第5章 第五部 帰還
第五部 帰還
枯枝街道の入口に、白凪は、入った。
入口の脇には、行きで通った時と、同じ輪止めの木片が、まだ、転がっていた。
転がっている木片の位置は、変わっていなかった。
変わっていない、というのは、誰も、拾わなかった、ということだった。
拾わない、というのが、ここの形だった。
ここの形を、白凪は、もう、覚えていた。
覚えたまま、白凪は、街道の北寄りの土の上を、進み始めた。
一人で歩く速度は、行きと、違っていた。
違っていたのは、合わせる相手が、いない、ということだった。
合わせる相手がいないと、白凪の歩幅は、九番で土嚢の脇を移動する時の歩幅に、戻った。
戻った歩幅は、行きの歩幅より、半拍、速かった。
半拍速い歩幅で、白凪は、撃たれた土の道の上を、進んだ。
進む途中で、行きで見た布の裾を、もう一度、見た。
布は、同じ場所に、あった。
誰も、拾っていなかった。
白凪も、拾わなかった。
通り過ぎる時に、布の色を、確かめた。
色は、行きの色と、変わっていなかった。
変わっていなかったのは、夜のあいだに、雨が、降らなかったからだった。
降らなかったから、布は、そのままだった。
そのままの布の脇を、白凪は、通り過ぎた。
進んだ先で、地面の色が、変わっていた。
変わっていた、というのは、新しい砲撃跡が、増えていた、ということだった。
増えた砲撃跡の窪みは、行きの時には、なかった。
なかった場所に、新しい窪みが、できていた。
窪みの深さは、人の膝より、深かった。
深いのは、新しい砲撃跡だ、ということだった。
新しい、というのは、夜のあいだに、誰かが、撃たれた、ということだった。
撃たれた誰かは、ここには、もう、いなかった。
いない、というだけだった。
いないままの窪みの脇を、白凪は、通り過ぎた。
通り過ぎる時に、足の速度は、変えなかった。
変えなかったのは、止まっても、変わらないからだった。
変わらないことの上を、白凪は、進んだ。
進む途中で、向こうから、別の補給組が、来た。
補給組は、三人だった。
二人が、立っていた。
一人が、二人のあいだで、低い姿勢で、運ばれていた。
行きと同じ形だった。
別の方向から、来ていた。
擦れ違いの直前に、向こうの輸送兵の一人が、白凪に、視線を、向けた。
向けた視線は、確かめる視線だった。
確かめている、というのは、白凪の軍服の色を、確かめている、ということだった。
白凪の軍服の色は、九番の土の色だった。
「お前、九番か」
輸送兵は、訊いた。
「はい」
「戻る側か」
「はい」
「ご苦労」
輸送兵は、それだけ言った。
言ってから、自分の歩幅に、戻った。
白凪も、自分の歩幅に、戻った。
戻った歩幅で、擦れ違いは、終わった。
擦れ違いの後、白凪は、振り返らなかった。
振り返らない、というのが、ここでの動きだった。
動きを、白凪は、続けた。
続けたまま、街道の上を、進んだ。
歩いている間、白凪の中で、引き出しの中の、線が、何度か、再生された。
線は、九番の小さな点から、伸びていた。
伸びていく先に、芦森が、あった。
芦森から、翠槇州が、あった。
翠槇州の先に、白凪の知らない地名が、続いていた。
続いている先には、戻る場所が、ある。
戻る場所には、人が、住んでいる。
住んでいる人の中に、白凪の知っている誰かが、いる可能性が、ある。
可能性のところで、白凪は、線を、止めた。
止めたが、線そのものは、消えなかった。
消えないまま、線の根元に、視線を、戻した。
根元には、九番の点が、あった。
九番には、笹倉と、久我と、瀬名と、荒瀬と、鷹見が、立っていた。
立っているあいだは、線が、保たれていた。
保たれているあいだに、白凪は、戻る。
戻る先で、もう一段、動く。
もう一段、というのが、まだ、形を、取っていなかった。
取っていない形を、白凪は、追わなかった。
追わずに、足を、出した。
出した足の先に、九番の方向が、あった。
白凪は、歩きながら、もう一つ、確かめた。
保たせるのは、九番だった。
保たせるのは、ここでは、なかった。
ここ、というのは、街道だった。
街道の上で、白凪は、保たせる側に、いるのか。
考えた瞬間、答えが、引き出しの奥から、出てきた。
保たせるのは、九番。
だが、戻る道のあいだも、白凪は、保たせる側に、いる。
戻ること、自体が、保たせるための、動きだった。
動きを、白凪は、止めなかった。
止めなかった足の下の地面の温度が、徐々に、変わっていた。
変わっていたのは、九番の土の温度に、近づいていた、ということだった。
近づいている温度の中で、白凪は、進んだ。
夕方の光が、街道の上に、長く、伸びてきた。
光の色は、行きの夕方の光と、似ていた。
似ているが、別の日の光だった。
別の日の光の下で、街道の終わりが、見えてきた。
街道の終わりの先に、九番の連絡路が、あった。
連絡路の先に、九番の入口が、あった。
入口の脇には、土嚢が、積まれていた。
積まれた土嚢の角の脇に、見張りの兵の影が、見えた。
見えた影は、立っていた。
立っている影は、笹倉だった。
近づいていくと、笹倉が、白凪に、気づいた。
気づいたが、笹倉は、何も、言わなかった。
言わずに、白凪を、見ていた。
見ている目は、夜の見張りで、副線の応答を待っている時の目と、同じだった。
同じ目を、白凪は、知っていた。
知っているまま、白凪は、入口の手前で、止まった。
「戻りました」
白凪は、短く、言った。
「お帰りなさい」
笹倉は、それだけ答えた。
答えた声の中に、震えは、入っていなかった。
入っていなかったのは、笹倉が、構えていたから、だった。
構えていれば、震えない、というのを、笹倉は、知っていた。
白凪も、知っていた。
二人とも、口にはしなかった。
「水城は」
笹倉は、訊いた。
「野戦病院、引き渡しました。左腕、治療中です」
「そうですか」
「戻れるかは、まだ、決まっていません」
「了解です」
笹倉は、それだけ言った。
言ってから、入口の方向に、白凪を、通した。
通した動きは、急がなかった。
白凪は、笹倉の脇を、通った。
通る時に、笹倉の手が、まだ、震えているか、確かめた。
確かめたが、笹倉の手は、見えなかった。
見えなかったのは、笹倉が、手を、土嚢の角に、置いていたからだった。
置かれた手は、震えていなかった。
震えていない手の上で、笹倉は、立っていた。
立っていることが、保たせる、ということだった。
九番の中に、入った瞬間、空気が、変わった。
変わったのは、温度だった。
仮宿舎の温度でも、街道の温度でも、なかった。
九番の温度だった。
九番の温度は、土と、湿気と、息の温度が、混じった、決まった温度だった。
その温度が、白凪の身体の、基準だった。
基準の温度の中に、白凪は、戻った。
戻った瞬間、身体の緊張が、わずかに、形を、変えた。
変えたのは、抜けた、ということではなかった。
抜けたのではなく、合った、ということだった。
合った形のまま、白凪は、本陣の方向に、進んだ。
本陣の脇に、鷹見が、立っていた。
立った位置は、本陣の入口の、半歩、外だった。
半歩、というのが、鷹見の、待ち方だった。
待ち方を、白凪は、覚えていた。
覚えているまま、白凪は、鷹見の前に、立った。
「戻ったか」
鷹見は、それだけ言った。
「戻りました」
「水城は」
「野戦病院、引き渡しました。左腕、治療中です」
「そうか」
鷹見は、頷いた。
頷きは、短かった。
頷いてから、続けた。
「澪原中尉と、会ったな」
「はい」
「何を、訊かれた」
「九番の判断、四つの動きの中で、なぜ、別働を止める動きを、選んだか、です」
「答えたか」
「答えました」
「『最も保たせる動きが、名取を、救う動き、ではなかった』と、答えたか」
「はい」
鷹見は、もう一度、頷いた。
頷きは、さっきより、半拍、長かった。
長かったのは、答えを、確かめるための、半拍だった。
確かめてから、鷹見は、本陣の方向に、向き直った。
向き直る前に、背中で、言った。
「朝、話す」
白凪は、その背中を、見た。
見たが、何も、訊かなかった。
訊かなかったのは、訊いても、答えは、返らない、と、知っていたからだった。
知っているまま、白凪は、頷いた。
頷いてから、鷹見の背中が、本陣の中に、入っていくのを、見送った。
見送る速度は、急がなかった。
本陣の入口の脇には、別の動きが、あった。
久我が、観測壕の方向で、双眼鏡を、構えていた。
構えた角度は、左寄りだった。
左寄りは、行きの朝に、白凪が出る前に、見た角度と、同じだった。
同じ角度で、久我は、立っていた。
立っていることが、続いている、ということだった。
続いていることが、保たせる、ということだった。
白凪は、久我の方向に、視線を、向けた。
向けたが、声は、かけなかった。
久我も、白凪の方向を、見なかった。
見なくても、戻ったことは、分かっていた。
分かっているまま、二人の間に、沈黙が、続いた。
沈黙の中で、久我の双眼鏡の角度が、わずかに、動いた。
動いた角度は、半度、北寄りだった。
北寄りは、また、九番正面の方向だった。
方向の先に、何かが、動いていた。
動いている何かは、まだ、別働では、なかった。
まだ、というのは、これから、来る、ということだった。
来る時に、白凪は、動く。
動くために、ここに、戻った。
白凪は、本陣の脇から、観測壕の手前の方向に、進んだ。
進む途中で、本陣の脇の、土の場所を、通った。
土の場所には、行きで通った時と、同じ色の土が、あった。
色は、まだ、新しかった。
新しいが、行きの時より、わずかに、固まっていた。
固まっていたのは、夜のあいだに、誰かが、踏まなかったからだった。
踏まれない土は、固まる。
固まったまま、土は、ここに、ある。
ある、ということが、続いていた。
続いている土の脇を、白凪は、通り過ぎた。
通り過ぎる時に、視界の端に、土の色を、入れた。
入れた色は、白凪の引き出しの中の、「保たせるの隣」の、位置と、揃った。
揃ったまま、白凪は、通り過ぎた。
観測壕の手前に、白凪は、戻った。
戻った位置は、出る前に立っていた位置と、同じだった。
同じ位置の土の上に、足を、置いた。
置いた足の下の土は、九番の土だった。
九番の土の上に、白凪の足が、戻った。
戻ったことを、白凪は、確かめた。
確かめてから、銃を、肩から、外した。
外した銃を、土嚢の脇に、立てかけた。
立てかけた銃の角度は、出る前に立てていた角度と、同じだった。
同じ角度のまま、白凪は、観測壕の手前に、立った。
立った姿勢は、配属の日から、何度も、立った姿勢だった。
姿勢の中で、右手の重さが、確かめられた。
右手は、震えていなかった。
震えていない右手の重さの中に、街道の上で確かめた何かが、まだ、入っていた。
入っているものを、白凪は、追わなかった。
追わずに、観測壕の手前の地面を、見た。
地面は、九番の地面だった。
九番の地面の上に、白凪は、立っていた。
夜が、来た。
夜は、静かだった。
静か、というのは、別働の動きが、なかった、ということだった。
久我の双眼鏡は、夜のあいだも、左寄りの角度に、置かれていた。
置かれた角度の先には、何も、出てこなかった。
出てこないまま、夜が、進んだ。
白凪は、見張りの位置に、立っていた。
位置は、観測壕の手前だった。
手前の土の上で、白凪は、夜の空気を、吸った。
吸った空気は、九番の空気だった。
九番の空気の中に、白凪は、いた。
いる、というのが、続いていた。
夜の中で、白凪は、引き出しの中の、八つの言葉を、ゆっくり、再生した。
使わなければ、お前以外が、削れる。
選ばなければ、全員が、削れる。
お前だ。
もう、戻らない。
保たせるために、削れる。
自分の選択が、九番の外まで、届く。
削り切るまで、保たせる。
削り切ったら、その時は、その時だ。
八つは、変わっていなかった。
変わっていないが、隣に、線が、並んでいた。
線は、地図の上で、見た線だった。
九番から、伸びていた。
伸びた先に、芦森が、あった。
芦森から、翠槇州が、あった。
翠槇州の先に、白凪の知らない地名が、続いていた。
続いていた線の根元に、九番の小さな点が、あった。
点の上に、白凪自身が、立っていた。
立っている、ということが、保たせる、ということだった。
保たせることの形が、八つの言葉と、線の両方で、組み上がっていた。
組み上がっているのに、まだ、何かが、足りなかった。
足りないのは、「もう一段」だった。
「もう一段」は、まだ、形を、取っていなかった。
形は、朝に、鷹見が、告げる。
朝が、来るまで、白凪は、待った。
待つ動きは、見張りの動きと、同じだった。
同じ動きの中で、夜が、半分、過ぎた。
夜の後半、白凪は、もう一度、考えた。
考えたのは、自分が、ここに、戻ってきた、ということだった。
戻ってきたのは、九番に、戻る、ということだった。
戻る場所が、九番だった。
九番には、笹倉と、久我と、瀬名と、荒瀬と、鷹見が、立っていた。
立っているあいだは、九番が、保たれていた。
保たれているあいだに、白凪も、立っていた。
立っているのは、五人のうちの、一人としてだった。
五人のうちの一人だった白凪が、戻ってきた。
戻ってきた先で、何かが、変わる。
変わるのは、白凪が、五人のうちの一人では、なくなる、ということだった。
五人のうちの一人では、なくなる、というのは、どういう形か。
形は、まだ、白凪の中で、組み上がっていなかった。
組み上がらないまま、夜が、進んだ。
進む夜の中で、白凪は、引き金にかけた右手の重さを、もう一度、確かめた。
重さは、配属の日と、違っていた。
違っていたのは、重さ、ではなかった。
重さの中に、ある何か、だった。
配属の日には、何も、なかった。
今は、何かが、あった。
何か、というのは、まだ、形を、取っていなかった。
取っていない形を、白凪は、追わなかった。
追わずに、夜が、明けるのを、待った。
明け方近く、本陣の脇で、足音が、した。
足音は、鷹見だった。
鷹見は、本陣の入口を、出てきた。
出てきて、観測壕の手前の方向に、進んだ。
進む速度は、急がなかった。
白凪の前で、止まった。
「白凪二等兵」
鷹見は、低く、呼んだ。
「はい」
白凪は、答えた。
答えた声は、夜のあいだ、ずっと、待っていた声だった。
待っていた声の形が、答える瞬間に、決まった。
「お前は、もう、ここの兵じゃない」
鷹見は、それだけ言った。
白凪は、半拍、置いた。
置いた半拍の中で、答えが、決まった。
決まった答えを、白凪は、口に、出した。
「はい」
答えた声は、低かった。
低かったが、揺れなかった。
揺れなかったのは、答える前に、引き出しの中で、形が、決まっていたからだった。
決まっていた形が、口から、出てきた。
出てきた形は、「はい」、という、二文字だった。
二文字の中に、夜のあいだ、考え続けた、すべてが、入っていた。
「判断者の役を、お前に、渡す」
鷹見は、続けた。
「ここの兵の、配置と、動きの順番を、お前が、決める」
「はい」
「俺は、上の指揮を、取る」
「はい」
「お前は、ここの動きを、取る」
「了解です」
「異存は」
「ありません」
白凪は、答えた。
答えた声は、半拍ごとに、低く、確かめながら、出した。
出した答えの中に、迷いは、なかった。
迷いがなかったのは、迷う場所が、なかったからだった。
迷う場所がない、というのは、すでに、選んでいた、ということだった。
選んでいたのは、夜のあいだの、見張りの時間の中で、だった。
時間の中で、白凪は、何度か、自分の中の、八つの言葉と、線と、立っている場所を、確かめた。
確かめた結果が、今の、「ありません」だった。
「お前が、ここを、保たせる側だ」
鷹見は、続けた。
「はい」
「お前が、ここの誰かを、削る側にも、なる」
白凪は、その言葉を、聞いた。
聞いた瞬間、引き出しの中の、動機の場所の中央に、新しい言葉が、入る場所が、開いた。
開いた場所には、まだ、何も、入っていなかった。
入る前に、鷹見が、続けた。
「分かるか」
白凪は、もう一度、半拍、置いた。
置いた半拍の中で、白凪は、自分の中を、見た。
見た先に、八つの言葉が、並んでいた。
八つの言葉は、変わっていなかった。
変わっていない言葉の隣に、九つ目が、置かれる場所が、開いていた。
九つ目の言葉は、まだ、入っていなかった。
だが、入る場所が、開いていた。
開いている場所に、これから、入る。
入る言葉は、鷹見が、今、言った言葉だった。
ここの誰かを、削る側にも、なる。
その言葉の意味を、白凪は、引き出しの中で、確かめた。
確かめた結果、白凪は、答えた。
「分かります」
白凪は、答えた。
答えた声は、低かった。
低いが、これまでの、どの答えとも、別の声だった。
別の声、というのは、「分かりません」と答え続けてきた声と、別、ということだった。
別の声で、白凪は、「分かります」と、答えた。
鷹見は、頷いた。
頷きは、長かった。
長かったのは、白凪の答えを、確かめるための、長さだった。
確かめてから、鷹見は、白凪の右手を、見た。
見たが、何も、言わなかった。
言わない、というのが、確かめた背中の動きだった。
動きを、白凪は、知っていた。
知っていたまま、頷きを、返した。
返した頷きを、鷹見は、見届けた。
見届けてから、本陣の方向に、向き直った。
向き直って、戻る速度は、急がなかった。
戻っていく背中を、白凪は、見送った。
見送る位置は、観測壕の手前だった。
手前の土の上に、白凪は、立っていた。
立っている位置は、判断者の位置だった。
位置を、白凪は、もう、覚えていた。
鷹見が、本陣の中に、入っていった。
入っていく動きを、白凪は、見送ってから、自分の中に、視線を、戻した。
戻した先に、引き出しの中の、動機の場所の中央が、あった。
中央には、八つの言葉が、並んでいた。
八つの言葉の隣に、九つ目が、入る場所が、開いていた。
開いていた場所に、白凪は、言葉を、置いた。
ここの誰かを、削る側にも、なる。
置いた瞬間、九つの言葉が、揃った。
揃った九つは、同じ方向を、指していた。
指している方向は、白凪自身だった。
白凪自身が、削れる側にいるのと、同時に、誰かを、削る側にも、立つ。
二つは、別の場所だった。
別の場所に、白凪は、両方とも、立っていた。
立っている形を、白凪は、確かめた。
確かめた形は、揺れなかった。
揺れなかったのは、夜のあいだに、組み上げた形が、組み上がっていたからだった。
組み上がっていた形が、九つの言葉として、並んだ。
九つの言葉が、揃った瞬間、白凪は、これを、何かと呼ぶべきだ、と感じた。
呼ぶべき言葉が、自分の中に、ある。
ある言葉は、まだ、形に、なっていなかった。
形に、なる手前で、白凪は、止まった。
止まった、というのは、まだ、呼べない、ということだった。
呼べないのは、九つの言葉だけでは、まだ、足りない、ということだった。
足りない、というのは、まだ、動いていない、ということだった。
動いていない、というのは、九つの言葉が、行動に、変わっていない、ということだった。
行動に、変わる前に、呼ぶことは、できない。
呼ぶのは、行動に、変わった後、だった。
その認識が、引き出しの奥の、奥に、置かれた。
置かれた認識の上に、白凪は、止まっていた。
止まっているまま、明け方の光が、観測壕の手前の土嚢の縁に、薄く、乗った。
乗った光の色は、灰色だった。
灰色の光の下で、白凪は、立っていた。
立っている位置は、判断者の位置だった。
位置の上に、九つの言葉が、揃っていた。
揃った言葉の隣に、まだ、形を、取っていない、何かが、あった。
何かは、これから、動く時に、形を、取る。
動く時は、まだ、来ていなかった。
だが、来る。
来た時に、白凪は、動く。
動くために、ここに、立っていた。
観測壕の方向で、久我の双眼鏡の角度が、わずかに、動いた。
動いた角度は、半度、北寄りだった。
北寄りは、九番正面の方向だった。
方向の先に、何かが、動いていた。
動いている何かが、別働かどうかは、まだ、決まっていなかった。
まだ、決まっていない動きを、久我は、追っていた。
追っているまま、双眼鏡は、止まらなかった。
止まらない双眼鏡の脇で、白凪は、立っていた。
立った姿勢の右手は、引き金の構えの位置に、入れたままだった。
入れた右手は、震えていなかった。
震えていない右手の重さの中に、何かが、入っていた。
入っているものは、配属の日には、なかった。
最初の戦闘の時にも、なかった。
名取が、撃たれた時にも、まだ、形は、別だった。
名取の埋葬の朝にも、形は、また、別だった。
今、入っているものは、これまでとは、別の何かだった。
別の何かを、白凪は、追わなかった。
追わずに、引き金の重さを、肩で、確かめた。
確かめた重さの下で、白凪は、動きを、待った。
待つ動きの先に、九番正面の方向が、あった。
方向の先で、何かが、動いていた。
動いている何かが、別働かどうかは、まだ、決まっていなかった。
だが、決まる。
決まった時に、白凪は、動く。
動く形は、まだ、見えていなかった。
見えていない形を、白凪は、追わなかった。
追わずに、ただ、立っていた。
立っていた地面は、九番の土だった。
土の温度は、白凪の身体の温度と、揃っていた。
揃っているまま、明け方の光が、わずかに、明るくなった。




