第6章 第4部『圧』其ノ一
第4部『圧』其ノ一
朝の橙は、薄かった。
薄い橙の中で、空の灰は、半拍ずつ、消えていった。
消えていく灰の下で、九番の地面は、夜の温度を、まだ、残していた。
残った温度の上に、薄い霜が、九番の土嚢の縁に、置かれていた。
置かれた霜は、半拍ずつ、薄くなっていった。
薄くなっていく霜を、白凪は、観測壕の手前から、見ていた。
見ていた視線の中に、半拍の止まりは、入っていなかった。
入っていないのは、白凪が、もう、半夜のあいだ、見続けていた、ということだった。
「白凪二等兵」
久我の声が、観測壕の上から、来た。
声の温度は、半拍、低かった。
低いのは、観測の中で、新しいものが、入った、ということだった。
「読め」
「敵主力本隊、接近開始」
「距離は」
「六百」
「速度は」
「最大」
「数は」
「三十から、四十」
久我は、半拍、止まった。
止まった半拍の中で、双眼鏡を、構え直した。
構え直した視線の中に、新しい確認が、入った。
入った確認を、久我は、続けた。
「迫撃砲、確認」
白凪は、半拍、止まった。
止まった半拍の中で、頭の中の、ある場所が、再生された。
ある場所は、九番の、これまでの戦闘の、装備の中身、だった。
別働は、自動火器を、持っていなかった。
昨夜の前哨は、自動火器を、混ぜていた。
今、断尾嶺の左斜面から、来ている敵主力本隊は、迫撃砲を、混ぜていた。
迫撃砲、というのは、九番の土嚢の縁の遮蔽が、半拍以上、持たない、ということだった。
持たない遮蔽の中で、九番の七人は、戦闘の射線に、晒される。
晒される七人の中に、白凪と、鷹見が、いた。
いた二人を、白凪は、頭の中の、配置に、入れ直した。
入れ直した配置の中で、迫撃砲の着弾の位置を、半拍、組んだ。
組んだ位置は、観測壕の北側、だった。
北側、というのは、九番の中の、最も、削れる場所、だった。
「他は」
「自動火器、複数/前哨より、多い」
「了解」
白凪は、答えた。
答えた声は、低かった。
低いのは、敵主力本隊の規模が、これまでの戦闘の、どれよりも、大きい、ということだった。
大きい規模の中に、半拍の重さが、入っていた。
入っていた半拍を、白凪は、引き出しに、入れた。
入れた場所は、十の言葉の、すぐ脇、だった。
「白凪二等兵」
桐生の声が、観測壕の上から、続けて、来た。
桐生は、夜のあいだに、副線の脇の補助から、観測壕の上に、戻っていた。
戻っていた位置で、久我の脇に、入っていた。
入っていた桐生の視線の中に、半拍の確かめが、入っていた。
「読め」
「敵主力本隊の、右翼/自動火器の混入が、左翼より、多い」
「位置は」
「右翼/中央寄り/距離五百八十」
「了解」
桐生は、それだけ答えた。
答えた声には、半拍の、低さが、入っていた。
低さは、桐生が、自分の観測を、確かめている、ということだった。
確かめている動きの中で、桐生は、観測の継承の、半歩先に、入っていた。
半歩先、というのは、観測補助、ではなく、観測そのもの、だった。
観測そのものに、桐生が、入っていた。
入っていた動きを、白凪は、引き出しに、入れた。
入れた場所は、桐生の、削る側の、半歩内側、の、さらに、半歩、内側、だった。
半歩内側、というのは、九番の兵、として、立っている場所、だった。
立っている場所で、桐生は、観測の動きを、続けていた。
「緒方」
白凪は、副線の方向に、声を、置いた。
「はい」
「副線の応答、続いているか」
「続いています」
「後方からの、応答記録は」
「夜のあいだに、二十三件/うち、敵主力本隊の進路情報、十一件」
「内容は」
「敵主力本隊/断尾嶺の左斜面/南下中/規模、これまでの最大/進路、九番方向/時期、本日の昼前後/早ければ、午前」
緒方は、それだけ答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れていなかった。
揺れていないのは、緒方の動きが、夜のあいだ、座ったまま、応答と修復を、続けてきた、ということだった。
続けてきた動きの中で、緒方の脚は、布の下で、止まっていた。
止まっている脚の上に、緒方は、座ったまま、いた。
いる動きの中で、緒方は、削る側の、半歩内側に、立っていた。
立っているのは、座ったまま、だった。
「副線の修復は」
「完了です」
「いつ」
「夜の半ばに、完了しました」
「報告、入っていなかった」
「報告は、半時間に一度、瀬名衛生兵の手の確認の、半拍前に、入れてきました/白凪二等兵の見張りの動きを、止めない、半拍の確認です」
緒方は、それだけ答えた。
答えた声には、半拍の、低さが、入っていた。
低さは、緒方の、七年分の動きの中で、修復の完了の半拍前に、報告を、入れない選び方を、覚えてきた、ということだった。
覚えてきた選び方を、白凪は、認識した。
認識した動きを、引き出しに、入れた。
入れた場所は、緒方の、削る側の、半歩内側、の、さらに、半歩、内側、だった。
半歩内側、というのは、九番の兵、として、立っている場所、だった。
桐生の脇に、緒方が、いた。
二人で、九番の兵、として、立っていた。
「了解」
白凪は、答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
本陣の入口の脇に、鷹見が、立っていた。
立っていた位置は、いつもの位置、ではなかった。
いつもより、半歩、外側、だった。
外側に、銃が、置かれていた。
置かれた位置は、戦闘の半拍前に、出やすい位置、だった。
位置の脇に、鷹見の右手が、置かれていた。
置かれた手の指は、銃の握りに、触れていた。
触れていたが、まだ、握り直していなかった。
握り直していないのは、戦闘の半拍前が、まだ、来ていないから、だった。
来ていないが、来る。
来る半拍を、鷹見は、待っていた。
待っている動きの中で、鷹見は、本陣の中には、戻らなかった。
戻らない、というのが、これまでの鷹見の動きと、違っていた。
違っていた動きの中に、半拍の、重さが、入っていた。
入っていた半拍を、白凪は、引き出しに、入れた。
入れた場所は、鷹見の銃の、半歩外側、の、すぐ脇、だった。
「白凪二等兵」
鷹見の声が、本陣の入口の脇から、来た。
「はい」
「来い」
「了解」
白凪は、観測壕の手前から、本陣の入口の脇に、動いた。
動く速度は、急がなかった。
急がない速度の中で、白凪は、半拍、自分の足の置き方を、確かめた。
足の重心は、土に、半拍、深く、入っていた。
入っているのは、保たせる動きの、土台、だった。
土台の上で、白凪は、鷹見の前に、立った。
立った位置で、鷹見を、見た。
鷹見は、白凪を、見た。
見た目の中に、半拍の、確かめが、入っていた。
確かめの中身は、いつもの確かめ、ではなかった。
いつもの確かめは、白凪の判断の中身を、訊くものだった。
今の確かめは、別のもの、だった。
別のもの、というのを、白凪は、まだ、組み立てていなかった。
組み立てていないまま、白凪は、答えを、待った。
「白凪」
「はい」
「ここからは、俺も、前線に立つ」
鷹見は、それだけ言った。
言った声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中に、半拍の、重さが、入っていた。
入っていた半拍を、白凪は、認識した。
認識した動きの中で、頭の中の、ある場所が、半拍、止まった。
ある場所、というのは、配置の場所、だった。
配置の場所の中で、鷹見の位置は、本陣の中、だった。
本陣の中、というのは、判断の二段化の、上の段、だった。
上の段、というのは、白凪の判断を、確かめる側、だった。
確かめる側に、鷹見は、立っていた。
立っているのが、九番の動きだった。
動きを、鷹見は、今、外そうとしていた。
外す、というのは、本陣の中から、本陣の入口の脇に、出る、ということだった。
出た先で、鷹見は、削る側に、入る。
入る側に、鷹見が、立つ。
立つのが、前線、だった。
「了解です」
白凪は、答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、半拍の、確かめが、入った。
確かめは、白凪の中に、入っていた。
鷹見が、前線に立つ、というのは、判断の二段化を、解除する、ということだった。
解除した二段化の、上の段は、なくなる。
なくなった上で、白凪は、判断者として、立つ。
立つ場所は、配置の中の、すべての位置だった。
すべての位置の中に、鷹見の位置も、入った。
入った位置を、白凪が、組む。
組むのは、削る側か、守る側か、どちらか、だった。
どちらに、鷹見を、置くか。
置く半拍を、白凪は、待った。
待った半拍の中で、鷹見は、続けた。
「お前は、判断者の役を、降ろさない」
「はい」
「配置と、動きの順番は、お前が、決める」
「はい」
「俺は、お前の配置の中で、動く」
「分かりました」
「異存は」
鷹見は、それだけ訊いた。
訊いた言葉は、配属の日から、白凪が、鷹見から、何度も、訊かれてきた言葉、だった。
訊いたのは、いつも、鷹見、だった。
今も、訊いたのは、鷹見、だった。
だが、訊かれている中身は、変わっていた。
変わったのは、訊かれている方向、だった。
以前は、白凪の判断を、確かめる方向、だった。
今は、鷹見が、白凪の配置の中に、入る、ということを、確かめる方向、だった。
確かめる方向の、半拍の中に、半拍の、重さが、入っていた。
入っていた半拍を、白凪は、引き出しに、入れた。
入れた場所は、十の言葉の、一番上、だった。
一番上が、責任、だった。
責任の重さの脇に、鷹見の半拍が、入った。
入った半拍を、白凪は、答えた。
「ありません」
白凪は、答えた。
答えた声は、揺れなかった。
揺れない声の中で、半拍、空いた。
空いた半拍の中で、鷹見は、半拍、白凪を、見た。
見た目の中に、半拍の、確かめが、入っていた。
確かめの中身は、白凪の答えの、揺れの有無を、確かめていた。
揺れは、なかった。
なかったのを、鷹見は、確かめた。
確かめてから、続けた。
「お前が、俺を、削る側に、置くか」
鷹見は、それだけ訊いた。
訊いた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、訊いた中身は、これまでの鷹見の、どの訊き方とも、違っていた。
違っていたのは、訊いている内容が、鷹見自身の生死に、近かった、ということだった。
近い内容を、白凪は、答える側に、いた。
答える側で、白凪は、半拍、止まった。
止まった半拍の中で、頭の中の、ある場所が、再生された。
ある場所は、後方の指揮所で、澪原中尉から、訊かれた問いだった。
澪原は、こう訊いた。
なぜ、別働を止める動きを、選んだか。
白凪は、答えた。
最も保たせる動きが、名取を、救う動き、ではなかったから、です。
澪原は、頷いた。
頷いてから、続けた。
お前の判断、合っていた。
合っていた、というのは、九番が、抜かれていれば、芦森が、落ちていた、ということだった。
落ちていれば、後方の地面が、戦場になっていた、ということだった。
戦場になる先に、白凪の知らない地名が、続いていた。
続いている地名の上に、住んでいる、誰かが、いた。
いる誰かを、保たせるために、白凪は、選択を、続けてきた。
選択の中で、削れる側に、置かれた人間が、いた。
名取、だった。
水城、だった。
笹倉、だった。
荒瀬、だった。
そして、今、鷹見が、自分から、削れる側に、入る、と、言っていた。
言っている鷹見の半拍を、白凪は、答える。
答えるのは、半拍、だった。
半拍の中で、白凪は、口を、開いた。
「置きます」
白凪は、半拍、置いてから、答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、揺れなかった。
揺れない声の中で、半拍の、重さが、入っていた。
入っていた半拍を、鷹見は、半拍、見た。
見た目の中に、半拍の、確かめが、入っていた。
確かめは、白凪の答えの、揺れの有無を、確かめていた。
揺れは、なかった。
なかったのを、鷹見は、確かめた。
確かめてから、答えた。
「合ってる」
鷹見は、それだけ言った。
言ってから、頷いた。
頷きは、半拍、だった。
半拍の頷きの中で、鷹見の右手は、銃の握りに、半拍、強く、触れた。
触れた強さの中で、握り直しは、まだ、出なかった。
出ないが、半拍前まで、来ていた。
半拍前の場所で、鷹見は、白凪の配置を、待っていた。
白凪は、半拍、止まった。
止まった半拍の中で、頭の中で、配置が、組まれ始めた。
組まれた配置の中に、鷹見の位置が、入った。
入った位置は、削る側、だった。
削る側の中で、最も、削れる位置を、白凪は、組んだ。
組んだ位置は、九番の中の、最も、前線、だった。
最も前線、というのは、前縁壕の前、だった。
前縁壕の前、というのは、これまで、九番の兵が、誰も、戦闘の射線として、使ったことのない位置、だった。
使ったことのない位置に、鷹見を、置く。
置く動きの中で、白凪は、鷹見の生死を、半拍、組んだ。
組んだ半拍の中で、鷹見の生存の確率は、低かった。
低い確率の中で、白凪は、判断を、続けた。
続けた判断の中で、配置の他の位置も、組まれた。
組まれた位置の中に、九番の七人の、すべての場所が、入っていた。
入っていた配置を、白凪は、頭の中で、確認した。
確認した配置を、口に出す半拍を、白凪は、待った。
待った半拍の中で、空の橙が、もう少し、薄くなっていった。
薄くなっていった橙の下で、九番の地面の上に、朝の光が、半拍ずつ、広がっていった。
広がっていく光の中で、白凪は、口を、開いた。




