第一章 配属 第四部 初戦
完全に暗くなると、音だけが残った。
空は見えない。
地面も見えない。
ただ、足の裏に伝わる硬さと柔らかさだけが、位置を教えてくる。
「出るぞ」
荒瀬の声が落ちた。
小さく、短く。
だが、それで全員が動いた。
白凪は木箱を抱えた。
昼より重い。視界がない分、余計な力が入る。
「一定で行け」
荒瀬が前を行く。
足音が揃う。
揃えないと、ずれる。
壕の縁を抜ける。
前縁へ出るための、わずかな露出区間。
そこだけ、遮蔽が薄い。
(ここが危ない)
白凪はそう判断した。
理由はない。ただ、昼に見た順番がここで途切れている。
そのときだった。
遠くで、空気が裂けた。
――ヒュッ
音が先に来る。
「伏せ――」
誰かの声が途中で切れた。
次の瞬間、土が爆ぜた。
爆発ではない。
着弾の破片が、面で叩きつけてくる。
白凪は反射で身体を落とした。
だが、落とし方が半拍遅い。
箱が腕から外れかける。
(違う)
その瞬間、頭の中で別の動きが走った。
伏せる。
いや、伏せる場所が違う。
線の位置――踏んでいる。
右へずれる。
いや、そこは浅い。破片が抜ける。
左。
土嚢の影。半分しか隠れない。
もう一度。
伏せる。ずれる。箱を捨てる。
いや、捨てると後が死ぬ。
持つ。
低く、滑らせる。
白凪は身体を横に倒した。
箱を抱えたまま、土嚢の影へ滑り込む。
その瞬間、背中の上を何かが抜けた。
乾いた音。
名取の声が上がる。
「うわっ――」
「声を出すな!」
荒瀬の怒声が叩きつける。
だが、遅い。
次の瞬間、別の音が来た。
――ダダダダダ
機関銃。
断尾嶺側。
面でなぎ払う。
遮蔽の外が削れる。
土が削れ、板が弾ける。
「動くな!」
荒瀬が言う。
「動いたら当たる!」
白凪は止まった。
呼吸だけがうるさい。
心臓が速い。
だが、動かない。
(動くな)
順番を思い出す。
自分。遮蔽。線。周囲。
恐怖は最後。
白凪は地面を見た。
見えない。だが感触で分かる。
線は切れていない。
まだ、繋がっている。
「……名取」
誰かが小さく呼んだ。
返事がない。
白凪は横を見た。
暗い。
だが、影の形が崩れている。
名取が、少し前に出ている。
(位置が違う)
さっきの爆発で、止まる場所を間違えた。
遮蔽から、半歩はみ出している。
機関銃のライン上。
(動けば死ぬ)
分かる。
(動かなければ)
もう一度考える。
このままでも当たる。
時間の問題だ。
白凪の中で、動きが分岐する。
手を伸ばす。
いや、距離が足りない。
引きずる。
音が出る。
声をかける。
位置がバレる。
何もしない。
確実に死ぬ。
選ぶ。
どれも正解ではない。
(――これ)
白凪は身体を低く滑らせた。
箱を押し出す。
木箱が先に転がる。
音が出る。
だが、その音に機関銃が一瞬だけ寄った。
その瞬間。
「今だ!」
荒瀬の声。
白凪は名取の襟を掴んだ。
引く。
重い。
動かない。
(遅い)
もう一度。
力ではなく、角度。
身体を沈めて、引き込む。
半歩。
その半歩で、影の中に入る。
直後、弾がその場所を削った。
白凪は息を吐いた。
だが、名取は動かない。
「……名取」
返事がない。
手が濡れている。
血だ。
どこかは分からない。
暗すぎる。
「下がるぞ」
荒瀬が言った。
「止まるな。次が来る」
白凪は迷った。
持つか。置くか。
名取を。
箱を。
両方は無理だ。
順番。
自分。遮蔽。線。周囲。
恐怖は最後。
(……どっちだ)
一瞬、遅れる。
その一瞬で理解する。
両方は無理だ。
選ぶしかない。
白凪は名取を引いた。
箱は置いた。
荒瀬が短く舌打ちする。
だが否定はしない。
「下がれ!」
全員が壕へ戻る。
後ろへ。
来た道を、逆に辿る。
だが、夜は道が消えている。
順番だけが頼りだ。
白凪は名取を引きずる。
重い。
さっきより重い。
生きているか、分からない。
だが、離さない。
壕の縁を越える。
その瞬間、音が遠のいた。
遮蔽の中に戻る。
初めて、止まる。
「瀬名!」
荒瀬が呼ぶ。
足音が近づく。
「ここ!」
光はない。
手探りで確認する。
「……腹部」
瀬名の声。
「貫通ではない。破片。止血優先」
白凪は手を離した。
手の中の温度が消える。
代わりに、何も残らない。
箱はない。
弾薬は、前に残した。
任務は途中だ。
名取は、生きているか分からない。
白凪はその場に座り込んだ。
呼吸が戻らない。
頭の中が、静かすぎる。
さっきまであった選択が、もうない。
残ったのは結果だけだ。
白凪澄は、理解した。
正解を選んだのではない。
選べなかったものを、捨てただけだと。




