表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/40

第6章第2部『増員』

第6章第2部『増員』

昼の手前、空の色は、橙から、薄い白に、変わっていた。

 白の中に、雲が、薄く、伸びていた。

 雲は、北寄り、だった。

 北寄りの雲の下で、断尾嶺の左斜面の、薄い動きは、まだ、続いていた。

 続いているが、九番に向かう速度は、変わっていなかった。

 変わっていない速度の中で、白凪は、観測壕の手前から、本陣の方向に、視線を、戻した。

 戻した先で、鷹見は、本陣の中に、いた。

 いたが、入口の脇に、書類を、置いていた。

 置かれた書類は、午後の補給組の、要請書、だった。

 要請書の縁が、わずかに、めくれていた。

 めくれていたのは、夜のあいだに、鷹見が、何度か、確かめた、ということだった。

 確かめた回数は、白凪には、分からなかった。

 分からないが、書類の縁の動きは、白凪が、配属の日に、補給品の包装紙を、揃えた指の動きと、同じ場所から、出てきた動き、だった。

 同じ場所、というのが、家族の輪郭の場所だった。

 家族の輪郭が、鷹見の中にも、ある。

 あるが、口には、出さない。

 口に出さないのが、九番の動きだった。


 昼の音は、エンジンの音から、始まった。

 遠かった。

 朝の後送便の音と、似ていた。

 似ていたが、別の音、だった。

 別の音、というのは、車輪の数が、違うから、だった。

 朝の後送便は、輸送車輌、一台だった。

 今、聞こえている音は、二つ、あった。

 二つ、というのは、輸送車輌と、補給用の荷車、ということだった。

 荷車が、引かれている、というのは、物資の量が、朝の便より、多い、ということだった。

 多い物資の中に、増員兵の、装備が、入っていた。

 入っているが、まだ、見えなかった。

 見えないが、来る、ということを、白凪は、知っていた。

 知っているのは、鷹見が、要請書を、確かめていた動きの中に、あった。


 白凪は、観測壕の手前から、本陣の入口の方向に、動いた。

 動く前に、久我に、声を、置いた。

「久我伍長」

「読め」

「補給組、来ます。観測、半拍、止めて、いいですか」

「半拍だけだ」

「半拍だけです」

「了解」

 久我は、それだけ答えた。

 答えた後で、双眼鏡を、構え直した。

 構え直す動きは、急がなかった。

 急がない動きの中で、久我の視線は、断尾嶺の方向に、向いたまま、だった。

 向いたままの視線の中で、敵主力の動きは、まだ、続いていた。


 白凪は、本陣の入口の脇に、立った。

 立った位置は、朝の後送便の時に、鷹見が立っていた位置、だった。

 位置は、半歩、本陣の入口の外側に、ずれていた。

 ずれているのは、補給組を、出迎える側に、立つため、だった。

 立つ側を選ぶ、というのは、鷹見が、朝の後送便で、選んだ動き、だった。

 今、白凪が、同じ動きを、している。

 同じ動きの中に、白凪は、自分の足の置き方を、確かめた。

 足の重心は、土に、半拍、深く、入っていた。

 入っているのが、保たせる動きの、土台、だった。

 土台の上で、白凪は、エンジンの音の方向を、見た。


 エンジンの音は、近づいてきた。

 近づくにつれて、車輪の音が、二つに、分かれた。

 一つは、輸送車輌の、車輪の音、だった。

 もう一つは、荷車の、車輪の音、だった。

 荷車の車輪は、輸送車輌の車輪より、軽かった。

 軽い音の中に、足の音が、混じっていた。

 足の音は、四つ、だった。

 四つ、というのは、輸送兵と、増員兵が、合わせて、四人、ということだった。

 四人の中の、二人が、九番に、残る。

 残る二人を、白凪は、これから、迎える。


 補給組は、九番の入口の手前で、止まった。

 止まった音の中で、輸送車輌の運転席から、輸送兵が、降りてきた。

 輸送兵は、朝の葉室、では、なかった。

 別の輸送兵、だった。

 別の輸送兵は、若かった。

 若いが、葉室と、似た速度で、動いていた。

 似ている速度、というのは、後方の輸送兵の、いつもの速度、だった。

 いつもの速度で、輸送兵は、九番の入口の脇に、立った。

 立った位置で、白凪を、見た。

「九番、白凪二等兵」

 輸送兵は、自分から、白凪の名前を、口にした。

 口にしたのは、葉室から、聞いていた、ということだった。

「はい」

 白凪は、答えた。

「補給組、第七便です」

「了解」

「物資と、増員、お渡しします」

「了解」

 輸送兵は、それだけ言った。

 言ってから、視線を、輸送車輌の後部に、向けた。

 輸送車輌の後部から、もう一人の、輸送兵が、降りてきた。

 もう一人の輸送兵も、若かった。

 降りた位置で、二人の輸送兵は、輸送車輌の後部の扉を、開けた。

 開いた扉の中から、二人の兵が、降りてきた。

 降りる動きは、ゆっくり、だった。

 ゆっくりなのは、二人とも、九番の地面に、まだ、足を、置いたことが、なかったから、だった。


 最初に降りてきた兵は、若かった。

 二十代の前半、に、見えた。

 軍服の襟は、まだ、新しかった。

 新しい襟の下に、ある場所の動きが、入っていた。

 ある場所の動きは、若い兵が、初めて、配属地に、降りる時の、動きだった。

 動きの中に、半拍の、止まりが、入っていた。

 止まりは、九番の入口の脇の、土の盛り上がりを、見た瞬間に、入った。

 土の盛り上がりは、本陣の脇の、左から三歩、奥に五歩、入った場所、だった。

 場所は、薄かった。

 薄いが、若い兵は、その場所を、見た。

 見たが、何も、言わなかった。

 言わない、というのは、訊かない、ということだった。

 訊かない選び方を、若い兵は、自分で、選んでいた。

 選んでいた、というのは、九番に、降りる前から、その動きを、覚えてきた、ということだった。

 覚えてきた場所は、補給組の道、だった。

 補給組の道で、若い兵は、別の場所で、別の兵の土の場所を、見てきた可能性があった。

 可能性は、白凪には、分からなかった。

 分からないが、若い兵の足の置き方の中に、ある場所の、重さが、入っていた。


 二人目に降りてきた兵は、若くなかった。

 三十代、に、見えた。

 軍服の襟は、新しくなかった。

 新しくない襟の下に、ある場所の動きが、入っていた。

 ある場所の動きは、別の戦線で、すでに、何度か、降りてきた兵の、動きだった。

 動きの中に、半拍の、止まりは、なかった。

 止まりがないのは、二人目の兵が、土の盛り上がりを、見ない、ということでは、なかった。

 見たが、足を、止めない、ということだった。

 止めない、というのが、二人目の兵の、いつもの動きだった。

 いつもの動きの中で、二人目の兵は、輸送車輌の後部から、自分の装備を、降ろした。

 装備の中に、工具袋が、あった。

 工具袋の角は、丸かった。

 丸い角は、長く、使われた工具袋の、角だった。

 使われた工具袋を、持っている兵が、新しい工兵、だった。


「九番、白凪二等兵だ」

 白凪は、自分から、名乗った。

 名乗った声は、朝の見張りの終わりの声より、半拍、低かった。

 低いのは、新兵に、配属地の名前を、置く時の声だった。

 声を置いた位置は、配属の日に、鷹見が、白凪に、自分の名前を、置いた位置と、同じ位置だった。

 同じ位置で、白凪は、二人の新兵を、見た。

 見た先で、若い兵が、半拍、止まった。

 止まったのは、白凪の声の温度を、受け取る半拍、だった。

 受け取った後で、若い兵は、答えた。

「観測補助の桐生隼一等兵です」

 桐生は、それだけ言った。

 言った声は、白凪の声と、半拍、揃っていた。

 揃っているのは、桐生が、白凪の声の温度を、受け取った上で、答えた、ということだった。

 受け取り方の中に、桐生の、ある場所の動きが、入っていた。

 ある場所の動きは、白凪が、配属の日に、鷹見に、答えた時の動きと、半拍、似ていた。

 似ているが、別の場所から、出てきた動き、だった。

 別の場所、というのは、桐生の、別の戦線での、配属の経験、だった。

 経験は、長くは、なかった。

 長くないのは、桐生の襟の新しさの中に、あった。

 だが、ゼロでは、なかった。

 ゼロではないのは、桐生が、土の盛り上がりを、見て、訊かなかった選び方の中に、あった。


「工兵の緒方耕一等兵です」

 緒方は、二人目に、名乗った。

 名乗った声は、低かった。

 低いが、揺れていなかった。

 揺れていないのは、緒方が、自分の声の温度を、長く、使ってきた、ということだった。

 使ってきた温度の中で、緒方は、白凪を、見ていた。

 見ている視線は、白凪の階級章に、入っていた。

 入った視線の中で、緒方は、半拍、止まった。

 止まった半拍の中に、緒方の、別の場所の動きが、入っていた。

 別の場所、というのは、緒方が、自分より、年下の、二等兵から、配置を、受ける、ということだった。

 ということだが、緒方は、口には、出さなかった。

 出さないのが、九番の動きだった。

 九番の動き、というのを、緒方は、まだ、知らなかった。

 知らないが、別の戦線で、似た動きを、見てきた、ということだった。

 見てきたが、九番の動きと、同じかは、分からない。

 分からないまま、緒方は、白凪の階級章から、視線を、外した。

 外した視線の先に、本陣の入口が、あった。


「中へ」

 白凪は、それだけ言った。

 言葉は、配属の日に、鷹見が、白凪に、置いた言葉と、同じ短さ、だった。

 同じ短さの中で、白凪は、半歩、本陣の方向に、動いた。

 動いた動きを、桐生と、緒方は、見た。

 見てから、自分たちの装備を、持って、白凪の後ろに、続いた。

 続く動きは、桐生の方が、半拍、早かった。

 早いのは、桐生が、年下、だから、ではなかった。

 年下だが、桐生の動きは、白凪の動きを、追いかける動き、だった。

 追いかける動きの速度を、桐生は、自分で、選んでいた。

 緒方の動きは、半拍、ゆっくりだった。

 ゆっくりなのは、緒方が、装備が、重いから、ではなかった。

 重いが、緒方は、軽く、持っていた。

 軽く持っているのに、ゆっくりなのは、緒方が、九番の地面の感触を、足の裏で、確かめながら、動いていた、ということだった。

 確かめる動きを、緒方は、別の戦線で、何度も、してきた可能性があった。


 白凪は、本陣の入口の脇まで、動いた。

 動く途中で、桐生の視線が、もう一度、土の盛り上がりに、向いた。

 向いたが、止まらなかった。

 止まらないのは、桐生が、訊かない選び方を、二度目に、選んだ、ということだった。

 二度目の選び方を、白凪は、認識した。

 認識した動きを、白凪は、引き出しの、ある場所に、入れた。

 入れた場所は、観測の側、だった。

 観測の側、というのは、久我の脇に、入る人間の、置き場所、だった。

 桐生は、観測補助、だった。

 観測補助は、観測の側、だった。

 観測の側に、訊かない選び方を、持っている兵が、入る、というのが、白凪の頭の中で、組まれた。


 本陣の入口の脇で、白凪は、半拍、止まった。

 止まった位置で、視線を、本陣の中に、向けた。

 本陣の中で、鷹見は、書類を、机の上に、置いていた。

 置かれた書類の脇に、鷹見は、立っていた。

 立っているが、白凪の方向には、視線を、向けなかった。

 向けないのは、鷹見が、白凪の動きを、確かめる側に、回っている、ということだった。

 確かめる側、というのは、鷹見が、白凪に、配属の日の動きを、引き継いだ、ということだった。

 引き継いだが、引き継いだ動きを、鷹見が、口に出して、白凪に、伝えることは、なかった。

 なかったのは、九番の動きだった。


 白凪は、本陣の入口の脇から、半歩、外側に、動いた。

 動いた位置で、桐生と、緒方に、向き合った。

 向き合った位置は、配属の日に、鷹見が、白凪に、向き合った位置、だった。

 同じ位置で、白凪は、口を、開いた。

「桐生一等兵、緒方一等兵」

「はい」

 二人とも、揃って、答えた。

 揃っているのは、別の戦線でも、揃って答える動きを、二人とも、覚えてきた、ということだった。

 覚えてきた動きの中で、二人は、白凪の声を、待った。

「九番の配置を、伝える」

「了解」

「観測壕の手前」

 白凪は、観測壕の方向を、指した。

 桐生と、緒方は、視線を、その方向に、向けた。

「本陣」

 白凪は、自分が、今、立っている場所を、指した。

「副線」

 白凪は、副線の方向を、指した。

 副線は、本陣の北側の、土嚢の脇に、伸びていた。

 伸びていたが、応答は、止まっていた。

「北側土嚢」

 白凪は、北側の方向を、指した。

「前縁壕」

 白凪は、断尾嶺の方向を、指した。

 前縁壕は、観測壕の手前から、半分の距離の場所に、あった。

「五つの位置を、覚えろ」

「了解」

 二人は、揃って、答えた。

 答えた後で、視線を、白凪に、戻した。

 戻した視線の中に、桐生の、半拍の、確かめが、入っていた。

 確かめは、五つの位置を、自分の頭の中で、組み直す半拍、だった。

 組み直す動きを、桐生は、口には、出さなかった。

 出さないのが、九番の動きだった。


「副線は、今、応答が、止まっている」

「了解」

「笹倉一等兵が、後送便で、離脱した」

「了解」

「修復が、要る」

「了解」

「緒方一等兵」

「はい」

「お前が、最初に、副線を、見ろ」

 白凪は、それだけ言った。

 言った先で、緒方は、半拍、止まった。

 止まったのは、白凪の指示の中に、ある場所の動きが、入っていたから、だった。

 ある場所の動き、というのは、緒方が、九番に、降りた直後に、副線を、見る、ということだった。

 見ることが、緒方の、最初の動き、だった。

 最初の動きを、白凪は、緒方に、置いた。

 置かれた動きを、緒方は、半拍の止まりの中で、受け取った。

 受け取った後で、答えた。

「了解」

「副線の応答停止の原因は、笹倉一等兵の被弾位置の、布線の損傷だ」

「了解」

「布線の予備は、本陣の北側の、土嚢の脇に、ある」

「了解」

「修復の優先順位は、午前中の応答正常化まで、だ」

「了解です」

 緒方は、それだけ答えた。

 答えた声は、低かった。

 低いが、揺れていなかった。

 揺れていないのは、緒方の動きが、すでに、副線の修復に、入る半拍前、だった、ということだった。

 入る半拍前の、緒方の足の置き方が、半歩、副線の方向に、ずれていた。

 ずれは、緒方が、九番の地面の感触を、足の裏で、確かめながらの、動きだった。

 確かめる動きの中に、緒方の、別の戦線での、修復の経験が、入っていた。

 経験は、長かった。

 長いのが、緒方の、軍服の襟の、新しくなさの中に、あった。


「桐生一等兵」

「はい」

「お前は、観測壕の手前で、久我伍長と、組め」

「了解」

「観測の規則は、久我伍長が、教える」

「了解」

「双眼鏡は、お前のを、使え」

「了解」

「予備は、本陣の中に、ある」

「了解です」

 桐生は、答えた。

 答えた声は、配属の日の白凪の声と、半拍、似ていた。

 似ているが、桐生の声の中には、半拍の、深さが、入っていた。

 深さは、桐生が、別の戦線で、すでに、観測補助を、してきた、ということだった。

 経験は、長くは、なかった。

 長くないが、ゼロでは、なかった。

 ゼロではないのは、桐生の双眼鏡の、紐の擦れの中に、あった。

 擦れは、桐生が、双眼鏡を、何度か、構え続けてきた跡、だった。


 白凪は、半拍、止まった。

 止まった半拍の中で、自分の中の、ある場所を、確かめた。

 ある場所は、引き出しの、ある場所、だった。

 ある場所に、苫井の言葉が、入っていた。

 苫井の言葉は、後方の兵舎で、白凪が、聞いた言葉、だった。

 言葉は、こうだった。

 最後の前線。

 最後の、というのは、九番のことだった。

 九番のことを、苫井は、外から、そう呼んだ。

 外から呼ばれていた名前を、白凪は、引き出しに、入れていた。

 入れていたが、まだ、口には、出していなかった。

 出していなかったが、今、出す半拍が、来ていた。

 出す半拍を、白凪は、選んだ。


「ここは、最後の前線だ」

 白凪は、口を、開いた。

 言った声は、低かった。

 低いのは、言葉の重さの、いつもの温度、だった。

 いつもの温度の中で、白凪は、続けた。

「外から、そう呼ばれている」

 桐生と、緒方は、半拍、止まった。

 止まった半拍の中で、二人とも、視線を、白凪の方向から、わずかに、外した。

 外した先には、九番の地面が、あった。

 地面の上に、土嚢の縁の、霜が、もう、解けていた。

 解けた縁の脇に、本陣の入口の、影が、薄く、置かれていた。

 影の中に、九番の、今までの動きが、入っていた。

 入っていた動きを、二人は、まだ、知らなかった。

 知らないが、入っている、ということを、二人とも、半拍の止まりの中で、感じていた。

 感じていることを、二人とも、口には、出さなかった。

 出さないのが、九番の動きだった。

 動きを、二人は、まだ、知らなかった。

 だが、知ろうとしていた。


「中の俺たちも、そう呼んでいい」

 白凪は、続けた。

 言った後で、半拍、空けた。

 空けた半拍の中で、桐生と、緒方は、もう一度、白凪を、見た。

 見た視線の中に、半拍の、確かめが、入っていた。

 確かめは、白凪の言葉を、自分の中に、置く半拍、だった。

 置いた後で、二人とも、頷いた。

 頷きは、半拍、だった。

 半拍の頷きの中に、二人の動きの、ある場所が、変わった。

 変わった場所は、二人とも、九番の兵、として、立つ動き、だった。

 立つ動きの半拍前まで、二人は、別の戦線の兵、だった。

 今、二人は、九番の兵、だった。

 九番の兵、というのは、最後の前線の、兵、だった。

 最後の前線、というのは、外から、そう呼ばれている、九番の名前、だった。

 名前を、白凪は、二人に、渡した。

 渡した名前を、二人は、受け取った。

 受け取ったことが、頷きの半拍の中に、入っていた。


 本陣の中から、鷹見が、視線を、白凪に、向けた。

 向けた視線の中に、半拍の、確かめが、入っていた。

 確かめの中で、鷹見は、書類から、手を、離した。

 離した手は、軍服の脇の縫い目に、戻った。

 戻った位置から、鷹見は、声を、置いた。

「白凪」

 声は、本陣の中から、置かれた。

 白凪は、視線を、本陣の方向に、向けた。

「はい」

「お前、最後の前線、と、言ったか」

「言いました」

「合っている」

「はい」

 鷹見は、それだけ言った。

 言ってから、視線を、書類に、戻した。

 戻した動きは、いつも通り、だった。

 いつも通りの中で、ひとつだけ、違うことが、あった。

 鷹見の手が、書類の角を、撫でなかった。

 撫でない、というのは、確かめが、終わった、ということだった。

 終わった確かめの先に、鷹見は、別の場所に、視線を、置いた。

 別の場所は、本陣の奥の、机の上の、別の書類、だった。

 別の書類は、午後の、補給組の、第二便の、要請書、だった。

 要請書の内容は、白凪には、まだ、分からなかった。

 分からないが、要請書が、ある、ということを、白凪は、認識した。

 認識した動きを、引き出しに、入れた。

 入れた場所は、敵主力本隊の、予兆の、すぐ脇、だった。


 桐生と、緒方は、半拍、白凪の方向に、視線を、戻した。

 戻した視線の中に、半拍の、止まりが、入っていた。

 止まりは、二人とも、鷹見と白凪の対話を、聞いた半拍、だった。

 聞いた後で、二人とも、九番の中の、指揮の動きを、自分の中で、組み直していた。

 組み直しの中で、桐生は、半拍、早く、結論に、入った。

 結論は、こうだった。

 白凪二等兵が、配置を、組む。

 鷹見軍曹が、確かめる。

 二段の指揮、だった。

 二段の指揮を、桐生は、別の戦線で、見たことが、なかった。

 なかったが、見ている。

 見ているのが、九番の動きだった。

 九番の動きを、桐生は、半拍の中で、覚えた。

 覚えた動きを、桐生は、口には、出さなかった。

 出さないのが、九番の動きだった。

 九番の動き、というのを、桐生は、今、半拍ずつ、覚え始めていた。


 緒方の動きは、別の場所に、入っていた。

 緒方は、副線の方向に、視線を、向けていた。

 向けた視線の中に、半拍の、確かめが、入っていた。

 確かめは、副線の応答停止の、原因の、布線の損傷を、自分の頭の中で、組む半拍、だった。

 組んだ半拍の中で、緒方は、すでに、修復の手順を、頭の中に、並べていた。

 並べた手順の中に、白凪の指示は、すでに、含まれていた。

 含まれていたが、緒方は、まだ、動かなかった。

 動かないのは、白凪の指示の、終わりを、待っていたから、だった。

 待っている動きを、白凪は、認識した。

 認識した動きの中に、緒方の、別の戦線での、長い動きが、入っていた。

 長い動きを、白凪は、引き出しに、入れた。

 入れた場所は、工兵の側、だった。

 工兵の側に、長い動きを、持っている兵が、入る、というのが、白凪の頭の中で、組まれた。


「桐生一等兵」

 白凪は、もう一度、口を、開いた。

「はい」

「観測壕の上に、上がる前に、ひとつ、訊いていいか」

「はい」

「お前は、別の戦線で、観測補助の経験が、あるか」

 白凪は、それだけ訊いた。

 訊いた声は、低かった。

 低いのは、桐生の、半拍の止まりの中身を、確かめるための、温度、だった。

 桐生は、半拍、止まった。

 止まった半拍の中で、答えた。

「あります」

「期間は」

「四ヶ月」

「戦線は」

「別の戦線です」

 桐生は、戦線の名前を、口には、出さなかった。

 出さないのは、後方の輸送組から、別の戦線の名前を、九番に、伝えることが、禁じられている、ということ、ではなかった。

 禁じられているのでは、ないが、自分から、出さない選び方を、桐生は、自分で、選んでいた。

 選んでいた選び方の中に、桐生の、ある場所の動きが、入っていた。

 ある場所の動き、というのは、桐生が、別の戦線の、ある場所を、自分の中に、置いておく、ということだった。

 置いておく場所は、桐生の引き出しの、ある場所、だった。

 ある場所の中身は、白凪には、分からなかった。

 分からないが、桐生が、置いているということだけ、白凪は、認識した。

 認識した動きを、白凪は、引き出しに、入れた。

 入れた場所は、桐生の、ある場所の、すぐ脇、だった。


「了解」

 白凪は、答えた。

 答えてから、緒方の方向に、視線を、向けた。

「緒方一等兵」

「はい」

「お前は、別の戦線で、副線の修復経験が、あるか」

「あります」

「期間は」

「七年」

 緒方は、それだけ答えた。

 七年、という数字は、九番の、全員の、別の戦線での、経験の中で、最も長い、数字、だった。

 長いのが、緒方の、軍服の襟の、新しくなさの中に、あった。

 新しくなさの中に、緒方が、別の戦線で、何度か、副線の修復を、してきた跡が、あった。

 跡は、緒方の、工具袋の、丸い角、だった。

 丸い角を、白凪は、認識した。

 認識した動きを、引き出しに、入れた。

 入れた場所は、水城の、ある場所の、すぐ脇、だった。

 水城は、九番の、いつもの工兵、だった。

 いつもの工兵は、今、後方の野戦病院で、左腕の治療を、受けていた。

 受けている動きの中で、水城は、九番には、いなかった。

 いない水城の場所に、緒方が、入る。

 入るが、緒方は、水城、では、ない。

 水城ではないが、副線の修復は、できる。

 できる動きを、白凪は、緒方に、回した。


「了解」

 白凪は、答えた。

 答えてから、二人に、視線を、戻した。

「桐生一等兵は、観測壕の方向へ」

「了解」

「緒方一等兵は、本陣の北側の土嚢の脇から、布線の予備を、確認して、副線の修復に、入れ」

「了解」

「位置を、つかんだら、本陣の入口の脇に、戻ってこい」

「了解です」

 二人は、揃って、答えた。

 答えた後で、視線を、自分の動きの方向に、向けた。

 桐生は、観測壕の方向に、半歩、動いた。

動く前に、半拍、白凪の方向に、視線を、戻した。

 戻した視線の中に、半拍の、確かめが、入っていた。

 確かめは、白凪に、もう一度、何かを、置く半拍、だった。

 置いたものは、言葉では、なかった。

 言葉ではないものを、白凪は、受け取った。


「白凪二等兵」

 桐生は、口を、開いた。

「はい」

「あの土の場所、誰のですか」

 桐生は、それだけ訊いた。

 訊いた声は、低かった。

 低いのは、九番の入口で、訊かない選び方を、選んだ動きの後に、本陣の脇で、訊く選び方を、選んだ動きの、声の温度、だった。

 桐生は、訊かない選び方を、解いた。

 解いた動きの中に、桐生の、別の場所の動きが、入っていた。

 別の場所、というのは、桐生が、別の戦線で、誰かの土の場所を、訊かなかった経験、だった。

 訊かなかった経験の中で、桐生は、訊くべきだった半拍を、自分の中に、置き続けていた。

 置き続けていた半拍を、桐生は、今、白凪に、置いた。

 置いた半拍は、桐生が、九番の兵として、立つ半拍、だった。


 白凪は、半拍、止まった。

 止まった半拍の中で、土の盛り上がりの方向に、視線を、向けた。

 土の盛り上がりは、薄かった。

 薄いが、位置は、変わっていなかった。

 変わっていない位置の上に、昼の薄い白の光が、置かれていた。

 置かれた光の中で、白凪は、答えた。

「名取」

「はい」

「二等兵」

「了解です」

 桐生は、それだけ答えた。

 答えた後で、土の盛り上がりの方向に、半拍、視線を、向けた。

 向けた視線の中で、桐生は、半拍、目を、伏せた。

 伏せた半拍は、桐生の、別の場所の動きと、同じ動き、だった。

 別の場所の動き、というのは、桐生が、別の戦線で、誰かの土の場所を、見た時の動きだった。

 動きは、伏せて、それから、戻す、というだけ、だった。

 戻した視線を、桐生は、白凪に、戻さなかった。

 戻したのは、観測壕の方向、だった。

 観測壕の方向に、桐生は、動き始めた。

 動く速度は、半拍、早かった。

 早いのは、桐生が、自分の動きを、開始した、ということだった。

 開始した動きの中で、桐生は、九番の兵、だった。


 緒方の動きは、半拍、後だった。

 後の半拍の中で、緒方は、視線を、白凪に、向け直した。

 向け直した視線の中に、桐生の、半拍の止まりは、入っていなかった。

 入っていないのは、緒方が、土の盛り上がりを、すでに、九番の地面の、一部として、置いた、ということだった。

 置いた動きは、緒方が、別の戦線で、何度も、してきた動き、だった。

 動きの中で、緒方は、口を、開いた。

「白凪二等兵」

「はい」

「副線の修復、完了の見込みは、午前中の応答正常化、でしたが」

「はい」

「布線の損傷の程度に、よっては、半日、かかる可能性が、あります」

「半日、というのは」

「布線の予備の長さが、足りない場合、です」

「了解」

「足りない場合、報告します」

「了解です」

 白凪は、答えた。

 答えてから、緒方の動きを、半拍、確かめた。

 確かめた動きの中に、緒方の、別の戦線での、長い動きが、入っていた。

 長い動きの中で、緒方は、自分の修復の動きの、可能性の幅を、白凪に、伝える半拍を、選んでいた。

 選んでいた半拍は、緒方の、いつもの動きだった。

 いつもの動きを、白凪は、引き出しに、入れた。

 入れた場所は、副線の応答の、すぐ脇、だった。


「緒方一等兵」

「はい」

「お前は、九番の動きを、まだ、知らない」

「はい」

「知らないが、修復は、できる」

「はい」

「修復ができる動きを、九番の動きと、合わせていく時間は、ない」

「了解」

「合わせない、ということだ」

 白凪は、それだけ言った。

 言った声は、低かった。

 低いのは、緒方の、長い動きを、白凪が、九番の動きに、合わせさせない、ということだった。

 合わせさせないのは、緒方の動きが、九番の動きと、合わなくても、修復は、できる、ということだった。

 修復ができれば、副線は、応答する。

 応答すれば、夜の、後方からの応答記録は、九番に、戻ってくる。

 戻ってくる応答記録の中に、敵主力本隊の、進路情報が、入っている可能性が、あった。

 可能性のために、白凪は、緒方の動きを、九番の動きに、合わせさせない選択を、した。

 した選択を、緒方は、半拍、見た。

 見た半拍の中で、緒方の、ある場所が、半拍、止まった。

 止まった半拍は、緒方が、白凪の選択を、自分の中に、置く半拍、だった。

 置いた後で、緒方は、答えた。

「了解です」

「動け」

「了解」

 緒方は、それだけ答えた。

 答えた後で、本陣の北側の土嚢の方向に、動き始めた。

 動く速度は、ゆっくり、だった。

 ゆっくりだが、止まらなかった。

 止まらない速度の中に、緒方の、七年分の動きが、入っていた。


 白凪は、本陣の入口の脇に、半拍、立っていた。

 立っていた位置で、輸送兵の方向に、視線を、戻した。

 輸送兵は、二人とも、輸送車輌の脇に、立っていた。

 立っている動きの中に、半拍の、終わりの動きが、入っていた。

 終わりの動き、というのは、輸送兵が、これから、後方に、戻る動き、だった。

 戻る前に、輸送兵は、白凪に、伝える、もう一つの、ことが、あった。

 もう一つの、こと、というのを、白凪は、半拍の中で、認識した。

 認識したのは、輸送兵の、視線の、止まりの中に、あった。


「九番、白凪二等兵」

 最初の輸送兵が、口を、開いた。

「はい」

「後方の情報、ひとつ、伝えます」

「了解」

「敵主力の南下、確認されています」

「はい」

「規模、これまでの最大」

「はい」

「時期、明日か、明後日」

 輸送兵は、それだけ言った。

 言葉の温度は、低かった。

 低いのは、輸送兵の、いつもの温度、だった。

 いつもの温度の中で、白凪は、半拍、止まった。

 止まった半拍の中で、頭の中の、ある場所が、再生された。

 ある場所は、後方の指揮所の、机の上の地図、だった。

 地図の南東の隅に、九番の点が、あった。

 点の上に、敵主力本隊の、矢印が、向かう絵が、描かれていた。

 描かれていた絵を、白凪は、見ていた。

 見ていた時、澪原中尉は、矢印の数を、白凪には、伝えなかった。

 伝えなかったが、太い矢印の、根元の数字が、今、輸送兵の口から、出てきていた。

 出てきた数字は、これまでの最大、だった。

 最大、というのは、九番が、戦闘で、出会った、どの規模よりも、大きい、ということだった。

 大きい規模が、明日か、明後日、九番に、来る。

 来るのが、明日でも、明後日でも、九番が、迎える側に、立つ。

 立つために、白凪は、配置を、組む。

 組む配置の中に、桐生と、緒方が、入る。

 入った二人は、まだ、九番の兵、だった。

 兵として、立つ。

 立つために、九番に、降りた。


「九番、保たせろよ」

 輸送兵は、続けた。

 言葉は、葉室と、同じ言葉、だった。

 同じ言葉を、別の輸送兵から、白凪は、今日、二度目に、聞いていた。

 二度目、というのは、後方の輸送組の中で、九番が、ある場所に、置かれている、ということだった。

 ある場所、というのは、保たせろ、と、輸送兵が、九番に、置く場所、だった。

 置かれた場所を、白凪は、引き出しに、入れた。

 入れた場所は、最後の前線の、すぐ脇、だった。

 最後の前線の脇に、保たせろ、が、置かれていた。

 二つの言葉の重さを、白凪は、確かめた。

 確かめた重さは、十の言葉の、一番上の、責任の重さと、同じ場所から、出てきた重さ、だった。

 同じ場所から、出てきた、ということが、白凪の中で、確かめられた。

「保たせます」

 白凪は、答えた。

 答えた声は、揺れていなかった。

 揺れていないのは、十の言葉が、頭の中で、整列していたから、だった。

 整列している言葉の、一番上が、責任、だった。

 責任の下に、九つの言葉が、整列していた。

 整列の中に、ひとつ、新しい場所が、加わっていた。

 新しい場所は、桐生と、緒方の、二人の場所、だった。

 二人の場所は、保たせる相手の、九番の兵の中に、含まれていた。

 含まれているが、まだ、二人の名前は、白凪の中の、引き出しの、ある場所に、入っただけ、だった。

 入っただけ、というのは、保たせる動きの、半拍前、だった。

 半拍前の場所に、桐生と、緒方が、いた。

 いる二人を、白凪は、これから、九番の兵として、保たせる側に、入れていく。

 入れていく動きは、時間が、かかる。

 かかる時間が、明日か、明後日まで、ある。

 あるが、足りる、とは、限らない。

 足りないかもしれない時間の中で、白凪は、二人を、保たせる側に、置く配置を、組む。

 組む配置の中に、桐生と、緒方の動きの、半拍前の場所が、入っていた。


「了解です」

 輸送兵は、頷いた。

 頷いてから、もう一人の輸送兵に、合図を、出した。

 二人の輸送兵は、輸送車輌に、戻った。

 戻る動きは、揃っていた。

 揃っているのが、後方の輸送組の、いつもの動きだった。

 いつもの動きの中で、輸送車輌は、エンジンを、再開した。

 再開された音の中で、輸送車輌は、ゆっくり、動き始めた。

 動き始めた方向は、街道の北側、だった。

 北側の街道の先に、後方が、あった。

 後方の先に、芦森補給廠が、あった。

 芦森の先に、翠槇州が、あった。

 翠槇州の先に、白凪の知らない地名が、続いていた。

 続いている地名の上に、住んでいる人が、いた。

 いる人の中に、白凪の知っている誰かが、いる可能性が、あった。

 可能性のために、白凪は、保たせる。

 保たせる動きを、白凪は、九番の入口の脇で、続けていた。


 輸送車輌の音は、ゆっくり、遠くなった。

 遠くなる音の中で、白凪は、視線を、九番の中に、戻した。

 戻した先に、桐生が、観測壕の方向に、半分の距離、進んでいた。

 進んでいる動きの中で、桐生は、久我の声を、待っていた。

 久我の声は、観測壕の上から、来た。

「桐生一等兵」

「はい」

「上がれ」

「了解」

 桐生は、観測壕の階段を、上がり始めた。

 上がる速度は、半拍、早かった。

 早いのは、桐生が、久我の声の温度を、半拍で、認識した、ということだった。

 認識した動きの中で、桐生は、久我の脇に、入る半拍前まで、来ていた。


 緒方の動きは、別の方向に、入っていた。

 緒方は、本陣の北側の土嚢の脇で、布線の予備の束を、確認していた。

 確認している動きの中に、緒方の、七年分の動きが、入っていた。

 七年分の動きの中で、緒方は、布線の長さを、目で、測っていた。

 測った長さは、白凪には、分からなかった。

 分からないが、緒方の、視線の止まりの中で、足りる、足りない、の半拍が、入っていた。

 半拍の中で、緒方は、口を、開いた。

「白凪二等兵」

「読め」

「布線の予備、足ります」

「了解」

「修復、開始します」

「動け」

 緒方は、頷いた。

 頷いてから、副線の方向に、動き始めた。

 動く速度は、ゆっくり、だった。

 ゆっくりだが、止まらなかった。

 止まらない速度の中で、緒方は、副線の修復に、入った。


 白凪は、本陣の入口の脇に、半拍、立っていた。

 立っていた位置で、視線を、本陣の中に、向けた。

 本陣の中で、鷹見は、机の上の書類を、見ていた。

 見ているが、視線は、書類の中身には、入っていなかった。

 入っていないのは、鷹見が、書類の手前で、半拍、止まっていた、ということだった。

 止まりの中に、鷹見の、ある場所の動きが、入っていた。

 ある場所の動きを、白凪は、半拍、見た。

 見た半拍の中で、鷹見は、視線を、白凪に、向け直した。

 向け直した視線の中に、半拍の、確かめが、入っていた。

「白凪」

「はい」

「補給組、受けたな」

「受けました」

「二人、九番の兵、になったか」

「半拍前、まで、来ています」

 白凪は、それだけ答えた。

 答えた声の中に、半拍の、低さが、入っていた。

 低さは、二人が、まだ、九番の兵の、半拍前、だった、ということだった。

 半拍前の場所に、桐生と、緒方が、いた。

 いるが、まだ、保たせる側には、入っていなかった。

 入っていないのは、二人が、九番の動きを、まだ、知らない、ということだった。

 知らないが、知ろうとしていた。

 知ろうとしていた動きの中に、桐生の、訊かなかった半拍と、訊いた半拍が、入っていた。

 入っていたが、まだ、半拍前、だった。


「半拍前、というのは」

 鷹見は、続けた。

「二人とも、九番の動きを、まだ、知りません」

「知らないが、配置に、入ったな」

「入りました」

「お前が、入れたか」

「入れました」

「合っている」

「はい」

 鷹見は、それだけ言った。

 言ってから、視線を、書類に、戻した。

 戻した動きは、いつも通り、だった。

 いつも通りの中で、ひとつだけ、違うことが、あった。

 鷹見は、書類の角を、撫でなかった。

 撫でない、というのは、確かめが、終わった、ということだった。

 終わった確かめの先で、鷹見は、本陣の奥に、視線を、移した。

 移した先に、午後の、補給組の、第二便の、要請書が、あった。

 要請書の中身は、白凪には、まだ、分からなかった。

 分からないが、ある、ということだけ、白凪は、認識した。

 認識した動きを、引き出しに、入れた。

 入れた場所は、敵主力本隊の、明日か、明後日、の、すぐ脇、だった。


 空の白は、もう少し、濃くなっていた。

 濃くなった白の中に、薄い灰が、混じり始めていた。

 灰は、北寄りの方向から、伸びてきた。

 伸びてくる速度は、ゆっくり、だった。

 ゆっくりな速度の中で、九番の地面の上に、薄い影が、置かれていた。

 置かれた影の中に、九番の、午後があった。

 午後の中で、桐生は、観測壕の上で、久我から、観測の規則を、教わっていた。

 教わっている動きの中で、桐生の、双眼鏡の角度は、断尾嶺の左斜面の、中腹より上に、向いていた。

 向いた角度の先に、敵主力本隊の、薄い動きが、続いていた。

 続いている動きの中に、桐生の、半拍の止まりが、入っていた。

 入っていたが、桐生は、止まらなかった。

 止まらないのが、観測補助の、いつもの動きだった。

 いつもの動きを、桐生は、別の戦線で、覚えてきた。

 覚えてきた動きの中で、桐生は、久我の脇に、入った。


 緒方は、副線の脇で、修復に、入っていた。

 修復の動きの中で、緒方の手は、揺れなかった。

 揺れない手の中に、緒方の、七年分の動きが、入っていた。

 七年分の動きの中で、緒方は、笹倉の被弾位置の、布線の損傷を、確認していた。

 確認した損傷は、布線の、半分の長さ、だった。

 半分の長さを、緒方は、予備の布線で、繋ぎ直した。

 繋ぎ直す動きは、ゆっくり、だった。

 ゆっくりだが、止まらなかった。

 止まらない動きの中で、副線の応答が、半拍ずつ、戻り始めていた。


 白凪は、観測壕の手前に、戻った。

 戻った位置で、銃の構えを、確かめた。

 確かめた構えは、揺れていなかった。

 揺れていない構えの先に、断尾嶺の方向が、あった。

 断尾嶺の左斜面の、中腹より上に、薄い動きが、続いていた。

 続いている動きの中に、敵主力本隊の、明日か、明後日、の動きが、入っていた。

 入っている動きを、白凪は、見ていた。

 見ている時間の中で、十の言葉が、頭の中で、もう一度、整列した。

 整列した言葉の、一番上が、責任、だった。

 責任の下に、九つの言葉が、整列していた。

 整列の中に、ひとつ、加わった場所が、あった。

 加わった場所は、桐生と、緒方の、二人の場所、だった。

 二人の場所は、九番の兵の、半拍前、だった。

 半拍前から、保たせる側に、入る半拍までの、時間を、白凪は、組んでいた。

 組む時間の中に、明日か、明後日、が、入っていた。

 入っていたが、足りる、とは、限らなかった。

 足りないかもしれない時間の中で、白凪は、二人を、九番の兵に、する。

 する、というのが、保たせる動きの、土台、だった。

 土台の上で、白凪は、観測壕の手前に、立っていた。


 久我の双眼鏡の角度が、半拍、変わった。

 変わった角度の先に、薄い動きが、半拍、止まった。

 止まった半拍の中で、久我の声が、観測壕の上から、来た。

「白凪二等兵」

「読め」

「断尾嶺の左斜面の、薄い動き、半拍、止まりました」

「位置は」

「中腹より上/止まった位置から、動き直す気配は、ありません」

「了解」

「だが、別の動きが、見えます」

「読め」

「断尾嶺の、右斜面の、麓の方向/薄い動き/別の場所」

「数は」

「読みきれません/だが、左斜面より、少ない」

「方向は」

「南/だが、九番に、向いた、とは、限りません」

「了解」

 白凪は、答えた。

 答えながら、頭の中で、配置を、組み直した。

 組み直した配置の中に、桐生の動きが、入っていた。

 桐生の動きは、観測壕の上で、久我の脇に、入っていた。

 入っていたが、桐生の双眼鏡の角度は、まだ、左斜面の方向に、向いていた。

 向いた角度を、右斜面に、回す動きは、桐生に、半拍、時間が、かかる動き、だった。

 かかる時間を、白凪は、頭の中の配置に、入れた。

 入れた配置の中で、桐生の半拍が、九番の動きの、ある場所に、入った。

 入った場所は、観測の側、だった。

 観測の側に、桐生が、入った。

 入ったのが、九番の兵になる半拍、だった。

 半拍が、白凪の頭の中で、終わった。

 終わった半拍の先で、桐生は、九番の兵、だった。


「桐生一等兵」

 白凪は、観測壕の方向に、声を、置いた。

「はい」

「右斜面の、麓の方向、双眼鏡を、回せ」

「了解」

「久我伍長は、左斜面、継続」

 久我は、答えた。

「了解」

 桐生の双眼鏡の角度が、半拍の中で、回った。

 回った角度の先に、断尾嶺の、右斜面の、麓が、あった。

 麓の薄い動きの中に、桐生の視線が、入った。

 入った視線の中で、桐生は、半拍、止まった。

 止まった半拍の中で、桐生の声が、観測壕の上から、来た。

「白凪二等兵」

「読め」

「右斜面の、麓/薄い動き/確認」

「数は」

「五から、八/距離は、まだ、遠い」

「速度は」

「ゆっくり/だが、止まらない」

「方向は」

「九番に、向いた、と、思います」

 桐生は、それだけ答えた。

 答えた声の中に、半拍の、確かめが、入っていた。

 確かめは、桐生が、自分の観測を、白凪に、置く半拍、だった。

 置いた観測を、白凪は、受け取った。

 受け取った観測は、九番の動きの、ある場所に、入った。

 入った場所は、敵主力本隊の前哨、の、可能性の、すぐ脇、だった。

 可能性の中に、桐生の、半拍の観測が、入っていた。

 入った半拍の中で、桐生は、九番の兵、だった。

 兵としての半拍を、白凪は、確かめた。

 確かめた半拍は、白凪の、引き出しの、ある場所に、入った。

 入った場所は、保たせる側、だった。

 保たせる側に、桐生が、入った。

 入った瞬間が、半拍の終わり、だった。


「了解」

 白凪は、答えた。

 答えてから、視線を、副線の方向に、向けた。

 副線の脇で、緒方は、修復に、入っていた。

 入っている動きの中で、緒方の手は、揺れなかった。

 揺れない手の中で、繋ぎ直された布線の、応答音が、半拍、戻った。

 戻った応答音を、緒方は、半拍、聞いた。

 聞いた後で、口を、開いた。

「白凪二等兵」

「読め」

「副線、応答、戻りました」

「了解」

「後方からの応答記録、受信、開始します」

「了解です」

 緒方は、それだけ答えた。

 答えた後で、副線の応答音の方向に、視線を、戻した。

 戻した視線の中で、緒方は、半拍、止まった。

 止まった半拍の中で、緒方は、九番の兵、だった。

 兵としての半拍を、白凪は、確かめた。

 確かめた半拍が、白凪の、引き出しの、保たせる側に、入った。

 入った場所に、緒方が、いた。

 いるのは、桐生の、すぐ脇、だった。

 二人が、九番の兵として、保たせる側に、入った。

 入った瞬間の前に、半拍の時間が、あった。

 半拍の時間は、九番の動きの、いつもの速度より、半拍、早い、時間だった。

 早いのは、敵主力本隊の、明日か、明後日、が、近づいていたから、だった。

 近づいている動きを、白凪は、観測壕の手前から、見ていた。

 見ていた視線の中で、空の灰が、もう少し、伸びていた。

 伸びていく灰の下で、断尾嶺の左斜面の、薄い動きと、右斜面の麓の、薄い動きが、続いていた。

 続いていた動きの中で、九番は、立っていた。

 立っていたのは、最後の前線、だった。

 最後の前線の上で、白凪は、判断者として、立っていた。

 判断者の脇に、桐生と、緒方が、入った。

 入った二人と、白凪と、久我と、瀬名と、荒瀬と、鷹見の、七人で、九番は、立っていた。

 七人で、立っているのが、九番の、午後の形、だった。

 形の中に、十の言葉が、整列していた。

 整列している言葉の、一番上が、責任、だった。

 責任の重さを、白凪は、口の中で、転がした。

 転がしたが、口の外には、出さなかった。

 出さないのが、九番の、いつもの動きだった。

 いつもの動きの中で、白凪は、観測壕の手前に、立っていた。

 立っている時間の中で、空の灰が、もう少し、濃くなった。

 濃くなった灰の中で、九番の、午後の時間が、続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ