだで男の人に免疫がなかった前世の私は正統派のキース王子推しで、麗しのルカーシュさまはクセが強すぎてちょっと苦手に思っていた。
けれど実際にしゃべってみたルカーシュさまは好感が持てる男の子だった。
ジュリマリのマンガが始まるよりずっと前の少年だったことも大きいが、昨日のルカーシュさまも決して純粋無垢な男の子だったわけじゃない。
ちょっと意地悪なところもあったしひと癖ある感じもプンプンして、将来の片鱗は見え隠れしていた。
けれどそれよりも優しい印象の方が強かったのだ。
自分も欲しがっていたのに白い菫を私に譲ってくれたし、蝶を見たいという私たちの願いも叶えてくれた。
そして蝶の温室でもルカーシュさまは優しさを見せてくれた。
ルカーシュさまが自分の腕にたくさんの蝶をとまらせて私を驚かせたひと幕。
笑った顔が可愛いなんて言われて、てっきりからかわれたと思ってしまったけれど、今振り返るとルカーシュさまは慰めてくれたのだろう。
マリのことで心が波立っていた私を一瞬にして笑顔にしてくれたのだから。
ジュリマリのマンガではキース王子と並び立つ特別なヒーローだったけれど、子供のルカーシュさまは青虫が嫌いだったり白い菫を見て驚いたり羨んだりと案外どこにでもいる普通の男の子だった。
「ルカーシュさまにまた会いたいな……」
あの精霊の庭での時間を思い出すと優しい気持ちになる。
だからこんなに胸が温かくなるんだろう。
ちょっとだけ頬もほてってしまうけれど。
この髪飾りって、精霊の庭ですごした時間を閉じ込めたみたいだわ。
だって精霊の庭でなくした髪飾りの代わりに塔の管理者のお祖父ちゃまからもらったものだし、花のデザインも紫菫の花によく似ている。
その上、紫色の宝石がルカーシュさまの瞳にそっくりだもの。
「この髪飾りに、菫の髪飾りって名前を付けたらどうかしら」
名前を付けると特別感がさらに増す気がする。
うきうきした気持ちで菫の髪飾りをひとしきり眺めて楽しんだあと、またビロードの小箱にしまい込む。
「う~、名残惜しいけど我慢よ我慢」
マリが帰ってこないうちにまだやることがあるのだ。
気持ちを切り替えてカウチから立ち上がった。
ベッドサイドの引出しに入れておいたハンカチを両手で大事に持ち上げ、テーブルへと移動する。
「すごい、二日たってもまだ光ってるわ」
ソフィ伯母さまの宝石コレクションのおかげでマリに部屋を突撃される恐れがない今、白い菫のハチミツ漬け――デジレ薬を作りたかったのだ。
ルカーシュさまは三日以内に作るように言っていたが――ハンカチに包んで持って帰った白い菫は二日たった今でも美しく形を保っていて、香りもみずみずしい。
淡く光を放つのもおとといと同じだった。
精霊さまのお力がこもっているからだわ。
精霊さまの不思議に接している嬉しさににまにましながら、テーブルのハチミツの小瓶を開ける。
夜のお茶としてカモミールティーにハチミツを入れたいとリクエストしたのだ。
王都だから手に入る特別なハチミツを小瓶で欲しいと言っておいたらポーラはきちんと叶えてくれた。
王領地の様々な野花の蜜を集めた王室御用達の百花ハチミツだそう。
手の平に載るほどの小瓶で、菫の花をひとつ入れるにはちょうどいい大きさだ。
「うー……指が震える」
白い菫を摘まんで瓶の中のそっと落とす。
とろりとしたハチミツの表面にしばらく浮いていた菫の花は、見ているうちにゆっくりと沈んでいく。
沈むごとに菫の花からあのきれいな淡い光が消えていくのが心配になったが、代わりにハチミツの色が変わっていることに気付いた。
透明にほど近い淡色のハチミツが濃い金色へと変化していた。
ハチミツの中に揺蕩うような白い菫も今や黄金に色を変えている。
「……きれいな色。それにハチミツの香りが変わったわ。菫の花のいい香りがする。あの時の紫菫の花の香りよ。なんて不思議なの」
またしても精霊さまの不思議を体験して胸がどきどきした。
菫の花の香りをしばし堪能して、慎重に瓶の蓋を閉める。
このまま飾っておいてもインテリアになるほど美しい黄金の菫の小瓶となった。
マリに見られたらあっという間に奪われてしまうだろう。
ちゃんと隠しておこうと決意して、今しばらくは眺めることにした。
これでようやくポーラに渡すことが出来る。
花のお屋敷に戻ったらすぐにお休みをあげて実家に帰ってもらい、お父さまを治してもらおう。
その貴重なシーンを私が見ることは叶わないが、ポーラが教えてくれるはずだ。
「どうかポーラのお父さまの十日熱が治りますように」
黄金色に変わった菫の花を見つめながら、精霊さまに祈りを捧げた。




